第40話ループ10+α -7



 少し走ったところで、西棟の廊下を振り返る。

 無理やり部屋を出てしまったけれど、誰かが私を追ってくる気配はない。

 あれだけ城館の危険性を説いてきたのだ。兄様も無責任に部屋を飛び出すことはできないだろう。きっとぷんすか怒りながら扉を塞いでいてくれているはずだ。無責任なのはお前だ、なんて言ってげんこつを落とされる未来しか見えないけど。

 ……今この状況で、未来なんて考えても仕方ないし、まあいっか。


 次は中央棟図書室へと向かう。もちろん、公爵に会うためだ。

 セレニアちゃんやライゼルさんを探す怪しい人影はないかと警戒したけれど、先ほどと同じように廊下はしんとしている。

 結局これまでのループを通して、イネス以外、私が暗殺者たちの影を感じることはなかった。


 さっきはあんなことを言ったけれど。

 本当は、暗殺者がどこに潜んでいるのかしっかり探すべきだと思う。

 アージュさん曰く、ループの起点は私で。そして私は、怪しげな暗殺集団に(間接的に)命を狙われている。きっとループの原因は、この暗殺者たちと関係している。


 でも、下手に暗殺者たちを刺激して、誰かが傷ついたら? 誰かが死んでしまったら?

 ……本来の歴史の出来事に、誰かの死も含まれていたとしたら?


 アージュさんは、過去、未来の出来事は変えられないと言っていた。

 だから、誰も死なせまいとするだけの私の行動は、このループを誤った方向へと進ませているのかもしれない。


 でも、もう痛いのも悲しいのもうんざりだ。


 この先に誰かが死んだり傷ついたり苦しんだりする未来しかないのなら、そんな未来、こっちからお断りしてやる。時空の歪みなんて知ったことか。

 私は、私が納得できる時間を過ごすのだ。


 そう息巻いて、私は目的の扉のドアノブを掴んだ。


 「失礼します!」


 図書室の扉を開くと、いつものように公爵がいた。

 私の登場に、公爵は目を見開き、そして何故か絶句している。驚かせて申し訳ないものの、まずは安全確保と邪魔者侵入防止のため、中央にあるソファの1つを扉の前へと移動させた。これでは鉄壁の守りとは言えないけれど、外からの侵入は多少難しくなる……はず。


 とりあえず、傷つく可能性のある人は私の部屋にまとめて押し込めてきた。今回は誰も死なせないと決めたから、腹の立つイネスとライゼルさんも生かしておいた。

 あとは、公爵を図書室の中に閉じ込めておくことで私の籠城作戦は完璧なものとなる。

 元々この人は、本来ならライゼルさんの部屋で眠らされているはずだったわけだし、夢喰いに狙われる可能性は低そうだけど。


 断りもなく部屋に押し入って、家具を勝手に動かしたけど、私の奇行に公爵が怒る様子はなかった。彼としては、もっと気になることがあったらしい。


「待つんだ。その格好であまり動かないほうがいい」

「……ありゃ」


 言われて自分の服に視線を落とす。我ながら、けっこうあられもない格好をしていた。


 ドレスは裾がビリビリになって、一部には大胆なスリットが入っている。辛うじて下着は見えていないものの、暗殺者(イネス)相手に走り勝ったこともある自慢の足が、堂々とこんにちはしている。


 こんな状態でライゼルさんを蹴りまくってしまったけれど、彼の目にはどんな光景が広がっていたのだろう。

 ……考えるのは、やめておこう。


「……これを」


 公爵は羽織っていたローブを脱ぎながらこちらに歩み寄って、私の方に突き出す。

 視線は紳士的に、明後日の方へ向いていた。


「ありがとう、ございます……」


 だんだん恥ずかしくなってきて、私も公爵の方は見ずにローブを受け取った。急いで袖を通すと、まだ公爵の温かさが残っていて、これがまた何とも言えず恥ずかしさを盛り立てる。


「……なぜ、この部屋に?」

「えっと。ライゼルさんあたりに聞いたんです」

「そうか」


 このやりとり、前にもした気がする。

 あっさり答えると公爵は険しい顔つきをして、何も言わなくなってしまった。


 目の前の人が、あまりおしゃべりが得意ではないということはこれまでのループで理解した。ついでに、この険しい表情や私を避けるような態度も、単に恥ずかしがっているだけという、こっちも恥ずかしくなるような衝撃的事実も既に判明している。

 けど、こうもむず痒い空気の中にいると、わりと口は回る方の私ですら、何を言えばいいのか分からなくなる。


 ……でも。今この瞬間が、この人と話す最後のチャンスかもしれない。

 例え夜明けがこなくても、後悔がないようにするって、決めたのだ。こんな沈黙で、大事な時間を潰すわけにはいかない。


「あの、公爵様。私に、話すことありませんか」

「話すこと?」

「私に! 何か言うことはありませんか!」


 勢いに圧されて、少しだけ公爵は後ずさる。

 彼は渋い顔でこちらを見たけれど、私が「喋れ」とオーラで語ると、少し考えたあと口を開いた。


「……どうしてそんな格好を?」


 ちっがう!


「そういう目の前の疑問的な話じゃなくて。もっと、こう。私に伝えるべき話がありますよね?」


 ライゼルさんを言い含めたのと同様に、お前の考えなんて全てお見通しだぞ、と言ってしまえば簡単に事を運べるのは分かっている。

 でも、言いたくない。もう一度この人の口からこの人の気持ちを聞いて、ちゃんと自分の答えを出したいのだ。


 私の瞳から意図を汲み取ろうとするように、公爵は私を見つめる。そして長い睫毛をふと下に向けて、少しだけ辛そうな表情を見せた。


「……今回の婚姻は、こちらの都合で強引に進めてしまった」

「はい?」

「君の気持ちも確かめずに式まで挙げて——結果、君を傷つけることに……」

「わ、わ、ちょっと待ってください!」


 まずい。まさかの謝罪を引き出してしまった。聞きたかったのはそれじゃない!


 この人、面倒臭い。基本の性格がネガティブなのか、会話がいじけた方向にすぐ流れてしまう。

 以前も、ちょっと話しただけで「君は私のことが気に入らないようだ〜」とか、「気に入らない男のそばにはいたくないだろう〜」とか言っていたし。

 『面倒臭い人です』というセレニアちゃんの人物評は、とても的を射ていた。


 いじけの原因は、私の結婚無理コールを聞いたからだとは分かっているけど。そもそも、その結婚無理コールは、貴方の失礼な発言が発端なんだぞ。……その発言にも、一応思惑はあったようだけど、そんなの私には知る由もなかったわけだし。思惑があったにしても、やっぱりひどい内容だったし。


 でも、その件については別のループで一度謝ってもらっている。手打ちにした事を何度も蒸し返すつもりはない。


「私、別に公爵様のことを責めようと思ってここに来たわけじゃありません。ただ、私たち、結婚したっていうのにまともな会話をしていなくて、お互いのことをよく知らないじゃないですか。だから、どうして公爵様が私を結婚相手に選んだのか、私のことをどう思っているのか、そういうことを聞きたいんです!」


 で、結局ストレートな質問をしてしまった。

 仕方がない。このままの流れだと、また離縁がどうのという話になりかねないし。


 ようやく私の意図を理解したようで、公爵は明らかに動揺してみせた。

 柔らかな銀髪を揺らして、彼は1つ息を飲み込む。そして躊躇いがちに、薄い唇が開かれた。


「……君とは、6年前に会ったことがある」

「王都で行われた剣術大会で、ですか」

「覚えているのか」

「いえ、公爵様のことは全く覚えていないです」


 公爵の顔がぱっと明るくなって、その後すぐにしゅんとする。

 ご、ごめんなさい。余計な合いの手はやめておこう。


「覚えていないのも無理はない。君とは、少し話をしただけだからな。だが、その時から、ずっと私は——君のことを忘れられずにいた」

「……」

「君に、恋をしていたんだ」

「……」


 追い討ちをかけるような台詞に晒されて、2回目にもかかわらず、私は無様にも声が出なくなった。

 公爵自身も少しダメージを負ったようで、彼は苦しげに端正な顔を歪めた。


「……すまない。本来であれば、こういうことは式を挙げる前に言うべきなのに」


 それは、本当にそう思う。すごく急な結婚だったし、なかなか言うタイミングがなかったのかもしれないけれど、式前に気持ちを聞かせてくれていれば、こんなに話は拗れなかったはず。


「だが、本心だ。カトレア、君のことが好きなんだ」

「……くぅっ」


 とどめの一言でぐさりとやられる。

 もうだめ。一時撤退しよう。


 そう思って身を翻すと、ソファで塞がれた扉が目に入った。


 ああ、そうだった。今は籠城作戦中だ。さっき私は、自らの手で己をこの部屋に閉じ込めたのだった。

 退路は既に、断たれている。


 逃亡に失敗した私は、再度公爵の方に向き直った。何でもない風を装ってみたけれど、こちらの逃亡未遂はしっかりバレたらしく、公爵は悲しげに首を振った。

 ああぁ。


「……やはり、私と夫婦になるのは嫌か」

「嫌じゃありません!」


 反射的に、私はそう叫ぶ。

 公爵ははっと顔を上げて、私を見た。銀色の髪の隙間から、青い瞳が私を映して揺れていた。


 つい嫌じゃない、なんて言ってしまった。いや、本心なんだけど。

 自分の気持ちの整理もついていないのに、どう話を進めていけばいいのだろう。


「えっと。正直なところ、私は公爵様に恋していたわけじゃないし、6年前から好きだったって言われても、じゃあもっと早く言ってよ、としか思えません」

「それは、そうだろうな」

「あと、いきなり告白されるのも恥ずかしいです」

「それについても……反省している」

「き、気持ちはすごく嬉しいですけど。どうして好かれているかも分からないから、しっくりこないというか……。私のどこがそんなにいいんですか」


 このループ最大の謎を訊ねてみる。

 夢喰いがどうこうなんてもうどうでもいいけれど、これだけははっきりさせておかなければ。


 公爵は目をぱちくりさせて、それから少しだけ考えると、眉間にぐぐっと皺を寄せた。

 この人、恥ずかしかったり照れたりするとこういう顔になっちゃうんだな。分かってきた。


 広く穏やかな気持ちで返答を待っていると、やがてぽつりと公爵は言った。


「言葉にすると、難しいが……。元気なところ、かな」

「……元気」


 うわぁ。出た、元気。ここで来るとは思わなかった。

 それって褒めるところがないときに使う言葉じゃない。


 思わずげんなりしてしまうけれど、公爵は真剣な顔で続ける。


「君はいつでも明るくて、その明るさと勢いで、嵐のようにその場の全てを吹き飛ばしてしまう。そんなところが、好ましいと思っていたんだ」

「……」


 災害に例えられているけれど、6年前の私は何をしたのだろう。

 そもそも、その場の全てを吹き飛ばすって、好きな子相手に使う言葉? 歴戦の猛将みたいな言われようだけど。


 ……まあいいや。どうやら公爵は、本気で私のことを褒めてくれているみたいだし。君の美貌に心を撃ち抜かれた、とか言われても「嘘つくな」としか思えないだろうし。


 ループ前までは、公爵のことをとんでもなく嫌な男だと思っていた。こんな人との結婚なんて無理、とも思っていた。

 けれども、この人は私のことを本当に好きでいてくれる。危険を顧みず、私のことを庇ってくれたこともある。


 まだこの人のことが恋愛的な意味で好きなのか分からない。恋にときめく暇なんて、主にライゼルさんと夢喰いのせいでなかった。

 さっきから胸がドキドキしっぱなしだけど、この妙な高揚感も7割くらいは公爵の美貌を前にしてのものだという自覚がある。

 私、小さいころから王子様タイプのイケメンが好みだったし。


 でも。

 これで最後なら、残された時間は、自分に殺意を抱く暗殺者とではなく、自分のことを好きだと言ってくれる旦那様と過ごしたい。

 最後くらい、素敵な王子様のお嫁さんというものを経験しておきたい。


 だって結婚初夜なんだから。


「わ、分かりました。私、貴方のお嫁さんになります」

「……カトレア」

「いや、もうお嫁さんなのか。式は挙げたし、教会で色々誓ったし。だから……よろしく、お願いします」


 司教様の言葉を聞いていなくて、自分が何を誓ったかは分からないけど。

 そう思いながら右手を差し出すと、一回り大きい公爵の右手がゆっくり重ねられた。かつて、私を守ってくれた手だ。


「ありがとう、カトレア」


 重なった手のひらが、ぎゅっと握りしめられる。


「おそらく私は、君をたくさん失望させてしまったのだろう。結婚したその日に花嫁を傷つけるなど、あってはならないことだが……。

 それでも、私と共に歩んでくれるのなら。あのとき神に誓った通り、生涯をかけて君を大切にすると約束する」


 そう言って公爵は、初めてふわりと笑った。ずっと険しい顔をしていたはずなのに、彼の微笑みはとても優しくて、素敵だった。


 ちょっと、ときめいた。これが花嫁気分というやつなのだろうか。でも、状況が状況なだけに、いまいちピンとこないや。

 神に誓ったとおり、と言われても、何を誓われたのか聞いていなかったし。


 ……せっかくいい感じの雰囲気なのに、残念な結婚式が思い出されてちょっとモヤモヤしてくる。


 誓いのキスも、嫌そうな顔でほっぺにされただけだった。あれは傷ついた。

 思えば、あのおざなりな誓いのキスのせいでせっかくの結婚式ムードが台無しになったのだ。そこまでは、辛うじて公爵の美貌でときめきを維持できていたのに。


 あのとき、もっと大事にしてくれていれば、今頃私はもっとロマンチックな気分に浸れたんじゃないだろうか。ちょっとくらい、態度で示してくれれば——


「公爵様。1つお願いがあるんですけれど」

「お願い?」

「ちょっと私にキスしてみてくれませんか」


 控えめにほころんでいた公爵の顔が、ピシリと固まる。

 ど、どうしてそこで固まるの。


「あの、嫌ですか? 私とキスするの」

「は!? あ、いや。嫌というわけではないが」


 公爵はいつか見せたような動揺を露わにして、きょろきょろと視線を足元に這わせた。


「少し驚いただけだ。君からそう言われるとは、思っていなかったから」

「式のとき、誓いのキスをほっぺたにしたでしょう。あれ、結構傷ついたんです。だから、ここでちゃんとやり直してください。じゃないと、何だかお嫁さんになった実感が湧きません」

「キスをすると、実感が湧くのか」

「されてみないと分かりません」


 「それもそうか」ともごもご言いつつ、公爵は咳払いして頷いた。了承してくれたらしい。


「で、では。私からも頼みがある」

「はい、何でしょう」

「……その。目を瞑っていてくれないか」

「はぁ」


 どうしてそんなことをわざわざ頼んでくるんだろう。瞼を開けていようが閉じていようが、することは同じなのに。

 

 まあ大したお願いではないので、目を瞑って、さあ来い、と受け入れの準備をする。

 すると、頬にひんやりとした手が添えられる感触がした。


 ……あ。これはまずい。急にドキドキしてきた。


 戦場では、余所見した人間から死んでいくって父様に教わってきたし。何かが来るのが分かっていながら目を瞑るのって、すごく緊張する。


 緊張と同時に全身もぐわっと熱くなって、心臓がぎゅんぎゅんと暴れ始めた。


 もしかして私、勢いでとんでもないことをお願いしてしまったのではないだろうか。最後のループだからって、気持ちが大胆になっているのでは? だけど、人生の目標は達成させておきたい……。


 足が今にも逃げ出したそうにぷるぷる震える。でも逃げる余裕はなかった。


 今度は、頰じゃなかった。

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