第39話ループ10+α -6
「……」
また部屋がしんとした。一拍置いて、兄様が「いや待て」と言う。
「よく分からんが、お前やライゼル殿の言う通りなら、敵が大勢城館に紛れ込んでいるんだろう? なら、放置しないで片端から見つけて倒していかないと。戦いの際には相手が動く前に叩き潰せと、親父もよく言っているだろう」
「そんな場当たり的な作戦、上手く行くわけないでしょう。脳筋の兄様は黙っていてください」
「えっ……おま……お前がそれを言うのか……」
兄様はひどくショックを受けたような顔をする。
反論を封じ込めるように、更に私は言い重ねた。
「こんな真夜中にどこにいるかも分からない敵を探し始めて、藪蛇な事態になったらどうするつもりですか。敵の捕縛なんかより、みんなの安全を優先すべきです。だからそんな連中今は無視です、無視」
「しかし、君とセレニアの安全が確保されている今が好機なんだ。後手に回っては、この夜のうちに証拠を潰されて、連中がどこに紛れているか分からなくなるかも。それでは今夜の安全は確保できても、今後の君とセレニアに危険が——」
「なら貴方が1週間でも1年でも、セレニアちゃんに張り付いて守ってあげればいいじゃない! セレニアちゃんが無事なら、それでいいんでしょう!」
まだうじうじと食い下がるライゼルさんに、私は一喝する。静かにすべきなのに、思わず床を強く踏みしめてしまった。
「危険だ危険だって、よくもまあ言えますね! 今更にもほどがあります。そんな危険な屋敷にセレニアちゃんを放置していたのは、どこの誰ですか!」
「……俺にも、奴らの監視がついていて、翻意を悟られれば即セレニアが殺されるかもしれない状況だったんだ。だから身動きもとれず、今日までこの城館に近づくことすら出来なかった。そうでなければ、セレニアとクリュセルドをそのままにしようとするはず、ない」
はい? ライゼルさんにも監視? 敵はそこまで手厚いことをしていたの?
……そのわりには、私が簡単に連れ出せちゃうくらいセレニアちゃんの監視は甘々だったけど。
まあそれは置いておくにしても、監視されていたからというライゼルさんの言葉は言い訳にはならない。
「なら、暗殺者が簡単に手出しできない結婚式やパーティーの最中にでも、セレニアちゃんを攫って遠い国に逃げればよかったんです。どうしてそんな簡単な方法が思いつかなかったんですか!」
「そんな馬鹿みたいな真似、できるわけ——」
「じゃあ、私を殺すのが賢い方法だったって言うんですか!」
「そういうわけでは……。だが、俺にはどうしようもできなかったんだ……」
どうしようもできなかった。
その言葉を聞いたとたん、体の内で、何かが着火した。
何度も体を穿たれた痛み。そして、前回のループで見た痛ましい光景。
それら全ての記憶が押し寄せて、怒りが一気に湯立っていく。
彼だって不自由な思いをしたのだろう。悩み抜いて思いつめて、その末に私の殺害を選択したのだろう。これっぽっちの同情心も湧かないけれど、私の殺害が追い詰められての行動だったとは分かる。
私だって家族を人質にとられたなら——父様と兄様たちが捕まるなんて想像もつかないけど——冷静な判断などできなくなってしまうかもしれない。
でも、だからって簡単に敵の言いなりになったりしない。脅されるがまま誰かを殺して、その罪を全て被って、多くのものを傷つけながら「それでも大事な人が無事ならいい」なんて納得できるわけない。そんなの、ただの逃げで、自己満足だ。
私は、内から焼け付くような怒りを滾らせながら、ライゼルさんに歩み寄った。
黒布の男なんて、もうちっとも怖くない。目の前にいるのは、ただ言い訳を並べ立てる丸腰の意気地なしだ。
ライゼルさんの真ん前に立つと、その顔を見上げて、強く睨みつける。こちらの視線に耐えかねて、彼は目を逸らした。
——その瞬間。私はあらん限りの力でもって、右脚を振りあげた。
「不埒な殿方から身を守らねばならぬとき、この技をお使いなさい」
かつてお祖母様はそう言って、私に奥義を授けてくれた。使う機会がなさすぎてその存在自体忘れていたけれど、体は型を覚えていた。
どんな殿方でも一発で沈ませることができる必殺の一撃。それは、ライゼルさんの急所に容赦なくめりこむ。
ライゼルさんは、悲鳴をあげなかった。代わりに兄様が「うっ」と声を漏らした。
「な……なにを……」
背中を丸めわななきながら、ライゼルさんが抗議の声を絞り出す。
滑らかなブロンドの間から、脂汗がたらりと流れるのが見えた。
「うるさい! もっとひどいこと、私にしようとしたくせに。私が味わった痛みは、そんなものじゃないんだから!」
そう言いつつまた蹴ろうとしたら、さっと股下あたりを庇う気配があった。
仕方ないので、次はがら空きだった脛に蹴りを打ち込む。初撃のダメージが大きかったのか——いや、ただ避けようとしていないのか、私の拙い攻撃はいとも簡単に命中する。
私の蹴りが実際どれだけ彼にダメージを与えられているのかは分からないけれど、一撃一撃を律儀に受けて、ライゼルさんは床に膝をついた。
蹴りを入れてもまだまだ気持ちが収まることはなくて、私は思いの丈をぶちまける。
「セレニアちゃんを守るため私を殺そうとした? そんな馬鹿みたいな理由を、あの子に押し付けないでよ。本当はただ夢喰いが怖くて、セレニアちゃんを攫う度胸もなくて、私を殺すなんて安易な方法に走っただけのくせに。勇気を出せば、いくらだってやりようはあったはずだわ。ヘナチョコ弱虫が、悲劇のヒーローぶらないで!」
私はもう1度、ライゼルさんに蹴りを入れようと足に力を込めた。
凄惨な光景に呆然としていた兄様がふと我に返って、青白い顔をしながら「お前さすがにそれはまずい」と、私のことを抱え上げる。
それでもまだ感情が抑えきれなくて、私は両手足をじたばたさせる。
「だいたいセレニアセレニアって、貴方セレニアちゃんの何なのよ。彼氏なの? お付き合いしているの?」
「い、いや。俺たちはそういう関係ではなくて」
「じゃあセレニアちゃんに好きって伝えたことは? 俺が守ってやるからついてこいって、ちゃんと口説いたことはあるの?」
「そんなこと……孤児にすぎない俺が言えるわけ……」
「ああもう、どうしてここの男の人たちってそうなの。好きって一言も言わないくせに、自分だけ盛り上がって! 興味ないふりをしていたけれど実は君を愛していたなんてオチ、全くもって嬉しくない!」
自分でも何に怒っているのか分からなくなってきた。
叫びきるとどっと疲れが体にのしかかってきて、私は息を切らしながらだらりと手足を伸ばした。
疲労と一緒に、少しずつ冷静さが自分の中に帰ってくる。
けれど、怒りは全然消えていない。マグマのように煮え立っていた怒りは、今や岩のように体の内で冷え固まっている。
ふと見ると、セレニアちゃんもライゼルさんの後ろで床にへたりこんでいた。先ほどまで悲壮な表情を浮かべていた顔は、なぜか真っ赤に色づいている。気まずそうに振り向いたライゼルさんと目が合うと、セレニアちゃんは「ひゃっ」と小さく悲鳴をあげ、体を竦ませた。
……あれ。もしかして私、事件の真相ではなく、別な何かを暴いてしまったのだろうか。
「お、お義姉様。これは一体なんなのですか。私たちは、暗殺者の話をしていたのでは」
「お前、何がしたいんだ。話が妙な方向に向かっているが」
セレニアちゃんと兄様、2方向から同時に訊ねられる。
そこでやっと、私は自分の本来の目的を思い出した。取り乱して、触れるつもりのない話題につい傾いてしまった。恥ずかしい。全部、ライゼルさんのせいだ。
「とにかく、私は……余計なことはしないで、今夜はみんなに安全でいてもらいたいだけです。そりゃあ、このまま敵を城館の中にのさばらせておくことが、よくないこととは分かっていますけど。でも、暗殺者のために誰かが犠牲になるようなことだけは絶対に避けたいんです」
「……」
兄様はふぅ、と鼻息を漏らす。そしてゆっくりと私を床に下ろし、頭をぼりぼりと掻いた。
「まあ、俺はこの城館じゃただの客だ。正直、何が起きているのかも未だによく分からん。だから、これからどうするかはお前とセレニア殿で相談して決めるといい」
「え」
「セレニア殿は、どう思う」
「私、ですか……」
まだ頰の赤いセレニアちゃんは、恥ずかしそうによろよろと立ち上がる。
細い体はまだぷるぷる震えていたけれど、それでも彼女は気丈に言った。
「本来であれば、兄に報告すべき事案だと思います。ですが、この時間帯に誰が敵かも分からない状態で行動するのは危険だ、というお義姉様のご意見も一理あるかと。
なにより、お義姉様はヴラージュ公爵夫人です。兄が不在の場合、この城館における事象の決定はお義姉様に委ねられます。……ですから私もヴラージュの人間として、お義姉様のご判断に従いたいと思います」
「セレニアちゃん……」
私、そんなに偉いんだ……。それなのにこれまでのループでほとんど敬われたことがない気がするけれど、気のせいだろうか。
「貴女たちも、それでいいわね?」
セレニアちゃんが、ずっと部屋の隅でびくびくしていた侍女たちに問いかける。
ペトラとハリエは、黙って何度も頷いた。テレサはジト目でしばらく私を見ていたけれど、ほか2人に倣ってやはり頷く。
「決まりだな。まあ、朝になりゃ誰かしらこの部屋に来るだろ。それまでの辛抱だな」
兄様はそう言いながら出口の方へと歩くと、扉にもたれ掛かった。その巨体で、扉を塞いでいるつもりらしい。
……何とかなった。
安堵で私も腰をおろしたくなるのを、辛うじて堪える。
敵を放置して籠城作戦、なんて普通に考えれば悪手以外の何者でもない。バルト家家訓的にも完全にアウトな内容だ。
だから、こんなことを主張しても兄様に反対された挙句げんこつを落とされるのでは、と実はちょっぴり心配だった。でも兄様は、この籠城作戦に付き合ってくれるらしい。
私は、未だ床に腰を落としてうな垂れているライゼルさんを見下ろした。
彼も、まさか殺そうと思っていた相手の部屋で、殺意やら好意やらを暴かれるとは思ってもいなかっただろう。私だってこうなるとは予想していなかった。
そのちょっと情けない姿に、はじめてほんの少しの同情心が芽生えて来る。
大嫌いだし、許せないけど。このループでは、ライゼルさんは誰も殺していない。
だからこれ以上の私刑は、相応しくない。セレニアちゃんもいるわけだし。
「ライゼルさん。ちょっとでも私に申し訳ないと思う気持ちがあるのなら、今夜はこの部屋に留まって、みんなを守ってください。部屋を閉め切っていれば、館に火をつけられでもしない限り、大きな危険はないでしょうから」
「……分かった。全て、君に従うよ」
素直にライゼルさんは頷く。もう、反論するだけの力は残っていないようだ。
私の奥義は、彼の体力を根こそぎ奪ってしまったらしい。護衛役としてはやや不安だけど、言いなりになってくれるのはありがたい。
「ああ、それと。敵は甘い香りのする毒煙を使います。毒煙は吸ってもすぐには死にませんが、息ができなくなって動けなくなるので注意が必要です。これも部屋を閉じていれば問題ないとは思いますが、もし万が一毒煙を使われるようなことがあった場合、窓から脱出できるよう用意しておいてください」
「窓? ここは3階だが」
「3階からなら落ちても骨が折れるくらいで済みます。それに、窓の外に張り付くの得意でしょう、ライゼルさん」
「は?」
ライゼルさんはきょとんとする。しかし彼はそれ以上窓作戦については追及せず、別の疑問を口にした。
「……教えてほしい。君はどうやって、俺や夢喰いのことを知ったんだ? どれも、君が知り得る情報ではないはずなのに」
「秘密です。文句ありますか」
冷たく言い放つと、ライゼルさんは目を見開き、とうとう何も言わなくなった。
そっちだって、まだ秘密を抱えているのだ。おあいこである。
無力化したライゼルさんから離れて、次に私は兄様の横に立った。武術の稽古で分厚くなった耳たぶを引き寄せて、こっそり耳打ちをする。
「ライゼルさんは、本当に私を殺そうとしていたんです。だから完全に信用しちゃいけません。この部屋で本当に頼りになるのは、兄様だけなんです。みんなを守るためにも、絶対に油断しちゃだめですよ。あと、私の許可がないかぎり、何人たりともこの部屋の中に入れてはいけません。出してもいけません。もし勝手に扉を開けたら、容赦しませんからね」
「分かったよ。これ以上何かあったら、親父が泣きかねんからな。今夜はもう、お前の言う通りにしてやる」
「ありがとうございます、兄様。じゃあ手始めに、ちょっとイネスの拘束を確認してくれませんか。今のところ動けないみたいですけど、彼女が何らかの方法で暴れだしたら、籠城作戦が水の泡になっちゃいますから」
「確認? 今するのか?」
「公爵夫人命令です。さっさとしてください」
「調子にのるな」と、頭をぱしんと叩かれた。うわぁ、不敬罪だ。
しかし兄様は面倒臭そうにため息をつくと、扉から離れてイネスを囲む家具の方へと歩いていく。言う通りにする、という言葉は本当のようだ。
皆の視線が、兄様とイネスの方へと向く。
その隙に、私は静かに部屋から脱出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます