第38話ループ10+α -5
「兄さん! 何てことを言うのですか!」
はじめに声をあげたのはセレニアちゃんだった。
「冗談でも、言って良いことと悪いことがあります! お義姉様を殺そうとしていた、なんて……」
「事実だ、セレニア。本当に俺は、今夜彼女をこの手で殺害しようとしていたんだ」
「そんな——」
信じられない、とセレニアちゃんはライゼルさんを見上げる。ライゼルさんはセレニアちゃんの視線を感じながらも、そちらに振り向くことができないでいるようだった。
テレサたちは中途半端に拘束を解かれたものの、そこから動き出す気配はない。さっきよりもいっそう身を寄せ合って、目の前の事態に驚愕している。
兄様は難しい顔をして立っていたけれど、おもむろにライゼルさんに向かって手を伸ばそうとした。私は兄様に向かって首を振る。
兄様は不満げに眉間に皺を寄せたけど、伸ばしかけた手を何も言わずに引っ込めた。
「ライゼルさん。とりあえず、ここで暴れるつもりがないなら懐に隠し持っている短剣を床に置いてもらってもいいですか」
「君は、どうしてそんなことまで知っているんだ」
「いいから、早くして下さい」
疑念と気味の悪さを必死に押し込めた表情をしつつ、ライゼルさんは大人しく短剣を懐から抜き出す。そしてゆっくりと、自分の足元に置いた。
ごとり、と置かれた凶器を前にして、セレニアちゃんが息を飲む。
「殺意を認めたということは、もう観念したってことですよね? まだ何か別件で脅されていたり、私を殺さなきゃいけない他の事情があったりしませんよね?」
「……ない」
その答えに、少しだけ体の緊張が緩まるのを感じた。
部屋は広いけれど、人間6人と家具の塊が入るとそこそこの圧迫感がある。この中でやけくそに暴れまわられたら、ちょっとどころじゃない被害が出る。
「どうして……。脅されていた、とはどういうことですか。しかも、暗殺者が私を……?」
疑問に目を回すように、ふらふらとした足取りでセレニアちゃんはライゼルさんに歩み寄る。彼女に顔を覗き込まれながら、ライゼルさんはぐっと目を閉じた。
「1週間前、俺の前に夢喰いを名乗る男が現れたんだ」
「それは——お父様たちを殺した……」
「ああ、そうだ。夢喰いの連中は、いつのまにかこの屋敷に何人もの手勢を忍び込ませていたんだ。男はその事実をもとに、俺を脅迫し……俺はその脅しに屈した」
「さっきも言ったけど、ライゼルさんはセレニアちゃんを殺すぞって脅されていたの。暗殺者はセレニアちゃんの周囲にも潜んでいて、セレニアちゃんは実はかなり危ない状況にいたんだって。で、ライゼルさんはセレニアちゃんを殺されたくなくて、脅迫通りに私の殺害を決行しようとしたと」
ライゼルさんが肝心な部分をぼかして曖昧なことしか言わないので、私が丁寧に補足を入れる。
それを聞いて、セレニアちゃんは口元を押さえ、「私の……せい」と小さく言った。
彼女の狼狽を見て、ライゼルさんもまた狼狽える。
「待ってくれ。その話は、セレニアには」
「セレニアちゃんも命を狙われていたんですよ? いえ、まだ狙われているのかも。だからこそ、彼女は事実を知るべきです。格好つけて真実を伏せたって、彼女のためにはなりません。違いますか」
「……」
誰も何も言わない。セレニアちゃんだけは、青ざめた顔を小さく頷かせた。
異論がないことを確認して、私は話を先に進める。
「それで、私を殺してその後はどうするつもりだったんですか」
「……君の殺害後について、特に何の指示もなかった。俺はヴラージュ公爵夫人を殺した暗殺犯として捕らえられることになっていたから」
「はい?」
捕まるつもり、だったの?
てっきり、素知らぬ顔で罰を逃れるつもりなのかと思っていた。
「そうなることが分かっていながら、どうしてこんな馬鹿なことをしようとしたんです」
「それは……」
ライゼルさんは室内を見回す。私やセレニアちゃん、兄様、そして侍女——それぞれの顔を見たあと、彼は首を振った。
「今、ここで話すべき内容ではない」
まだ勿体ぶろうと言うのか。
私は食い下がろうと口を開く。けれど、窓の外がちらりと視界に入って、出しかけた言葉を引っ込めた。
外はまだ暗い。しかし悔しいことに、夜の時間は有限だ。最後のループを、ライゼルさんの口を割らせるためだけに使うわけにはいかない。……すっごく気になるけど。
「——ハルトリス殿」
「な、なんだ」
いかつい顔を更にいかつくして事の成り行きを見守っていた兄様は、ライゼルさんに突然声を掛けられて巨体を揺らした。
「俺はこれから、クリュセルドの所へ行く。自分が犯そうとしていた罪や、事の真相について、彼に全て話すつもりだ。俺が言えた義理ではないが——この城館は危険だ。クリュセルドが信頼できる護衛を寄越すまで、この部屋で彼女たちを守ってくれないか」
兄様はすぐには返答せず、ライゼルさんを観察する。先ほどまで(一方的に)仲良くお酒を酌み交わしていた人が妹を抹殺せんとする曲者だったと知って、胸中複雑な思いを抱えているのだろう。
しばらくして兄様は、しっかりと首を縦に振った。
「分かった、任せろ」
「いえ、ダメです」
きっぱり言うと、「なぜ」とライゼルさんと兄様がこちらを向いた。
ライゼルさんはともかく、彼の依頼を暢気に受けようとするお人好しな兄様に、ちょっとだけむかっとする。
「まるで覚悟を決めたような口ぶりですけど……。ライゼルさん、そんなこと言って本当は逃げるつもりなのでは?」
「な……! そんなことをするわけ、ないだろう! 君がセレニアを目の届く場所に連れ出してくれた今、俺には逃げる必要などない」
「どうですかね。私のことを殺そうとしていた人の言うことなんて、信用できません」
「それは」
ライゼルさんは反論せんと口を開く。けれど苦しげに口を閉じて、「それはそうだが」と小さく零した。
「未遂とはいえ犯罪者を、公爵様のところへ1人おつかいに出すわけにも行きません。かといって、ライゼルさんを抑えられそうな兄様を一緒に行かせては、部屋に残る私たちの護衛役がいなくなります。……そもそも、丸腰でしかも飲酒後の兄様1人にこの部屋の全員を守らせるというのが無理のある話なんです。そのあたりのこと、ちゃんと考えてください!」
「じゃあここにいる全員で婿殿の所へ行くのはどうだ」
「イネスを放置して、ですか?」
安易な兄様の発言にそう返すと、兄様は「むぐ」と押し黙った。ふんだ、脳筋め。
「お義姉様。こんなことを言ってご不快に思われるかもしれませんが、兄さんは決して罪を犯して逃げ出すような人ではありません……」
恐々と、セレニアちゃんが私の表情を伺いながら言う。目が合うと、彼女は「ごめんなさい……」と呟いて目を伏せた。
被害者になるはずだった私に、ライゼルさんを信じろ、なんて言うべきではない。けれど、彼を弁明せずにはいられない——そんな彼女の葛藤がひしひしと伝わってきた。
別に、私だってライゼルさんがセレニアちゃんを残してすたこらさっさと逃げ出すなんて思っていない。でも、彼をこの部屋から出すわけにはいかないのだ。
「そもそも、この城館に信頼できる護衛なんて存在するんですか。どこに暗殺者が紛れ込んでいるかも分からないのに」
「古くからヴラージュ家に仕える騎士や兵がいる。彼らなら力になってくれるはずだ」
「その人たちなら、絶対に裏切らない保証があるんですか? 家族同然の幼馴染ですら、花嫁を暗殺しようとしていたのに?」
私の言葉にライゼルさんは唇を噛む。その背後では、セレニアちゃんが大きな瞳を潤ませた。
……ちょっと意地悪な言い方だったろうか。でも事実だし。なんなら、実際に暗殺されたわけだし……。
くうぅ。どうして被害者である私が、ライゼルさんごときに気を遣わなくちゃならないのか!
「まあ、ライゼルさんに逃げる気がなくても、公爵様のところに向かう途中で、秘密が漏れることを恐れた敵にライゼルさんがぶすりとやられてしまう可能性だってあるわけですし。とにかく、ライゼルさんをこの部屋から出すわけにはいきません!」
「じゃあどうしろって言うんだ。そんなことまで気にしていたら、俺たちは一歩も外に出られなくなるぞ」
苛立しげに兄様は言う。その言葉に、私は大仰に頷いてみせた。
「その通りです。だから、夜明けまではこの部屋にいる全員の退室を禁じます。籠城です!」
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