第37話ループ10+α-4



 「3分待ったら、私の部屋に兄様も連れて、来て下さい」とライゼルさんに要求を告げたら、「……それだけ?」と返された。確かに、セレニアちゃんを人質にとったにしてはしょぼい内容だったので、何か追加要求はないか考えたけど、結局それしか思いつかなかった。


 脅迫する意味、あったんだろうか……。

 ぶるぶる震えるセレニアちゃんと自室へ向かいながら、私は今更なことを考える。


 ライゼルさんは、セレニアちゃんを守りたいがために暗殺者の言いなりになっていたわけで。セレニアちゃんを渡せば、案外こちらの要求も飲んでくれたのでは……?


 いやいやだめだ。あの人は、何をしでかすか分からない。公爵が目の前にいても、私を殺そうとしてきたわけだし。万全を期すためにも、確実な方法をとっていかないと。


「ごめんね、セレニアちゃん。切ったりしないから安心して」

「お義姉様は……一体何をするおつもりなのですか。どうしてこんなことを……」

「今は詳しく言えないの。でも、私はセレニアちゃんの味方だから」

「……」


 セレニアちゃんは恐怖と戸惑いを混じらせた視線を遠慮がちにこちらに向ける。そして何も言わなくなったけど、私に腕を引かれるがまま、黙って後をついてきてくれた。少しは、私の言葉を信じてくれたのだろうか。


 西棟3階の廊下を進んで、自室へとたどり着く。


 扉を開けると、要塞と化したイネスと、ウェディングドレスに拘束デコレーションされ、床でもがくテレサたち3人が、ばん! と視界に入って来た。


「んー!」


 猿轡をはめられたペトラとハリエが、セレニアちゃんを見るなり助けを求めるように唸り声をあげる。

 意識を取り戻したのか、家具の要塞からはみ出たイネスの足もバタバタと宙を蹴る。しかし私の作り上げた拘束は完璧なようで、それ以上の動きを彼女が見せることはなかった。


 良かった。少し部屋をあけてしまったから心配だったけれど、みんな無事のようだ。


「……」


 セレニアちゃんは絶句し、なんとも言えない表情で私のことをじっと見つめる。


 うん、この光景でセレニアちゃんの信用を全て失った自信がある。今頃、「やばい奴が嫁に来た」って思っているんだろうな。

 ちょっとくじけそうになったけど、私はセレニアちゃんを部屋に引き入れ、扉をしっかりと閉めた。


「あ、あの、お義姉様。彼女たちは」

「訳あって、ちょっと拘束しているだけ。拘束されているだけの侍女たちは敵じゃないから安心して」

「いえ、そういう心配をしているのではなく」


 彼女が何を言わんとしているかは分かっているけれど、私は気づかないふりをして聞き流した。そして鋏をセレニアちゃんに手渡す。


「それじゃあ悪いけど、これでペトラたちの拘束を解いてあげて」

「え……」

「いつまでも手足を縛っていたらかわいそうだし。この鋏切れ味最悪だけど、お願い」


 セレニアちゃんは、押し付けられた鋏に恐る恐る視線を落とす。しかしこくりと頷くと、床に転がる侍女たちに歩み寄った。


 それを確認して、私はイネスの方へと近づき、彼女の様子を覗き込む。


「んんん!」


 家具の隙間から、唸り声と共にイネスの怒りに満ちた視線が飛んでくる。

 

 頭は強くぶつけると外傷がなくても重症になることがあるから気をつけろって、昔兄様たちの誰かに教えてもらった。それなのに、その後も頭に落ちてくるげんこつの頻度は変わらなくて、「おや?」と思った記憶がある。

 ……まあそんな不条理な思い出はどうでもいいとして、ぱっと見たかんじ大きな怪我はないし、イネスの様子に異常はなさそうだ。適当に積み上げた家具の要塞も良い仕事をしているし、このまましばらく転がったままでいてもらおう。


 そう考えたところで、扉のノック音が聞こえた。部屋の外には人の気配がある。


「私だ。ライゼルだ」


 待ち受けていた男の声が、控えめに響いた。すかさず私は出口に駆け寄って、注意深くゆっくりと扉を開いた。


 隙間から廊下を覗くと、強張った表情のライゼルさんと、大きく欠伸をする間抜けな顔の兄様の姿が見える。他には誰もいないようだ。


 私は2人を迎え入れようとしたけれど、それより先にライゼルさんが身を乗り出してきた。


「セレニア! セレニアはどこに!」

「うわ。そこです、そこ」


 距離を詰められ内心大いに焦りながら、私は部屋の隅を指差す。


 勢いよく室内に乗り込んで来たライゼルさんは、侍女たちの拘束を解こうと奮闘しているセレニアちゃんを認めて、彼女に駆け寄り膝をついた。


「あ、兄さん……」

「セレニア、大丈夫か。何もされていないか」

「ええ、大丈夫です。ただ、正直なところ、何がなんだかよく分からなくて」


 そう言ってセレニアちゃんは異様な室内を困ったように見回し、そして最後に私を見た。あんまり見つめないでほしい。


「こ、こりゃ、一体何なんだ……」


 ライゼルさんに続いて部屋に入った兄様が、目をひん剥いて立ち尽くす。眠気はすっかり冷めたものの、私に拳を振り下ろす余裕もないほど驚いているようだった。


 ——ドン引きムードが漂っているけれど、場は整った。ここからが正念場だ。


 私は居心地の悪い空気をかき消すように、わざとらしく咳払いを1つする。


「ライゼルさん。貴方が怯え、恐れていた暗殺犯を捕まえました」


 簀巻きイネスの方へと歩いて、私は言い放つ。

 同時に、イネスの体がぴくりと動いた。


 ライゼルさんは、秘密を突然暴かれたせいか、それとも憎むべき暗殺者を前にしてか、愕然としながら立ち上がり、イネスの足と私を交互に見た。


「な……どうして……」

「この靴ですよ、靴」


 私はイネスの足から、革の編み上げブーツを脱がした。「むー!」と抗議の声が聞こえたが、何を言っているか分からないので無視をする。そして皆に見えるよう、靴を掲げてみせた。


「イネスは、踵を床に打ち付けるという、ひどく単純な方法で下の部屋のライゼルさんに合図を送る予定でした。だから、普段は履かないようなヒールの高い靴を今日に限って身につけていた。

 ……いつも不自然に床をとんとんしているな、とは思っていたけど、こんな目的があったなんて」


 彼女が暗殺者一味であるという根拠は他にもあるけれど、今はこれくらいでいいだろう。この話、ライゼルさんにしか意味が分からないだろうし。


 屈んで試しにブーツのヒールを床に打ち付けてみる。するとどういう仕組みなのか、つま先部分からシャッ! と刃物が飛び出て来た。


「うわっ、あぶな! ……仕込みブーツだったの。ますます暗殺者っぽいじゃない、イネス」

「き、君は、何を言っているんだ」

「とぼけなくていいですよ。全部知っていますから。貴方の事情も、気色の悪い暗殺集団のことも」

「……」


 私はしばらくライゼルさんの言葉を待ったけれど、返答はない。

 ライゼルさんは急に声を失ったように、口を開けたまま茫然としている。


 少しの沈黙に耐えられなかったようで、じれったそうに横から兄様が口を挟んだ。


「おい、レア。お前、一体何の話をしているんだ」

「ライゼルさんは、とある犯罪者に私を殺害するよう指示されていたんです。私を殺せ、さもなくばセレニアちゃんを殺すぞ、と脅されて——。そうですよね、ライゼルさん」


 部屋中の視線が、ライゼルさんに注がれる。やはりライゼルさんは答えないが、目に見て分かるほど、彼は動揺していた。


 かつて同じように、私はライゼルさんに事実を突きつけ、彼を糾弾した。その時は兄様が聞く耳を持ってくれず、私の目論見は失敗した。


 けど、今は皆が緊張した面持ちで、私の言葉に耳を傾けている。兄様にも私を黙らせようとする様子はない。

 イネスの仕込みブーツを見たせいか、ライゼルさんの沈黙を訝しんでか。……それとも、あまりの珍展開にただ頭が追いついていないだけか。

 どれが理由かは分からないけれど、状況は以前とまるで違う。


「答えてくださいライゼルさん」


 もう一度、私はライゼルさんに呼びかける。


「セレニアちゃんは、今貴方の隣にいます。だからもう、連中の言いなりになる必要はないでしょう。……それでも、貴方はまだとぼけるつもりですか。まだ、私を殺さなきゃいけない理由があるんですか!」


 ライゼルさんが今どんな状況にあるのか、未だによく分かっていないところはたくさんある。彼がどうしてあそこまで盲目的に私を殺そうとしていたのかもよく分からない。詳しく話を聞く余裕なんてなかったし。


 でも、彼の無茶な行動の全てがセレニアちゃんのためだということだけは、理解できる。きっと彼にとって、セレニアちゃんは何より——それこそ、地位や名誉、養父や親友より——優先されるべき存在なのだ。


 息が詰まるような静寂のなか、ふう、とライゼルさんが息を吐く音が、やけに強く響く。


 そしてライゼルさんは、苦しげに頷き、口を開いた。


「その通り、だ……。俺は君を、殺そうとした」


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