第36話ループ10+α-3
随分あっさりと、セレニアちゃんを連れ出せてしまった。
セレニアちゃんって、夢喰いに監視されているんじゃないの? これでいいのか暗殺者?
いや、私としては全く問題ないし大変有難いのだけど……。妙な手応えのなさが気持ち悪い。
油断は禁物だと自分に言い聞かせて慎重に足を運ぶけど、セレニアちゃんを連れて移動する間も、特に誰かが襲いかかってくるような気配はない。
ライゼルさんの話から、暗殺者は城館内にゴキブリみたいにうじゃうじゃいるものと思っていたのだけれど。
しんと静かで人気のない廊下に、2人ぶんの足音が吸い込まれていく。
「……あの人は、侍女になって長いの?」
「は、はい。アマンダは、7年前から当家に仕えてくれていて……」
気になって訊ねてみると、息を弾ませながらセレニアちゃんは答えてくれた。
「私の側付きの中では、一番付き合いの長い侍女になります。あの、彼女が何かお気に触るようなことを言いましたか?」
「ううん。ちょっと気になっただけ」
セレニアちゃんの侍女は何人かいるのか。よくよく考えれば当たり前だ。私にだって、侍女を3人も付けてもらったのだから。
なら、あのアマンダだけが疑わしいというわけではなくなる。それに、彼女は7年もここで働いているらしいし。なんだか妙に気になる人ではあったけど。
隙間風が流れる渡り廊下を抜けて、西棟へと到達する。
あまりゆっくりはできないと、私は少し足を早めた。
これでも自分としては歩く速度を落としているつもりなのだけれど、セレニアちゃんにとっては結構な早歩きであるようだ。それでも彼女は遅れまいと、息を切らしながら私の後を懸命についてきてくれた。
しかし、私が3階に繋がる階段を横切り、2階の廊下を突き進もうとすると、セレニアちゃんの足がぴたっと止まる。
「あの。私たち、お義姉様の部屋に向かっているのですよね?」
「うん、そんなところ」
「お義姉様のお部屋は西棟の3階と聞いていたのですが」
「その前に寄るところがあるの」
「寄るところ……?」
セレニアちゃんはきょとんとするが、私は御構い無しに彼女の腕をぐいぐい引っ張って更に奥へと廊下を進む。そして、目的の部屋の前に到着すると、扉をぐっと睨みつけた。
◇
——まだ、合図がない。
ライゼルは落ち着きなく、部屋の天井を見つめた。
つい先ほどまで、荒ぶる象でもいるかのような騒音が、頭上からひっきりなしに鳴り響いていた。闖入者ハルトリスは、この騒音は彼の妹カトレアによるものだと言っていた。
どうして嫁いできたばかりの花嫁が、ここまで大暴れしているのか。そこを疑問に思えるほどの余裕は、ライゼルになかった。
騒音はしばらく続いていたが、何かが倒れるような大きな音が1つして、続けて何かを引き摺るような物音がしたあと、上階は急にぴたりと静かになった。
その後は騒音どころか、人の足音すら聞こえない。
ハルトリスは騒音が収まるのを確認すると、ほっとした顔で自室へ帰ったが、急な静けさの訪れに、ライゼルの方はむしろ不安を煽られた。
あの騒音の中に、合図が混じっていた可能性は? 急に静かになったが、もしや花嫁は主寝室へと向かってしまったのでは? それとも、何か不測の事態があって、計画に変更が生じたのか?
だが、確証もないまま確かめに行くわけにもいかない。結局彼は、合図を待って部屋で待機するしかなかった。
いっそ、何もないまま朝が来ればいいのにと思った。カトレア・バルドは親友の大事な人だ。彼女を殺めたくなどない。それに、一度罪を犯せばライゼルは全てを失うことになる。
しかし、連中がライゼルに慈悲をかけることも、妥協を許すこともないだろう。
連中は、カトレアを殺したいわけではない。ライゼルに人を殺めさせたいのではない。
ライゼルに、カトレアを殺害させたいのだから——。
コンコン、と扉をノックする音が聞こえた。
いつのまにか汗ばむ拳を握りしめていたライゼルは飛び上がり、扉の方へと目を向けた。
コンコン、とまた音がする。
ライゼルはゴクリと唾を飲み込むが、意を決して扉へと近付いた。
こんな真夜中に、まともな人間が部屋を訪ねてくるはずがない。扉の先にいるのは、誰なのか。夢喰いか、それとも——
警戒をしながらも、ゆっくりと扉を内へと開く。
恐る恐る廊下を見ると、訪問者の姿はライゼルの目線よりもやや下にあった。
「セレニア……!」
「ライゼル……兄さん……」
柔らかな銀髪に、淡く輝く澄んだ碧眼。
ライゼルが全てを崩壊させても守りたいと願う少女が、夢喰いの監視下にあるはずの少女が、なぜか恐怖を顔に張り付かせて、廊下にぽつんと立っている。
幻影でも見ているのかと思ったが、目を瞬かせてもその姿が消えることはなかった。
まるで事態が飲み込めなかったが、とにかく彼女を保護しようと、ライゼルは一歩前に踏み出ようとした。
「動くな」
そこで、別の少女の声がする。
よく見ればセレニアの背後には、もう1つの人影があって。ライゼルが動き出そうとしたと同時に、2本の腕がセレニアの首元を後ろからがしりと掴んだ。その片方の手には、鋏が握られている。
「動いたり声を出したりしたら、これでセレニアちゃんをざくっと切ります」
物騒な言葉が、やや緊張感に欠ける口調で紡がれる。そして「ほらほら切るぞ」と言わんばかりに、鋏の刃がセレニアの首筋の上をなぞる。
そのままうっかりセレニアを傷つけてしまいそうなおぼつかない手つきに、ライゼルは別な意味で危機を感じて、脅迫者の言葉通りに言葉は発さず頷いた。
「彼女を傷つけたくなければ、今から私の指示通りに行動して下さい。さもなくば、えっと……セレニアちゃんを、切ります!」
セレニアを切るしか、選択肢がなかったらしい。
脅迫者は自分が本気であると示すように、鋏のハンドルを強く握った。
——カトレア・バルド。
主寝室でライゼルに殺されるはずだった彼女が、なぜか殺人者の部屋の前で、セレニアの首筋に鋏の刃を突き立てようとしている。
その瞳には、激しい光が湛えられていた。
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