第35話ループ10+α-2
馬泥棒という重い罪を犯し、屋敷から逃げ出した4回目のループ。あのとき、私はイネスを撒いて逃げ出し、この中央棟の廊下でセレニアちゃんと出会った。
今回のループが始まってから、そう時間は経っていない。それにイネスが拘束されたという事実も、まだ敵の一味には伝わっていないはず。
だから、セレニアちゃんはまだ無事だ。
そう信じて、私は扉をノックしようとした。
「セレニア様に御用ですか?」
「へっ?」
突然真横から声がかかる。
そちらを見ると、少し訝しげな表情をした中年の侍女が、薄闇の奥からこちらへとゆっくり歩み寄ってくる姿があった。
あれ。さっきまでは人の気配はないように思えたのだけれど……。
「はい、御用です」
とりあえずそう答えて、再度ノックを試みる。しかし侍女はするりと私と扉の間に入り込んで、やはりゆっくりと首を振った。
「奥様。セレニア様は既にお休みになっていらっしゃいます。御用がございましたら、私がお伺い致します」
……なんだこの人。
ここにきて新たな人物の登場に警戒心がむくむく湧き上がってくる。
後で使おうと部屋から持ち出してきた鋏を、思わずきつく握りしめる。
「貴女は、セレニアちゃんの侍女?」
「はい。セレニア様の側付き侍女、アマンダと申します」
そう答えて、アマンダはぺこりと頭を下げる。
その物腰も、口調も、身なりも、侍女そのもので特に違和感はない。突然襲いかかってくる様子も、こちらに対する敵意もない。
でも。
——敵は1人ではない。おそらく、この屋敷の各所に奴らは潜んでいる。少なくとも、セレニアと君の側に。
ライゼルさんの言葉が思い出される。
彼の言葉が全て真実かはまだ分からないけれど、このタイミングでの登場は、アマンダへの警戒を高めるのに十分すぎる要素と言えた。
だってセレニアちゃんが襲われたとき、2度ともこの人は姿を現さなかった。
側付き侍女なら、セレニアちゃんに何かあったとき、真っ先に彼女の側に現れそうなものなのに。2度目なんて、私はこの廊下で叫びに叫びまくった。それなのに助けは現れなかった。
アマンダはぱっと見た感じ、どこにでもいそうな普通の女性で、大して筋肉もついていないし、とても暗殺者一味の仲間には見えない。でもそれを言うなら、イネスだって暗殺者には見えない。ライゼルさんだって、初めの印象はただのハンサムだった。
見た目だけで、警戒を解いていい理由にはならない。
ほんの少し後退してアマンダから距離をとりつつ、私は持ちうる限りの奥様オーラを全開にして両腕を組んだ。
「ではアマンダ。私、セレニアさんにお話があるの。そこをどいてくださらない?」
「なりません。セレニア様は大変お疲れのご様子でしたので。どうか今夜はご容赦下さいませ」
奥様オーラの効果は皆無だった。アマンダはこちらの精一杯の威厳も跳ね除けて、またも首を振る。
そりゃあ、こんな夜更けに義理の妹の部屋に押しかける新参嫁に威厳もへったくれもないかもしれないけれど。
このまま引き下がっては、セレニアちゃんはお疲れどころじゃない目に遭う。あまり騒ぎになるようなことはしたくなかったが、仕方ない。
私は大きく息を吸い込んで、力のかぎり叫ぼうと——
「あら、お義姉様」
「セレニアちゃん!」
私が得意の大声を披露する前に、扉が開いてセレニアちゃんが顔を出した。
以前会ったときとは違って、青い瞳は眠たそうにとろんとしている。もう眠りに入っていたのだろうか。
私はアマンダを押しのけ、扉の隙間からセレニアちゃんを思い切り引きずり出した。そして華奢な彼女の体を自分の背の後ろに隠す。「きゃ」と可愛らしい悲鳴がセレニアちゃんの口から漏れた。
「お、お義姉様、なにを……」
「セレニアちゃん、無事!?」
「え? ええ。あの、お義姉様がどうしてこちらに? 兄とご一緒のはずでは」
「そんなことはどうでもいいから。セレニアちゃん、ちょっと私に付き合ってほしいの。今すぐ一緒に来て!」
「えっと、ごめんなさい。寝起きで、いまいち状況がわからなくて……。アマンダ、これはどういうこと?」
私の背中越しに、セレニアちゃんが困り顔で侍女へと問う。
さらっと信頼度の差が感じられてちょっと凹む。
「奥様が、セレニア様と直接お話したいと仰いまして。セレニア様はもうお休みになっていらっしゃるので、お控えいただくようお願いしたのですが」
「こんな時間に、私と?」
セレニアちゃんが、じっと私を見るのを感じた。
変に思われてしまっただろうか。今は新しいループ。かつて私に微笑み、私のために怒ってくれたセレニアちゃんはもういない。
以前のセレニアちゃんにとって、私は深夜の屋敷を彷徨う義姉だった。だけど今の私は、深夜に部屋まで押しかけてきた義姉。字面にすると大差ない気もするけれど、後者の方がやや迷惑度が高い。
「……分かりました。ご一緒します」
「セレニア様!」
私はほっと息を吐き、アマンダは少し怒ったように声をあげた。
聞き分けの悪い子供を嗜めるような口調で、アマンダはお小言を口にする。
「ただでさえこの1週間は式の準備で忙しくしていらしたのに、ここで夜更かしをしたらまたお風邪をひきますよ! そうなったら、私が旦那様に叱られてしまいます」
「そうなっても、叱られるのは私とお義姉様だわ」
「ね、お義姉様」と言いながらセレニアちゃんは一歩前に進み、私の腕に手を回す。少し触れたセレニアちゃんの肌は、柔らかく温かい。
「今日くらいいいでしょう、アマンダ。ちゃんとすぐに戻ってくるから。少し体調を崩したって、お義姉様と一緒だったと言えば、お兄様もそうお怒りにはならないはずだわ」
「……」
アマンダは憮然とした表情で私とセレニアちゃんをじっと見る。
私は未だ緊張の糸を弛ませぬように、アマンダを見返した。
「セレニアちゃんもこう言っているのだし、いいでしょう。まだ何か問題が?」
「……」
こちらの真意を探るような視線が私の顔を穿つ。その視線の中に、ぴりぴりと僅かな敵意が混じっているような気がした。く、来るならこい。
——しかし、いつまで経ってもアマンダが襲いかかってくることはなく。しばらくして、彼女は「はあ」と呆れるようにため息をついた。
「分かりました。でも、お二方とも夜更かしはほどほどにしてくださいよ」
……あれ?
拍子抜けする私に、アマンダは深々と頭をさげる。
「奥様、失礼しました。ただ、あまりセレニア様に無理はさせぬようお願いします」
「う、うん」
つい普通に頷いてしまう。
「じゃあ……行こっか、セレニアちゃん」
「はい」
私は逃げるようにセレニアちゃんの手をひいて、西棟へと向かう。背後をぐさりとやられないよう何度か振り返ってみたけれど、アマンダはセレニアちゃんの部屋の前に立ったまま動かず、こちらを追って来る様子もない。
こちらの疑いをよそに、あっさりアマンダはセレニアちゃんの逃亡を許してしまうのだった。
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