第34話ループ10+α-1


 手にひんやりとした感触が伝わる。

 遅れて視界がぱっと開けて、突然柱が目の前に現れた。

 

「いい加減にして下さいまし、お嬢さま!」

「あ……」


 間違いない。これは、私がわりと慣れ親しんだ、自室の柱だ。

 私はしばらく柱をぎゅっと抱きしめて、その感触を確かめた。続いて後ろを見ると、私を引っ張るテレサと3人の侍女の姿がある。


 ——良かった。ループは、まだ残っていたんだ。


 ほっとしていたら、ぐいっと引っ張られて、体が少しだけ柱から離れかけた。

 安堵で緩みそうになった腕に力を込めて、私は前方の柱を睨みつける。


 気を抜いちゃいけない。これが最後のループだという確信が、なぜか胸の中にあった。


 もう後悔しないって、決めたのだ。だから、失敗できない。


 お腹に気をこめて決意すると、私は手を離して、力のかぎり柱を蹴った。


「きゃああ!」


 私を引っ張っていた侍女たちが、悲鳴をあげて後ろへと転げる。

 私も一緒に転げるけれど、瞬時に受け身をとって起き上がる。そして鏡台の前の木製椅子を手に取り、いつかのループのように床で重なり合ってもがく女性たちのうち——暗殺者(イネス)の頭を、思い切り殴りつけた。


 ばこん、と小気味良い音が室内に響く。イネスは白目を剥いて頭を一回ゆらりと回すと、そのまま床に伏して動かなくなった。


「ひっ——!」

「悲鳴はあげちゃだめ!」


 再び叫び出しそうなペトラにすかさず言うと、彼女は体をびくりと震わせ、口元をおさえた。そして「どうかお許しを……」とカタカタ震えながら命乞いのような台詞を口にする。

 その背後ではハリエが気丈にこちらを見上げていたけれど、腰を抜かしたようで床にへたりこんだまま立ち上がる様子はない。


 そこで自分が、未だ椅子の足を掴んで侍女たちを見下ろしていることに気がついた。

 ……もしかして彼女たちの目には、私が言いなりにならない侍女を抹殺せんとする悪の花嫁に見えているのだろうか。


 ちょっと複雑だけど、都合がいいのでよしとするか。


「みんな、動かないで。もし声をあげたり、逃げ出そうとしたらただじゃすまないわよ」

「お、お嬢様。なんていうことを……!」


 テレサが非難の声をあげる。


「声をあげたらだめと言ったでしょう。次に何かしたら、イネスの命はないと思いなさい」


 そう言うと、室内がしんと静まる。反抗の気配はない。動かぬイネスを前にしては、侍女たちも私の言葉を冗談と受け止められないようだった。


 さて、と私はイネスを見下ろした。彼女はちゃんと息をしている。ただ一時的に軽い脳震盪を起こしているだけだ(と信じたい)。

 さっさとイネスを拘束してしまいたかったので、私は自分のドレスの裾を掴むと、思い切り引き千切った。そして出来上がった少し頼りない紐で、倒れるイネスの腕を背中側に回し、きつく縛った。

 ……まだ足りない。夢喰いなんて知らないけれど、凶悪な暗殺者とやらがこの程度の縛りを突破できないとは思えない。

 ふと見ると視線の先にベッドがあったので、今度はシーツと毛布を引っ張り出し、イネスの体をぐるぐると巻いた。

 それでもやっぱり物足りなくて、またドレスの裾を破り、今度は猿轡をはめた。さらに椅子やら鏡台やら、私が動かせる家具は片っ端からイネスの周囲を囲むように配置する。

 ——と、やっていたら、イネスを囲むちょっとした秘密基地みたいなものができた。うん、これなら簡単に身動きはとれないはず。


 振り返ると、テレサたちは相変わらず床にへたりこんでこちらを見ていた。みんな、進化を遂げたイネスの姿に戦慄している。それでもイネスの身を案じてか、部屋の隅に固まって、私の指示通り言葉を発さずじっと静かにしていた。


 可哀想なんだけど、今夜のために彼女たちには大人しくしてもらう必要がある。他の使用人に助けを求められるわけにはいかない。

 私はさらに紐を生成しようとしたけれど、残っている布面積的に、着ているドレスから調達するのはちょっと難しそうだ。

 何かベルトや服はないかな、と思って部屋の奥にふと目を向ける。


 そこには、私が昼間着ていたウェディングドレスがかけられていた。








 冷たく静かな廊下を、1人走る。


 泣けてきた。結局私は、ウェディングドレスを彩るレースやらリボンやらを引きちぎり、それで残る侍女たちを拘束してきた。ちょっとお高いドレスなだけあって、どの素材も丈夫で良い紐になってくれた。

 急な結婚だったから、お店の在庫にあった既製品の中から適当に選んだものだったけど。思いの外きつくて、着ている間はさっさと脱ぎたいとすら思っていたものだったけど。


 それでも、輝く純白のドレスを引き裂く感触は、なかなか胸にくるものがあった。


 ここ最近泣きっぱなしで、涙もろくなっているのだろうか。鼻の奥がつんとしてきたので、私は慌てて他のことに思いを巡らせた。


 セレニアちゃんが襲われた2回のループ。1回目は私がライゼルさんを大声で糾弾したせいで、そして2回目はライゼルさんと公爵の争いが大ごとになったせいで、敵にライゼルさんの失敗が悟られたのだと思う。

 そしてどちらの場合も、イネスは私とライゼルさんが会っていることを把握していて、しかも自由に動ける状態にあった。特に1回目は、彼女はライゼルさんの部屋の前で待機していたわけだし。誰よりも早く、ライゼルさんの失敗を察知できたはずだ。

 つまりイネスを通して、ライゼルさんの失敗が屋敷に潜む暗殺者たちに広まった可能性が高いと考えられる。それどころか、イネス自らがセレニアちゃんを手にかけた可能性だって——。


 そしてライゼルさんの“成功”を仲間に伝えるのも、イネスの役割だったんじゃないだろうか。だからイネスは、妙に私の主寝室行きに同行したがった。足を挫いてもついてこようとしていたし。


 何にしても、ライゼルさんの失敗・成功は私のすぐそばにいたイネスが一番把握しやすかったわけで。セレニアちゃんの生死を左右しているかもしれない彼女から自由を奪った今は、絶好のチャンスだ。



 今回は、誰も死なせない。

 その決意と共に、私はセレニアちゃんの部屋の前で、足を止めた。

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