第30話ループ9+α -5


「暗殺者が、この館に?」


 そんなまさか。新事実なんてもう勘弁、と言いたいけれど、ライゼルさんの話を聞いてから、セレニアちゃんのことがずっと頭から離れない。


 私は確かに、あの子が息絶えているのを見た。しかも、夢喰いとやらの殺しの特徴を色濃く残した状態で。


『俺の覚悟が足りなかったせいで、セレニアは死んだんだ』


 セレニアちゃんの遺体を抱えて、ライゼルさんはそう言っていた。

 あれは、ライゼルさんの正体を知り、その目的を暴くべく彼の部屋に突入したループでの出来事だった。

 どうして突然セレニアちゃんが殺されることになったのか、意味が分からなかったけど。もしかしてあれは、私がライゼルさんの正体を声高らかに暴いて、暗殺者が彼の失敗を察知したから——


「そ、そんな危ない奴が館にいるのを知っていたのに、どうして捕まえようとしなかったんですか!」


 先を考えるのが怖くて、私はつい声を荒げる。


「敵は1人ではない。おそらく、この屋敷の各所に奴らは潜んでいる。少なくとも、セレニアと君の側に。奴らは様々な手で、その事実を私に突きつけてきた。

 ……だが、正確な敵の位置は分かっていない。それなのに、闇雲に行動すればセレニアが危険に晒されてしまう。公爵夫妻すら手にかけるような連中だ。私が奴らの意に沿わぬ行動をとれば、躊躇なくセレニアの命を奪うだろう」


 それは……分かっている。私は実際に、彼女が簡単に命を奪われた様を見たのだから。

 けど、セレニアちゃんと私の近くに暗殺者が潜んでいるなんて、いきなりそんなことを言われても。そんな話すんなり受け入れるわけないし、どうすればいいかも分からない。私はさっきまで、ライゼルさんが1人で私の殺害を企てていたと思っていたわけだし——


 ……て、え?


「私のそばに、暗殺者の仲間?」

「ああ」


 ライゼルさんは当たり前のように頷く。


「正確には、君の侍女の中に。人数は分からないが、確実に敵は混じっている」

「え……。そんなの、おかしいです! どうして侍女の中にいるなんて断言できるんですか。さっき、敵の位置は分からないって言っていたじゃないですか!」

「君のお陰で分かったんだよ」

「わ、私?」


 頭の処理能力が限界に近づいているのを感じる。

 けれどライゼルさんは私の脳みそ事情など御構い無しに喋り続ける。


「私が君の殺害を……拒みきれずにいると、連中は短剣と睡眠薬、そして君の暗殺計画の詳細を送りつけてきた。

 パーティーが終わったら、私がクリュセルドを誘って、彼に自室で睡眠薬入りの酒を飲ませる。そして彼が眠っている間に、主寝室へ忍び込み、何も知らずに入室した君を殺す。——これが、計画の流れだ。国を揺るがせた組織の犯行にしては、随分と単純だろう」

「……」


 確かに、シンプルな内容ではあるけれども。

 それがどうして、私の侍女に暗殺者が混じっているという話に繋がるのかが分からない。


「だが、クリュセルドを眠らせてすぐ主寝室へ向かったのでは、不都合が生じる可能性がある。今日のように君が逃げ出すなど、不測の事態が起きることがあるからね。そこで連中から、『当日、花嫁が部屋を出る頃に合図を送る。それを聞いたら主寝室へ向かえ』と指示があった」

「合図って、どういう?」


 ライゼルさんは突然、床を数回踏みつける。こんこん、と軽い音が響いた。


「……それって」

「ひどく単純な方法だろう。実際に何で床を叩くつもりだったのかは知らないが。とにかく部屋へ向かうべきタイミングで、この部屋の上階からノック音が3回響く予定だったんだ」


 凶悪な暗殺集団が用いる合図としては、あまりに原始的な方法に言葉も出ない。それに、ライゼルさんの言葉が真実なら、私の部屋から誰かが合図を送る手はずになっていたことになる。


「だが、予定外のことが起きすぎた。クリュセルドを部屋に呼び込めたのはいいものの、これから大事な用があるからと彼は酒どころか水一滴も飲みはしないし、君のお兄さんは呼んでもいないのに私の部屋へ来て、延々と酒を飲んで寛ぎ始める」


 うう……。お恥ずかしい。


「引き止めきれずクリュセルドが部屋を出てしまった時は、失敗したと血の気が引いたよ。だが、慌てて追いかけて様子を見に行ったら、何故か青白い顔をしたクリュセルドと鉢合わせてね。今夜は図書室で過ごすと言い出したから、何とか計画は続行できると思った」


 うう……。その話は胸に刺さる。


「そして私は、君のお兄さんを部屋へ帰し、主寝室へと向かおうとした。だが、今度はいつまで経っても合図が聞こえない。少し部屋を離れた間に合図があったのかとも思ったが、それにしては部屋に戻った直後も、上階から騒——物音がしばらく響いていて、君が主寝室へ向かったとはとても思えない状況だった。……結局、状況を理解できないまま、私はここで待機するしかなかった。

 夢喰いの連中としても、想定外の連続だっただろう。私は君が上階にいるとは知っていても、真上の部屋にいると知らなかったから、本来合図を送ってくる人間が何者か把握しようがなかった。だが、君が、その……なかなかに元気で。上から漏れ聞こえる物音が、妹の声だと君のお兄さんに言われたから、私は合図を送る人間が君の部屋にいる——つまり、侍女の中に暗殺者の仲間がいる、と判断できた」

「じゃ、じゃあ、どうして私が部屋から逃げ出した、なんてことを知っていたんですか。その話だと、侍女の中に暗殺者の仲間がいると分かっても、私が逃げ出したことまでは把握できませんよね」

「簡単な話さ。さっき話したとおり、君の侍女から聞いたんだ」

「でも、侍女たちは……」

「部屋で待機している途中、『花嫁が突然姿を消したが、その姿を見ていないか』と1人の侍女が私の部屋を訪ねてきた。その時点で疑念を抱いたが……君の話を聞いて確信したよ。確かに、花嫁が逃げ出したなんて話、普通であれば招待客に漏らすわけがない。あの女は現在の状況を私に伝えるために、君を捜すふりをして、私の部屋を訪れたのだな」

「……」


 そんな。

 何度も会話し、私の身支度をしてくれた侍女たち。本当に、その中に暗殺者が?

 でも、2回目のループでは侍女たちも巻き添えをくらい、犠牲になっていたはず。あの毒煙のようなものによって……。

 今思うと、あの時の殺害方法は明らかに他のループと比べて異質だった。あれは、私と侍女とその中の暗殺者をまとめて葬り去ろうというライゼルさんの策略だったのだろうか。

 けど、これほど見えない暗殺者を恐れているライゼルさんが、そんな大胆な行動をとったりする……?


 更に疑問が溢れてくる。

 あちこちから殺意を向けられているようで、もう訳が分からない。どうして私が名前も知らなかった暗殺集団に命を狙われなくてはならないのか。


 けれど、真実からは逃げていられない。ライゼルさんの言葉が本当なら、私は彼の言う暗殺者が誰か、確かめる必要がある。


「部屋に来た侍女とは、誰ですか。それにライゼルさんは」


 ごつん、という衝撃があって、全てを言う前に私の言葉は遮断される。

 何が起きたか、一瞬分からなかった。


 数秒したのち、後頭部と背中がじんじんと痛みはじめ、自分が床に押し付けられているのだと理解する。すぐ目の前にはナイフを構えたライゼルさんがいて、私の口は彼の左手で覆われている。


 ライゼルさんが私を床に押し倒したのだと気付いたのは、更に数秒あとだった。


「……すまない」


 今にも泣き出しそうな声で、ライゼルさんは言う。

 私は悲鳴を上げようとするけれど、大きな掌に阻まれて、もがもがと情けない音だけが口の端から出てくる。


「1人、暗殺者の居場所が分かったところで何も変わらない。セレニアを守るためには、俺が罪を犯すしかないんだ」

「んむぅ! んー!」


 どうしよう。話に気を取られすぎて、いつの間にか警戒を緩めてしまっていた。

 この人ははじめから私の話なんてどうでも良くって、ずっとこちらの隙を伺っていたのだ。

 情けない。本当に情けない。どうして自分を何度も殺した相手を前にして、私は暢気に考え事などしていたのか。


「俺が君を殺しても、夢喰いとその後ろにいる連中を喜ばせるだけだ。何の解決にもなりはしない。だが——」


 ライゼルさんは最後まで言わず、言葉を切る。

 後ろにいる連中? まだ敵がいるの? もういい加減にして。ループがあと何回残っているのかも、そもそも次があるのかも分からないのに。


 頭の中に収まり切らず、ぐるぐると周囲を巡る情報に目を回しながら、私は呆然と刃の切っ先を見つめる。同時に、ライゼルさんがナイフを握る手を強くする。


 その時だった。


「——何をしている」


 ライゼルさんの後ろから、男の人の声が聞こえる。


 ライゼルさんはびくりと体を強張らせ、ゆっくり後ろを振り返った。

 口元を押さえつける手が緩められるのを感じて、私は頭だけをなんとか起こす。


 いつの間にか、部屋の扉は開け放たれていて。

 入り口には、公爵が立っていた。

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