第29話ループ9+α -4



 ライゼルさんの部屋も、これで3度目になる。

 奥へ進むと兄様の姿はすでになくて、テーブルの上に散乱していたグラスやボトルも綺麗に片されていた。酒盛りはお開きになったのだろう。

 兄様の不在は、幸運ととるべきか、それとも戦力不足と見るべきか。

 ちょっと脳内会議にかけてみた結果、満場一致で幸運の判定が下った。


 そうだ、これから込み入った話をするのに、兄様がいたらお邪魔虫もいいところだ。兄様を頼ったって、馬鹿なことを言うんじゃないと、ゲンコツを落とされたうえに強制退場をかけられるオチが見えている。


 つまり、今は絶好の機会。私1人相手なら、ライゼルさんも口が緩むかもしれない。


「それで、私に話したいこととは何かな?」


 また嘘くさい笑顔を浮かべて、ライゼルさんがそう尋ねる。

 しかしその表情は明らかに強張っていて、彼が緊張しているのが私にも分かる。


 ほとんど人のいない中央棟の主寝室と違って、ここは“ライゼルさんの部屋”だ。いくら彼でも、この場所で私に易々と手出しできないはず。つまり今は、互角の状況なのだ。


 そう自分に言い聞かせながら、私ははっきりと言った。


「ライゼルさん。どうして貴方は、私を殺そうとするんですか」

「——っ!」


 言葉にならない驚きが、ライゼルさんの口から漏れる。

 「なぜそれを」とでも言うようにライゼルさんは口を開きかけ、そしてすぐ取り繕うように、乾いた笑いを響かせる。


「は……はは。聞き間違いかな。私が、君を殺そうとする? 冗談にしては、すこしたちが悪いよ」

「冗談じゃありません。それはライゼルさん自身がよく知っているはずです。貴方は今夜、公爵が主寝室にいないことを知って、私を待ち伏せし暗殺するつもりでいた。けれど、何か不都合か、想定外のことが起きて、未だこの部屋に待機している。……違いますか」


 まるで不気味な化け物でも見るような目で、ライゼルさんは私を見る。乙女に向けるにはちょっと失礼すぎる彼の視線を浴びながら、私は隙を見せまいと、両手を組んでぐっと彼を見返した。


 ライゼルさんは不自然なのあと、動揺を隠すように肩を竦める。


「君のお兄さんから、君は随分とユニークな女性だと話を聞いていたが……話は本当のようだ」

「兄様から?」


 はあ? 兄様は一体、どんな話をしたっていうの。ユニークという単語が妙に引っかかる。


「だが少しやり過ぎだ。なんでも、自室を逃げ出して侍女たちをひどく困らせたそうじゃないか。初めての結婚で不安になる気持ちは分かるが……。あまり度を越した行動を繰り返すと、クリュセルドや君のご実家の名誉に傷がつくかもしれない。今の話は黙っておくから、そろそろ部屋に戻って休んだらどうだい」


 ぐぐ。ライゼルめ。まだしらを切ろうと言うのか。以前のループと同様に、妙にガードが堅い。

 ちょっとでも襲いかかってきたら特大の悲鳴をあげて人を呼んでやろうと身構えてはいるものの、彼は私と距離を詰めようともしない。


 自分が殺人者であるとバレるような行為は一切するつもりはない、ということだろうか。

 おまけに、私のことを結婚に気が動転して脱走した頭の弱い女みたいに言って——


 あれ?


「ライゼルさん。どうして私が部屋を逃げ出したことを、知っているんですか」

「……は?」

「この部屋にいたら、私がどこかへ逃げて侍女を困らせた、なんて話、耳に入るはずないのに。どうしてそれを知っているのかって聞いているんです」

「……」


 ライゼルさんの顔から表情が消える。

 誤魔化しに満ちた生ぬるい空気が抜けて、部屋の空気が張り詰めて行く。


「……それは。君の侍女から聞いたんだ。彼女たちは、君の居場所を捜しに私の部屋に来て」

「嘘です。侍女たちは、私が逃げ出したことがお客さんに知れたら問題になると、誰にも言わず秘密裏に私のことを捜していました。そんな彼女たちが、こんな夜更けに私の居場所を貴方に訊くわけありません」

「……」

「それでも聞いたと言うなら、彼女たちに本当のことか確かめてみましょうか。貴方にそのことを話したのは、黒髪のイネスですか? それとも、栗毛のペトラ?」


 ライゼルさんは答えない。

 彼はただじっと私を見つめている。更なる言い訳でも考えているのだろうか。それとも、また笑って誤魔化す?


 だが、折角掴んだ彼の尻尾を、みすみす手放すつもりはない。


「教えてください、ライゼルさん。貴方がどうして私の動向を知っていたのか。貴方が、今夜私に、何をしようとしていたのか!」


 言い切って、殺人者と視線を交わす。

 ライゼルさんとは何度も対峙した。これまでのループで、一番長い時間を共にしたのはこの人かもしれない。けれど、これほどライゼルさんの顔をまじまじと眺めたことはなかった。


「……そういうことか」


 呟きと共に、ライゼルさんの瞳が揺れる。

 彼はまるでひどく悲しむように顔を歪ませ、ゆっくりと近くの椅子へと座り込む。そして肘をつき項垂れると、弱々しい声で語り始めた。


「驚いたな。私こそ、教えてほしいよ。君は、どうして私が君を殺そうとしていると知っているんだい」


 殺す、という言葉に胸がドクンと跳ねる。

 今、この人は確かに私のことを殺そうとしている、と言った。


 繰り返す痛みと死を乗り越えて、掴んだ黒布の男の正体。しかし犯人が分かっても、私はずっと彼の殺意を証明することができなかった。


 けれど今、目の前でライゼルさんははっきりと私への殺意を認めている。

 死の真相が、こちらへ近づこうとしている。

 いつのまにか手のひらに、じんわりと汗が浮かんでいた。


「貴方が私を狙う理由を教えてくれたら、私もどうしてこんなことを知っているか、お話しします」

「そうか」


 食い下がることもなく、ライゼルさんは頷く。そして、ぽつりと唐突に言った。


「君は、夢喰いを知っているか」

「は? いえ……」

「8年ほど前、突然姿を現した暗殺集団のことさ」

「は……あ?」


 もしかして、私は馬鹿にされているのだろうか。唐突に暗殺者だなんて。

 貴族令嬢の嗜みとして、私も冒険小説や怪奇小説の類はちょこっと読むことはあるけれど、ライゼルさんが話す夢喰いとやらはまるで子供が考えた悪の組織のような安っぽい響きがあって、小説のネタにもならなそうだ。


 しかしライゼルさんは、大真面目な顔で続ける。


「それまで健康に何の問題もなかった人が、自宅の床で息絶えているところを朝になって家人に発見される。——8年前、そんな死が王都のそこかしこで相次いだ。

 目覚めたときには、自分にも死が訪れているのではないか……。そう考えた人々は恐怖し、眠れぬ夜を過ごしたという。それから、その暗殺集団は夢喰いと呼ばれるようになった」

「それが、どうして殺人になるんですか」


 ただ、すごく穏やかに亡くなっただけのように聞こえるけれど。

 私がそう考えると、見透かしたようにライゼルさんは首を振る。


「はじめの頃は、君のように考える人が多くいた。この事件には兵だけでなく騎士団まで駆り出されたが、彼らによる調査でも、初期に起きた不可解な死のほとんどが病死や事故死で片付けられている。死んでいるだけで、魔法の痕跡や外傷、争った形跡など何もないのだからな。

 だが、ある時からその死に、奇妙な特徴が加わるようになった」

「……それは?」

「目覚めた時に死んでいる、という状況は変わらない。だが、遺体は揃って苦悶の表情を浮かべ、首には掻きむしった痕のようなものが残されるようになったんだ。——どう考えても、異常だろう」


 覚えのある条件に、私は言葉を失う。

 それはかつて私も見た、彼女の死とまるで同じで……。


「まるで見えない暗殺者が、“これは我々の手による殺人だ”と主張を始めたようだった。当然、当時調査に携わった人間たちは慌てたよ。自分たちが異常なしと断じた死に、殺人の疑いが浮上したのだからね」

「待って——待って、ください」


 話についていけず、ついつい懇願の声が出る。

 頭の中ではセレニアちゃんの死に顔が繰り返し想起されて、めまいと共に胸がひどく傷んだ。


「い、いきなりなんですか、暗殺うんちゃらって。私は今、どうして貴方が私を殺そうとしていたのかって質問しているんです。いきなりそんな三文小説に出てくる悪の組織みたいな話をされても……。それとも、貴方がその組織の構成員だとでも?」

「いいや、むしろ逆だ。私はずっと、連中のことを追っていた」

「追っていた……? 貴方が、どうしてそんなことを」

「恩人が殺されたからさ。彼らの無念を晴らすつもりでいたんだ」


 恩人、と聞いて、ライゼルさんの師匠であるフィラルド卿を思い出す。孤児だったライゼルさんを、フィラルド卿が養子として育てたんだっけ。

 けれどあの人は存命だ。今日その姿を私は見た。


「その恩人というのは、誰のことですか」

「前ヴラージュ公爵家夫妻——クリュセルドとセレニアの、ご両親だよ」


 ……は。


 あまりに予想外すぎる名前だった。

 公爵とセレニアちゃんの、ご両親? 確かに2人は8年前に亡くなっているはずだけど……。殺された、なんて聞いたこともない。


「ご両親が、殺された? お二人は事故で亡くなったと聞いていますが」

「事故じゃない!」


 私の発言にライゼルさんは鋭く怒りを含んだ声で答える。しかしその怒りは、私に向けられているわけではないようで。

 彼は顔を上げると、見えない何かを責めるように捲し立てた。


「お二人は、奥方の寝室で亡くなっているところを発見された。事故や病気で、それまで健康そのものだった夫婦が突然揃って息をひきとるなんてこと、あり得ると思うか?」

「い、いえ」

「だが、兵部と騎士団はそう判断した。毒物の痕跡などない。苦しんでいる様子もない。これは何がしか、事故か突発的な病で亡くなったのであろうと。夫婦が床上で共に命を落とすとはなんと幸せな死に方か、などと嗤う者までいた」


 ライゼルさんは手を強く握る。しかし私の視線に気づくと、ふと我に返ったように震える拳をそっと隠した。


「とは言え……夫妻の死は、夢喰いの噂が流れるより前の出来事だった。確かに、お二人は穏やかな表情で亡くなっていて……。まるで、眠りについていただけのように見えた。偶然の死と思われても、仕方のなかったことかもしれない」

「でも。そのあと、一連の死が全て他殺だったかもって判明したんでしょう。なのに、どうしてお二人の死がいまだ事故扱いになっているんです」

「当時の王が、既に処理された死の再調査を禁じたんだ。この死が全て他殺であり、同一の組織による犯行であると断じれば、民は恐怖し混乱が生じる。いたずらに人心を乱す行為は、国の治安を脅かすことにほかならない、と」

「なんで、そんな馬鹿なこと……」

「再調査をしてやはり暗殺事件だったとなれば、調査に関わった人間の責任も問われかねない。爵位の頂点である公爵家の暗殺を見逃したとなれば、その責任は上層部にまで及ぶ可能性もある。

 ……だから、王は真相の解明より、上辺だけの平穏を選んだ。兵部と騎士団のお偉方を、庇ったのさ」

「そんな。公爵家の力で王に働きかけることはできなかったんですか」

「夫妻が亡くなったとき、クリュセルドはまだ幼かった。突然爵位を継いだ12の子供が、王に意見し調査の許可を陳情するなど出来るはずもないだろう。それまで公爵派と呼ばれていた取り巻き貴族も、先代が亡くなると途端に公爵家と距離を取り始めた。

 ……結局、私たちは何もできず、兵と騎士団による夢喰いの調査も、何の成果を得られないまま前王の死と共に終了した」

「それで、貴方は独自にその暗殺集団の調査を始めたと?」

「正確には、クリュセルドと2人で、だな。当時の王が亡くなった日、せめて夫妻の死の真相だけは突き止めたいと、彼が言い出したんだ。既にそのとき、暗殺騒動はすっかり沈静化し、夢喰いの存在など人々から忘れ去られている状況だったが」

「……何か、情報は掴めたんですか」


 ライゼルさんは何も言わず、首を振った。


 ふと私は、公爵のことを思い出す。彼は、自分の師が騎士団の長になることを望んでいた。それは、過去に騎士団に失望した経験があったからでは……。


 ダメだ、今はあの人のことを考えている場合じゃない。

 ついライゼルさんの話に圧倒されてしまったが、彼はまだ肝心なことを何も話していないのだ。


「貴方の事情は分かりました。……けど、そこからどうして私を殺すなんて話に繋がるんです? 私、そんな国の事情や、暗殺集団のことなんて、関係ないし知りもしません。私は、ただの地方貴族の娘に過ぎないんです!」

「君を殺せと、指示されたんだ」


 それまで苦しげに語っていたライゼルさんが、急に淡々と返す。

 「え」と私が声を漏らすと、彼は懐から短剣を取り出した。彼の手に凶器が握られて、すっと背中に寒気が走る。


「ヴラージュ公爵の花嫁を殺せ。さもなくば、セレニア・ヴラージュを殺害する。……とね」

「誰が……そんな、指示を」

「夢喰いさ」


 はい? え? なんで?

 意味が分からない。


 めまぐるしく変わる話の展開についていけず、私はただ、吸い寄せられるようにライゼルさんが持つ短剣を見つめる。

 見覚えがある。あれは確か、兄様の腕を穿った憎むべき短剣だ。あれが深く刺さったとたん、兄様は急に動けなくなってしまった。恐らく刃に毒が塗り込められていたのだと思うけど……。


「君とクリュセルドの婚姻が決まったあと、ある男が私に接触してきた。男は、自分を夢喰いの1人だと名乗り、君の殺害を私に持ちかけてきた」

「男が? でも——それだけで……」


 それだけで、私の殺害を決行しようとしたの? そう私が尋ねる前に、ライゼルさんは首を振る。


「君はクリュセルドが選んだ女性だ。親友の花嫁の殺害指示など、簡単に引き受けるはずがないだろう。それに、相手が本当に夢喰いなのかも分からなかった。だが……」


 ライゼルさんは鞘から短剣の刃を取り出し、灯に翳す。冷たい光が反射して、思わず私は目を逸らす。


「男は、夫妻がどうやって亡くなっていたか、どんな衣服を身につけていたか、部屋の内装はどうであったか——まるで当時その場にいたかのように私に言って聞かせた。……それだけじゃない。あいつは、夫妻の死を最初に発見したのが、セレニアだったことも知っていた」

「セレニアちゃんが……」


 ひどい。8年前といえば、セレニアちゃんはまだ10歳にもなっていないはず。

 そんなに幼い子が、両親の死を目の当たりにしたっていうの。


「自分が夢喰いの仲間であると、私に証明したかったのだろうな」

「それじゃあ、そいつは本当に夫妻の仇じゃないですか! ちょっと脅されたくらいで、どうしてそんな連中の言いなりになったんですか!」

「もちろん、はじめは拒んださ! 姿の見えなかった敵が突然目の前に現れたんだ。男を捕らえれば、夢喰いの全貌を暴けるとも思った。

 だが、私が拒否すると、男は嬉しそうに今度はセレニアについて語り始めた。今日はセレニアがどんな服装であったか、部屋の内装はどうであるか、過去にどんな会話を私としたか……」

「うわ、気持ち悪い。どうしてそんなことを」

「分からないか。男は私に伝えたかったんだよ。——夢喰いは、この城館に潜んでいるってね」

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