第28話ループ9+α -3
中央棟から西棟2階に移動したところで、ばったりイネスと鉢合わせした。
イネスは驚いて目を見開いたあと、きりきりと眉を吊り上げる。
そう言えば、今回のループでも侍女たちを撒いて図書室へ向かったんだった。色々と考えることがありすぎて、うっかり忘れていた。
「奥様、どちらへいらしていたのですか? 突然姿をお消しになったので、私たち、ずっと探していたのですよ」
静かに、しかし怒りをしっかりと露わにしてそう言われる。
「ごめんなさい。私、公爵様のところに行っていたの」
「えっ」
「ちゃんとお話しして、今日は休もうって話になったから。貴女たちも、解散して大丈夫よ」
「……」
私が公爵と話をつけてくるなんて予想外だったらしく、イネスは言葉を詰まらす。不届きな逃亡者の主張をどう受け止めるべきか迷っているようだった。
まだ納得してもらえないようなので、もうひと押しの言葉を追加する。
「心配なら、公爵様に確認してみて。あの人なら主寝室にいるだろうから。——その、こんなことをして、信用がないのは分かっているわ。騒がせちゃって、ごめんね」
「主寝室に……?」
屋敷の構造に疎い私がどうやってそこまでたどり着いたのかと思っているのだろうか。イネスはまだ不思議そうな顔をしていたけれど、すぐに表情を仕事用へと切り替えて、深々と頭を下げた。
「失礼致しました。そうとは知らず、奥様を責めるようなことを言って……」
「いいのいいの。勝手に行動した私が悪いんだから」
イネスが謝る必要ないのに。申し訳なくてちょっとむずむずする。
「本当にごめんね。もしかして私がいなくなったあと、結構な大騒ぎになったりした?」
「いいえ。こんな真夜中に奥様が逃げ出したなんて、お客様に知れたら問題ですので。私とペトラだけで、内密に屋敷内を捜索していました」
それもそうか。そこそこのお偉いさんも城に泊まっているというのに、大規模な捜索が行われたら、私は脱走した公爵花嫁として社交界に鮮烈デビューする羽目になりかねない。さっさと捜したいのにあまり大ごとにもできないと、侍女たちはさぞかし歯がゆい思いをしたことだろう。
「う……申し訳ない……」
「謝罪は結構です。では、お部屋に戻りましょう」
「待って。私、この先に用事があるの。貴女は先に部屋へ戻って、他の侍女たちに仕事はもう終わりって伝えてあげて」
「この先に? ここは2階ですが」
「ちょっとライゼルさんとお話ししたくって」
「ライゼル・ロッソ様にですか? 今から?」
ううむ。やっぱり、言わない方が良かったかな。
夫の部屋から戻って来たあとに、その友達の部屋に嫁が真夜中1人で行こうとするなんて、他人から見たらすごくおかしな行動だよね。部屋に兄様がいればいいんだけれど。
でも、念のため誰かに私がライゼルさんの部屋に行ったってことは伝えておきたい。そうすれば、ライゼルさんも下手に私へ手出しできなくなるかもしれないし。
「大丈夫、すぐ戻るから。部屋の場所も分かるわ。あまりに長く私が戻らないようなら、人を呼んで迎えに来るようにって、テレサに伝えて。それでいいでしょう?」
だから貴女は部屋に戻って、と精一杯圧をかける。
言外に滲む私の気持ちを察したか察していないのか、イネスはいつものむすっとした表情で私を見つめる。しかし最後は折れてくれたようで、彼女はもう一度頭を下げた。
「……承知いたしました。それでは、さがらせて頂きます」
「ありがとう。それじゃあ、また明日ね」
「はい。おやすみなさいませ、奥様」
そう言ってイネスは、私を気にするように何度か振り返りながら、3階へと階段を上って行った。
……なんとかなった。
今回のループで、自分の説得スキルがぐんぐん伸びた気がする。イネスの足音が聞こえなくなって、私はほっと一息ついた。
でも、まだ喜んでいられる状況じゃない。今はただ、イネスを説得しただけ。
私はこれから敵の居場所を確認し、場合によっては直接対決をしなければならないのだ。
まだ公爵とのやりとりが胸につかえていたけれど、頭をぶんぶんと振って、もやもやを振り払う。
これでライゼルさんとの対決が上手くいけば、私が正しかったことを公爵に証明できる。そうすれば、彼は自分の過ちについて私に謝ってくれることだろう。その流れなら、私も言い過ぎたことを素直に謝れるような気がする。
あ。あとついでに兄様にも謝ってもらおう。今回のループでは兄様と全く絡んでいないけれど、これまでに繰り返されたゲンコツ分の恨みはしっかりと私の中に蓄積されているのだ。
「すまんカトレア、許しておくれ」と、ぺこぺこ泣いて謝る兄様と公爵を想像したら少しだけ勇気が出て、私はライゼルさんの部屋へと足を進めた。
あっという間に目的の場所へとたどり着くと、私は胸にむん、と気合いを込めて、扉をノックする。今は、普通であれば誰もが寝静まっているはずの時間だ。しかしライゼルさんが殺人衝動を失ってぐっすりお部屋で眠っているなんて、ちょっと考えにくい。
中にいるなら、きっと起きているはず——と考えていたら、おもむろに扉が開いた。
「君は……」
扉の隙間から、綺麗なブロンドがちらりと覗く。
いた。ライゼルさんは、自分の部屋にいた。
彼は以前と同じように、私服に身を包んで立っている。武装はしていない。
自分で部屋を訪ねたというのに、彼が扉から姿を現したことにびっくりしてしまって、私は彼を見上げながらつい間抜けなことを訊ねてしまう。
「ライゼルさん……どうしてここに、いるんですか」
「は? それは、私の部屋だから」
そりゃそうだろうという回答。でもこの人は、過去何十回ものループで、主寝室に忍び込み、私を殺害した。
本来ならいつまでも自分の部屋でくつろいでいるはずがないのだ。公爵と兄様の3人で酒盛りをしたあと、どこかのタイミングで部屋を出ているはず。
「君は、カトレアさんだね。こんな時間にどうしてここへ? 君1人かい?」
そう言いながら、ライゼルさんはしきりに廊下の外へと視線をきょろきょろ動かした。私と話をしているところを誰かに見られてはまずいと思っているのだろうか。
一応、私の居場所はイネスに伝えてあるけれど……。過去に、この人は私の侍女たちまで巻き添えにした。彼女たちのことを守るためにも、ここでイネスの名前は出さない方がいいだろう。
「はい、ここには私1人で来ました。どうしてもライゼルさんとお話ししたいことがあって」
「私に……?」
私は汗ばむ手のひらを握りしめて、ライゼルさんの顔を睨め付ける。
こちらの敵意を汲み取ったのか、穏やかだったライゼルさんの表情に、ちらりと冷酷な影が走る。
「用件はおわかりでしょう。中に入っても?」
「……」
少しの間、ライゼルさんは逡巡しているようだった。
殺すつもりのはずだった相手。それが、どうしてか自分の部屋へやって来て、思わせぶりな言葉を口にしているのだ。戸惑うのも無理はないだろう。
「……分かった。中へどうぞ」
やがて意を決したように頷き、ライゼルさんは扉を開いて私を促す。
私は深呼吸して、殺人者の部屋に足を踏み入れた。
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