第27話ループ9+α -2
「何故、剣が必要なんだ?」
「万が一のとき、公爵様の身を守るためです」
「……?」
私と公爵は、階段を登りながらそんな会話をする。
「なるべく争いにならないよう注意しますので。でも、もし本当に危ない状況になったら、私を置いて逃げても大丈夫ですからね」
「……は?」
「それと、主寝室に近くなったらおしゃべりは禁止です。聞かれてしまう可能性があるので」
以前、兄様と主寝室に入ったとき、兄様の大声を聞きつけてライゼルさんは窓の外に隠れていた。よくよく考えると、彼としても結構焦る状況だったのだと思う。
結果的にそのせいで虚をつかれて、私たちはなす術もなく彼に斬り伏せられてしまったのだけれど……。
とにかく、公爵が一緒にいることだけは悟られたくない。ライゼルさんにはあくまでも私1人と思わせて、彼の犯行をしっかりと公爵に知らしめてやるのだ。そのためにも、これまでのループの経験を活かして万全の対策を整えねば。
その一環として、公爵には剣を装備してもらった。彼を親友と戦わせるつもりなんてないけれど、もしもという時、身を守る手段がいる。
兄様はライゼルさんに負けないくらい強いはずなのに、丸腰だったせいで地に膝をつく羽目になってしまった。公爵がどれくらい強いかは知らないけれど、素手でライゼルさんの剣術に対抗できるとはとても思えない。
剣を持っていけとはじめ私が言ったとき、公爵は「帯剣する理由がない」とひどく渋ったけれど、何度も根気強くお願いしたら了承してくれた。
そして彼は今、腰に剣を提げて、疑問を塗り固めたような顔をしながら私のあとをついて来てくれている。
ループが始まる直前は、まるで話の通じない嫌な男と思っていたけれど。蓋を開けて見れば、この館で私に協力的なのは、ブラックサンダーとこの人だけだった。
「む」
主寝室の扉が見えてきて、公爵が声を漏らす。視線で黙れと伝えると、彼は素直に口元をぎゅっと結んだ。
私は急いで扉に駆け寄って、物音がしないか耳をすます。いつものごとく中からは人の気配がしない。
私は公爵の方を振り返って、小声でそっと囁いた。
「まず私が中に入るので、良いと言うまで貴方は入り口で待機してください」
「……ここは、私の寝室なのだが」
「しっ!」
素早く公爵の口元を手で押さえる。
「静かにしてください。いいですか、入れと言うまで入っちゃだめですよ」
公爵は、訳がわからないと言いたげな顔を見せるが、一応は頷く。
彼が協力してくれるのを確認して、私は扉に向き直ると、中へと足を踏み入れた。
久しぶりの主寝室だ。月光が漏れる窓が目に入った瞬間、これまでの死の記憶がぶわっと蘇って来て、体がびりびりと震えた。
——いけない。緊張しすぎては、体の動きが鈍ってしまう。
ライゼルさんは、いつも死角になった部屋の左隅に潜んでいる。そして部屋の奥へと進んだ私の心臓を、一直線に狙ってくるのだ。
度重なる戦闘で得た初撃の傾向を頭の中で反芻しながら、私はゆっくりと奥へ進む。
そして、5歩前に進んだ瞬間。迫り来る凶刃を避けんと、私は前に大きく跳躍した。
「——あれ?」
床を蹴りながら、ライゼルさんが本来いるべき場所を確認する。
しかし、剣どころかライゼルさん本人もいない。
予想外の事態に驚いてそちらに気をとられていると、いつのまにか跳躍しすぎていて、体が壁に激突した。
「あいたぁ!」
跳ね返った私は、更に近くにあった椅子に足をとられて、床をごろごろと転がる。派手な物音と共に、何かがパリンと割れる音がした。
「どうした!」
入っていいよと言ってもいないのに、公爵が慌てて中へ駆け込んでくる。そして床にうずくまる私を見て、もう一度「どうした……」と呟いた。
「じゃ、ジャンプしすぎて、壁にぶつかって……。いたあ……」
痛みに悶えていると、公爵が何も言わずに助け起こしてくれた。や、優しい。
公爵の手につかまりながら立ち上がり、私はぐるりと薄暗い室内を見回す。
……どこにも、ライゼルさんの姿はなかった。
「あれ……。どういうこと……」
窓に駆け寄って外を見るけれど、それらしい影はない。
まさか公爵の存在に気付いて隠れたのかと思いベッドの下や棚の中も覗き込んだ。なんだか、前にも同じようなことをした気がする。
「公爵様! この部屋、隠し扉的なものはありませんか!」
「ない」
家主に確認をとるが、あっさりと否定の言葉が返って来た。
「じゃあ、どうして……」
最後にもう一度部屋の中を見回すが、やっぱり黒い影なんてものは見当たらず。
ただ私と公爵だけが、薄暗い室内にぽつんと佇んでいる。
「君は……何をしようとしていたんだ?」
恐る恐る、といった様子で、公爵がそう尋ねる。
「ここに……ライゼルさんが、いるはずだったんです」
証明すべき犯罪者の不在に動揺した私は、つい正直に答えてしまう。
私の口からライゼルさんの名前が飛び出ると、公爵は表情を強張らせた。
「ライゼルが? どういうことだ」
「あ……それは」
誤魔化すか、それとも真実を話すべきかで迷う。けれど、あまり悠長なことはしていられない。ライゼルさんの犯行現場を見せることができなくても、彼の犯意と正体を人々に伝えなければ、私以外の誰かが命を落とすかもしれないのだ。
こうなったら、ここで説明するしかない。
ループのことはぼかしつつ、私は事のあらましを公爵に語り始めた。
「ライゼルさんは、公爵様が主寝室へ向かわないことを知って、今夜ここで私を待ち構えているはずでした」
「……は? ライゼルが?」
「どうしてかは分かりませんが、ライゼルさんは私に殺意を抱いていて。この部屋で、私を亡き者にしようと企んでいるんです」
「ま、待ってくれ。君の言っていることの意味が、分からない」
「私だって意味がわからないですよ! ライゼルさんのことなんて今日知ったし、恨まれるようなことなんてしていないはずだし。公爵様には、何か心当たりはありませんか?」
「いや……全く、ない。彼が君に殺意を抱くなど、あり得ない」
公爵に、特に何かを隠すような様子はない。ただ、私の言葉をどう咀嚼すべきか、という迷いだけが伝わって来る。
この人に聞いても分からないのか。内心がっかりはしたけれど、ここで話を終わらせるわけにもいかない。
なんとか、私の抱えている真実だけでも分かってもらわなければ。
「でも本当に、ライゼルさんは私を殺そうとしているんです! それだけじゃない。理由はわかりませんが、この件にはセレニアちゃんも関わっているんです!」
「セレニアが? どうしてここで、妹の名前がでてくる」
戸惑い気味だった公爵の表情に、真剣味が増す。まるで冗談は許さないと言われているようで、私は一瞬言葉を詰まらす。
「……それも、分かりません。けど、場合によっては、セレニアちゃんが被害に遭う可能性もあって……」
「……君は、ライゼルがセレニアに危害を及ぼす可能性があると、言いたいのか」
まるで、初めて会話したときのような、冷たい声だった。
ここに来て、彼との距離がすっと離れていくような感覚があって、急に私は不安になる。
「可能性は……ゼロではないと、思います。私も、ライゼルさんがセレニアちゃんを手にかけるなんて、考えにくいとは思っていますが」
「……」
「でも、少なくとも、ライゼルさんは殺人者です。これは本当です。大事な友達がそんな人だなんて、信じられないとは思いますけれど……」
だんだんと私の声は尻すぼみになっていく。言っていることは全て、私がこの身で体験して得た真実だ。間違いなんてない。
それでも、公爵の視線を前にすると、どうしてか力強く主張することができなかった。
「おかしなことを言っている自覚はあります。言葉だけではきっと信じてもらえないだろうから、実際の現場を見てもらおうと主寝室まで一緒に来てもらったのですが……。どうしてか、ライゼルさんはいなくて……」
なぜ今回に限って、ライゼルさんは主寝室にいないのだろう。考えたけれど、理由はさっぱり分からない。
これじゃあ私は、空想を語る頭のおかしい女だ。
公爵はじっと考え事をするように腕を組み、しばらく黙り込む。
彼から疑念が滲みでるのがはっきりと感じられて、なんとも居心地が悪かった。
「それは一体、何を根拠にしている話だ?」
「根拠については……お話しできません。きっと信じてもらえないだろうし……」
「……そうか」
私のはっきりしない言葉を問い正そうともせず、公爵はまた黙る。
「ふざけるな」と怒鳴りつけられるのではと内心びくびくしながら、私は次なる言葉を待つ。
公爵は険しい表情でしばらく足元を見つめていたけれど、ふと私の方へと視線を戻した。
そして、表情とは裏腹に穏やかな口調で、沈黙を破る。
「……きっと君は、疲れているんだ」
「え……」
「色々と、私に対して思うところもあっただろう。私のせいで、君をひどく混乱させたのかも」
そう言って、困ったように公爵は小さく微笑む。
作ったような優しい笑みが、なぜか私の胸をぐさりと突き刺した。
「……信じてくれないんですか」
「君は、明るく裏表のない人で——簡単に他人を貶めるようなことは決してしないはず。きっとその話も、君に悪意などなく、何かそう考える理由があって、私に伝えようとしているのだろう」
私を傷つけまいとするように、角のない言葉が並べられていく。
そこに、「だが」と公爵は付け加えた。
「君が、善良な女性であると知っているように……。ライゼルも、決して弱い人間を傷つけない、正義に溢れた男であると私は知っている。だから——その話を、簡単に受け入れることはできない」
まるで、鈍器で頭を殴られるような衝撃に襲われた。頭がクラクラとする。
どうしてか震える唇をおさえながら、私は一歩公爵へと詰め寄った。
「……私、嘘はついていません」
「君のことを疑っているわけではない。ただ、何か誤解があるのだと思う」
誤解なわけあるものか。私は実際に彼と対峙し、彼の正体を暴いたのだ。
ライゼルさんは、今もどこかで私の命を狙っている。それは確かなことなのに。
「今夜はもう遅い。今日は一晩ゆっくり休むんだ。そして後日、この件について話し合うとしよう。ライゼルと話せば、君にも彼の人となりを分かってもらえるはずだ」
そう言って、公爵は私の肩に手を置く。彼の手の温かさに、何故だか泣きたくなった。
兄様に信じて貰えなかったときも、すごくもどかしい思いをしたものだけれど。
どうしてだろう。この人の否定の言葉は優しいようでいて、ひどく私の胸を抉る。
そうじゃないのに。ライゼルさんは、憎むべき犯罪者で、私は何度も彼に苦しめられてきたのに。
不満がむくむくと膨張して、感情が一気に溢れ出す。
自分が悲しいのか、怯えているのか、怒っているのかよく分からなくなる。
けれど、気持ちが荒波立つことだけは、どうしても抑えられなくて。
私は公爵の手を払いのけ、思い切り声を張り上げた。
「何が、善良な女性だと知っている、よ! 私のことなんて、何も知らないくせに! 上辺だけ理解者であるようなふりをしないで!」
「……っ」
公爵が息を飲む。
彼が驚く様を見て胸が痛むような気もしたけれど、私は自分を止めることができない。
「分かっているわ。こんな話、誰も信じてくれないって。どんなに私が一生懸命伝えようとしたって、全部無駄だって!」
ぐっと目頭が熱くなってきた。涙だけは流すまい、と思い、目を強く瞑る。
「信じられないなら信じられないって、はっきり言ってよ! 当たり障りのない言葉で、その場だけおさめようとされる方が、よっぽど傷つくわ!」
「カトレア……私は」
「兄様は、私の言葉を一切信じようとしなかったわ。けれど、私がどうしてそんなことを言うのか、その理由をちゃんと確かめようとしてくれた。適当に私の言葉を流さないで、嫌そうにしながらも、ずっと付き合ってくれた。
貴方なら、同じように……たとえ信じてくれなくても、私の力になろうとしてくれるって、思っていたのに……」
嘘だ。私は此の期に及んで、この人が全てを信じてくれることを期待していた。
私に対する彼の好意を知って、彼なら私の言葉を受け入れ味方になってくれるかも、なんてずるい考えを胸に抱いていたのだ。
そんな都合のいい展開、ある訳ないのに。
これは完全な当てつけだ。私は、公爵の見せた優しさに難癖をつけて、感情をぶつけているだけ。
公爵は私を傷つけまいと、気を配ってくれたのに。こんなの、子供の癇癪と何も変わらない。
無我夢中で不満を吐き出したら、昂りが急激に冷めていくのを感じた。
公爵も私も言うべき言葉が見つからず、凍りついたようにただその場に立ち尽くす。すぐ目の前にいるのに、視線は相手を捉えることなく、宙をうろうろと漂っている。
「……ごめんなさい。少し、言い過ぎました」
沈黙に耐えかねて私が言うと、公爵は「いや」と首を振る。
「私は、君の気持ちを理解しようとせず——君の訴えに、蓋を被せるような真似を……」
「もういいです」
謝られると、更に彼をなじってしまいそうな気がして、私は言葉を重ねる。
「私たち、今日会ったばかりだもの。親友や、お師匠様や、妹や、騎士団——貴方には、私より大切なものがたくさんあるってことくらい知っています。それなのに、こんな馬鹿みたいな話をして……勝手に怒って、すみません」
自分でも驚くほど、ずるい言葉が溢れて来る。
冷静になってもなお、こんな台詞を吐き出すなんて。私、こんな奴だっけ。
「貴方の言う通り、疲れているのかも。一晩休んで……これからどうするか、考えます」
「……分かった」
「それじゃあ、また明日……」
公爵は頷く。私の爆発を目の当たりにして、かけるべき言葉が見つからないようだった。
私は頭を下げると、公爵に背を向けて主寝室を後にする。誰もいない廊下に出ると、なんだか急に心細くなった。……そう言えば、主寝室には何度も入ったことがあるけれど、無事に出るのは初めてだっけ。
私、どうしてこんなに取り乱しちゃったんだろう。
公爵相手に感情を爆発させたのは、これで2回目だ。この城館に来てから、あの人には怒ってばかりな気がする。
最後に見た痛々しい彼の表情が思い出されて、ぐっと胸が痛くなる。今からでも部屋に戻って、ちゃんと謝りたい。
でも、ループのリミットは迫っている。公爵と仲直りする時間なんて、今の私に残されていない。
——それにまた、うっかり意地悪なことを言ってしまうかもしれないし。
謝らない理由を並べて、とりあえず自分を納得させる。そうだ、私にはまだやるべきことがあるんだ。
味方を得ることはできなかったけれど、戦いはまだ続いている。
燻った気持ちを抑え込んで、私は次の目的地へと足を向ける。公爵と主寝室へ行っても何も得られなかったけれど、次に何をすべきかは分かった。
ライゼルさんの居場所を、確かめるのだ。
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