第26話ループ9+α -1



「あなた、なにやっているんですかぁッ!!」


 遠くで誰かが叫んでいる。

 ヒステリックで弱々しいこの響きは——あの人のものだろう。


 私も同じ気持ちです。


 私、なにやってるんだろう。








 

 新たなループを迎えたあと、私は侍女たちを撒いて、図書室の前へと到達していた。この場所はこれで4回目となる。しかし中に入る勇気が湧かず、私はどうしたものかと1人扉の前で思い悩んでいた。

 扉を開けばあの人がいる。正直、かなり会いたくない。まだ恥ずかしい。


 けれど色々考えた結果、現在は公爵にしか頼ることができないという結論に至ってしまった


 まず、テレサ含め戦う力のない侍女たちを巻き込むわけにはいかない。同様の理由で、セレニアちゃんも却下。脳筋の兄様については諦めた。


 公爵なら……私の言うことに少しは耳を傾けて、多少は協力してくれるかも、という淡い期待が持てる。

 わ、私のことが好きらしいし。


 でもこれって、彼の好意を利用するってことだよね。


 そう思うと、罪悪感で胸がひどく痛んだ。


 ——こんな風に思い悩んでいる間にも、時間は刻一刻と進んで行く。

 ループを無駄遣いしないためにも、早く行動せねば。


 ぐぐっと気まずい気持ちを飲み込んで、私は図書室の扉をノックした。


「入れ」


 ついさっき聞いたばかりの声でそう言われる。恐る恐る中に入ると、公爵とばっちり視線が合った。

 思わず私は視線を逸らしてしまう。あんな出来事の後では、彼のことを直視できない。


「君は……。何故ここに……」

「えっと……」


 前のループではなんと答えたっけ。そんなことすら思い出せない。

 私がまごついていると、公爵は本を閉じて、小さくため息をついた。


「ライゼルに聞いたのか。何の用だ」


 突き放すような声。

 ふと視線を戻すと、険しい表情の公爵が目に入った。


 私は知っている。この人は、私の拒絶の言葉を聞いて、ひどく傷つきこの部屋に引き篭もった。今のこの険しい表情も、私を嫌っているからではなく、私を前にすることが辛くて歪められているだけ。

 あの告白のあと、再度私を遠ざけようとする公爵の姿を見て、胸がまたもぞもぞとした。


 ——きっと、このむず痒くてすぐにでも逃げ出したくなる感覚の主成分は、罪悪感だ。

そんな思いに駆られた瞬間。気づけば私は、勢い良く頭を下げて、叫んでいた。


「ひどいことを言ってごめんなさい! 私、公爵様のことを何も分かっていないのに、貴方の悪口をいっぱい言いました!」

「は……」

「でも私、パーティーで貴方が私と家族のことを悪く言っているのを聞いたんです。あ、あれはやっぱり、ひどいと思います! 朝からつんけんした態度を取られたのも、正直かなり傷つきました!」


 公爵は呆気にとられて私を見つめる。

 我ながら唐突で、勢いに任せた言葉だったが、そう言わずにはいられなかった。


「あれを、聞いていたのか」

「はい」


 頷くと、公爵はぐっと何かを耐えるように歯を食いしばり、項垂れる。そして悲しげに口を開いた。


「それは……すまなかった。さぞかし不快な思いをしたことだろう。……これでは、君に嫌われても仕方のないことだな」

「まだ腹は立ちますけど。一応、貴方が立場上、仕方なくあんなことを言ったのだとは、その……理解しています」


 公爵は私の言葉を聞いて、片眉を上げる。


「その話はどこで聞いた? 君には、こちらの事情について説明したことなどないはずだが」

「それは……えっと」

「そもそも、その口ぶりからして……その、私が君の部屋を訪ねようとしたことを、知っているようだが。それはどうやって……」

「あ……。どうやってですかね……」


 気まずそうな公爵と、上手く説明できない私。2人してまごつきながら、たどたどしく言葉を重ねて行く。

 いっそループのことを、全て打ち明けてしまおうか。

 そうすれば、私が本来知り得ない情報を持っていることも、誰かの協力が必要なことも簡単に説明できる。


 ああ、だけどダメだ。

 それを明かすとなると、私が前のループで公爵から告白されたことも話さなければいけなくなる。「私、前のループで貴方に告られまして」なんて、とてもじゃないけれど言い出せない。


 ——それに、もし、ループのことを信じてもらえなかったら。


 私が既にライゼルさんから何度も殺されていて、今現在もおそらく彼に命を狙われている。そんな話をしたとき、公爵はどんな反応をするだろう。


 前のループで、公爵はライゼルさんのことを、「友人であり、家族であり、好敵手」と言っていた。その時の公爵は、優しい表情をしていた。本当に、彼にとってライゼルさんは大切な存在なのだと思う。


 対して私は、今日結婚したばかりのほとんど会話もしたことがない田舎娘。いくら好意を抱いてくれているとはいえ、ろくな信頼関係を築けていない。いや、むしろ私たちの関係は、ほとんど崩壊しかけていた。離縁したっておかしくない状況だった。


 もし公爵が私の話を信じずに、ライゼルさんのことを庇ったら。今までの私の苦痛を全て否定してきたら。そうしたら、私はきっと……。


「……」

「……」


 お互い言うべき言葉が見つからず、沈黙が続く。

 ああ、私の馬鹿。そこそこ色々考えてここに来たつもりなのに、どうすればいいか分からなくなってしまった。


 これじゃあ公爵の目には、私が読心能力者のように映るだろう。ていうかお前は何しにここに来たのだと、きっと思われているに違いない。


 何か……何か公爵に、ライゼルさんが暗殺者だと、ループのことは明かさずに伝える方法はないのか。


 ……あ。


「ところで公爵様。今、お暇だったりしますか?」


 暇なのは知っているけれど、一応公爵の顔を立てるためにも聞いてみる。


「あ、ああ。別に、特別用事はない」


 今回の公爵は、素直に何もしていないことを白状した。そして私の方を見て、


「君に何も告げず、こんな場所で油を売っていた。……申し訳ない。だが……私は君のことが」

「あー! いいです、いいです! もう謝ってもらったし! 全然気にしていないです!」


 なんだか流れでまた告白されそうな雰囲気になったので、慌てて声を被せる。

 公爵はしばらく口をパクパクさせていたけれど、それ以上は何も言わずに口を閉じた。


 今のは危なかった。ここで好きだとか言われたら、また逃げ出してしまう自信がある。もう少しでまたループを無駄遣いしてしまうところだった。


 気を取り直して、再度私は言う。


「暇なら、ちょっと一緒に来てもらいたい場所があるんですけれど」

「構わないが。一体どこへ?」

「主寝室です」

「……」


 私が答えたとたん、公爵の顔からスッと表情が抜けた。

 急に何も言わなくなってしまった。どうしたというのか。


「あの、嫌ですか? 私と主寝室へ行くの」

「は!? あ、いや。嫌というわけではないが」


 何故か公爵は妙に落ち着きなく、そわそわとし始める。更に私から顔を逸らして、きょろきょろと足元に視線を這わせた。


「だ、だが——その。私の無礼な態度のせいで、君は、傷ついたわけだろう。それなのに……いいのか」

「いえ、だってこちらからお誘いしたわけですし。……それに、どうしても公爵様に知ってもらいたいことがあるんです」

「知ってもらいたいこと?」

「はい。言葉で伝えても信じてもらえないだろうから、その目で確かめてほしいんです。きっと、すごく傷つけてしまうことになるけれど……」

「わ……分かった」


 公爵は小刻みに何度も頷く。……良かった。この状況なら断りづらかろうという打算からしてみた提案だけど、ちゃんと了承してくれた。それにしても公爵の顔が妙に赤いけど、どうしたんだろう。……まあいっか。


 信じてもらえないならば、直接その目で確かめてもらえばいい。

 きっとライゼルさんは、公爵が図書室に行ったと知って、私のことを主寝室で待ち構えていることだろう。

 剣を持ち、私に襲いかかる彼を見れば、公爵だってライゼルさんが本当は殺人者だということを分かってくれるはず。そしてライゼルさんも、公爵を前にすれば、私を狙った理由、そしてセレニアちゃんが事件にどう関わっているかを、教えてくれるかもしれない。

 公爵を危険に晒す可能性がある作戦になるけれど、そこは私が頑張るしかない。


 条件は整った。

 今度こそ、きっと上手く行くはず。


 そう己に言い聞かせて、私は公爵と図書室を後にするのだった。

 



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