第21話ループ8+α -1
「お義姉様がいらっしゃるのを、ずっと楽しみに待っていたんですよ。いつか仲良くなって、お喋りしながら夜更かしできないかなって。それがこんなに早く夢が叶うなんて。嬉しい」
セレニアちゃんは、みっともなく逃げ惑っていた私に、そう言って微笑んでくれた。
夫になる人には無視されるし馬鹿にされるし放置されるし、侍女たちからは冷たい目で見られるし、兄様にはゲンコツで何度も叩かれるし、ライゼルさんには何十回も殺されるし、おまけにループだの歴史だの修正力だの時空の歪みだの、キテレツなことを言い出す人まで現れるようになった。
この屋敷に来てから、ほんとろくな目にあっていない。
でも、屋敷の人の中で、セレニアちゃんだけは、はじめから私に優しくしてくれた。私のために怒ってくれた。
あの子が殺されるなんて間違っている。
◇
よ、よかった。またループが来た。
柱を前にして、私はほっと息をつく。
セレニアちゃんの殺害が、アージュさんの言う「本来起こるべきこと」なはずがない。あんな良い子が殺されるなんて間違っている。というかこの世にあんな天使みたいな子を殺せる人間が存在したことにビックリだ。
しかしそれでも夜明けを迎えたときには不安になった。このまま朝が続いて、セレニアちゃんを失ったまま時間が進んでしまったら、と——。
観測者さん的には頂けない展開だろうけど、私としては新たなループの到来を喜ばずにはいられない。
私はつらつらと考えごとをしながら、侍女たちを宥め、慣れた動作で柱から鏡台の前へと移り、四方から伸ばされる身繕いの手に身を任せる。
「ねえ、ハリエ。セレニアちゃんって、すごく良い子だよね?」
私が尋ねると、ハリエは唐突な質問に少し戸惑いながら、「はい」と答えた。
「セレニア様は素晴らしい方です。お美しく聡明で地位もおありなのに、一切驕ることなく、常に謙虚でいらっしゃいます。あの方が取り乱したり、わがままを言う姿を私は一度も見たことがありません」
あれ? 何だか言葉の端々に私への棘が練りこまれているような気がするぞ? 私が何かを気付きかけて口を開こうとすると、慌ててペトラも口を挟む。
「本当にお可愛らしいですよね、セレニア様! なんでも、近隣諸国の王侯貴族が、挙ってセレニア様を妃としてお迎えしたいと旦那様に訴えているとかいないとか! 遠国の高貴な殿方に攫われてしまうくらいなら、いっそ我が国の王室に入ればいいという声もあるくらいで」
「それは流石に誇張しすぎよ、ペトラ。うちの国の王室にはセレニア様のご年齢に見合う方がいらっしゃらないじゃない」
「なによう。セレニア様は時が時なら、王妃にだってなれたお方なのよ。この国のお姫様も同然の存在だわ」
ペトラの言葉にイネスが反応し、2人は私を置いてきぼりにして盛り上がる。ハリエが「こほん」と咳払いすると、2人はすぐに口を閉じて私の身支度に集中した。
使用人からの評判も上々だ。そりゃあ彼女たちがセレニアちゃんのことを悪く言えるはずがないけど、本気で敬愛しているのがなんとなく分かる。
やっぱり、セレニアちゃんが誰かの恨みを買って殺される、なんてことはありえなさそうだ。
『——そうだ。俺の覚悟が足りなかったせいで、セレニアは死んだんだ』
ついさっきのループで、ライゼルさんが口にした言葉を思い出す。
ライゼルさんは「貴方がやったの」という私の問いに「ああ」と答えた。けど、彼の表情は悲痛に満ちていて、とてもセレニアちゃんを殺めた人間のようには見えなかった。
ライゼルさんが殺人犯であることに変わりはない。……でも、あの人は剣で人を刺すタイプの殺人者なはず。これまで私は全例、大事な所をぶすりと、あるいはばっさりとやられて死んできた。
しかしセレニアちゃんの体には傷らしい傷は見えなかった。喉に掻きむしったあとのような赤みがあっただけだ。
でもなあ。セレニアちゃんの部屋にいたおじさんの話だと、ライゼルさんが第一発見者みたいだし……。殺人事件は第一発見者が犯人であることが多いって、昔誰かが言っていたような気もする。
……ん? というか、ライゼルさんって前のループのとき、私と話をしたあと、セレニアちゃんの部屋に向かったの? 結構夜遅かったけど、未婚のお嬢さんの部屋に突然家族でもない男性が訪問するなんてありえる?
しまった。その辺りの詳細について、医者っぽいおじさんにちゃんと聞いておけばよかった。おじさんがあまりにも当たり前のように話すから。ついスルーしてしまった。しっかりしてよおじさん。
もう、結局情報不足でちっとも推理が進まない。あれだけ苦労して真犯人を突き止めたのに、ライゼルさんを華麗に追い詰めようとしたら、何故か今度はセレニアちゃんが殺された。その理由も、セレニアちゃんが私の殺人事件に関係しているのかも、ライゼルさんがどう関わっているのかも不明のままだ。
どうしよう。またライゼルさんに突撃をかまそうか。兄様がライゼルさんの部屋にいるかぎり、どうせまた頭にゲンコツを落とされるだけで、ライゼルさんを追い詰めることはできないだろう。——そうしたら、すぐさま兄様を連れてセレニアちゃんの部屋に移動し、ドアの前で不審者の襲来を待ち受ける。おっ、この作戦はイケそうな気がする。
慎重な私は、行動に移す前に一応この作戦をシミュレートしてみた。
ライゼルさんを告発して、兄様に怒鳴られて、そしてセレニアちゃんの部屋に移動して——あ、だめだこれ。
前回は公爵に会いにいくからという理由で、兄様は私と図書室へ向かってくれた。けど、セレニアちゃんの部屋に行くとなったらどうだろう。
きっと余計なことはするなと言って、兄様は私の邪魔をするだろう。それどころか、いつかのループのように、私を抱えて主寝室に放り込むなんて暴挙に出るかもしれない。
よしんば兄様の了解を得られたとしても、どうする? セレニアちゃんの部屋の前で、深夜に佇む新婦とその兄。こんなの悪目立ちしすぎて、きっと犯人も近寄らないはず。
セレニアちゃんの部屋の中に、私だけが入って犯人を待つというのも……だめだよなあ。セレニアちゃんが協力してくれるか分からないし、私がセレニアちゃん襲撃者を捕縛できる保証もない。最悪、セレニアちゃんと私が揃って殺されることだってありえるわけで。
つまりセレニアちゃん襲撃者待ち伏せ作戦はボツ。そもそもこんなセレニアちゃんを危険に晒すような作戦、できるわけなかった。
じゃあどうする? どうすれば私は、セレニアちゃんの安全を確保しつつライゼルさんの悪行を白日の下に晒し、ついでにセレニアちゃん襲撃者も突き止めて可能であれば公爵にぎゃふんと言わせることができる?
「奥様。そろそろ旦那様のお部屋に移動しませんと」
「あ……」
考えこんでいたら身支度はもう終わってしまって、侍女たちがじっと私が立ち上がるのを待っていた。
もうそんな時間か。これからどうしよう。
また主寝室へ行って、ライゼルさんと対決するわけにもいかないし……。
そこでふと、私の頭に公爵の顔が浮かんだ。
そう言えば、この前のループであの人との会話を中断したままだった。
公爵には色々と聞いておきたいことがある。ライゼルさんのことだとか、セレニアちゃんのことだとか、今回の結婚についてだとか。
かつて私の中の、容疑者リストトップに名前を飾っていたクリュセルド・ヴラージュ公爵。その容疑は私の名推理によって晴れたけど、あの人だって、きっと今回の事件に何らかの形で関わっているはず。
昔バルト家の誰かに、「敵将を倒したければまずその馬を撃ち殺せ」って教えられた。ライゼルさんを倒したいなら、私もその周辺から問題を片付けていかなければ。
「分かったわ。私、公爵様のところへ行くわ」
頷くと、テレサとハリエがほっとした表情をする。
そして案内役定番のイネスが前に出て、「逃さねえぞ」と言わんばかりに腕まくりし、踵を床に打ちつける。
「奥様、頑張ってくださいね」
最後、ペトラがちょっと際どい発言をした。
彼女が考える方向に頑張るつもりは皆無だけれど、私は決意をこめて、大きく頷いてみせた。
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