第22話ループ8+α -2



 ——で。私は主寝室へ向かう途中でイネスを撒き、見事図書室の前にまで到達していた。

 今回の逃走劇はちょっと失敗した。イネスを撒こうという気持ちが強く出過ぎて、逃亡のタイミングを彼女に悟られてしまったのだ。

 イネスって結構足が速い。しばらく追跡を続けられたけれど、最終的には脚力にものを言わせてなんとか逃げ延びることができた。


 弾む息を整え、図書室の扉をノックする。「入れ」と返事があったので、遠慮なく中に入る。


 いつものごとく、公爵は壁に背をついて本を読んでいた。私に気がつくと、彼は目を大きく開く。


「どうしてここに……」

「ライゼルさんに聞いたり聞かなかったりしたんです」

「は?」


 この人との会話もこれで3回目になるから、ちょっと先回りして答えてみる。それが却って混乱を招いたようで、公爵は不思議そうに首をひねったあと、何も言わなくなってしまった。


 扉を閉めながら、私も沈黙する。勢いでここに来てみたけれど、これはなかなかに気まずいぞ。

 しかし夜明けまで黙り続けるわけにもいかないので、私はゆっくりと口を開いた。


「あの、私……ここには、公爵様に聞きたいことがあって来たんです。どうしてここに貴方がいるのか、責めるつもりも追及するつもりもないので、話に付き合っていただけませんか」

「……」


 公爵はじっと私を見る。私も負けじとそれを見返す。

 しばらくすると、公爵は手元の本を閉じて棚に戻し、私の方へと向き直った。


「そこに座るといい」


 ちゃんと話に応じてくれるらしい。公爵が目線でソファを勧めてきたので、私はちょっと緊張しながら図書室中央のソファに腰掛ける。ソファは見た目通りふかふかで、私のお尻は深く沈み込んだ。

 このソファに座りながら本を読んだら、一瞬で爆睡できそうだ。


 私が腰掛けると、公爵は両腕を組んで言う。


「それで、話とは?」

「それはですね、えーと」


 慎重に慎重に、言葉を選ぶ。初めてここに来たときは、質問の仕方が悪かったのか拒絶感をガンガン押し出されて、ろくな会話が出来なかった。

 ここで無駄な会話をして、大切なループを潰すわけにはいかない。

 喧嘩腰にならず、公爵を不快にさせず、それでいて私が欲しい情報を引き出さねば。


「ライゼルさんって、良い人ですか?」

「——は? ライゼル?」


 熟考したはずなのに、我ながら間抜けな質問を口にしてしまった。なんだよぅ、「ライゼルさんって良い人ですか?」って。

 当然ながら、公爵にとっては予想外の質問だったらしい。彼はちょっとだけ調子の外れた声で聞き返した。


「何故彼のことを聞く? 先ほども彼の名前を口にしていたが」

「それは……格好いいし……」


 公爵が眉根を寄せる。うん、まあ結婚した日に、嫁に「貴方のオトモダチ素敵ね」なんて切り出されたら何だよこいつとは思いますよね。

 こんなのわざわざ夜中に旦那を訪ねてするような話じゃない。


「兄様とも親しげで……公爵様とも幼馴染だと聞きましたし。私も、これから親しくお付き合することになるでしょうから……」


 親しくお付き合いどころか、告発のちに断罪の予定だけど。


 私の苦し紛れな言葉を吟味するように、公爵は青い瞳で私を見据えたまま、しばらく口を閉ざした。

 またも気まずい沈黙が訪れる。


 しかし唐突に——まるで、思い出話でもするかのように。公爵がぽつりと呟いて、静寂を破った。


「彼とは5歳のとき、先生に師事するようになってからの付き合いになる」

「先生?」

「ああ、フィラルド先生——私の剣の師だ」


 聞いたことがあるような気がして、記憶をぐるぐると手繰り寄せる。

 ——そうだ。式後のパーティーで、テレサと名前を確認したあの強そうなおじさまだ。そのすぐ近くにライゼルさんが座っていたのを覚えている。


「その方ならお見かけしました。たくさんの人の中でも、ぱっと目につくほど鋭いオーラを纏った方でした。次の騎士団長になるかもって聞きましたが」

「そうだ。先生は王宮に仕えたあと、長く流浪の騎士として諸国を旅し、数多の剣技を磨いてきた数少ない本物の“剣士”だ。剣の腕、頭脳、知識、人格——いずれをとっても、他の対立候補たちなど比べ物にもならない。先生を傭兵もどきと批判する人間もいるが、私は先生こそが次の騎士団長に相応しいと考えている」


 いつもぼそぼそと喋るだけだった公爵が、妙に熱を持って言葉を続ける。


「先生は戦争孤児となったライゼルを養子として引き取って、彼に剣を教えていた。そこに私が出入りするようになり——多くの時間を、彼らと共に過ごしたものだ。だから彼を良い人間か、悪い人間かで判断したことはない。彼は私の友であり、家族であり、切磋琢磨する好敵手だからな。……だが、彼が高潔で誰より心優しい男だということだけは、断言できる」

「……」


 公爵の言葉には、力がこもっていた。


 元孤児と、公爵。その2つの身分はあまりにも不釣り合いだ。だから、公爵はこうして周囲の人間から、ライゼルさんについてあれこれ聞かれる機会がこれまでにも多かったのかもしれない。一応貴族出身である私ですら、公爵との結婚が決まったとき、名前もろくに知らない人々から質問攻めに遭ったし。


 良い人間か悪い人間かなんて考えたことはない、と格好つけて公爵は言うけれど、彼がライゼルさんのことを本当に信頼し、大切に思っていることは今の言葉でよく分かった。


 ——でも、私は知っている。ライゼルさんは何らかの目的があって、私を殺した。

 つまり彼は、無垢で罪のない乙女を刺し殺す、凶悪な犯罪者であるわけで……。


 結婚初日に剣で刺されるなんて、あまりにハードで理不尽な仕打ちだ。その元凶であるライゼルさんの評判を聞いて、「高潔で心優しい方なんですか、へえ〜」なんて受け入れられるほど私もお人好しじゃない。


 でも、ライゼルさんのことを語る公爵の顔は、なんとなく優しくて。その顔を前にすると、どうしてもライゼルさんへの不満を口にすることは出来なかった。


「じゃ、じゃあ、ライゼルさんと公爵様は家族ぐるみのお付き合いをなさっていたんですね」

「そうだな。私の両親が健在であったころ、先生がこの城館に食客として滞在していた時期もあった。先生の養子でもあるライゼルも、当然この城で生活していたからな。あの頃は、両親と妹、そして先生とライゼル——皆でよく、共に過ごしたものだ」


 そこで公爵は遠い目をする。かつての幸せだった日々に思いを馳せているのだろうか。

 私はわりと、今日に至るまでは毎日幸せだったけど、それでもお母様や、お祖母様、お祖父様がまだ元気だった頃のことをふと思い出して胸の奥がきゅっとなることがある。公爵の気持ちは、なんとなく分かった。


「両親が亡くなり、先生が陛下に再び仕えて王宮に参内するようになってからも、ライゼルだけはここによく顔を出してくれた。セレニアなど、私よりライゼルによく懐いてな。幼い頃は、彼が帰ろうとすると、『帰らないで』と泣いて縋って、皆をよく困らせていたものだ」

「うわかわいい」


 うっかり声が漏れて、口元を抑える。

 ついにやけた顔を公爵に晒すのも癪だから、私は口を隠したまま言う。

 

「セレニアちゃんは……ライゼルさんと仲が良いんですね。知りませんでした」

「そうだな。セレニアも良い年になって、さすがに昔のような甘え方はしていないが。ライゼルも、セレニアのことを妹のように大事にしてくれている」

「あの、本当に下衆な質問で申し訳ないのですが……。セレニアちゃんとライゼルさんって、恋仲だとかそういうことは?」

「そういう噂はある」


 そこで、公爵は少しだけ憮然とした表情を見せた。


「噂?」

「ああ。下世話な輩による根拠のない噂だ。連中曰く、ライゼルがこの城館を頻繁に出入りするのは、私ではなくセレニアが目当てなのだと。彼は私に取り入り、セレニアを手篭めにして貴族界に参入するつもりなのだと、わざわざ直接忠告しに来た親切な御仁までいる。——まったく、不愉快極まりない。あの2人がどういう関係であるか、最も近しい私がよく知っているというのに」


 つまり、お付き合いの事実はないということか。


 私はふと、ライゼルさんとの最後の死闘を思い出した。

 私がセレニアちゃんの名前を出すと、それまで何をやっても動じなかったライゼルさんの剣が急にぶれた。

 それに、セレニアちゃんが亡くなったときの、ライゼルさんのあの目。絶望で全ての光を失ったような、そんな色をしていた。


 妹みたいに可愛がっていたからといって、あそこまで悲愴な顔をするものだろうか。私が死んだとしても、兄様たちはきっと、あんな表情は浮かべないはず。


 公爵は否定しているけど、あの2人には何かがある……。

 私の勘が「絶対そうだ」と叫んでいる。


 ライゼルさんについて、更に尋ねようと私は顔を上げた。

 しかし私が口を開くより先に、公爵が冷ややかに言う。


「これで話は終わりか」

「いえ。まだまだ、ライゼルさんとセレニアちゃんについて、聞きたいことがたくさんあるんです!」

「……」


 私が首を振ると、公爵は眉根を寄せた。何が気に入らないのか、視線を私から逸らして、ため息をつく。


「私は忙しいんだ。そういった話は、後日に回してもらえないか」

「でも……」

「もう一度言おう。私は忙しい。今夜、君に構っている時間はない」


 話はこれで終わりだ、と言わんばかりに公爵は本を手に取り、ページをパラパラとめくり始める。


「我々の今後についても、いずれ話し合うとしよう。……君としても、気に入らない男のそばにいたくはないだろうし」

「それって、どういう意味です」

「……」


 公爵は答えない。せっかくまともな会話ができていたのに、急にまた拒絶のオーラを全開にして、だんまりを決め込んでくる。


 ——あれ。というか今、離縁を仄めかされた? 我々の今後って、そういうことだよね?

 結婚初日にして、まさかの離婚。他に色々衝撃的なことがありすぎて、なんだか薄味な出来事のように感じるけれど、結構深刻な状況なのでは、これ。


 ……まあ、いいか。遠い昔のことのように感じるけれど、この人との結婚が嫌になって、柱にしがみつき泣き喚いていた時期が私にもあったわけだし。

 理由も明かさず冷たくした挙句、離婚までちらつかされて大変ムカつくけれど、もう結構。この拒絶っぷりを見る限り、これ以上情報を引き出すこともできそうにないし、私もこの辺で図書室を退散するとしよう。


 そう思って、ソファから立ち上がり、軽く公爵に一礼する。


「それじゃあ、大変お忙しいところ、無駄話に付き合っていただきありがとうございました。お休みなさい!」


 やはり返事はない。ああはい、そうですか。

 私は図書室から廊下へと出ると、思い切り扉をばたんと閉めてやった。

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