第20話ループ7+α -3
私は兄様と中央棟の図書室へと向かうことにした。扉を出ると、やはり怖い顔をしたイネスが待ち構えている。
「私も同行いたします」
「大丈夫。兄様が一緒だし、逃げたりしないから」
「部屋までどう行くおつもりですか。道順はご存じないでしょう」
「ここから真っ直ぐ中央棟に向かって廊下を渡って、突き当たりの壁にあるドアから渡り廊下に出る。そうしたら中央棟の2階に出られるから、今度は左に向かって歩いて右手に見えて来る階段を上がって、3階に出る。そこからすぐ右手にある大きな扉の部屋が図書室でしょう」
「……」
一気にまくし立てると、イネスが黙る。
図書室は4階の主寝室へ向かう道の途中にある。主寝室には何十回も行っているから、さすがの私もすっかり道順を覚えてしまったのだ。
「段々お前が何かに取り憑かれているんじゃないかって気がしてきたよ」
心底薄気味悪そうに兄様が言う。なんと失礼な。
「確かに、道はその通りですが……どうして……」
「ちょっと、ね。とにかく、これから私は公爵様のところに向かうから。イネスは私の部屋に戻って、みんなにすぐ解散するように伝えて」
「……」
イネスはどうしたものか、と考えるように視線を下に落とした。
彼女にも職務があって、更に言えば私には信用がないことは分かっている。けれど、戦えない彼女を私の側に置いておきたくない。ライゼルさんが血迷って、人目も憚らず私を襲撃してくる可能性だって0ではないわけだし。……ちょっと想像はつかないけれど。
「……承知いたしました。そこまで仰るなら、今日はこれで控えさせて頂きます」
結局はイネスが折れて、頷いてくれる。
良かった。彼女も一度、私の巻き添えを食らっている。例えループが起きて元通りになるとしても、周囲の人々を苦しめていい理由にはならない。
ごめんね、とイネスに声をかけて、私は兄様をお供に中央棟の図書室へと向かうのだった。
◇
「失礼します!」
図書室の扉をノックしたものの、数秒すら惜しくて私は返事も待たずに部屋に入った。そこには、確かにクリュセルド・ヴラージュ公爵の姿があった。公爵はいきなり現れた私に驚き、持っていた本をばさっと落とした。
「ほら、兄様! ほら!」
ぽかーんとしている公爵を指差す。兄様は「本当かよ……」と呟いた。どぅれ見たか。
兄様の登場に、公爵は更に顔を驚きに染める。
「君は……。それに、義兄上まで……」
義兄上ぇ? 随分と親しげな呼び方だ。
ライゼルさんの部屋で話をしている間に、仲良くなったのだろうか。新婦である私のことは朝から無視を決め込んでいたくせに、その兄のことは義兄上呼びなんてなんだかモヤモヤする。セレニアちゃんのときも思ったけれど、私に対してだけ極端に冷たすぎじゃないか、この人。
だが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
「どうしてここに、とか、誰から聞いた、なんて質問は結構。それより公爵様。貴方に幾つかお尋ねしたいことがあります」
「……どういうことだ」
「公爵様。貴方は、ライゼルさんのお部屋で、兄様たちと一緒に過ごしていたそうですね」
公爵がちら、と私の背後にいる兄様に目配せする。兄様は肩を竦めて申し訳なさそうに言った。
「すまん、婿殿。こいつがおかしなことを騒ぎ出すものだから、言わざるをえなくなった」
ライゼルさんが暗殺者だという私の主張はぼかすのね。まあ今はいいや。
「貴方は兄様たちと過ごしたあと、主寝室へ向かうと言って部屋を出た。しかし結局主寝室へは行かず、この図書室へと移動して今に至っている……違いますか?」
「なぜそのようなことを」
「いいから答えて下さい」
むん! と威圧感を総動員して迫ると、公爵は私への質問を引っ込めた。
少し間を置いたあと、彼はこくりと頷く。
「……その通りだ」
「ほら、兄様! ほら!」
「分かったから続けろ」
せっかく私の言うことが間違っていないと分かったのに、すっきりしない反応である。「婿殿は主寝室へ行った。俺にはわかる」とか言ってたくせに。
ちょっともやもやしながら、私は更に続ける。
「そして貴方は図書室へ向かう途中、ライゼルさんと出会い、彼に図書室へと向かうと教えた。どうですか?」
「それも合っている」
やっぱり! というか、そうでないとおかしい。
公爵が主寝室にいるという確証がなければ、ライゼルさんは主寝室で待ち伏せできないからね。
……だけど、公爵が図書室に向かうのを知ったから主寝室で待ち伏せする、というのも結構賭けな気がする。公爵が気変わりして部屋に来たらどうするつもりだったんだろう。
いくら親友でも、黒づくめの格好をして剣を持って主寝室に立つ姿を見られたら、公爵も見逃してくれないと思うんだけど。
「なぜ私がライゼルにここへ向かうと教えたことまで知っている? ライゼルに聞いたのか?」
「いいえ。それより、ライゼルさんと会ったときの状況を教えて下さい。大事なことなんです」
「婿殿。俺からも頼む」
私の肩に手を置いて、兄様が言う。ちょっと驚いて兄様を見上げると、兄様は小さく私に頷いた。
オトモダチになった兄様にまで言われては、公爵も嫌とは言えないようだ。
妙に私へチラチラと視線を送りながら、公爵はもぞもぞと言い訳がましく言葉を並べる。
「ライゼルの部屋を出て、初めは主寝室へ行こうと思ったが……その、途中で用事を思い出してな。引き返した際に、たまたま厠へ向かっていたライゼルと会って、図書室へ向かうと告げた」
……何だか引っかかる発言だ。
用事を思い出したって? 前のループでは「気分が乗らなかったから」なんて失礼なことを言っていたくせに。兄様がいるから遠慮してマイルドな言い方に変えているのだろうか。うーむ、どうしてこんなに気になるんだろう。
でも、これで公爵が主寝室へ行かなかったこと。そしてライゼルさんが主寝室で待ち伏せすることが可能だったことが証明できた。
「ということは、私の殺害は突発的犯行だった、ってことか……」
自分で言ってみて、すごく鋭い点を突いてしまった気がする。
公爵が主寝室に行くか行かないかなんて、ライゼルさんに予想は出来なかったはず。公爵はこの通り、「用事があって」もしくは「気が乗らなくて」主寝室へ向かうのをやめたわけだから。
……だけど。あの黒服はどうやって用意したんだろう。突発的犯行にしては妙に暗殺向けの格好だったけど。常日頃から持ち歩いているのだろうか。
私が冴えた推理を巡らせていると、あまり考えていない様子の兄様がぽりぽりと頭をかく。
「俺にはお前が生きているようにしか見えないんだが。ほんと、お前が何と戦っているのか俺にはまるで見えん」
「でも、私が言っていたことは正しかったでしょう。公爵様は私を放って置いて、図書室で時間を潰していた。そしてライゼルさんは、そのことを知っていた。つまり、主寝室で待ち伏せすることが可能だったんです!」
あ、放って置いて、とか公爵の前で言っちゃった。……なんだか気まずそうな視線を感じるけど、まあいっか。
「いい加減兄様は、私の主張を認めてください!」
「確かにお前の言うことに粗はない。だが、それでどうしてライゼル殿がお前を殺そうとしていた、という主張に繋がるのかがわからねえんだよ」
「でも……ほら、さっき公爵が実は主寝室に行っていることを知っていたって、ライゼルさん言わなかったじゃないですか! 後ろ暗いところがあったから、あえて知っていたことを黙っていたんですよ」
「単純に、婿殿がお前を放っておいたことを気の毒に思って言い出せなかったのかもしれないぞ」
「ああもう! どうしてそう好意的解釈をするかなあ!」
「ライゼルが、君を殺す……?」
……あちゃー……。
つい白熱して、公爵の存在を忘れてしまった。
兄様も「しまった」という顔をしている。
これ私悪くない。ライゼルさんが殺す云々は、兄様が口走ったことだし。
公爵は目を険しくして、兄様に一歩近づく。
「それはどういうことか、義兄上。ライゼルと何か問題でも?」
「あ、いや——それはだな」
兄様は懸命にフォローの言葉を探そうと、何もない天井に視線をうろうろと向かわせる。お手本にしたいほどの動揺ぶりだ。
「この、馬鹿が……ちょっと妙なことを言っていて」
「妙なこと?」
公爵の視線が私に向けられる。兄様め、上手く私に話題をずらしたな。
だけど、遅かれ早かれ、私の主張は公爵にも伝えなければならない。いっそここで、ちゃんと説明したほうがいいのかも。
——そう考えて、私が口を開いたときだった。
「クリュセルド様! クリュセルド様!」
扉が激しく叩かれ、慌てた様子の声が響く。
「入れ」
公爵が言うと、勢い良く扉が開かれ、ファロー執事長が倒れこむようにして中へと入ってきた。
昼間見せた落ち着きぶりは、どこにもない。彼は額に汗をだらだらと流し、肩を激しく上下させている。目は大きく見開かれていて、衣服はひどく乱れていた。
「どうしたファロー。お前らしくもない」
公爵の問いに、ファロー執事長は大きく頭を振る。そして、ほとんど泣き叫ぶような声をあげた。
「セレニア様が——セレニア様が、大変なことに!」
——セレニアちゃん。
どうしてここで、彼女の名前が出てくるのか。
だけど、ファロー執事長の悲痛な声は、カーンと大きく私の中に響いた。
気づけば私の足は勝手に動いて、下階の彼女の部屋へと向かう。
「あっ、おい!」
後ろから兄様の声がした。けれど構ってはいられない。
とにかく走って、階段へと向かう。そして2階へ。
セレニアちゃんの部屋には一度しか行ったことがないけれど、不思議と足は正しい道を選んで、気づけば私は彼女の部屋の前に到達していた。
セレニアちゃんの部屋は開け放たれて、数人の使用人が口元を抑えて中を見つめている。しかし誰も入ろうとはしない。
それをかき分けてセレニアちゃんの部屋に入ると、医師らしき老人と——そして、床に背を丸めて座り込む、男性の姿があった。
「セレニアちゃん……?」
ゆっくりと震える足で室内を進む。
男性がゆっくりと振り向く。ブロンドの、端正な顔。ライゼルさんだった。
「……君か。……うっ」
力なく声をだして、ライゼルさんは激しく咳き込む。その目は赤く、苦渋に満ちている。
ライゼルさんは何かを抱えているようだった。私は彼の腕の中を覗き込む。
——きらきらと光る、銀色の髪が見えた。
白くて、細くて、触れればすぐに壊れてしまいそうなほど、華奢な体。
見間違いようがない。セレニアちゃんだ。
彼女はライゼルさんの腕に抱えられ、ぴくりとも動かず横たわっている。
まるで泣きはらしたようにその表情は歪められていて、首には掻きむしったような跡があった。
「あの、セレニアちゃんは……」
「セレニア様は……我々が到着したときには、もう……」
部屋にいた男性が首を振る。
「ライゼル様が、部屋に声をかけてもセレニア様からお返事がないと仰るので、使用人室から合鍵を用意して中に入ったのですが……。セレニア様は……お休み中に亡くなったらしく、ベッドの上で……」
「亡くなった?」
おうむ返しに聞いて、それから私はもう一度セレニアちゃんを見る。
やはり彼女は、ぴくりとも動かない。天使のような美貌は、苦悶に歪んだままだ。
「セレニア!」
バタバタと大きな音を立てて、誰かが部屋に押し入る音が聞こえる。
振り返ると、髪を振り乱した公爵が、目を血走らせて立っていた。
「……クリュセルド、すまない」
ライゼルさんは振り向かずにか細い声で言う。
その肩は少し震えていた。
「どういうことだ、ライゼル!」
叫びながら公爵は進んで、ライゼルさんの肩を掴んだ。その拍子にぽとり、とセレニアちゃんが彼の腕から落ちる。
「——っ!」
「セレニアは……死んだよ」
ライゼルさんの目は虚ろとしていた。まるで、この世の全てを失ってしまったような。
目線も定まらないまま、彼の瞳は揺れている。
「貴方がやったの……?」
気づけば私はそう言っていた。
皆の視線が私へと集中する。悲痛に満ちていた空間が、きんと冷えるのを感じた。
「——そうだ」
ライゼルさんが頷く。
「俺の覚悟が足りなかったせいで、セレニアは死んだんだ」
どういうこと、と尋ねたかった。
けれども言葉が出ない。セレニアちゃんの動かぬ体を見て、私の舌は凍りついたように動かなくなってしまった。
誰も、何も言えない時間が過ぎて行く。
ふと見れば、カーテンの隙間から仄かな光が漏れている。
それが夜明けだと気付いたときには、ループは次の回へと足を進めていく。
ほんのすこし、わずかに。甘い匂いがする気がした。
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