第19話ループ7+α -2
兄様に掴まれたまま扉を出ると、いつもわりと冷静そうなイネスが、あからさまに顔を引き攣らせて私を見ていた。驚くよね。ごめんね。
「奥様……」
「悪いがそこで待っていてくれ」
進みでるイネスを兄様が制する。そして私を掴んだまま自分の部屋へと入った。
兄様は相当怒っている。
ああこれ、またゲンコツをやられる流れだな、とすぐに分かった。
でも、ライゼルさんとの死闘ほどではないにしろ、私はこれまでのループで兄様の理不尽なゲンコツを相当浴びてきている。感覚が研ぎ澄まされた今の私なら、躱すことはそう難しくない。
まずは動き出すタイミングを掴めば良いのだ。初動さえ読んでしまえば、小回りのきかない兄様の拳など
ゴン!!!
「ひどい! 不意打ち!」
鈍く痛む頭を抱えて悶える。私が目を離した隙に、兄様は本ループ2回目のゲンコツを打ち込んできた。しかも結構本気のやつである。
兄様のゲンコツは本物だ。昔、拳だけで兄様が暴れ猪を沈めた瞬間を見たことがある。3回目のループでも、毒で弱っていたのに拳一発でライゼルさんを壁に叩きつけていた。そんな凶悪な一発を、可愛い妹にお見舞いするなんて。
危うく次のループに移るところだった。
しかし兄様の表情には、ちっとも罪悪感や気遣いはない。
「この、馬鹿野郎! お前はどれだけ恥を晒せば気が済むんだ!」
腹の底から声を出すものだから、部屋全体がびりびりと震える。いつかのループで周囲の部屋に配慮していたはずの兄様は、熊のように吠えて見せた。
熊に負けない勇気があると評判の私も、子犬並みには吠えかえしてみせる。
「兄様こそ、私の言うことをハナから聞かないで! 私がどれだけ大変な思いをしてきたか、知らないくせに!」
「何を苦労すりゃ、婿殿の親友を暗殺者呼ばわり出来るっていうんだ!……で、その話、一体誰に吹き込まれた? 俺が話をつけてやる!」
吹き込まれたも何も、己の屍を積み上げて手に入れた真実なんだけど。
苦労だって兄様が文句を言えないくらいした。
兄様はどうやら、私が誰かからこの話を聞いてライゼルさんの部屋に乗り込んだものと思っているらしい。
そこまで私が騙されやすい性格だと思っているの? まあ、平時であればいきなり他人を殺人未遂犯呼ばわりなんてしないという信頼があるととれなくもないけれど。
いつまで経っても信じようとするどころかまともに取り合おうとすらしない兄様にムカムカするけれど、他に聞きたいこともある。
返答を誤魔化すついでに訊ねてみよう。
「それより、兄様。どうして飲んだくれていた兄様が、公爵が主寝室に行った、なんて断言できるんです? 兄様は何を知っているのですか?」
そのとたん、兄様の目が泳ぐ。明らかに何かを隠そうとしている顔だった。
「私の言うことを信じないなら、せめてその理由をきちんと話してください! 一方的に否定して理由はだんまりなんて、ひどすぎます!」
「……むぅ」
迫っても、尚も兄様は考えるように顎を撫でてなかなか口を開けない。
しかし私の迫力に観念してか、とうとう小さな声で答えた。
「ついさっきまで、ライゼル殿と婿殿……3人で飲んでいたんだよ」
「え?」
兄様と、ライゼルさん、そして公爵……? どうしてその3人が?
絵面的に全く想像がつかない。花のような貴公子に挟まれて野獣が一匹。あるいは敵、敵、兄の3人衆。
「ライゼル殿とはパーティーで意気投合してな。部屋も近いと聞いていたから、飲みに誘おうと部屋を訪ねたら、中に婿殿がいた」
「で、兄様はイケメン2人の空間にずかずかと入りこんでお酒をたらふく飲んでいたと」
無言で頭を叩かれる。
「それで、30分ほど前だったか。婿殿がそろそろ主寝室へ行くと言って、部屋を出て行ったわけだ」
「でも、公爵が主寝室に入るところを直接見たわけじゃないですよね?」
「うるせえなぁ。とにかく婿殿は寝室に向かったんだよ。俺には分かる」
何じゃそりゃ。脳筋らしい根拠のない断言である。
しかし、仮に兄様の言うことが本当だったとして、どうして公爵は主寝室にいなかったのか? それに、主寝室へ向かったはずの公爵が違う場所へ移動したと、どうしてライゼルさんは知ることができたのかという疑問もある。公爵が主寝室にいないって確信がなきゃ、部屋に忍び込むなんてできないだろうし。
「公爵が寝室に向かったとき、ライゼルさんも一緒に部屋を出たりしませんでした?」
「いいや。その後も部屋で俺と酒を飲んでいたぞ。……まあ、少し心配そうな様子ではあったがな」
「何が心配なの」
「それはどうでもいい」
またはぐらかされた。怪しい。
「……ああ、婿殿が部屋を出たあと、厠に行くと言ってライゼル殿が席を外したことはあったな」
「それはいつ頃?」
「分からねえよ。とにかく婿殿が部屋を出てすぐ後のことだ」
「この階のお手洗いはどこにあるんですか」
「廊下の端——最寄りの階段の脇にある。ゆっくり歩いて往復しても数分程度しかかからない距離だ。ライゼル殿もすぐに戻って来たし、おかしなところはなかったぞ」
いいや。きっとそのタイミングでライゼルさんは公爵が部屋にいないと知ったのだ。
よくよく思い返せば、4回目のループでセレニアちゃんと図書室に乗り込んだとき、公爵は「ライゼルに聞いたのか」と言っていた。ライゼルさんが、公爵は図書室に行ったと知っている状況でなければ、あんな台詞は出て来ないはずだ。
問題は、お手洗いに行って戻るくらいの短い時間の間に、どうやってそれを知ったか。主寝室にわざわざ確かめに行ったのだろうか? でも、ここは西棟。そして中央棟にある主寝室までは歩いて戻ってくるとそこそこの時間がかかる。それに、公爵は自分が図書室にいることをライゼルさんが知っていると把握していたわけだし……。うーむ、訳わからん。
これ以上私が考えても仕方がない。
こうなったら、直接公爵に聞いてみるしかないか。
「……兄様の理解を得られなかったのは残念です。でも、こちらも更なる調査が必要だと分かりました。主寝室の件について、一度図書室へ行って公爵にも確認をとってみます」
「お前、まだライゼル殿が暗殺者だなんて寝ぼけたことを喚くつもりか。ライゼル殿は婿殿の親友なんだぞ。いい加減やめてくれ」
「兄様の言うことが全て正しいなら、今公爵は主寝室で私を待っているはずですよね。なら私が図書室へ向かったところで、何の問題もないのでは?」
「……む」
よっし、言い負かした! 久々の口喧嘩での勝利にちょっとだけ心が弾む。
「まあいいです。そんなに心配なら兄様も一緒に来て下さい」
「……」
面倒臭いという気持ちと、これ以上私を野放しにできないという気持ち。その2つに挟まれて、兄様が葛藤している。
けど結局は責任感が勝ったのか、兄様は渋々と頷いた。
私としても、公爵と2人きりで会いたくなかったのでラッキーである。
「そう言えば、公爵はライゼルさんの部屋に兄様たちと3人でいたんですよね」
「ああ」
「だから、あんなに酒瓶とグラスの数が多かったのか……」
3回目のループで感じた違和感。
2人の人間が飲んだにしては、やけに沢山のボトルとグラスが置かれているな、と思っていた。けど、3人目の人間がいたというなら、その違和感にも説明がつく。
おっと私、名探偵としての勘が冴えて来てない? 天国のお祖母様。これが私の才能ですか。
「いや、婿殿は酒を一滴も口にしていないぞ。あれは大体俺が飲んだ」
「……」
あっ、はい。そうですか。
「飲んでいないとやっていられなかったんだよ。ライゼル殿の部屋はお前の部屋の真下にあってな。お前がわーきゃードタバタ騒ぐ音が、3人で話している間も響く響く……。あまりに恥ずかしいから、俺は酒の力を借りて酔うしかなかったわけだ」
「……」
そう言えば、私が騒ぐ音を聞いて、1回目のとき兄様はわざわざ私の部屋にまで来たんだっけ。さっきも、煩くて仕方がなかったと言っていた。そしてなんと公爵も、その音を聞いていたという……。
「え、えっと。私がなんて言っていたか、聞こえました?」
「流石にそこまでは分からなかった。猿みたいな喚き声が響いていただけだ」
セーーーフ!!
今更公爵に何と思われようとどうだって良いけれど、「あんな人間と結婚なんてごめんだ」とか「夫婦なんて絶対無理」といった発言を聞かれていたら、流石に気まずい。
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