第17話???



「ライゼル・ロッソォ!!」


 恨みを込めて拳を振り上げる。

 やっと正体を掴んだぞ、黒布の男! ボッコボコにして、バルトの恐ろしさを思い知らせてやる!


 ——と、勇んでみたが、何故か目の前に柱が現れない。カブを引っこ抜くがごとく私を掴む侍女の姿もない。



 冷静になって周囲を見回すと、いつの間にか私は一面真っ白な小部屋の中にいた。部屋には家具も窓もなく、ただぽつんと扉が1つあるだけ。ここは城館のどこかだろうか。見たことがない部屋だ。


 ……それとも。とうとうループが終わってしまった?


「ここは時空の狭間です」


 男の人の声が真正面から響く。はっと顔を上げると、いつの間にか目の前に、線の細い学者風の、ちょっとなよっとした殿方が立っていた。

 さっきまで、部屋には誰もいなかったはずなのに。


「え……えと……時空のはざま……?」

「ちょっと緊急の案件がありまして、急遽私がこの空間を生成しました」


 緊急の案件? 空間を生成?

 よく分からない言葉を並べたてられ、私の頭の中はハテナだらけになる。

 

 混乱気味の私を「ふっ」といけ好かない顔で笑って、男は軽く一礼した。


「私、観測者のアージュと申します。どうぞよろしく」

「かんそくしゃ……? 何をされている方ですか?」

「まあ、私のことはどうでもいいでしょう。それより、大事なお話があるのです。今回ここに貴女をお呼びしたのは他でもない——」


 アージュさんとやらは当たり前のように自己紹介したあと、勝手に話を続ける。

 こういう、人を煙に巻くような人間とは付き合うなって父様に言われている。それに今は、ライゼルを打ち倒すので忙しい。だから私はアージュさんを無視することにした。


「ちょ、ちょっと待ってください! どうして部屋を出て行こうとするんですか!」

「身の上を明かそうとしない怪しい人のこと、信用できないので」

「ごめんなさい、ちょっとミステリアスに進行しようとし過ぎました! もう少し説明するので、行かないで!」


 アージュさんはドアノブに手をかける私の袖口を掴んでぐいぐい引っ張る。必死にすがりつく姿がちょっとかわいそうだったので、仕方なく私は振り返った。

 アージュさんはほっとした様子で胸を撫で下ろすと、顔をきりりと引き締めて口を開く。


「観測者とは、未来・過去・現在、全てにおいて生じる事象を記録し観測する役割を持つ者のことをいいます」

「……はあ。預言者ってことですか」

「預言者ではありません。我々が行うのは記録のみ。決して未来の情報を用いて、過去に干渉するような行いは致しません」


 よく理解できなかった。ただ観測し、記録するだけ? そんなお仕事必要なのだろうか。世の中には私の知らない職業が山ほどある。


「それで。その観測者さんが、私に何の御用ですか?」

「カトレア・バルトさん。現在、貴女を起点にして時空の歪みが発生しています」

「それは、このループと関係した話ですか?」

「はい」


 アージュさんが頷く。

 ……このとき。初めて自分以外にループを認識している人がいると分かった。しかも私より、ずっと事態を把握していそうな様子である。

 つい胸がカッと熱くなって、私はアージュさんに詰め寄った。


「何ですか、この超常現象は! 私、死んでも死んでも生き返るし、生き延びてもまた同じ夜に戻るしで、もう意味わかんないんですけど! 何が何だか分からないけど、とにかく助けて!」

「うわっ、ちょっと落ち着いてください! 離して!」


 アージュさんは私の剣幕に圧されて数歩後退する。まだ色々と言い足りなかったけど、更なる情報を聞くために、私は渋々手を離した。

 登場時に醸していた余裕を失ったアージュさんは、こほんと咳払いして言う。


「えー、時間とは常に一方向に流れています。ですから、1つの時間軸において、過去、未来に起きる出来事は、絶対に決まっていて変えることはできません。もし本来の歴史と違う出来事が起きると、歴史の修正力が発生します。——はい、これが前提ですが分かりますか?」

「はあ」


 よく分からなかったけど、続きが聞きたいので頷いておく。


「例えば、目の前にリンゴがあったとします。未来で、貴女はそのリンゴをナイフで切って食べることが決まっている。そうなると、そのリンゴを他の人が食べてしまったり、リンゴをアップルパイの材料に使うということは、歴史上ありえない出来事ということになります」

「そうなると歴史の修正力とやらが発生するんですか?」

「発生しません」


 なんじゃそりゃ。


「貴女がリンゴを食べようが食べまいが、そんなこと歴史の本筋になにも影響はありませんからね。リンゴを擦り潰そうとジャムにしようと、ちょっと外れた行いなら、歴史は見逃してくれます。これを、歴史の寛容力といいます」

「訳がわからなくなってきた……」

「いいから我慢して聞いてください。……ですが、もし貴女が歴史の流れから無自覚に逸脱して、リンゴを投げつけて魔王を殺害したり、リンゴから大量殺戮ガスを精製して大虐殺を行ったとしたら。

 本来ただ食べられるだけのはずだったリンゴが、未来の出来事を大きく変える。そうなると、歴史の修正力が働くことになります。歴史はなんとか貴女がまともにリンゴを食べる時の流れに戻そうと、貴女がリンゴを手に取る時間を何度も繰り返す。そして貴女がリンゴを無事食べると、時の流れを次に進めるようになるのです」

「私、リンゴで魔王を殺せません」

「リンゴから離れましょう。

 本来ならば、今夜この城で未来を大きく動かす出来事が起きるはずでした。そしてその出来事には、貴女の存在が大きく関わっている。しかし、小さなイレギュラーが積み重なって、起こるべきことが起こらなかった。そこで歴史は歪んだ流れを修正しようと、貴女を起点に何度も時間を巻き戻し、本来の流れを取り戻そうとした。

 これが、今貴女の身に起こっているループの正体になります」

「私が関わる大きな出来事……? 一体、どんな出来事ですか?」

「それはお話しできません。観測者は過去未来の情報を外部に開示してはならないという規則があるのです。——本当のところ、貴女とこうして話すことすらギリギリなんですよ」

「そんなこと言われても。じゃあ、どうして私の前に現れたんですか」

「それはですね……」


 アージュさんはじろっと、恨めしげに私を見つめる。


「カトレアさん。貴女、これまでに何回ループしていますか?」

「えっと……20回くらい?」

「48回です! 全然違うでしょうが!」


 そんな怒らなくても。分かっていたなら、わざわざ私に聞かなければ良いのに。


「はー……。私、そんなに死んでいるんだ」

「のん気に感心している場合ではありません! これは本来ありえないことなんですよ!」

「そうなんですか?」

「そりゃあ、たまに魔が差して、歴史から逸脱してループに陥る人は何人かいましたよ? ですが、大抵は1、2回ループすると、正しい流れに戻るものです。数回ループするくらいなら、我々観測者が介入するまでもありません」


 そこでアージュさんは両拳を握りしめる。


「ですが貴女ときたら! 死んでも生き返るのをいいことに、44回も勝てない相手に挑んで! そのせいで無駄なループが多発して、とうとう時空の歪みが生じちゃったんですよ!」

「……」


 ちょっとカチンと来た。一方的に責め立てられているが、果たしてこれまでに、私は糾弾されなきゃいけないようなことをしてきただろうか? いや、多分していない。


「それって、私だけのせいですか? 私が死んでループが起きるってことは、本来なら私は今夜死なないってことでしょう。つまり悪いのは、私を殺したライゼル・ロッソじゃない!」

「それは」

「こっちだってループから抜けだそうと色々やりました! やってもだめだったから、命がけであの男の正体を暴くことにしたんです!」

「……それで、ループが発生して……」

「47回! 47回も殺されたのよ! それが無駄だって言うなら、私が47回も殺される前に、止めてくれればよかったじゃない! 私があの男の正体を暴くまで何度殺されても黙って見ていたくせに、あのループが無駄だったなんてよくも言えたわね!」

「ループの回数……ちゃんと数えてなかったくせに……」


 私の反撃を受けて、アージュさんは見るからにしゅん……と萎んでいく。

 私より年上みたいなのに、情けない。だが優しい言葉をかけてやる気にはなれなかった。


「先ほどもお話ししましたが、我々観測者が一般人に干渉することは極めて稀なことでして……。貴女が何度もライゼル・ロッソに挑んでいることは把握していましたが、果たして貴女を止めていいものなのかと、観測者内でも激しい議論が起きていたのです。結局、時空の歪みという退っ引きならない状況に陥って、貴女に接触せざるをえなくなってしまったのですが……。その時には、ループが48回に到達していて……」

「そんな言い訳いらない」


 冷ややかに言い放つと、とうとうアージュさんは膝を抱えて床に座り込んでしまった。

 今まで出会った男性の中でも、屈指のガラスメンタリストだ。流石にちょっと可哀想になってくる。


「私は、早くに手を打つべきだって、主張したんですよ? けど、他の観測者が『数回死ねば、懲りてライゼル・ロッソとの対決を諦めるはず』と言ってきかなくて……。それで対応が遅れたせいで、貴女は何度も命を落とすことになりました。申し訳ございません……」

「もういいです。アージュさんばっかり責めちゃってごめんなさい。そちらの事情もなんとなく分かりました。だからいじけないでください」


 アージュさんの肩を叩いて助け起す。大丈夫かなあ、この人。

 立ち上がった後もアージュさんもしばらくぐずぐずしていたけれど、途中で頭を切り替えたらしく、初登場時と同じ表情で私を見据えた。


「とにかく、現状についてはお伝えしました。非常に危ない状況ですが、正しい歴史の流れに戻れば、時空の歪みもおさまるはず。カトレアさん、どうか自分の正しい道を選んでください」

「時空の歪みが極限に達したらどうなるんですか?」

「分かりません。前例がありませんから。……ですが、最悪この時間軸が消えてしまうかも」


 時間軸が消える。いまいち意味を捉えきれなかったけど、なんとなく深刻なにおいがした。

それって、私がこれまで大切な人たちと過ごしてきた日々が消えるということだろうか。


「あと何度のループで限界に達するかすら分かりません。ですから、どうかこれからのループでは、慎重に行動するようにして下さいね」

「分かりました。頑張ってみます」


 私が頷くと、アージュさんは「ふーっ」と深く安堵の息を吐いた。そして、私を追い払うように手をひらひらさせる。


「じゃ、ループに戻ってどうぞ。その扉から外に出れば、またいつもの場面に戻れますので」

「これで終わりですか?」

「はい。貴女とは、もう会うこともないでしょう。どうかお元気で」

「アージュさんも元気で。……さっきはきついことを言って、ごめんなさい」


 私は部屋を出ようとしたが、その前に振り返って、謝っておいた。

 すると、初めてアージュさんは屈託のない笑顔を浮かべた。子供っぽい人だったが、そのぶん笑うと可愛い。


「さようなら、カトレア・バルトさん。どうぞお幸せに」

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