第15話ループ5




「へ?」


 目の前に柱があった。え、ちょっと意味が分からない。

 恐る恐る振り返ると、私を引っ張る侍女たちの姿。


「え? どうして? え?」


 ぽかんとしていると、テレサが私を引っ張る手を緩める。


「いい加減にして下さいまし、お嬢様! これから結婚初夜だというのに……」

「結婚初夜? もしかして私、これから主寝室へ行くところ……?」

「そうですよ。今更何を言っているのですか」

「ま、まじかー……」

 

 全身から力が抜ける。ほとんど崩れ落ちるようにして、鏡台前の椅子に腰掛け項垂れた。

 私は死んでいないはずだ。ブラックサンダーに跨って、夜明けを迎えたのを覚えている。

 あの状態で突然死なんてするわけないし、気づかない内に死んだとも思えない。

 それなのに——


「急に大人しくなって。どうしたのですか、一体」


 鏡越しに私を見るテレサ。……前もこんな風に心配されたな。


 ああ、もう、認めざるを得ない。悲しいことに5回目のループに突入してしまった。


 これまで死んでループに入っていたから、生き延びればループは回避できるものと思っていた。

 けれど今回のことで分かった。

 ループは、この夜を繰り返している。恐らく、死ぬとループに突入するタイミングが少し早まるだけ。

 私が逃げようと刺されようと喚こうと、太陽が昇ればまたこの最悪な結婚初夜が舞い戻ってくるのだ。


 ひどくない? 死んだらループっていう条件なら、まあメリットとして捉えられなくもないけど(私は嫌だけど)、「高確率で死ぬ危険な夜」をひたすらループって、もうそれ殺伐罰ゲームじゃない。


 日頃の行いが良くないからこうなっちゃうの? 私、何か悪いことしたっけ?


 一応自分の悪行を思い起こしてみるけれど、こんなにザクザク何度も殺されなきゃいけないほどのことは思い当たらなかった。強いて言えば、さっきのループでやった馬泥棒くらいか。


 うーむ、駄目だ。ループの原因も、ループから抜け出す方法も思いつかない。

 まるで、この夜から逃げ出すのを見えない何かに阻まれているようだ。


 もしかしたらこのループは呪いで、私は一生同じ夜を繰り返すことになるのかも……。


「テレサ……。私のことを殺したいほど、呪いたいほど憎んでいる人って、いるのかな」

「はあ?」


 ついつい漏れ出た弱音に、テレサが首を傾げる。

 彼女にこんなことを言っても困らせるだけとは分かっているけれど、一度声に出すと止まらなくなってしまった。


「どうしてこうなっちゃったんだろう。私、こんな目に遭わなきゃいけないほど悪いことしたかな。何かのバチが当たったのかな。公爵様と結婚だなんて、身の丈に合わなすぎる選択をした報いなのかな」


 テレサにとっては、全く意味の分からない言葉だったろう。現に、3人の侍女たちはぽかんとして私を見つめている。

 それでもテレサは、しばらく黙って考え込むようにしたあと、ゆっくりと口を開いた。


「……どうしてお嬢様が急に結婚を嫌がりだしたのか、私めには分かりませんが、大奥様がこの場にいらしたなら、立ち向かいもせず嫌だ嫌だとただ逃げることは、バルト家の人間にあるまじき行為だとお嬢様をお叱りになるでしょう。奥様がいらしたなら、話し合いもせずただ拒絶するだけでは、誰とも分かり合えないとお嬢様を諭すはずです」


 思いの外手厳しい発言に驚いて、私はテレサの方を振り返った

 しかし言葉とは裏腹に、優しい視線が返ってくる。


「私は長年バルト家にお仕えしてきました。だからこそ言えますが、お嬢様はある意味、お兄様方——いえ、お父上にも負けないくらいの勇気の持ち主です。いいですか、ある意味、ですよ」

「う、うん」

「バルト家の方々は、困難に立ち向かわず弱音を吐くことは決してありません。実際に向かい合ってみて、それでも、どうしても無理と仰るならば、私もお嬢様の味方になりましょう。……ですから、お嬢様。まずは一度、主寝室へ行ってみませんか」


 テレサは私の両肩に手を置いて、力強く言った。多分、本音は「どうでもいいからさっさと行け」だろう。だけど、彼女の言葉は私の胸に強く響いた。

 

 これまでのループで私がとった行動は、全て諦めと逃避に満ちていた。

 犯人から逃げる。犯人を突き止めることを諦める。ムカつく公爵とけりを付けることを断念する。自分が被る不名誉を受け入れる。バルト家にかける不名誉に見て見ぬ振りをする。

 ループから脱出することばかり考えていたせいで、私はバルト家の人間にあるまじき行為を繰り返していた。そしてついには、犯罪(馬泥棒)にまで手を染めた。


 売られた喧嘩は売り返せ。敵は地の果てまでも追い詰めろ。

 それがバルト家の家訓だ。


 例え勝てない相手であっても、立ち向かう。

 どうして私は、こんな大事なことを忘れて、臆病風に吹かれていたのだろう。


 剣も武術も教わったことはないものの、バルト家の理念は何度も教え込まれてきたというのに。


「分かったわ、テレサ。私、主寝室に行くわ」


 テレサに向かって頷いてみせる。

 決意を口にすると、それまで重くうっ滞していた胸がすっと晴れるような気分になった。


「お陰で目が覚めたわ。私、もう逃げない。バルト家の人間として、正々堂々と立ち向かってくる」

「あの、立ち向かう必要はないですからね」


 ぼそっと不安そうに言うテレサに、私は覚悟を決めた微笑みを返すのだった。









 4回目の主寝室の扉。

 今回はイネスに案内されながら、しっかり道順を確認してきた。


「それじゃあイネス、行ってくるわ。私が中に入ったら、すぐに部屋に戻るのよ」


 イネスは眉を顰めるが、一応は頷いてくれる。

 

 ドアノブに手をかけると、少しだけ体が震えた。

 やっぱりまだ怖い。これまでのパターンから想定するに、黒布の男はほぼ確実に中にいる。もしかしたら窓の外にはりついているかもしれないけれど。

 だけど私はもう逃げない。

 持てる全ての力でもって、立ち向かうと決めたのだ。

 

 それに、私は剣も武術も習ったことがないけれど、唯一にして強力なアドバンテージを持っている。


 腹を決めると、私はドアを開けて中へと一息で進んだ。

 

 相変わらず暗い部屋だ。暗闇対策でランタンを持ってくることも考えたが、結局やめた。明るくすれば、そのぶんあの男の視界も良くなるということだし。


 暗闇の中で目を凝らして、一歩一歩、ゆっくりと前に進む。窓の外にも注意を払うが、あの男の影は見えない。


「——っ!」


 殺気を感じて、咄嗟に私は右へと飛んだ。自分が元いた場所に目をやると、白く光る刃がぬらりと現れ空を切るのが見えた。

 そして剣の先には、あの黒布の男が立っている。


 やはりいた! そして私は、こいつの初撃を躱してやったのだ!


 興奮と歓喜で、恐怖はどこかへと飛んで行ってしまった。

 さあさあ、どこからでもかかって来い! なんて余裕綽々な気持ちで次の一手を待つ。


 ——が、待つほどの猶予などこれっぽっちもなく。

 男の剣は鋭い線を描いて、私の胸を貫いた。


 もはや定番になってきた痛みで世界が揺らぐ。

 なんとか立ったままでいられないかと思ったけれど、痛すぎて足に力が入らなかった。


 ごうん、と頭から床に落ちる。どうにか頭を動かすと、黒布の男が剣の血を拭うのが見えた。


 くっそー、やっぱり駄目だった……。


 けれど、これで終わりではないぞ。私は何度でも蘇る。


 悪の首領のような捨て台詞を念じながら、私はまた意識を手放すのだった。

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