第14話ループ4-4
図書室を出ると、人通りはないものの遠くが少し騒がしい……ような気がした。
まだ皆私のことを探しているのだろうか。急がなければ。
公爵は奇妙な顔をしたものの、一応厩舎の場所を教えてくれた。東棟から裏庭に出てすぐの場所にあるとのことだ。
素直に道を教えてくれたことだけは評価しよう。それ以外の会話がムカつくことこの上なしだった。生き延びたらあいつぜったい泣かす。
「ここか」
使用人や、やる気のなさそうな警備兵の目を掻い潜りながら東棟の裏口を出ると、厩舎らしき建物が、暗く広大な庭園の上にぽつんと見えた。建物の隙間から、僅かに明かりが漏れている。ついでに馬糞独特の香りも漏れてきた。
入り口の扉に手をかけると、運良く鍵はかかっていなかった。するっと難なく潜り込めてしまう。
特別変わったところはないけれど、さすが公爵家の厩舎なだけあり、中は広かった。しっかり清掃もされている。奥には馬房がいくつも連なっていて、馬の影もちらほらと見えた。馬たちは侵入者の存在に気づいて鼻を鳴らしたけれど、特別興味もないようですぐこちらに見向きもしなくなる。お上品なお馬さんたちだ。
建物に入ってすぐ右手には、半開きのドアがあった。音を立てないようにしてこっそり覗き見してみると、椅子に腰掛けすかすか寝息を立てて眠る男性の姿が見える。ここの馬屋番だろう。心の中でごめんね、と言いつつ扉をしっかりと閉めた。
馬具一式も厩舎中の倉庫に揃っていて、必要な物を手当たり次第かき集めた。
馬具の取り付けは、出来れば明かりのついている厩舎内でしたい。慣れない馬に鞍やら何やらを闇の中で取り付けるのはちょっと骨が折れそうだ。
馬具を抱えて馬房の中を物色していく。栗色、白、黒——様々な種類・毛色の馬がいるが、皆毛並みは艶やかで、顔つきも凛々しい。体の曲線も芸術的だ。勿論、ロバがちゃっかり混じっていることもない。
あの公爵様は毎日この見事なお馬さんたちを取っ替え引っ替え乗り回しているのだろうか。ますますいけ好かない男である。
気分は馬泥棒で(いや馬泥棒なんだけど)馬たちをじろじろと見ていると、一際すました顔の黒馬と目が合った。まつ毛がすごく長くて、顔つきだけで牝馬だと分かる。お尻から後脚にかけてのラインはキュッとしていて、足も早そうだ。特に私を警戒する様子もない。
一目でこの子が気に入って、私は早々に馬具を取り付けた。美形黒馬は見知らぬ女に驚くこともなく、されるがままとなっている。それでいて堂々としていて、「あんたのこと乗せてやるけど心まで許した覚えはないから」ってオーラがムンムン伝わってくる。かなりすかしたお馬さんである。
「よし……お前のことはブラックサンダー号と名付けよう」
黒い雷。この子にぴったりじゃないか。
——と思ったら、ブラックサンダーはいきなり私の頭に噛み付いた。よほど嬉しかったらしい。
そのまま私の髪をざりざり喰むブラックサンダーの首を撫でてあげると、それだけで何だか通じ合えたような気がした。私はわりと馬受けの良い女なのである。
新たな友との出会いに少しだけ心を弾ませながら、私はブラックサンダーと共に厩舎を出た。
「よっし、行くわよブラックサンダー!」
盗んだ馬で走りだす。
シルクドレス一枚を羽織っただけの肌に、夜の冷気が刺さった。
馬に跨っている以上仕方がないのだけれど、ドレスの裾が靡いて下半身がかなり際どい感じになっている気がする。今が夜で良かった。
まさか結婚初夜に嫁ぎ先から脱走する羽目になろうとは。しかも馬を盗んで。
馬泥棒は結構な重罪だ。きっと父様からしこたま怒られることだろう。世間からもとんでもない奴だと責め立てられるかもしれない。
けれど生き延びてこの夜を乗り越える方がずっと大事だ。殺されるのも、誰かを巻き添えにするのももうたくさん。
振り返ると、ぽつぽつと光を灯した公爵家城館が、遠ざかっていくのが見えた。やがて死のお屋敷は、闇に馴染んで消えてしまう。
東の空はほのかに白んでいる。もう夜明けだ。
とうとう私は、忌々しい死の夜から抜け出したのだ。
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