第10話ループ3-3


 ——で、結局こうなる。

 兄様に片手で担がれながら、私は呪詛の息を吐いた。


「兄様は実の妹の言葉を信じてくれないのですね」

「馬鹿の言うことをいちいち間に受けていたら自分まで馬鹿になるからな」

「死んだら、兄様を真っ先に呪いにいってやりますから」

「おう、かかってこい。返り討ちにしてやる」


 この脳筋め。


 結局兄様は、ループ1回目と同様に私を担いで主寝室へと向かっていた。


「まあ、なんだ。するにしてもしないにしても、一度婿殿と話して見るといい。式の間は、ゆっくり話す時間もなかっただろうからな」

「ふん。話す余裕があればいいんですけどね」


 ほとんどヤケクソになって、デリカシーのない兄様の発言に返す。

 ついでに力を込めて兄様の背中に蹴りを入れたけど、厚みのある筋肉に弾き返されて、まるで手応えがなかった。


「こちらです」


 イネスがいつもの扉の前で足を止める。

 

 ——重厚な、木製扉。ループ1度目、この中で私は命を落とした。そして3度目の今も、死に近づいている。

 兄様が一緒とはいえ、やはり恐怖で体が震えた。


「に、兄様。本当に、怖いんです。お願いです、返り討ちとは言わないので、どうか私を家に連れ帰ってください」

「はあ? 嫌だよ」


 必死の懇願を兄様は一蹴する。


 ………しかし。 


 兄様は私を放ることなくじっと扉を観察したあと、ドアをノックした。


「婿殿、俺だ。ハルトリス・バルトだ。馬鹿いもうと の件でご相談があって参った。中に入ってもよろしいか」


 馬鹿と書いて妹と読む。なんと失礼な。

 ……じゃなくて。


これは意外な展開だった。てっきり私を主寝室に放り込むつもりで兄様はここまで来たのかと思ったけれど。どうやら中で公爵と話をつけてくれるらしい。

兄様がいるなら、公爵が犯人だったとしても、いきなり襲い掛かられるような心配はないはずだ。


「返事がない」

「旦那さまは、お休みになっているのかもしれません」


 イネスはそう言うが、デリカシーのない兄様は更に荒々しくドアをノックする。

 やはり返事はない。


「おかしいな」


 兄様は扉を睨んで唸る。そして唐突にドアを開けた。


「あ! 勝手に中に入っては——」


 イネスが慌てて止めるが、小柄な彼女が兄様を押しとめることなどできるはずもなく。兄様は私を抱えたまま、中にのしのし入っていった。


 室内はやはり真っ暗だった。明りはなく、相変わらず不気味な月明かりだけが周囲をぼんやり照らしている。

 

 人の気配はないように思える。けれどそう油断して私は刺された。


「暗殺者が潜んでいるかも! 注意してください!」

「人の気配はねえよ。お前は何と戦っているんだ」


 あっさりと兄様は警戒を解いて私を床に下ろす。

 私の意見はまるで採用されない。ちょっと虚しい。

 敵はいないと言うけれど安心はできなくて、私はそっと兄様の背中にはりついた。


「誰もいないな。お前が遅過ぎて、婿殿がどっか行っちまったんじゃないのか」

「どっか行くって……。そもそもここがあの人の部屋なんでしょう」

「実家のボロ屋敷じゃねえんだ。これだけでかい城なら、公爵の専用個室なんていくらでもあるだろう」


 それもそうか。

 しかし、第一容疑者が部屋にいないとは、どういうことだろう。どうしてこれまでのループと違うのか。1回目ではこの部屋に先客がいて、私は襲われたのに。


 もしかして、隠し通路や隠し部屋があるのでは? と思い、おっかなびっくり部屋中の壁を叩いてみたけど、それらしい音は返ってこない。ベッドの下も覗いておいたが、やはり人影はなかった。


「……あれえ?」

「気は済んだか?」


 兄様の大きな体から、とびきり大きなため息が漏れてくる。

 こんなはずないのに。しかし部屋の中には人っ子一人見当たらず、人が隠れられるような場所もない。


 1回目はこの部屋に1人放り込まれ、黒布の男に刺し殺された。2回目は部屋に入らず、私の部屋で毒ガスのようなものを嗅がされたあと殺された。

 2回目は私が主寝室に入らなかったから、犯人が何らかの方法で私の部屋に先回りし、毒をまいたのだと思っていた。けれど今回は? どうして犯人は部屋で私を待ち伏せしていないのだろう。1回目と今回、一体何が違うというのか。


「おい、そろそろ部屋を出るぞ。婿殿を探さなきゃな」

「えっ、そんなことしなくていいですよ別に」


 死と初夜を回避できそうだというのに、どうしてわざわざ公爵の所在を確かめる必要があるというのか。

 寝室にいない=公爵にその気がないと解釈できる。おまけにあの男は第一容疑者だ。どうして今回寝室にいなかったのかは分からないけれど、会わずに済んだならそっとしておくに越したことはない。


「さっきも言っただろう。何にしても一度は婿殿と話しておけって」

「兄様はどうしてそこまで私と公爵を引き合わせようとするんです」


これまでのループで、実に2回も兄様は私を主寝室にまで運び込んでいる。

しかし兄様は面倒臭がりであまり他人の騒ぎに首を突っ込みたがらない質の人だ。(側から見れば)夫婦の揉め事なんて一番関わり合いになりたくない事案だろうに。


 この質問に、意外にも兄様はちょっと動揺しているようだった。


「それは……だな。父上からお前を見張っておけと頼まれたからな。兄貴たちもいないわけだし」


 筋肉をもぞもぞさせ答える様はいかにも怪しい。


 私が更に追及してやろうと、口を開きかけたとき、


「伏せろ!」


 兄様が叫び、私を突き飛ばした。


「兄様!? 何を——」


 文句を言おうとして、窓に不吉な黒い影が揺れるのが見える。

 顔まで覆う真っ黒な布。私の命を奪った、あの男だった。


 いつの間にか窓は開け放たれ、室内にびゅうっと風が吹き込んだ。男は窓枠に手をかけ、するりと室内に入ってくる。


「——ちっ」


 小さい舌打ちは兄様のものだ。見ると、兄様の左腕には深々とナイフが突き刺さっていた。

 

 驚くべきことに——黒布の男は、窓の外に潜んで、じっと室内の様子を伺っていたのだ。そしてこちらが油断した隙をついて、ナイフを私に向かって投げた。だが兄様が私をかばったせいで、ナイフは兄様の腕を穿った。


「来るんじゃねぇ!」


 咄嗟に駆け寄ろうとする私を、兄様は鋭い一喝で留まらせる。

 そして男から私を隠すように、前へ一歩進み出た。


「レア、逃げろ」

「でも……」


 明らかに兄様の様子がおかしい。

 腕の骨をえぐいかんじに折っても、矢が体に3本刺さっても、ゲラゲラ笑ってお酒を飲むような兄様が、小さなナイフが1本刺さっただけにもかかわらず、額に脂汗を浮かべている。息遣いも何だか荒い。


 ふと私は、ついさっきのループを思い出した。

 まさか黒布の男は、ナイフに毒を塗っていたのでは?


「イネス! 誰か、誰か人を呼んで!!」


 扉の向こう側に向けて叫ぶ。


「だから叫んでいないで、逃げろって言っているだろうが!」


 兄様は怒鳴るが、その間にも片膝をついてしまう。

 やはり兄様の体には異変が生じているようだった。


 男は剣を抜いて、動けなくなった兄様には目もくれず、私をまっすぐと見る。

 そして一直線に、こちらへと向かって来た。


「させるか!」


 床に膝をついていたはずの兄様が、力を振り絞るようにして、男の横腹に拳をねじ込む。

 もろに一撃を食らった男は、派手な音をたてて壁の方へと吹き飛ばされた。剣が男の足元に落ちる。

 そして兄様も、自分の体を支えることが出来ずにどすん、岩のように床に倒れこんだ。


 私は咄嗟に、壁に打ち付けられた男に向かって突進した。このままでは兄様が殺されてしまう。その前に、男から凶器を取り上げねば!


 我武者羅に男の剣に手を伸ばしたが、すんでのところで胸を蹴られて、後ろに転げた。一瞬、息が吸えなくなって気が遠くなる。それでも痛む胸を押さえて立ち上がると、剣を手にしてよろよろ立ち上がる男の姿が見えた。


「何してんだ……この、馬鹿……」


 床に手をつきながら、尚も兄様は私に逃げろという。しかしその声はあまりに弱々しく、捨て置くことなんて出来るわけない。


 私が兄様を巻き込んでしまった。せめて、兄様だけは守らなくては。


 盾になれるかも分からなかったけれど、兄様の上に覆いかぶさり、ぎゅっと目を閉じた。


 背後から足音が近づくのが聞こえる。


「……」


 男の息遣いをすぐ近くに感じた。私を見下ろしているのだろうか。数秒か、あるいは数分か、何も起こらぬ時間が続く。


「……も……のため、だ」


 わずかに漏れ聞こえる、男の声。


 そして、私の背中に鋭い痛みが走った。


「ぐうっ……」


 痛みで喉から声が漏れる。力が抜けて、兄様の体から滑り落ちるように、私は床へと倒れ込んだ。


「ちくしょう……! レア……おい……」


 遠くで声が聞こえる。

 まだ意識はあったけれど、視界は徐々に白く塗りつぶされていき、そのうち耳も目も効かなくなって来てしまった。


 兄様、ごめんなさい。


 そう言いたかった。口は動かした気がしたけれど、上手く言えているだろうか。

 真っ白な世界のなか、そんなことを考えながら、私は意識を手放すのだった。

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