第9話ループ3-2



 トリス兄様の部屋は、1つ下の2階にあった。廊下の感じと扉の並びから、3階と部屋割は大して変わらないように見える。


「兄様、カトレアです。お話があるので、中に入れて頂けませんか?」


 ノックして中に呼びかけるも、返事がない。ドアを開こうとしても鍵がかかっていて開けられない。

 扉に耳を当てるが、中からは何も聞こえてこなかった。

 お酒をたらふく飲んで眠った兄様は、それはそれはひどいイビキをかく。何も聞こえず、返事もないということは——


「に、い、さ、ま!! レアです! いるんですか? いないんですか? さっさと返事して下さい!」


 焦りにかられて、ドアを両手でぼこぼこと叩く。隣でイネスがギョッとしているのが見えたが、構っていられなかった。


「お願いです! 開けて下さい! ねえってば!!」

「うるせえ!」


 野太い怒鳴り声。

 驚いて手を止めると、2つ隣の扉から見慣れた顔がひょっこりと出て来た。——トリス兄様だ。

どうやら私たちは部屋を間違えていたらしい。

 慌てて兄様に駆け寄った。無駄に分厚い体を観察するが、特に怪我は見当たらない。


「……よ、良かった。トリス兄様、生きていたんですね……」

「よかねえよ、バカ」


 ガツン、と頭にゲンコツを落とされた。いきなりひどい。


「お前、夜中にこんなところでなに大騒ぎしているんだよ。この一帯は客間が並んでいるんだぞ。式の招待客に恥を晒す気か?」

「そんなことを気にしている場合じゃないんです! 重要なお話が——」


 熱を込めて答えようとすると、頭を掴んで無理やり部屋の中に押し込められた。

 戸惑っているイネスを廊下に残して、扉がバタンと閉まる。

 そしてもう一発、ゲンコツが私の頭に降ってきた。


「いったあ!!」

「だから静かにしろ! ……ったく、お前こんなところで何をやっているんだよ。婿殿はどうした?」

「あ、あの人のことはどうでもいいです。とにかく、一度腰を落ち着けて話をしましょう」


 念のため中から鍵をかける。そして兄様の筋肉を押しのけ、室内の奥へ進んだ。

 中は私の部屋とほとんど変わらない広さだ。暖炉があり、その近くには小さなテーブルと椅子が置かれている。テーブルにはお酒のボトル数本と、空になったグラスがいくつも置かれていて——椅子には、ブロンドの美青年が腰かけていた。


 へ? あれ?


「や——やあ、花嫁さん」


 美青年は私の姿にやや驚き、引き攣った笑みを浮かべていた。

 見たことのある男性だ。確か、えーと……そうだ。パーティーで、強そうなおじさんの隣にいた男の人だ。ハンサムだったから覚えている。


「騒がしくて申し訳ない。馬鹿な妹が急に押しかけてきてな」


 兄様が言いながら、私の頭を掴んでぐりぐりした。ハリエが懸命に梳いた髪があっという間にくしゃくしゃになる。

 

「兄様、この方は?」

「婿殿のご友人で騎士のライゼル・ロッソ殿だ。ほれ、挨拶しろ」


 促されて、私は慌てて一礼した。

 ライゼルさんも立ち上がって、胸に手を置き、頭を下げる。


「ライゼル・ロッソです。君の夫——クリュセルドとは幼馴染で、共に剣を学んだ仲間でもある。日中はご挨拶ができず申し訳ない」


 落ち着いた、綺麗な声だった。

 イケメンの友達はまたイケメンなのだろうか。公爵を見てその美貌に驚いたものだけれど、この人の容姿も相当整っている。2人が並び剣を振る様は、さぞかし神々しいことだろう。


「あ……あのぅ。どうしてライゼルさんが、兄様の部屋に?」

「馬鹿。ここはライゼル殿の部屋なんだよ」

「はい?」

「君の兄君とは、先ほどのパーティーですっかり意気投合してしまってね。こうして式の後も部屋にお呼びして、語らっていたんだ」

「そうなんですか……」


 恥ずかしい。これじゃあ初対面の男性の部屋に半分押し入ったようなものだ。

 事実、ライゼルさんは微笑んでいるものの、困惑したように私をちらちら見ている。


「お前、上で大暴れしていただろう」


 唐突に兄様が言う。


「この部屋はどうもお前の部屋の真下みたいでな。ドタバタ動き回る音や、お前のギャースカ騒ぐ声がばっちり聞こえた」


 ひええ。はずかしっ。

 そう言えば1回目のループで、兄様は「下階の部屋までお前の喚き声が聞こえて来た」って言っていたっけ。

 そもそも、私が散々部屋で大騒ぎしたのを聞きつけて、1回目は兄様自ら私の部屋に乗り込んで来たんだった。つまりこの時間帯、兄様に危険はないということになる。さっきは心配して損した。


「まったく、騒音が響く度に俺は顔から火が出るような思いをしたんだぞ。その上部屋まで乗り込んできやがって……」

「元気な妹君でいいじゃないか」


 出た、元気。子供の頃、大人達によく「カトレアちゃんは元気で偉いね」ってよく言われていた。幼い頃はそれを本気で褒められていると思ってより元気に振舞っていたけれど、自分も大人になってその真意にようやく気がついた。

 要は他に褒めるところがないから、元気でいいねって言うしかないのだ。

 悲しくなってきた。


「ライゼル殿、今日はこれでお開きにしよう。——それで、だが。良かったら俺と君の部屋を交換しないか」

「え?」


 トリス兄様が鍵を差し出す。それをきょとんとした顔でライゼルさんは受け取った。


「この部屋は俺が邪魔してだいぶ散らかしてしまったしな。おまけにここだと騒音もひどい。俺の部屋はまだ使っていないから、君が使ってくれ」

「いや、そんな気を遣う必要はない。私はここでいいよ」

「まあまあ。どうか俺にこの部屋を譲ってくれ。他の部屋では、こいつが余所様に迷惑をかけているんじゃないかと、心配になって眠れないんだ」

「そう、か……」

 

 遠慮深い性格なのか、ライゼルさんはしばらく首を振っていたが、兄様に押し切られて鍵を握りしめる。私のせいで部屋を移す羽目になったのだと思うと、申し訳なさすぎてまともに彼の顔を見られなかった。


「申し訳ない、ライゼル殿。また明日、お会いしよう」

「ああ。今日は楽しかったよ、ハルトリス殿。また明日」

「ごめんなさい! おやすみなさい!」


 ここ、元々ライゼルさんの部屋なのに。心の中でも謝罪を繰り返して、ライゼルさんを見送る。


 ライゼルさんが扉を開けると、廊下で待機するイネスの姿がちらりと見えた。

 あ、イネスがライゼルさんに目を奪われている。なんだかんだあの子も年頃の女の子らしい。


 なんて暢気に考えていると、扉が閉まったとたん、げんこつが私の頭にまっすぐと振り下ろされた。


「いったあ! 3回目!」

「うるせえ、馬鹿」


 痛めつけられた頭をさすりながら、兄様を睨め付ける。


「本当にお前、何しに来たんだよ」


 妹の頭を3回も殴った件についてもう少し抗議したいところではあったけれど、折角の本題に入るチャンスだ。

 私は深呼吸して、はっきりと言った。


「兄様。私、公爵に殺されてしまうんです!」

「……は?」

「信じがたい話かもしれませんが、公爵は私のことが邪魔になって、寝室で私を剣でぶっすり刺し殺すつもりでいるんですよ。だから兄様、助けてください! 一緒に敵を打ち倒しに行きましょう! 返り討ちです!」

「大声で夫の暗殺計画叫ぶんじゃねえよ」


 ゴツン。

 またゲンコツが落とされる。4回目。これはひどい。

 2回も殺害された哀れな体に、身内からの攻撃が容赦なく響く。


「暗殺されるのは、私の方なのに……」

「ふざけたことを抜かすからだ。一体誰に吹き込まれた話だ?」

「それは……」


 言いかけて言葉に詰まる。

 もう2回殺されて、今がループ3回目なんです、なんて言えない。

 兄様は基本自分の筋肉しか信用していないような人だ。こんな現実離れした話、信じてもらえないだろうし、正直に話したら「お前頭がおかしくなったんだな。今直してやる」なんて言って更にゲンコツを頭に打ち込まれかねない。


 そう分かっていても尚、頼れる人が他にいない以上、私は兄様に縋るしかない。

 だからせめて必死な思いが伝わるよう、精一杯真剣な顔をして、兄様の顔を真っ直ぐ見た。


「おかしなことを言っているのは分かっています。我儘なのも理解しています。けれど私、嘘は言っていません。どうか兄様、私のこの目を信じて下さい!」


 呆れ半分、面倒臭さ半分といった表情が私を見返す。

 そして兄様は、「やれやれ」といった様子で、大きくため息をつくのだった。


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