第8話ループ3-1


「!!」


 息を思い切り吸い込む。突然肺に空気が満たされて、私はむせこんだ。

 心臓がバクバク拍動している。額から汗がぶわっと湧き出た。


 つ、辛かったー……。


 何あれ。どうして急に息苦しくなったんだろう。喉と目はヒリヒリ痛いし、息も吸えなくて死ぬかと思った。おまけに背中を何かでザクッ! っとやられて——


「お嬢様!いい加減にしてくださいまし!」


 急にテレサの声が降ってきて、はっと我に帰る。


 目の前に柱があって、いつの間にかそれにしがみついていた。

 振り返ると、私を柱から引き剥がそうとするテレサと3人の侍女たちがいる。見覚えのある光景だった。


 夢じゃない。本当に、私は——


「観念してください! これから大事な結婚初夜だというのに……」

「わ、分かったわ。大人しくするから、みんな一度離れてちょうだい」


 侍女たちは顔を見合わせながらも、渋々と私から手を離す。私も侍女たちの警戒心を煽らないよう、ゆっくり柱から離れる。そしてテレサと3人の顔を見回した。


「みんな、大丈夫? 痛いところはない?」

「え? ええ。強いて言えば、お嬢様を引っ張ったせいで腕が痛いですけど」


 さり気なく嫌味を返してくるテレサに、傷など異常は見当たらない。他3人も、特に顔色が悪そうなところはなかった。


「よかった……」


 安堵のあまり息が漏れる。


 よろよろと歩いて、鏡台の前の椅子に腰掛けた。とにかく座って、落ち着いて考えを纏めたかった。


 これで確信した。私は、この夜の時間をループしている。これで3回目だ。

 1回目は、トリス兄様に連れられて主寝室に放り込まれ、誰かに腹と胸を刺されて終了。2回目は毒ガスのようなものを吸い急に苦しくなって床に倒れたところ、(多分)背中を刺されて終了。

 展開の違いはあれども、始まりと終わりは同じだ。柱にしがみついているところからループは始まり、最後私が死ぬことでまた次のループに移る。

 どうしてこんなことが? 何かの呪い? それとも魔法?


 原因はさっぱり分からないけれど、少なくとも夢や幻の類ではないという確信だけはある。

 刺された感触も、痛みも、全て現実のものだ。私はもう、2回も死んでいる。


「いきなり騒ぎ始めたかと思ったら、急に大人しくなってどうしたのです」


 テレサが心配そうに私の肩に手を置く。その手の温かさに胸がきゅっとした。


「汗だくだし、顔も土気色だし……。どこか具合が悪いのですか」

「そういうわけじゃないの。ただ、ちょっと休ませて」


 よほど酷い顔をしているのだろう。せっかく私が大人しくなったのに、侍女3人は黙ってこちらの様子を伺っている。


 とんでもないことになってしまった。今夜この城には私の命を狙う人間がいる。それだけでも最悪なのに、死ぬと時間が巻き戻される摩訶不思議な現象まで生じている。

 周囲の様子におかしなところはない。巻き戻された記憶があるのは、多分私だけだ。

 

 犯人は一体誰だろう。顔は黒布に覆われていて確認することはできなかったけれど、あの体格は明らかに男だ。躊躇いのない剣筋と身のこなしから、なかなかの手練れだということも分かる。

 それなのに毒も使うなんて、きっと陰湿でねちっこい性格に違いない。


 一番疑わしいのは——言うまでもなく、あの主寝室の主、クリュゼルド・ヴラージュ公爵だ。彼はかなり腕の立つ剣士だと有名だし、あの部屋で私の到着をじっと待つことが可能な唯一の人間だ。

 もし他に犯人がいたら、下手すると公爵と鉢合わせすることになってしまうし。


 きっと公爵は、私との結婚が嫌になって、私を亡き者にしようとしたのだ。いや、実際私は亡き者にされたわけだけど。

 そうだとしたら、すごく腹が立つ。今回の結婚は、公爵家から是非にと頼まれ行われたものだ。それなのに実際の花嫁を見てみたら期待ハズレだったから殺すなんて、自分勝手にもほどがある。しかも私だけでなく、テレサや侍女たちにまで手をかけるなんて……!


 よし、第一容疑者は公爵で確定。あいつ絶対に泣かす。


 この死のループは一体何なのか、という疑問は渦巻いているけれど、それについて考えるのはやめておこう。いくら私が考えたって、原因が分かるわけないし。今はとにかく生き延びることを考えなければ。


 さて、この城は第一容疑者の根城だ。私が信じられるのは、テレサとトリス兄様だけ。

 今日私付きになった侍女たちは巻き添えを食らっていたし容疑者リストから外せるけれど、完全に信用することはできない。

 とにかく、助けを求めるなら戦えるトリス兄様しかいない。


「テレサ。トリス兄様は今どこにいるかしら?」

「は? えっと……。確か、客間のはず……」

「うん。じゃあそこに行きましょう」


 素早く私は立ち上がる。すると、侍女のハリエが出口の前に立ちはだかった。


「……カトレア様。まさかお逃げになるおつもりでは?」


 ぐっ。

 ハリエは3人の侍女の中でも、迫力というか、威圧感のある人物だ。彼女に無表情で迫られると、少したじろいでしまう。

 私は動揺しながらも、ゆっくり答えた。


「逃げるわけじゃないわ。今日で私も公爵家の人間になるわけだし? 兄と挨拶をしておきたいの」

「……」

「兄様と話したら、ちゃんと主寝室へ向かうわ。本当よ」


 ハリエはしばらく私を見る。随分疑われているようだ。

 無理もない。さっきまで結婚は嫌だと柱にしがみついていた女が、いきなり大人しくなって言うことを聞くというのだ。ここであっさり信用する方がどうかしている。


「いいでしょう。……ただし、身支度を終えてからです」


 そう言って、ハリエは扉の前から退いた。

 今すぐにでも兄様のところに行きたいところではあったけれど、彼女の言葉に従って、鏡台の前に腰掛けた。ここで下手に逆らうより、さっさと用意を済ませてもらった方が、話は早い。


 実際、大人しくしていると侍女たちの連携プレーによってあっという間に準備は終わった。顔色が悪いせいか、2回目と違って、頬に頬紅がはたき込まれている。


「ではイネス。奥様をご家族のお部屋にご案内したあと、主寝室までお連れしてちょうだい」

「はい」

「ハリエはこれからどうするの?」


 まさかそんなことを聞かれるとは思ってもいなかったらしい。ハリエは少しだけ眉をあげた。


「簡単に部屋を片付けて、イネスが戻ったらお休みさせていただく予定です。……この後も何かご用命があれば、承りますが」

「いやいや、別に頼み事なんてないんだけれど。……あ。1つだけ」


 大事な指示を忘れていた。


「イネスが戻るまで、誰も中に入れないこと。公爵様だろうとセレニア様だろうとファロー執事長だろうと、絶対にだめ。それで、イネスが帰ったら長居しないで即解散。いいわね?」

「……かしこまりました」


 一応了承は得られたが、頷きながらもハリエは奇妙な指示に訝しむような表情を浮かべていた。

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