第3話ループ1-1



「いーやー!!」


 渾身の力を込めて私は叫ぶ。時刻はすでに夜。式もパーティーも終了した今、もはや私が抗えるタイミングはここだけだった。


「いい加減にして下さいまし、お嬢様! これから結婚初夜だというのに……」


 テレサが言う。初夜、という言葉に私の心は益々荒だった。


「無理! 絶対に、無理! あの人とだけは、夫婦になんてなれない!」

「式は終わったから、もうすでに夫婦です! しかもお相手は、公爵様! こんな素晴らしい縁談はないというのに!」


 確かに超がつくほど好条件の結婚相手だった。

 ——はじめは私だって、喜んだわ。見目麗しい公爵様の噂は、田舎娘の私でも耳にしたことがあったし。

 結婚が決まってからというもの、毎日ウキウキワクワクしながら、式まであと何日かなーなんて指折り数えていたものだ。

 

 けど、小ホールで耳にした、公爵とそのお仲間たちのあの会話。


「ただ気位が高くて計算高い高位貴族の娘を娶るより、従順で頑丈そうな頭の弱い田舎娘の方が、都合が良いと思ったんだ。武人の娘なら、子供を2、3人産んでも壊れることはないだろうしな」

「武人といっても先祖は傭兵あがりのならず者だろう。新婦の父親を見たが、山賊みたいななりをしていたじゃないか」

「クリュセルド、気を付けろよ。目を光らせておかないと、家中の金品が掻っ攫われて屋敷が空になるぞ。それで残されるのが山賊の娘じゃ、ちと割に合わないからな」


 会ったこともない男性に、愛情を期待していたわけじゃない。私だって貴族の娘。愛のない結婚でも、そこから夫婦となって互いに思いやりを抱けるような関係を築こうっていう気概があった。

 ……でも、この人は無理。

 公爵は私だけでなく、父を、そしてバルト家を侮辱した。

 確かに彼らが言う通り、バルト家の先祖はただの傭兵だ。数百年近く前に戦争で大きな武勲をあげて、爵位を賜ったのだと聞く。

 けど、バルト家の人々はこれまで王に忠誠を誓い、己の血を国に捧げて来た。それは父も兄も祖父母も伯父叔母も同様である。山賊と同列に語られるいわれなどないのだ。


 はじめから私の家を見下していて、私のことは、花嫁どころか、ただ子供を産ませるためだけの道具としか考えていない。

 ——そんな人とどうやって夫婦をやっていけというのだろう。

 私が馬鹿だった。相手の人となりも確かめず、いきなり見知らぬ男と結婚だなんて。

 愛がなくてもイケメン相手に贅沢な暮らしができればいいかな、なんて軽く考えていた自分を過去に戻って殴り飛ばしたい。


 と言うわけで、私はなんとか初夜の儀式を回避しようと、現在自室(と言っても、今日宛てがわれたばかり)の柱にしがみついている。

 それをテレサ、そして今日から私付きになった3人の侍女たちが寄ってたかって引き剥がそうとしてきた。

 侍女たちが束になっても、私を柱から離すことができない。鍛え方が違うのだ。

 すでにこの攻防を始めてから、1時間ほど経過しているが、侍女たちの疲労は限界にまで達しているように見える。


「もう観念してください、お嬢様!」

「断固拒否するわ! 今日はお腹が痛いから無理って、公爵様に伝えてちょうだい!」


 テレサには事情を話していない。こっそり話すタイミングもなかったし、あんな屈辱的な内容を口にすることすら憚られた。

 側から見れば、私は結婚初日に駄駄を捏ねるアホ娘だろう。けどどうでもいい。とにかく初夜を回避しなければ。馬鹿にした女に拒絶されたという屈辱を公爵に味わわせてやるのだ。

 

 そんなことを続けていると、誰かが扉をノックする音が聞こえた。


「は、はい」


 侍女の1人、ペトラが私から手を離し扉を開ける。そこにいたのは、無駄に筋骨隆々な男の人——バルト家三男坊、ハルトリス兄様だった。

 今回の結婚はあまりに急だったから、予定が合わず上2人の兄たちは式に参加することができなかった。父様も、式が終わってすぐ領地に戻ってしまったし。元々王都に住んでいて、しかも暇だったトリス兄様だけが、式のあと賓客としてこの公爵家城館に泊まっているのだ。

 トリス兄様は式後のパーティーであのイケメンと意気投合して、私のことを心配する様子もなくガハガハ笑いながらお酒をたらふく飲んでいた。今もまた別の場所でガハガハ笑っているものと思っていたけれど……どうして私の部屋に?


「レア、お前煩いぞ。下階の部屋までお前の喚き声が聞こえて来たんだが」


 私の叫びを聞きつけて来たらしい。そこまで煩かった? ちょっと恥ずかしい。


「しかも柱にしがみついて何やってんだ。そんなみっともない姿を見られたら、婿殿に離縁されるぞ」

「はんっ、離縁上等です!」

「また馬鹿なこと言って……。とにかくお前、そろそろ時間だろ。さっさと婿殿の部屋に行けよ」

「いーやー!」

「びびってんのか? ったく、しょうがねえなあ」


 トリス兄様はのそのそと私に近づく。私は柱を掴む手に力を込めたけど、兄様はいとも簡単に、しかも片手で私を引き剥がした。

 ……鍛え方が違うのだ。

 私はなすすべなく、兄様の脇に抱えられる。


「やめてー! 兄様、私今日はお腹が痛いの!」

「バルト家の人間は腹なんか壊さねえよ。おい、テレサ。馬鹿妹が世話をかけたな。こいつは俺が公爵殿のところに連れて行くから、少し休んでろ。——あ、場所がわからねえな。誰か1人案内についてくれ」

「では、私がご案内します」


 侍女の1人——たしか、イネスという名前だ——が、進みでた。イネスは靴の位置を直すように踵を床に打ち付け、腕まくりした。

 ……私が移動中に逃亡するかもと警戒しているのだろうか。正しい判断である。


「大丈夫?」

「任せて、問題ないわ」


 心配そうに尋ねるペトラに、頷くイネス。珍獣を護送するわけでもないのに、えらい気合いの入りようだ。


「トリス様。……その、本当に大丈夫でしょうか。お嬢様はかなり取り乱しておいでで……」


 なんだかんだテレサは気遣うように言い、私を見る。心配そうに揺れるテレサの目を見ていたら、なんだか泣けて来た。


「大丈夫だろ。こいつもバルトの人間だし。ほれ、行くぞ馬鹿」

「ううう……テレサ〜……」


 最後、情に訴えようと悲痛な声を出して見たけれど、兄様を引き止めてくれる人は誰もいなかった。私は荷物のように抱えられて、兄様、イネスと部屋の外に出る。

 遠ざかっていく自室の扉を、侍女のハリエがばたんと閉めるのだった。

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