第2話ループ0-2


 式の後は、結婚を祝うパーティーがヴラージュ公爵家城館で開かれた。

 急な結婚だから身内だけでやりますよ、なんて聞いていたからアットホームでささやかな催しになるのかと思っていたけれど、とんでもない。


 城館は3つの棟が横並びになって構成された、石造りの巨大な建物だ。左右の棟には実家2つ分はありそうな広く立派な中庭があって、建物はそれをぐるりと囲むコの字型のようにできている。

 そんな城の中で一番広いホールを用いてのパーティーは、これまでに見たことがないほど豪華絢爛だった。


「見てよテレサ。この広間、天井に絵が描いてあるわ」

「お嬢様。あまりきょろきょろするものじゃありませんよ」


 侍女のテレサが私を嗜める。はて、今日同じことを誰かに言われたような。


 城館の大広間はこれまた実家がすっぽり入ってしまいそうなほど広かった。

 ……何かにつけて、実家としか比較できない自分が悲しい。

 それほど広大であるにも関わらず、天井には精巧な天使画がびっしりと描かれていて、柱や壁の一部にはところどころ金の彫像があしらわれている。

 室内には銀食器と白い花で飾られた真白いテーブルが並び、その上に使用人たちが次々と輝く食器に盛られたご馳走を乗せていく。

 それを囲む人々もまた色とりどりの衣装に身を包んでいて。なんだか広間全体がきらきら輝いているようで、軽く目眩がした。


 私は一応主役だからということで、上座の特別席に座らされている。しかし隣にいるべき花婿の姿はない。

 ついさっき、久しぶりに会ったという友人たちと肩を叩き合いながらどこかへ行ってしまったのだ。置いてきぼりにされてあまりに暇だったので(本当はいけないんだろうけど)、私は渋るテレサを上座に呼びつけて寂しさを紛らわせていた。


「高位貴族の結婚って殺伐としているのね。公爵様、朝から私のこと放置しまくりなんだけど」

「公爵家から是非にと言われて決まった結婚です。きっと大事にして下さいますよ」

「そうかな。あの公爵様、どうも結婚自体に乗り気じゃない感じがするんだよなあ」

「そんなネガティブなことは言わない。それより、先ほどの続きをしますよ」


 テレサはパーティーの座席表を突き出す。


「えー……。まだやるの?」

「今くらいしかチャンスがありませんからね」


 そう言うと、テレサは座席表を覗き込みながら、順々に書かれた参加者の名前を読み上げた。


「右から2番目のテーブルで上座にいらっしゃるのがダンケル伯爵夫妻。その次が王立魔法院院長のサファン院長で、その次が……はい、復唱する」

「ダンケル伯爵夫妻に、サファン院長……」


 私は渋々とテレサの指示通り、それぞれの席に座す人々の顔を確認しながら名前を読んでいく。


 これから私は公爵夫人として、多くの要人たちと交流する機会が増えるだろう。しかし元は田舎貴族の娘。偉い方々の名前も顔もろくに知らない。

 それでは今後困るから、今日パーティーに出席した人間の顔と名前だけでも覚えておけと、テレサに言われてこのようなことをしている。


「私がお供できるのは1週間だけ。そうしたら、お嬢様はお一人で高貴な方々と渡り合っていかなくてはいけないのですよ」

「うう……分かっているわ。だからこうしてテレサが言う通りにやっているんじゃない」

「ならもう少し気合いを入れて下さい。お嬢様はあまり記憶力が良い方ではないんですから」


 さらっと毒のある一言を混ぜられる。しかしテレサには逆らえない。

 彼女は私が生まれた時からバルト家に仕えているベテラン侍女。実家では父様の次に怖いと、兄弟たちの中では専らの評判なのだ。

 それに、テレサは私の結婚に伴い、わざわざ領地からこの公爵家城館まで身の回りの世話のためついて来てくれた。しかも主人である父様は今日領地にとんぼ返りするというのに、テレサは1週間も慣れないこの屋敷に残ってくれるというのである。これじゃあ頭は上がらない。

 

 お名前確認ゲームは退屈の極みだったけど、我慢をしつつ更に続けていく。


「ええっと。グラバー中将に、王都騎士団副団長のホフマン卿、それに公爵様の剣の師匠であるフィラルド卿——あら、あのおじさま相当やるわね」


 フィラルド卿という名の男性に目が惹きつけられた。歳は50前後といったところ。しかし体は緩みなく引き締まっており、纏うオーラには隙がない。彼の間合いに入ったが最後、一刀両断されてしまいそうな——そんな凄みを持った男性だった。

 私は父様に禁じられて武術は習ってこなかったけれど、バルト家の血のせいか、ああいうデキる男にはついつい敏感に反応してしまう。


「フィラルド卿は近いうち、騎士団の団長に抜擢されるのではという噂もある方です。剣の腕は国一番だとか」

「テレサ、よく知っているわね……」


 同じ田舎にいたはずなのに、この情報量の違いはなんだろう。

 そう思いながらもう一度おじさまを見ると、隣に若い男性が座っているのが目に入った。立ち振る舞いから、彼もフィラルド卿と同じく剣士であることが伺える。しかもなかなかのイケメンだ。イケメンは見覚えのある筋肉甚だしい男性——トリス兄様と親しげにおしゃべりしている。ああっ、兄様ばっかりずるい。


「……お嬢様」


 テレサに肩を叩かれて我に返る。ついつい見目麗しい男性に目を奪われてしまっていた。私も乙女なものだから、ああいう素敵な男性にも敏感に反応してしまうのだ。


 慌てて前を向くと、着飾った中年男女が私の前に立っていた。2人は貼り付けたような笑顔で私に一礼する。


「カトレア様。この度はご結婚おめでとうございます」

「え、ええ。ありがとうございます。えーと……」

「ロズナー伯爵ご夫妻です。クリュセルド様の母方のはとこ筋にあたる方々ですよ」

「ロズナー伯爵、それに奥様。本日は急な式にも関わらずお越しいただきありがとうございます」


 テレサの耳打ちに内心感謝しつつ、私も精一杯優雅にお辞儀を返した。

 本来こういうことは、新郎新婦揃って言うべきなのに。どこ行ってんだ公爵は。


 同じことをロズナー伯爵も思ったようで、彼はすこし芝居掛かった仕草で、周囲を見回した。


「はて、新郎の姿が見えないが……。クリュセルドはどこに行ったのかな?」

「クリュセルド様は、ご友人方への挨拶のため席を外しておいでです。すぐお戻りになると思いますよ」


 健気な私は、一応旦那のフォローをしておく。

 しかしロズナー夫妻は興味津々といった目で空席と私をじろじろと見て、それからいかにもわざとらしい会話を始めた。


「まったく、新婦を置き去りにするとは感心しないな」

「これまでどんな縁談にも頷かなかった公爵様ですもの。きっと緊張していらっしゃるのだわ」

「確かに、クリュセルドが突然結婚すると聞いたときには本当に驚いたよ」

「ええ。ルローム伯爵家、パティオ辺境伯家、グラバー侯爵家、それにクラウジオ侯爵家……。名だたる名家のご令嬢をご紹介してきたのに、公爵様ときたら一度も興味をお示しになりませんでしたからね。でも、それも無理はありませんわ。こんなに可憐な恋人がいたら、他の女性に目移りしている余裕などないですもの」

「ははは……」


 念のため断っておくと、私は絶世の美女ではない。鏡を見ながら「今日の私いけてるな」とか「けっこう私可愛くない?」なんて自己評価できるくらいには悪くない顔をしていると思うけど。

 とにかく自分が名家のお姫様たちと張り合えるような美貌の持ち主ではないってことは分かっている。


 つまりロズナー伯爵夫人の言葉は私に対する遠回しな嫌味だ。「名家の美人が歯牙にもかけられなかったのに、どうしてお前みたいなみそっかすが選ばれるんだよ」と彼女は暗に言いたいのだろう。夫人の目が恐ろしく悪い可能性も否定はできないけれど。


「クリュセルドとはどうやって知り合ったのかな? 2人に接点はないはずだが」

「お二人の馴れ初めを是非聞きたいわ。誰かの紹介? それともご家族のどなたかが公爵様と親しいのかしら?」

「いつから交際していたのかも教えていただきたいね」

「結婚の話はいつ頃持ち上がったの」


 夫妻はにこやかに、しかし目には探りを入れる鋭さを漲らせて私に迫る。要はこれを聞きたくて、2人は私に近づいて来たわけだ。

 尋問じみた雰囲気になってきたが、私も公爵様が私を選んだ理由なんて知らないから笑うしかない。

 お互い作った笑顔で見つめ合っていると、横から澄んだ声がした。


「まあ、何のお話をされているのですか」

「あ……ああ、セレニア」


 ロズナー伯爵が慌てて取り繕うように、声の主に会釈する。


 現れたのは煌びやかな会場にあって、尚強い光を放つ美麗な少女。

 セレニア・ヴラージュ様——クリュセルド・ヴラージュ公爵の実の妹君だ。その背後には、ヴラージュ家使用人の長にして公爵様の特務秘書、ファロー執事長が侍っている。

 現実離れした美少女と、手足の先まで洗練された執事長のコンビは立ち姿だけで迫力を放っていた。


「いや、ちょっとした世間話をしていただけだよ」

「そうですか。でも新婦を独り占めするのはよくありませんわ。私だってお義姉様とお話ししたいのを我慢しているのに」

「はっはっは、それは悪かったね。それでは我々はそろそろ退散しよう」


 圧倒されるようにジリジリと後ずさったあと、ロズナー伯爵夫妻は逃げるように自分の席へ戻っていく。

 その姿を見送って、セレニア様はため息をついた。


「ごめんなさい、お義姉様。ご気分を悪くされたかしら」

「い、いえ。助けてもらっちゃったみたいで。ありがとうございます」


 セレニア様は首を振る。銀色の髪がふわふわと揺れて、睡蓮の髪飾りが銀の水面を揺蕩うように輝いた。それに、良い匂いもする。

 美少女にお義姉様、なんて呼ばれたせいもあって、ちょっとドキドキしてしまう。


「お礼など必要ありません。それより兄はどこへ行ったのでしょう。宴席でお義姉様を1人っきりにさせるなんて……」

「クリュセルド様なら、ご友人方と小ホールでご歓談中です」


 すかさずファロー執事長が答える。


「ああ、また騎士団の方々と一緒なのね。ちょっと私が叱って連れ戻してきます」

「それなら私が行きます」


 可愛らしくぷんすかしながら歩き出そうとするセレニア様を引き止める。

 私の横でじっと静かにしていたテレサが「え」と言った。


「お嬢様。まさか公爵様を呼びに行くふりをして、会場から抜け出す魂胆じゃないでしょうね」

「そんなわけないでしょ。それより、ちょっと公爵様に聞きたいことがあるの」


 テレサは信用ならないといった目で私を見てくるが、本心だった。

 ロズナー伯爵夫妻に突かれて、私自身も今回の結婚の理由が改めて気になった。そもそも普通に生活していて、公爵家の方々がうちみたいな辺境のなんちゃって貴族の名を耳にすることすら滅多にないだろうに、どうして私が選ばれたのか。

 お父様にいくら尋ねても、納得できる答えは得られなかった。なら、本人に尋ねてみるしかないだろう。

 

 新婚の会話に立ち入るのは無粋と思ったか、あるいは面倒ごとになりそうだから関わるまいと思ったか。皆私が小ホールへ向かうのを黙って見送る。


 重たい花嫁衣装をずりずり引きずりながら、ファロー執事長に教えられた道順を辿って、小ホールへと向かった。小ホールはチェスやビリヤード台で遊べる遊具部屋とのことだ。

 遊ぶため専用の部屋があるなんて、流石大貴族のお屋敷よね。うちの実家じゃ——いや、いい加減実家との比較はやめておこう。


 パーティー会場から廊下に出ると、向かいにオーク製のドアが目に入った。これが小ホールのドアだ。廊下では使用人たちが行き来しているが、皆忙しなく働いていて私を気にとめる様子もない。

 いきなり小ホールに突入するのも憚られたので、ドアに張り付いて中の様子を伺った。


「さあ、我らが戦友の結婚にもう一度祝福の乾杯を!」


 浮かれた声が聞こえる。それに男たちが笑いながらグラスを鳴らす音が続いた。


「やあ、とうとう君も結婚か。結婚なんて興味無いって言っていたのに、どういう風の吹きまわしだ?」


 知らない男の声。だが、“君”というのは十中八九公爵様のことだろう。いきなりどストレートに気にしていた話題が来た。


 私は耳を扉に押し当てる。

 しばらく静けさが続いたあと、低い声が答えた。


「周囲が、結婚しろと口やかましく言うからな。あれこれいらない縁談を連日持ちかけてくる輩までいる。煩わしいので、適当な相手を見繕って式を挙げただけだ」

「適当とは言っても、相手は地方貴族の令嬢だろ? 身分的にはあまり“適当”な相手とは思えないが、何か彼女を選んだ他の理由があるんじゃないのか?」

「別に。ただ気位が高くて計算高い高位貴族の娘を娶るより、従順で頑丈そうな頭の弱い田舎娘の方が、都合が良いと思ったんだ。武人の娘なら、子供を2、3人産んでも壊れることはないだろうしな」

「武人といっても先祖は傭兵あがりのならず者だろう。新婦の父親を見たが、山賊みたいななりをしていたじゃないか」

「クリュセルド、気を付けろよ。目を光らせておかないと、家中の金品が掻っ攫われて屋敷が空になるぞ。それで残されるのが山賊の娘じゃ、ちと割に合わないからな」


 いくつかの下卑た笑い声がどっと湧いた。


 私は震える拳を握りしめて、ドアからそっと身を剥がす。

 いつもの私だったら、怒り狂って中に殴り込みに行っただろう。けれど、着慣れないウェディングドレスのきつさが私を冷静にさせた。


 ——高位貴族が多く集まる今、私が騒ぎを起こせば父様(と一応兄様)の顔に泥を塗ることになる。


 結局、公爵様とそのお仲間たちの会話を盗み聞きしただけで、私はすごすごとパーティー会場に戻った。


「あら、お嬢様。公爵様はどうしたんです」


 私の姿を認めてテレサが尋ねるが、首を振るだけで何も言えない。

 一度言葉を発せば、感情が爆ぜてしまうような気がしたのだ。


「——あっ」


 私の背後を見てテレサが少し驚いた表情をする。テレサの視線に沿って後ろを振り向くと、公爵が背後に立っていた。

 意外と早いお戻りである。


「……」

「……」


 公爵はじっと険しい顔で私を見下ろす。

 ここで嫌味の1つでも言えばよかったかもしれない。けれど怒りで体が震えて、頭が真っ白になって。

 私は、ただ公爵を無表情に見返すしかできなかった。

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