第7話 犬さん

「お前なんで早く言わなかったんだよ!」


 栄太は聖に怒鳴った。

 学校で秋穂が孤立していて、原因がうちにあるということを今になって知った。

 責められた聖はめんどくさそうに、見ていた本から顔を上げる。


「言ってどうすんの。なんかできるの? 原因の元がさ」

「……お前さ。その場に出てって、がきんちょたちに話せばすぐに解決したの分かっててやらなかっただろ」

「なんで俺がそんなことまでやらなきゃならないわけ? あの子が勝手に来てるのに」

「ほんっっとに血も涙もねー奴だな。言っとくけどな、以前うちにあった卵黄の練切り、あれは秋穂とあいつのばあちゃんの手作りだぞ」


 ピクリとわずかに聖が動いた。二人とも甘いものに目がない。オオカミの時は匂いすらダメなのにだ。二人の脳裏に練切りの思い出がよみがえる。卵黄のコク、そして漉しに手間がかかっただろうなめらかなあん、その絶妙の二重奏……


「その次の日、余った卵白で作ったであろうエンゼルケーキ、あれもだ」


 エンゼルケーキ、口の中で天使の羽が繰り広げる白い夢……


「しかも練切り、一個多く食ったよなあてめえ」

「よくいうね。ケーキはそっちが620㎣も多かったの気づかないと思った? 早く血糖値に追い詰められて足が腐れ落ちればいいよ」

「お前は根性がすでに腐れてるけどな」


 二人が喧嘩していると、室長がげんなりして入ってきた。


「ったく、喧嘩なら地下でやれ地下で。また大暴れしてご近所に頭下げる気か」


 室長を見て栄太はハッと思い立った。


「そうだ、室長。たしか自治体から短期ボランティア誰かいないかって話、あったよな。一日でいいからやらせてくれ」



***


 その日、秋穂の学校には保健所から『どうぶつ教室』なるものが来た。

 体育館で全校生徒が集まった中で、その説明は行われた。


「それでは皆さんにはペットの飼い方、動物の病気のこと、色々勉強してもらいますねー」

 秋穂と秋穂のクラスの数人は、あっと声を上げた。


「はい犬ですよー」


 役場のお姉さんに紹介されたのは栄太だった。

 ケモミミと付け鼻で犬を名乗っているが栄太だった。

 予算の関係か。いやいっそ変身した方が早い気が。

 わー犬だー犬かー?変な犬ーと笑う子供たち。本当はオオカミなのに。


「さあ犬くん、散歩に行こうねー」

「けっ誰が人間ごときに平伏するか」ベシッ!

「話が違うでしょここは鳴く!」ひそひそ。

「くそ簡単に吠えるのはやっぱしゃくにさわる」ぶつぶつ。

「あんた何しにきたのっ」ひそひそ。


 二人とも小型マイクの高性能さに気づいていない。


「なんのコントだよ」


 ぷーくすくす他の子たちは笑ってる。秋穂をつけていたクラスの子たちは、「ただの変な人じゃん」と笑った。

 ……もしかして、聖からあの日のことを聞いたんだろうか。……もしかして、予算は関係ないのかも。

 もしかして「怖い人じゃないよ」って皆に知らしめるためにわざと笑いものに?


「秋穂ちゃんの知り合いって、あの人なの? なんだあ、面白い人なんだね」


 有紗ちゃんが笑いながら話しかけてきたので、秋穂も笑顔を向けた。


「うん。面白くてやさしいんだよ」



***


「犬さんっ」


 終わったあと、秋穂は有紗ちゃんと一緒に栄太のところに駆け寄った。

 ちなみに呼び方は「犬さん」で定着してしまった。「栄太さん」と呼んだらなぜかものすごく嫌がられた。呼び捨てでいいと言われてもそれは出来ない。 聖が「犬でいいよ犬で。まだ犬程度の大きさだし」と言って、「犬さん」で決まった。


「よお秋穂。俺の犬演技かっこよかったか?」

「う」

「『ん』はどうしたんだろうなあ」


 そう笑う栄太はとなりの有紗ちゃんを見て「友達?」とたずねたので、「うん!有紗ちゃんっていうの!」と喜んで紹介すると、栄太は「そっかー、秋穂と仲良くしてくれてありがとな」と嬉しそうにする。

 有紗ちゃんはちょっと緊張していたが、人懐っこい笑い顔を向けられて、おずおずと笑い返した。秋穂はそれを見てほっとした。



***


「ねーねー日向さん! 怖い人じゃないんだね!」


 やりとりを遠巻きで見ていた女子リーダーたちが話しかけてくれた。栄太のおかげだ。


「でも、あんなアッシュグレイに染めてるってやっぱり変な遊びしてそうじゃない?」

「そ、そうじゃないの、犬さ……あの人は勉強のしすぎで苦労しちゃって、白髪みたいになったの」


 助け舟どころか泥船、いや沈没船を出してしまったかも。なのにリーダーが「えーなにそれかっこわるー」と笑うのを見たら、秋穂はどこかでほっとしてしまった。

 彼女たちが去ると、有紗ちゃんがくすくす笑う。


「秋穂ちゃん、リーダーたちにあの人が気に入られたらイヤなんでしょ」


 あ、そっかと秋穂は言われて気づいた。有紗ちゃんはするどい。


「うん……。私犬さんが言ういい子じゃないのにな。犬さんのこと悪く言って、他の子が近寄らないようにして……」

「うちのお姉ちゃんの言うオンナのずるさってものかなあ。でもそういうのってオトコ心を刺激するっていうから、秋穂ちゃんこのまま頑張ればいいよ!」

「えっ、ええっ、これってそれってそういうのなの有紗ちゃん!?」

「あははは秋穂ちゃん焦っちゃってるー」


 どくせんよくというものなのかこれが。あわあわしてると、他の子たちも話しかけてきた。


「日向さんってもっと冷たい感じしたけど、全然そんなことなくてよかったー」

「やっぱり怖そうかな私」

「怖いっていうかおちついてて動じなそうに見えるからかなあ。あ、無理に笑い浮かべなくても」

「う、うん」


 何にしてもこれでやっと誤解がとけてうれしかった。そして今度から笑い方の練習しよう。秋穂は凝り性であった。

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