第6話 秋穂、ぼっち脱出
父が倒れてから秋穂たちは、母方の祖母の家で暮らしている。
今まで住んでいた家は任意売却をするしかなかった。
祖母光子は一人暮らしだったので、ぜひ一緒に住みましょうと狽から目を離さず言った。
秋穂の母、千夏は迷った。厳しい光子とは子供の頃から喧嘩が多かった。が、今の状況は意地を張っている場合じゃない。同意した。
亡くなった祖父が書家だったので、昔お弟子さんを住まわせていた部屋がある。お風呂や台所もついているので、3人+1匹が増えても問題ない。
「ところで、ねえ、狽ちゃん?」
『ごめんこうむる。母の母君』
「少しでいいのよ。あなたのその鬣ねえ、すばらしい筆になりそうなのよ。ねえ狽ちゃん」
光子は狽に初めて邂逅した時から狽の毛ばかりを見ている。
「お母さん、人の目を見て話しなさいっていつも言ってたのに。狽ちゃんいやがってるでしょ」
「だってえー」
千夏は狽を光子から救い出すのが役目になった。狽の存在が光子をゆるませ、ぎしぎししていた母と娘の間をとりもってくれている。それに。
母は以前より穏やかになった気がする。以前の両親は忙しさでどこか軋んでいた。それが今はゆったりまったりとしている。
この穏やかな空気が秋穂は心地いい。
(それにしても、紙って高いんだなあ……)
狽が、光子の持っている画仙紙に興味を示していた。なのであの紙で鶴を折ってみたいと言うと、母が止めた。ゼロが5個くらいする紙だなんて。きっとおいしいに違いない。
せめてと秋穂は、自分の小遣いで買える半紙を買ってみることにした。いつもチラシじゃどうかと思っていた事だし。
文具屋で50円と100円単位の紙を眺めながら、どう違うんだろうと考え込んだ。
「何かお困りですか?」
悩んでいる秋穂を見かねてか、店員が声をかけてきたのでたずねてみた。
「どれがおいしいと思いますか?」
「へ?」
しまったとっさに。恥ずかしさのあまり店から逃走した。が、出てすぐに人にぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい!」
「気をつけ…あれ、秋穂ちゃん」
相手は声を少し和らげた。見上げると聖だった。学校帰りらしい。
そういえばこの文具店の近くには聖と栄太の通う学校がある。
「聖さん、ごめんなさい」
「そこの店から急いで出てきたけど、何? 万引き逃走?」
ぶんぶん首を振った。恥ずかしさのあまり逃げてきたなんて、栄太なら笑いとばしてくれそうだが、聖はきっと「バカじゃないの?」と一刀両断しそうだから、言わないことにした。
「いえ、なんでもないんです」
「そう。それよりあんまり一人でふらふらしない方がいいよ。周囲が迷惑被るだろ」
何も言い返せない。一人ふらふらの結果、彼の家の門に車が突っ込んだ前例があ
る。
「家は柊町の方だっけ。仕方ないな。近道」
どうやら送るつもりだ。まだ夕方前なのに。
「一人でちゃんと帰れます」と言うと、冷ややかな顔が見下ろしてくる。
「それで何かあって、最後に会った俺が一生悔やむなんてことにさせたいの?」
そんな大げさな。だが栄太も「一人でぷらぷらすんなよ」と言ってた。人狼からすれば秋穂はずい分か弱い生き物に映るんだろう。
「友達とか誰か一緒にいれば心配しないけどさ」
致命傷を言われた。友達はいない。祖母の家のある学区に転校した秋穂は、今だクラスになじめていない。
初日、声をかけてきたリーダー的女の子たちに怯えて、がくがくと無言になってしまったのがいけなかった。今までは制服、髪は校則で地味な世界だった秋穂にとって、頭からつま先までの多量色彩とツケマ、丸ピンク頬紅なリーダーたち(注・小学生)は、えもいわれぬ迫力があったのだ。
鶴をひたすら折っていたのも「私かわいそうなの」アピールに映ったかもしれない。あの頃は、父のことや栄太がどうしてるか等、安心感がなくて自分のことに手いっぱいだった。なので周囲をおろそかにしていたツケがこの現状だ。
どうにか今から挽回できないだろうかと近くの席の女の子に話しかけるものの、彼女らはそそくさと遠ざかる。
なんとかリーダーに謝れないだろうか。せっかく声をかけてくれたのに、あんな態度でごめんねと。しかしどうやら彼女のとりまきが近寄れないようにしていると気づいた。どうすればいいのだろう。
もんもんと考えていると「早くおいで」と有無をいわせない声がかかった。
「ありがとう、ございます……」
黙々と聖の後ろを歩く。速度は合わせてくれているのはいいが――
なんだろうこのコースは。
塀と塀の隙間。柵の上。ビルの非常階段から隣のビルに飛び移り、柵を超え……
「あの!あの!セイさん!」
「何?」
「まともな道を……!」
「心配しなくても、不法侵入罪ギリの場所ばかりだし防犯カメラに映っておいてるし、人がいたら分かるから」
!? 確かに誰にも会ってない。が問題はそこじゃなくて。
「で、でも、変な人ってうたがわれる……」
「生まれた時からとっくに危険人物認定の俺たちが、放置されてるわけないだろ。犯罪できないように国から体に制約受けてるから、心配しなくていいよ」
たしかにこんな風に不審なことが簡単にできるなら、制約受けるのは当然だろうけど……なんだろ、制約って……。何か言いたい秋穂だが、聖がこちらに向き直り相変わらずの冷ややかな顔を向てくると何も言えない。
「秋穂ちゃん、つけられてたからさ。うっとおしいから撒いた」
「えっ!?」
「ほら。あの子たち」
聖が指をさした方向には大通り。ちょうど小学生の集団が通り過ぎていく。
クラスの女の子と男の子たちだ。どうして!? 秋穂はショックで呆然とした。
彼女たちの声が聞こえる。
「どこ行ったの?消えたよ」
「あの子変だよやっぱり。絶対やくざの子だよ。おとなしそうなのは身分を隠すためで、いざというときの護身術に雲隠れを…」
「お前が言ってんのは忍者だ」
「兼業よ。あの屋敷はぜったいそうだよ。やくざたち、捕まらないように身分を隠しているんだよ」
理解した。聖たちの屋敷に出入りしているのを目撃されていたのだ。
「そーそー。俺この前見たよ。人殺してそうなのと灰色の髪の舎弟みたいなの」
……室長と栄太が速攻で浮かぶ。私もそう思ったごめんなさい二人とも。秋穂は心の中で謝った。
「それになんたってあそこ、惨劇があった屋敷だもの。そんなところに出入りしてるなんてさあ…」
よくよく考えてみれば。話しかけても逃げられるのは。
怯えられていたのだ。
取り巻きたちはもしや、リーダーを守っていたのか。別の方向でショックだった。
「これって、秋穂ちゃんがクラスで孤立してて、その原因がうちってことかな」
頭上から、聖のまったく抑揚のない声が降ってくる。
「……えーと。あの、惨劇は本当ですか?」
「うん。前の住人は抗争してたし、俺たちもこないだみたいによく襲撃受けてたからね。ルミノール溶液ばらまけば照明器具いらないだろうな」
さらっと肯定。
歩きだす聖の後ろをてくてくついていきながら、ルミノールってなんだろう、あとで調べようと思った。
「人に言われるのがイヤならうちにくるの控えたら? 夜なら狽だけで来れるんじゃない? それじゃ」
気がつくと、自宅のすぐそばの路地に出ていた。確かに驚異の近道だった。
怯えられているだけなら誤解を解けばいいことだ。どう誤解を解こうか考えていると。
『うむ、この半紙は無垢なだけに秋穂の祈りがそのまま入っておる。うまいぞ』
もぐもぐ狽が満足してくれた。
「紙に無垢とかあるの?」
『どのチラシもわずかに、客来い!や、売れろ!などの思念も入っておるからの。だが我はどんな紙でも秋穂の祈りが味わえればそれでよいぞ。うむ、うまい』
むぐむぐもぐもぐする狽を見ながら、秋穂はつぶやいた。
「客来い……かあ。どうして室長さんとこ、保健庁関係だっていう看板掲げないのかなあ。お客さんがこないと思うけど」
ちゃんと国の施設と分かれば皆に怯えられないはず。やくざだの忍者だのに勘違いされているのは残念だ。もっとも、やくざだのよりアレな存在ではあるが。
『政府の隠密機関であろうのう。あやつら我らには申しておらぬことがある』
「……もしかして本当に忍者ということ?」
『御庭番衆の方でいってほしいのう』
しまった、誤解を解いてもどうあがいても、怪しい集団なことに変わりはないと秋穂は気づいた。
「うちにくるの控えたら?」と冷ややかに言われたことを思い出す。
狽はともかく人狼じゃない部外者の秋穂はやっぱりうざいんだろうか。聖は栄太と違って、人間の時も狼性質が強いそうで、自分の『群れ』以外は排他的だ。
以前栄太は
「あいつ根が冷血だから、ひでーことぽろっと言うだろうけど、気にすんなよ。あれでも本人はかなり優しいつもりだから堪忍してやってくれ」
そう言って聖をかばった(と思う)。 仲が悪そうに見えても、仲間意識はあるんだなと感じる。
(仲間かあ……)
看板を出していないこと、彼らが忍者人狼だとしても、秋穂はあくまでも『外の人』だ、立ち入ってはいけない。それはちょっとさみしいことだけど。
「狽さんは……ずっと一人でさみしかったよね」
『……そうだの。だが我のような長生きの者は孤独に耐えるように出来ておる。でなければ生きられん。それでも何かに属したいものよ。一匹狼は大半野垂れ死にだからの。今はさみしくないぞ秋穂』
そう言って狽は満足げに、ぽふっと秋穂の膝に頭を乗せた。
「うん。ずっと一緒だよね、狽さん」
『当然よ』
そういえば、とルミノール溶液のことを調べた。
――血液が一旦付着した場所に撒くと発光する液――
知らない方がよかった。
***
「はいじゃあ二人で一組になってー」
ダンスの授業。
なにかで見かけた、トラウマセリフランキング上位になった言葉が体育館に響いた。
担任は腹膜炎でしばらく入院、代理の先生はどうやらこのクラスが、秋穂が転校してくる前の偶数人数のつもりでいるらしい。
急いで近くの女の子に声をかけようとすると案の定逃げられた。こうしてよくよく気をつけてみると、ヒソヒソこわーい、と聞こえる。やはり間違いなく怯えられている。とりあえず。
「先生、私が余る予定なのでどうしたらいいですか」
「日向さんは転校してそろそろ2か月でしょう? 自分から動かないと何も始まらないのよ? 誰かがどうにかしてくれるって待っててそれで何か出来るわけじゃない、甘えなのそれは。そこの男子!ちゃんとやりなさい!」
だめだ色々忙殺されている教師だ。
一匹狼にならない方法は、何かのテリトリーに属すること……この際なんでもいい、なんでも……一人フラフラと校内をさまよう秋穂はふと、職員室の前にあるガラスケースの中のトロフィーに目が留まった。
『紙工作県大会 小学校工作部 金賞』
工作部ってあったのか……これだ!
さっそく放課後、部室に行ってみる。
「えっ、あの子……」
同じクラスの女子もいた。「え?あの子何か問題あるの?」と他のクラスの子や6年生が尋ねると、声をひそめて話あう。目の前でヒソヒソされて、やっぱり仲良くするのは無理かなと落ち込んだが、とにかく自己アピールだ。
「あの、工作っていうか私、折り紙がやりたくて」
「折り紙と工作は違うよ。こっちはちまちま遊びじゃないんだよね」
6年生だろうか。メガネをかけた男の子がつまらなさそうに言う。
「こういうのだよ」
彼が見せたクラフト工作は、一メートルはありそうな江戸城。
「すごい……本物みたい……」
ここまでやる人が身近にいることに感動した。秋穂の反応に気をよくしたのか、彼は少し愛想をよくして言う。
「工作っていうのはこういうのなんだよ。わかった? だから折り紙はダメ」
くじけそうになるが、すでに自分の評価は下も下、言うだけ言ってみた。
「じゃあ、折り紙でこれくらいのもの作ったら工作になりますか? そしたら入部してもいいですか?」
「なに? じゃあ見せてもらおうか」
「部長、いいんですか?」
秋穂のクラスの子や評判を聞いた子たちが不安がる。部長らしい男の子はメガネをくいっと持ち上げて秋穂に告げた。
「いいじゃないか、この世は実力主義。皆さん帰りましょう音楽が鳴るまでにボクが作ったくらいのものを完成出来たら、両手を広げて認めてやろう」
栄太の倍くらい歳を重ねたような口調の部長は、秋穂の中で『社会人部長』になった。なので母が仕事関係の人にやるみたいに「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。
城くらいに大きなもの……。父の手の運動で一緒にやった事、狽を喜ばせるために、鶴だけじゃなくいろんなものを折ってそして喜んでもらった実績がある。
秋穂は凝り性だった。
「……くっ……たかだか折って重ねただけのくせに……っ」
秋穂の作ったのは西洋にありそうな巻き貝状城下町である。とんがり屋根と箱を短時間でたくさん折ることができれば勝利はこちらのもの。内側の土台が雑になってしまったが、完成は完成だ。気づけば周囲はどよめいていた。
「すげーよあいつ、折る手が速くて見えなかった……」
「これ知ってるー!もんたさんとミシェルって言うんだよな!」
「別の方向でこわいわ……」
やっぱり怖いのか私……と、また萎縮してきた。
「……いいだろう、入部を認める。約束は約束だ」
社会人部長は認めてくれた。ちゃんと両手を広げている。
「あ、ありがとう。がんばります」
「だけどボクは完全にキミを認めたわけじゃないからな!」
そう言うと身をひるがえして出ていった。彼は何のキャラを目指しているんだろうか。いろいろ見応えがある少年であった。
「なんかちょっとすっきりしたあ。加納ってばいつもいばってんだもの。親が有名な建築家だからってさあ」
そう言ったのは6年生の女子だった。
「そうだね。これで少しはおとなしくなってくれればね。ねえよくやったよ、あなたえーっと」
「あ、日向秋穂です、よろしくお願いします」
「秋穂ちゃん、よろしく」
さすがに上級生は下級生に怖いとか関係ないようで、気軽に声をかけてくれた。
「先輩、でも、私怖い……」
同じクラスの子が怯えながら先輩に訴える。秋穂は今こそ誤解を解くとき!と決意。
「こ、怖いことしない、絶対、私、怖く、ない」
あわてふためいてカタコトになった。それを聞いて男子がぶーっと噴き出した。
「なに外人だったの?」
「なんだよーやくざじゃなくてマフィア?」
あはははと笑われ、秋穂はすみっこに逃げた。そして心を落ち着かせるために――折った。折りまくった。
「こら男子、バカにしないの! ん?」
叱った上級生は秋穂が再びすみっこから戻ってきたのを見て、驚いた。
「これ、あの、怖くないって、信じて……」
秋穂は両腕に折ったものを抱え、それを怖がった女の子やみんなにも渡した。
「えーこれバラだあ!かわいい!」
「今作ったの? すご……」
同級生の子もさすがにバラの折り紙に心を動かしてくれた。秋穂の泣きそうな真っ赤な顔も相まって。
「……ありがと」
「……うん!」
有紗ちゃんという友達ができた。
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