第5話 狼狽の力Ⅱ

 やっと妖霊獣警察から解放され、目的地に近づく。森の中にいくつか点在する別荘地が見えてきた。


(あそこだ!)


 ワゴン車が止まっている別荘。ちょうど男たちが数人、出てきたところだ。


(あやつらか! ゆるさん!)


 狽は男たちのそばまで飛び跳ね、着地して姿を現した。その巨大な白い体は地を揺るがして降り立った。

 目にした男たちはぎょっとして青ざめた。目の前にグリズリーよりも巨大な生き物が突然現れ、巨大な牙を見せて低く唸っているのだから。


『よくも秋穂を泣かせたな貴様ら!』

『お前らもおっちゃんと同じくらい苦しめ!』

「ひ、ひいいっ」


 硬直した者、腰を抜かした者、ほうぼうのていで逃げる者。腰を抜かして動けない男は目の前に巨大な口が迫ってくると、恐怖のあまり気を失った。

 構わずその肉を噛み切ってやろうとした時―――


 びたん。


 狼狽は転んだ。足をひっかけられたのだ。


「やっぱり何かやらかすと思ったんですよねー。つけててよかったですね、係長」

「そうだな。だめだよ君たち」


 さっきの妖幻霊警察の二人が現れた。この二人がいつのまにか狼狽の両側に立って、伸ばした棒で足を引っかけたのだと分かった。


『邪魔すんなくそ警察!こいつらがなにしたかわかってんのか!犯罪だぞ!』


 怒りに走っている栄太はくってかかったが、彼らは困りがお。


「妖獣が民間人への故意の殺傷も犯罪ですよ。人間の犯罪は人間の警察に任せなさい。あなた方は簡単に人間を殺せる事、忘れないでくださいね」

(っ!)


 栄太は息を飲んだ。少し頭が冷えてきたが、半身の狽はそうはいかなかった。


(知ったことか! 秋穂のような小さな者を泣かせおって! こやつらも子供のように泣きわめくといい!)

(おい、やめろ狽)


 狼狽の体は栄太より狽の方が主導権が大きかった。

 ギュインと風が広範囲に巻き起こる。『狼狽』が、辺りに広がっていくのを栄太は見た。


「ななななんだよなんなんだよ」

「どうしようどうしようどうしようどうしよう」

「どうすればいいんだよおおおううう」


 男たちがわめきだした。遠くへ逃げていた最中の男もただあわあわして同じところをグルグル走っている。

 妖幻霊警察の二人は「やってくれましたねー」と眺めている。


(おい狽、やめろ、あいつら泡吹いてるぞ)


 狼狽える男たちは服を脱ぎだしたり、地面に頭突きをしたり、パニックの極限になっている。どうしようどうしようと、泣き出す者もいる。


(こんなもので済むと思うな! 死ぬまでそうしていろ! 発狂の先がどうなるか時間をかけて味わうといい!)

(やめろっつってんだろ!)


 栄太は体を動かす決定権がないならと、無理矢理狽から意識を離した。とたんに。


 ぽんっ。


 狽は元のヤギのような小さい体に戻りぽてんと転がった。

 栄太の方は人間に戻り――「わー!だれか服くれー!」

 警察の一人がやれやれと外套を放り投げてくれた。

 パニックになっていた男たちはくたっとして、倒れた。激しい感情の揺さぶりに、意識が疲れて気を失っていた。


『……なぜだ、なぜ止めるのだ栄太。我は秋穂に報いたいのだ。母君に報いたいのだ』

「後味悪いからパス。だいたいお前が厳罰食らったらあの子、おっちゃんの娘がもっと泣くってわかんねえのか?」

『……我は、報いたいのだ……ぐす……でも他に方法がわからんのだ……ずび……』


 立てずに横たわりながらえぐえぐ泣き出した狽を、栄太は「しょうがねー奴だなー」と抱きかかえた。それから男たちの様子を調べている妖霊獣警察の方に向き直る。


「えーと。逮捕っすか?」

「んー。外傷なし、脳も血管も疲弊の反応以外異常なし……。てことは被害なしだね。じゃいいよ。あっ!外套に鼻水つけないでよ!ほらハンカチ!」

『ずびいぃ……』


 外套を着た栄太の腕の中で、狽は鼻水と涙だらけの顔をぬぐわれる。こうしているとコロッコロとしたただのヤギだ。栄太はちょっと美味そうにも思えたがそれ以上考えないようにした。


「にしても、怪我させたら即逮捕なら、最初から俺らを止めときゃいいのに」

「妖獣が妖力使うのを罰するわけじゃないですよー。体に備わってるもの使ってないと弱りますからねー。筋肉と同じでねー。使ってもいいけど故意に民間人殺傷に使ったら罰則って事です」

「……ややこしーし意味わかんねえ」


 警察官はずいっと栄太に顔を近づけた。警帽の下で愛嬌のある顔がにこっと笑う。


「可愛いお犬ちゃん。君、いつかうちに入りませんか? 素質ありますよ」

「ああ!? ばかにしてんだろ!」

「ん? あ」


 彼女が不思議そうな顔でとある方角を見ている。そちらを見ると、地元警察のパトカーと、セダン型の車が向かってくる。


「『表』の警察ですね」

「あっ!」


 セダンから降りてきた男に栄太は見覚えがあった。強盗担当の刑事だ。

 栄太の話を聞いてくれはしたものの、絶対無視されるなこれ、と思ってたが、そんなことはなかったんだろうか。


 こうしてちゃんと強盗達は逮捕された。

 あとで刑事から聞いた話だと、犯人たちは外国へ高飛びの予定で、ちょうど今日これから、空港へ向かうところだったらしい。

 犯人はおっちゃんの同僚だった。

 自分ではなくおっちゃんの作った設計の方が認められたことに、かなり悔しさを滲ませている男を、産業スパイはたやすく攻略した。

 おっちゃんの開発した設計データを高く買う、君も倍以上の報酬と今以上の肩書で優遇するよと誘われ、あっさり乗る犯人。

 さっさと高飛びしなかったのは、予想以上に警察の動きが早かったことだ。法が改正され、産業スパイには厳しくなったのだ。顔瞳指紋認証データが全国に出回り、どこからも出国は出来なくなっていた。

 実はおっちゃんは以前から同僚の動きを不審に思い、幹部に相談していた。あの日も同僚を説得しようと会社に呼び出すと、カッとなった同僚に反撃を受けてしまった。だが不審な相談を受けていた会社側は、データが奪われた痕跡に即座に気づき、即座に警察に届け出ていた。

「君の提供した動画も逮捕の決め手の一つだ。被疑者がグループにいたのが映っていたからな。助かった」

 刑事は無愛想だが感謝をしてくれた。



 少しはおっちゃんやあの家族が救われるだろうか。


(……結局、我の力は秋穂たちに役立ってないではないか)


 霊道交法に従って、周囲確認と安全飛行を心掛けながらの帰り道。狽はつぶやいた。


(なんだお前、落ち込んでんのか。まーでもほら、少しは足止めになった……か?)

(我は恩も返せぬ。何もできぬ。狼狽なんぞ何にもならん……)


 しょぼくれる狽。


(便利グッズを出せる青猫になりたい……桃太郎みたいに何か持って帰りたい……)

(帰ってやればそれでいいんじゃないのか? あの子、お前を望んでただろ。あと何も望まなかったじゃん)

(秋穂はぬしの無事を望んでおったのであって、我には別に……)

(へ? なんで俺? そういや俺、いつの間にか家にいたな)

(寝込んでおったのを覚えておらんのか。――おお、趣味の悪い家が見えてきたぞ)

(ほっとけ……あれ?)


 和洋折衷4階建ての栄太の住処。壊れた玄関先でうろうろしている小さな姿が見えた。


(秋穂―っあきほ―っ)

(興奮すんな。まずは着替え……おいそっちいくな!)

(あきほーっもしや我を探してくれたのかー!)




 秋穂は呼び出しボタンを押せばいいかどうか迷っていた。

 朝も、狽が来てないか尋ねに来たのに、またもや来たらうっとおしがられるだろうか。室長も聖も一人で会うのは正直怖い。

 母は警察からの電話があり、急いで出かけて行った。ただ声が喜びに弾んでいたので、悪いことではないようだった。

 父の面会は4時以降になっている。術後経過の検査や、安静時間をとらないといけないので、面会時間は短い。時間までの間、狽をもう一度探していた。

 けどもうどこにもいない。寂しさでうなだれていると。


「用があるんじゃないのか?」


 壊れた門の向こうから、あの灰色頭の中学生が現れた。にかっと笑っていた。


「あ……!犬さん…じゃなく……」


 元気な姿に喜びが湧いたが、悪い事をしてしまった罪悪感で、言葉がもつれてしまった。


「あの、あのっ、ごめんなさい、わたし、ひどいこと言って苦しめて」

「ん?なんだっけ?あやまるようなこと何もないぞ?」

「だってこわがって、それでつーほーしようとして、それでぜんぶひていして、それで」

「そっかーわりーと思ってたのかー。じゃあもう気にすんな。俺は気にしてないから。それに、ほら、元気がでるもの」


 ひょいっと出されたものは――白い毛のヤギ、ではなく。


「狽さんっ!」

『あ、秋穂……すまん、土産は何もない……手ぶら……』


 栄太の手の中でうなだれる狽に秋穂は首をかしげたが。


「狽さん、よくわかんないけど、出て行ったんじゃないよね。うちに帰るんだよね?」

『よ、よいのか? ただの大飯ぐらいで役立たずで……』

「いいから行けほら」


 栄太が無理矢理秋穂に手渡す。


ぎゅっと抱きしめられて、狽はまた涙を流した。

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