第2話 人狼の家

 母が庭づくりで使っていたトロッコに、毛布でくるんだ狽を乗せ、秋穂は歩いた。

 10才にはなかなか重かった。が、父と犬、いや人狼も救えるかもしれないのだ。通行人が「この子何してるんだろう」と見下ろすが、気にしていられない。

 大分遠くまで来て、へとへとになった。陽もくれたため、明日の休日に再開することに。

翌日、朝からはりきったがなかなか見つからない。

2駅くらい離れた住宅街まで来た。


『ここだ。ここにおる……おおぶんぶん感じるぞ、狼の気を』


 秋穂はあんぐり口を開けた。武家屋敷のような塀で囲まれた、和洋折衷の大きな建物。庭も広そうだ。狼男とは闇でコソコソ洋風なイメージだったが、ここは百年前くらいの旅館のような目立ち具合と豪勢さだ。

 インターホンにやっとで手を伸ばして押すと、スピーカーから『はい』と男の声で返答。


「あの……灰色頭のじんろうさんは大丈夫ですか」


 なんと直球これはいたずらで終わるだろうと狽は思った。

 返答がない。時間が過ぎていく。

 諦めかけたとき、門扉がバンと開いた。武家屋敷風の門がまえだが実は自動ドアだった。


『入れ』


 おそるおそる入るとバンと門扉が閉まった。秋穂は怖くなったが狽もいる。そう思って狽を見ると、寝ていた。どうしようと思ったがもう引き戻せない。父の為だとふるいたつ。

 広い庭園の踏み石を歩いていくと。


「だれだ」


 ドスの利いた声。黒服の男が野点傘の下にいた。

 大男だった。大仏様がブートキャンプに参加して柔和さと徳を落として髪をストレートにしたらああだろうか。いや社会人になった阿修羅像か。いけない罰当たりだと秋穂は視線を変えた。

 大男の隣には学生服の少年。犬を連れ去った彼だ。まっすぐな艶の黒髪と切れ長の眼、冷水のような印象。

 二人は床机――ではなくパイプ椅子に座って秋穂を凝視してくる。

 とくに少年の方は、瞳が冷ややかすぎて怖さを感じた。こういう時は歳が近い方に恐怖を感じる。大人と違って容赦の加減をしないだろう。


「何者なんだ? お嬢ちゃんは」

「正直に答えたらちゃんと帰してあげるよ」


 男と少年はそれぞれ冷ややかに話しかけてくる。不穏な空気が流れ、2人は秋穂をどう料理しようかといった面構え。怖いが、父と灰色頭の少年が助かるかもしれないのだ。


「あの、灰色頭の犬…じんろうさんは元気ですか。元気になるものを持ってきました」

 

 秋穂はそう言ってトロッコの毛布をはいだ。二人は寝ている狽をしばらくジッと見下ろした。

 大男がおもむろにつぶやく。


「今夜はジンギスカンだな」

「これは太ったヤギです。羊と間違えないで下さい、室長」

「同じ扱いの国もある」

「でもヤギは臭みが強いですよ」

「なんにしてもジンギスカン風でないといやだ」

「はいはい。どのみち下ごしらえに日数かけないと……あれ?後ろ半分ないね。君が捌いたの?」


 二人の会話があまり理解できない秋穂は、少年に訊かれても返答ができない。


「なわけないか。見舞いありがとう。おいしくいただいとくから」


 ここでやっと狽を食べる気だと分かった秋穂は青ざめた。そんな秋穂に少年は冷ややかに尋ねる。


「ところで君はどこのだれで、親御さんの連絡先は――」

「食べないで!」

「え。じゃこれどうするの?」

「えっと、合体すればいいんです!」


 思考が迷宮に入った大男と少年は時が止まったようになった。

 そのすきに秋穂は狽をゆさぶった。


「ばいさん、起きて」

『…ぅうーむにゃむにゃもう食べられぬ…』

「起きなきゃ食べられるよ! チンギスハンにされちゃうよ!」

「ヤギがしゃべった!」


 大男が驚きの声を上げたので狽は『やかましいのう』とようやく目を開けた。


『何者だ、我を大平原の覇者にしてくれようとするのは』

「せんわ。来訪しておいて何者だとはなんだ。こちとらタレに漬け込んだ後焼いてやろうとしているだけだ。ジュージューとな」

「室長、空腹なのはわかりましたが不審者相手に正直すぎます」

『ん? ふっ、ふははははは! これはこれは人狼が二匹も! 素晴らしい! このようにコソコソ人に紛れて生き延びねばならぬ哀れな者たちよ!ふははははは!』


 男2人は、立てずに横たわったまま高笑いする生き物を「お前の方が哀れっぽいよ…」と生ぬるい目で見下ろした。

 秋穂はなりゆきをただ眺めているしかなかった。この人たちはほんとうに人狼なのか。


「で、お前はなんなのだ」

『……まて……笑いすぎて疲れた……秋穂よ……説明を……』


 手間のかかる生き物だ、子供をあてにしてプライドないのか、と男二人は顔に書いた。


「えと、えと、狽さんは……」

「狽だと!?」


 大男が驚いた。少年が「室長、知ってるんですか」と尋ねる。


「オオカミには至宝の存在。簡単に言えば力の互換増幅装置。これは失礼した」

『判ればよい。我は足が欲しい。足を。われもその分を返そうぞ』


 突然話がとんとん拍子に進んだ。


「では時間がないようだからさっそく私めが」

『頼む』

「え、狽さん、犬さんは!?」

『もうめんどうだからこの際誰でもよい』

「おじょうちゃん、俺のような強い者の方がふさわしいんだよ」


 大男の言葉に秋穂はとまどった。だが、どうにもできない。


 ぽん。


 大男の服がきれいにはじけ飛び、そこには巨大な黒と白の混じった獣がいた。犬じゃない。見間違いようのないくらい大きく、目つきはどこか犬にはない冷酷さ。これがオオカミ。秋穂は本能的に怖さを感じた。

 そして秋穂たちの目の前でオオカミと狽は、融合した―――


 ぼーん。


 秋穂と少年はあっけにとられた。

 さらに巨大なオオカミとなったのだ。が。

 足が長い。どれくらい長いかというと、オオカミの巨体が茶室の屋根より高くなるくらいに長い。

 秋穂は思った。これなら7匹の仔ヤギ童話になってもヤギ家のドアよりはるか上空、よかった仔ヤギさんたちは無事でいられる。


「……室長。眺めはどうですか」


 他に言うことが見つからなかった少年の呼びかけに、頭上から「…グル…」と低い唸り声が小さく返ってきた。怖がっているようだ。無理もない、足が長すぎて、体に対して細く安定がない。よってぐらぐらする。

 そして、巨大オオカミはくにゃりと倒れた。


***


『……ぎもぢわるい……』

「……地面が遠いのは苦手なんだよ……四足動物は地面が好きなんだよ……」

 元の姿に戻ってぐだぐだな二人に、少年が提案する。

「あーじゃあ人間のままでやってみたらどうでしょう」


 そんなわけでもう一度。

 

ぼーん。


 大男の上半身はそのままに(服着用)、腹部から下がオオカミの体、四つ足となった。


「これ……ケンタウロスかな……」


 秋穂のつぶやきに隣の少年も「ああそれだね」とつぶやいた。


「ただ……足、短いですね。室長」

「俺が短足みたいにいうな。馬を基準に考えるな。……だが確かに、この狼足サイズだと背が低い…」


 秋穂より少しだけ高い目線で大男は、悲し気につぶやいた。

 違うこうじゃないと彼らは思った。



***


隆々とした鬣(たてがみ)を靡かせる、優美でありながら雄々しい四肢の狼。


「本来ならこうなるはずなんだが……」


大男が持ってきた古い絵巻。秋穂はその絵を見た。かっこいい。狼だ。


『ぎもぢわるいー、秋穂ー秋穂ー、紙…いや祈りー』


隣で体調が悪化した狽がわめき、秋穂は急いで持ってきていたチラシで鶴を折った。「元気になりますように」と祈りをこめるのを忘れず。

その光景に男たちは「老人介護だな」「未成年略取じゃないの」と言い放つが、狽も秋穂もそれどころではない。

男二人は秋穂の折った鶴をうまそうに食べる幻獣と絵を、あらためて見比べた。後ろ半分がないことを除けばやはり最高にヤギだ。そう思いながら少年はつぶやく。


「とにかく、室長とは息が合わないのかな」

「お前獅子舞と間違ってないか」

『……もしや。秋穂の祈りで我は復活した。であれば秋穂の望みどおりでないと無理やもしれん……』

「それはこのお嬢ちゃんの眷属になったということか」

「じゃあ何? 彼女、栄太の奴を助けたいから、栄太じゃないと上手く融合しないってこと?」


灰色頭の彼は栄太というのか。

秋穂は20羽作成を終えると顔をあげた。やっと本題に入れる。


「犬さん…じゃなく灰色頭のじんろうさんを助けたいです」


秋穂の言葉に大男が何か考え込みながら返答する。


「……じょうちゃん。俺たちお兄さんも助けたいって祈ってくれないか?」

「え…とおじさんのお兄さんも大変なんですか?」


何か落ち込んだ顔になった大男は「俺まだ三十…」とつぶやき、となりの少年が「おじさんですね」と追い打ちをしてから秋穂に向き合う。


「まだ名乗ってなかったな。俺は聖。こっちは…室長でいいか。君は?」

「秋穂です」

「秋穂ちゃん、室長に狽の力がほしいんだ。祈りとかで出来ないかな」


そう言われても、室長はとても元気そうだからせっぱつまらない。


『秋穂に無理難題をするでない。我が欲する祈りとは純真なもの、頼まれてするようなものではない』

「ヤg…狽。あなたの足の危機かもしれないんだけど」

『何?』

「実は別の人狼集団が俺たちを狙っていてね。彼らを追い払いたいんだ。かなり強くて凶暴な連中だから、狽と上手く融合できれば百人力なんだけどな」

『そんなに争うほど人狼がいたのか。知らなんだ』

「外国のやつらだよ。白狼でね。負けると吸収合併、彼らの所に引っ越さないとならない。そうなるとあなたの足になる狼はこの国からいなくなる。どうかな秋穂ちゃん。俺たちを助けてくれないかな」


秋穂は考えた。犬さんが目的なのに、一向に犬さんに近づけてない現状。だが困っている人を助けなさいと育てられている秋穂の答えは当然……。


「はい、たすけ」『ことわる』


狽が秋穂を遮って答えた。


『幼き秋穂を丸め込もうとするのが気に食わん。素直にさっさと言われたものを出せばよいものを。秋穂の言う通りにせぬのなら我がその白い連中につく可能性も考えるとよい』


秋穂の「狽さん私をかばってるの?」な視線を身に浴び、自分も秋穂を丸め込んだことを頭から追い出して狽はふふんとふんぞりかえった。

室長が肩をすくめて諦めたようにつぶやく。


「仕方ない、わかったよ。聖、あいつを連れて来い」と指示した。


しばらくして聖が灰色の犬を抱いて戻って来た。


「犬さん!」


やっと会えた。秋穂は思わず駆け寄った。が、毛布にくるまった犬、いや灰色のオオカミは眠ったまま。聖が冷たく言い放つ。


「体力が落ちちゃって人間に戻れない。この季節に、一気にアルプス方面往復なんてするから」

「犬さん……っ!」


室長も呆れた様子でオオカミを見下ろす。


「このありさまだからな。ったく、バカがバカをしやがって。いつ白狼の奴らが襲撃してくるかもわからないから、こいつじゃなく俺にと頼んでるんだ」

『いつ来るかわからんだと?そ…』


ドガアアアアッ


狽が話したのと同時に、もの凄い破砕音が響いた。門からだ。

「うわさをすればか」と室長は再び狼に変わった。聖は秋穂に「ヤギ連れてここを奥へ行って」と言い残し、門の方面へ向かった。


『おい、我の足を先に……っ』

「狽さん、あぶないよ」


秋穂はトロッコをひっぱって、言われた通りに庭園の奥へ行った。が。


「秋穂! 秋穂を出しなさい! 警察に連絡するわよ!」


……母の声だった。


「ママ!?」



母がとりみだして駆け寄ってきた。どうしてここに。

今日は友達の家に行くと言ってあった。……友達はまだできてないが。

門は車により木っ端みじんになっている。聖が「あーあ」とつぶやき、その隣で室長が狛犬のように固まっていた。


「秋穂、どこも何ともない!?」

「ママ、どうして……」

「パパの事が一段落したから、秋穂のお友達も誘ってご飯にいこうと思ったのよ。そうしたら……」


秋穂のGPS携帯から居場所はわかるが、その場所を見て、大きな敷地に疑問を抱く。念のため住所検索をして真っ先に出てきたのが。


『広域指定暴力団 矢苦座』


暴力団……。こわいところだと秋穂にも分かる。

この人たちは暴力団だったのか。考えてみれば違和感ない。

秋穂は青くなり涙がにじんできた。父が病に倒れたことで、てんてこ舞いになっている会社の為に、母は色々忙しく走り回り、毎日くたくただ。母の髪も振り乱れてくたくただ。なのに自分がさらに追い打ちをしてしまった。

母を心配させないようにとついたウソがかえって心配を作ってしまった。


「マ、ママ、ごめんなさい、パパを助けたかったの、ごめんなさい……っ」

「何があったのかはあとで聞くから、とにかく帰りましょう」


母はゴーゴンのように髪を振り乱しながらも、黙って様子見している聖に告げる。


「門の弁償及び今後の交渉は弁護士と警察を通して……」

「そのサイト、情報更新してないんだと思う」

「はい?」


聖の言葉に母の振り乱した髪のパワーが心なしかしぼんだ。


「暴力団は数年前に解体されてここは政府主体のオークションにかけられました。まあ、かなりいわくつきの事故物件なんでどうしても買い手がつかず、うちが引き取ったんです」

「……えっ」


母は学生服を見て、門を見て、聖を見た。


「えー。私はこういうものでして」


いつ着替えたのか、室長が燕子花の後ろから現れて母に名刺を渡した。


「…………特殊保健庁危険動物管理局危険対策課分室室長室長(むろなが)志津馬……?」


次に出されたのは写真入りの公務員証。次は庁舎での職員合同写真に写る室長。次は庁配布職員通信に乗る室長。次は歓送迎会でへべれけの室長――数々の証拠は彼がいかに今まで信じてもらうことに苦労してきたかを物語る。

ともかく室長は――お役人さんだった。

母はへなへなと座り込むとそのままこてんと倒れた。


「ママあ!」





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