狼狽物語

黒川晶 

第1話 出会い


 ヤギ?がいる。

 繁みの影に置いていた秋穂のランドセルの上で、寝ている白い生き物。

 ここは父がいる病棟に隣接した、森林公園。なぜヤギ?がいるのだろうと思ってると、「あ、ヤギじゃん」と頭上から声がした。

 学生服――高校生くらいの男の人。小学生の秋穂にはちょっと怖い世界の人に見えた。なにせこの人髪の色が灰色。染めている=チャラ男=怖い、だ。

 そして10才の秋穂の世界から見る彼は、とある万博の塔くらいそびえたって映る。

 塔がこちらを見下ろしたが、その顔はにかっと笑った。これは父の来客が「怖い人じゃないよー」と笑うたぐいのものだ。だが油断はならない。

 おもむろに防犯用キッズ携帯を取り出す秋穂に、彼は首をかしげる。


「え? ヤギあっちだよ? 何で俺を撮るわけ?」

「あなたがつーほーあんけんかもしれないので証拠のさつえいを」


 高校生の笑顔が硬直した。それから半目になった彼は「生きづらい世の中だ…」と老けたことをつぶやいて、立ち去っていく。

 秋穂は子供心に、ひどいことを言ったと感じ、同時に心細くなった。ヤギは繁みに半分隠れているが、それでも意外と大きそうだ。生で見るとのんきタイプに見えない。

 とててと彼に駆け寄り、学生服のズボンをつかむ。彼は「うわ!」と声を上げて転びそうになったが持ちこたえて、秋穂を見下ろした。


「何? しょっ引く気か? 俺まだなんにも…」

「ヤギ怖い」

「……あー。ランドセルの中身食われたらたまんねえしな。しゃーないな。じゃあ通報すんなよ。絶対だぞ」


 ヤギからランドセルを取り戻し帰ってきた彼が、塔から西郷どんの像に変わった。それくらい頼もしかった。


「ありがとう」

「な? 俺はわるいひとじゃないからな? 灰色頭の男はいい男って覚えとけよ」


 またにかっと笑う。父の事で沈んでいた気分が高まって、秋穂も笑った。笑う事がなくなっていたから久々だった。


「よしよし。さて帰るか。ヤギもあばよ。アーループ―スーいちまんじゃーくー」

「それ子ヤギじゃなくて小ヤリだから」

「……」


 またもや笑顔を硬直させてしまった。まだ何も言ってないうちにつっこんだのは失礼だったろうか。が、彼はすぐにすました態度になった。


「し、知ってるしーこのまえもちょろっと踊ってきたしー」

『アルプス一万尺』歌詞1番に潜む危険性を知っている秋穂は即座に言った。

「うそつくのはオオカミ少年っていうんだってパパが言ってた」


 使用用途が違っているが、うそはうそだ。

 途端に灰色頭の少年は真顔になった。


「聞き捨てならないな。あの話、嘘ついたのは少年でオオカミは無実でオオカミ少年という登場人物は存在しないにも関わらずこの合体名称を全世界が許容しているのは真のオオカミ少年の沽券に係わる問題だ名誉棄損だ」


 秋穂は首を傾げた。なんでこの人突然真剣に語り出してるんだろう。あと何言ってるのかよくわからない。


「えと、ごめんなさい?」

「おう」

「でもうそついたよね?」

「………」




 2日後。

 その日も公園を訪れていた秋穂は、繁みの影から「おい」と呼ばれた。あの高校生が木に寄りかかっていた。どうしたんだろう。元気がない。顔色が悪い。


「……よう。やったぜ俺は……。どうしてもこれを見せたくて……」


 ぐったりした口調で彼は秋穂に自分のスマホを渡した。何のことかといぶかしみながら見ると動画。

 驚愕した。

 残雪まだ深きアルプスであろう光景、そしてそれを背景に彼が踊っている―――

 彼はやったのだ、本当に。


「どうだ……」

「うん……すごい……」

「だろ……」

「でも……ここ小ヤリじゃなくて大ヤリ……それに踊ってるの、アルペン踊りじゃなくてコサックダンス……」


 何度目だろう、彼の笑顔が硬直するのを見るのは。

 そして少年は、力尽きたようにパタリと突っ伏した。


 秋穂は家に来たことがある父親の部下たちがかっこよくて、あんな風になりたいと思った。それに対して父は言った。

「いっぱい知識がないと、なれないよ。すごい奴らなんだよ。だがその彼らの上に立っているパパはもっとすごいということにならないかな?な?」

 前半の言葉を心に刻み、父の書斎の本を読んだりした。おかげで知識がちょっと子供らしくなくなった。大人は「聡明な娘さんで」と褒め言葉をくれるけど、彼らの苦笑いには子供らしくない知識=不気味な子供になるという答えがあった。

 今回の高校生とのやりとりもそうだ。

 自分がしたのは、空気読まず知識披露というウザ業だったと理解し、大後悔する。

 具合が悪いのに、自分の言葉が追い打ちになったのだ。青ざめて大人を呼ぼうとした、その時。

 

 ぽん。

 

 秋穂は夢を見ているのかと思った。

 学生服が真っ二つに散らばり、少年の姿が変わった。

 ふさふさした灰色の毛の塊―――犬? 

 アラスカンなんとかかシベリアンなんとかか、とにかく寒い所にいる犬っぽい。

 イメージが上野の像から渋谷の犬の像になった。ふさふさしすぎだが。

 混乱しかかったが、ヒューヒューと鼻を鳴らして息を吐き、ぐったりと辛そうな様子に全意識が集中した。


「犬さん、しっかりして」


 自分じゃ運べそうにない大きさ。早く誰かを呼ばないと。そう思った矢先。


「離れてくれる?」と背後から声。


 振り向くと、これもまた学生服の少年が冷ややかな顔で秋穂を見下ろしている。いつの間にいたのだろう。

 あっけにとられている秋穂をよそに、犬と服を軽々と抱えた彼は、そのまますたすたと立ち去った。


 そして誰もいなくなった。


 ……すべて自分の夢だ。彼は元々犬で、人間に見えていたのは、イマジナリーフレンドとかいう未発達幼児が作る幻覚友達だったのだ。そうにちがいない。父が病に倒れた不安で作った妄想の産物だ。

 それでもいいやと、次の日も犬のいた場所に立ち寄った。

 だが犬は二度と姿を現すことはなかった。


 

 罪悪感が募る。自分がひどい事を言ったせいで力尽きたんだ。どうしてるんだろう。死んでいたら……。

 そうだ、母や見舞いに来てくれた人たちのようにすればいいんだ。皆が元気になるように色々してくれたから父の手術は成功したんだ。

 そこで彼の倒れていた場所にたんぽぽを供えてお祈りした。

 なにか物足りない。そこでたんぽぽとシロツメ草を花輪にしてみる。この程度でいいのだろうか、もっと偉大な方が効果的だろうと花輪をどんどん大きくする。秋穂は凝り性であった。

 更に土を盛り、小石で囲み、積み上げ、色紙に『げんきになって』『しなないで』『生きかえって』など放射状に幾つも書いて作った1人寄せ書きを真ん中に立て、鶴を無数に折って供えた。葬儀用祭壇風に近づいているが気づく由もない。ともかく立派な祭壇が完成した。

 達成感に満ち足りていると、背後にいつの間にか人がいた。

 犬さん!?と振り向いたが、公園管理の人が苦笑いで立っていた。


 その後、事情を話すと、色紙を見て「本当はこういうことダメだからね。まあ、人がこないトコだし3日間だけだよ」と言って許してもらえた。

 お礼を言って、祭壇へのお祈りを続ける。期間限定されると祈りに気合が入った。

(かみさま、パパの事でいつもお願いしてるけど、ずうずうしいけどもう1人、えと一匹、犬さんも助けてください)

 3日間お祈りをしたが、犬は来ない。

 落ち込みながらもしかたなく祭壇を取り壊そうとした時。

 秋穂は自分の目を疑った。

 祭壇が盛り上がってきた。

 ヤギが生えてきた。

 数日前、秋穂のランドセルに乗っかって寝ていたあのヤギだ。


『娘よ。我に気力を与えてくれ感謝する』


 しゃべった。

 イマジナリ―フレンドその2だったのか。妄想友達とはご都合能力が高いものなのだろう。


『我は三百年前もぐ、西方よりこの地に参った者もぐ。ぬしの祈祷、じつに美味むぐ』

「ヤギさん……」

『ヤギいうな。我は永き時を経てあやかしとなり、いづれ神へとなりぬる者もぐ。ヤギではないむぐ』

「でも……紙食べてるし……」

『……もぐ……』


 折り鶴と色紙、花輪をつまみにしているが、化学塗料たっぷりの現代製法紙を食べてお腹を壊さないだろうか。公園の草だってペットが食べては危ないと言われてるのに。


『紙が目当てではないもぐ、ぬしの祈りが籠もっておるから食べるのであって紙など別に…まあともかくこれは美味むぐ。余計な混じり物のないむぐ、素材の生かされた純真無垢な祈祷もぐ、ぬしの我に対する‟げんきになって”がこれほどまでとはもぐ』

「それ犬さん宛なんだけど」


 ヤギもどきのもぐもぐした口が止まった。


「犬さん、私のせいで具合が悪くなったから作ったのに……じゃああなたが食べてしまったら犬さんどうなるの? 元気にならな……ヤギさんっ!」


 ぱたりとヤギもどきが倒れ、秋穂は慌てた。やはり食あたりをおこしたのか、それとも自分がまたもや容赦なく活力を奪うまねを繰り返してしまったのか。


「ごめんなさいヤギさん死なないで!」

『我あてではない……これでは我は横恋慕の勘違い男もどきではないか……娘よ……ぬしがしたことは恋文を下駄箱間違えて入れたがために無関係の無垢な男がもてあそばれたのと同義……一度燃え盛った心の臓をどうしてくれる……あとヤギではない……』

「むずかしくてよくわからないです……」


 ヤギは崩れた祭壇にぐったり横たわったままになった。その体をよくよく見て驚いた。


「ヤギさん大変だよ! 体が半分無くなってる!」


 後ろ半分の胴体はまだ土の中から出ていないのだとばかり思っていたが、存在してなかった。


『ああ……。力が足りぬ……立つこともできぬ。ああ……祈りの力さえ摂取できれば、気も蘇ろうて……』


 チラッチラッと秋穂を見て弱々しく呟くあやかし。まだ10才に何が読み取れようか、秋穂は素直に「待ってて!明日たくさん持ってくるから!」と約束した。

 祭壇を片付け、全部きれいにして事務所の人にお礼を言ってから帰り、寄せ書きと折り紙の鶴をせっせと作った。どんな紙でも大丈夫なのだからチラシや新聞を切って作り続けた。父の時で鶴を作るのは慣れている。この機会に速度をあげよう。秋穂は凝り性であった。

 翌日、あやかしは同じ場所に同じように倒れていた。


「管理人さんに会わなかった?」

『ぬしにしか見えとらんようにしておる』


 そしてもりもり食べていくあやかし。

 だが一向にあやかしが元気に立ちあがる様子はない。二本足だから立てないというより、食べ過ぎて重量が増して動けないように見える。


「ヤギさん……」

『おおうまやうまや。さて寝るか』

 

 ヤギじゃなくてブタの生態なのか。気のせいか初めて見た時より、ころころ肥え太った気がする。とにかく元気になったならよかった……と思ったが、結局犬はどうなるのだろう……?


「うわああん犬さあんっ」


 不安が押し寄せて秋穂はこらえていたものが一気に噴き出した。

 父は手術をしてもどうなるかわからない。あの犬も結局自分の知らないところでどうなっているのか分からないまま。家で泣いたら母が心配する。ここは存分に泣ける場所だ。


「うわあああん犬さん……パパも……どうなっちゃうの…うわあああっ!」


 父は秋穂の事が分からなくなっていた。秋穂も父が最初は分からなかった。父と思えなかった。

 頭が包帯で覆われ、秋穂を見ても表情が抜け落ちてる父。秋穂を忘れてしまった父。


『娘よ…眠れんではないか……』

「うわあああパパああああっ」


 火が付いたように泣く子供を止められる万能さはないあやかしは、やれやれと顔を起こした。


『……しかたあるまい、礼もせぬとな。ぬしは犬とぱぱとやら、どちらを救いたいのだ?』

「パパ…!犬さんもぜったい…えぐっ」

『だからどちらかと聞いておろう……子供に無理か。うーむ、犬はどこにおる?』

「わ゛がん゛な゛い゛……ひっく……ぢゅゔがっごゔの゛制゛服゛着゛でだ……」

『鼻をかめ。犬が制服……?』

「……灰色の髪してて……でも途中から犬になった……」

『……!』


 あやかしは勢いよく立った。が、こてん。二本足で立てるわけもなく、倒れた。


「やぎさん……?」

『ふはははは! 我の足!足がまだこの地におったとは! オオカミが絶滅し長き時が経ち、弱る一方であったが、そうか、そやつらがおったか!』


 倒れてなお鼻息荒く目がらんらんとし、威厳高々としている。


『娘よ、礼を言おう。これは何かのめぐり合わせであろう。

 ――我は‟ばい”。オオカミをわが足にして生きる者』


 ばい……? 足……? 意味が分からないが、秋穂は必死に考えた。

 ヤギもどき、足、オオカミ……これで浮かんできたのは、足だけ母ヤギのフリをし仔ヤギ六匹を食した狂気のオオカミ童話「狼と七匹の仔ヤギ」。


「仔ヤギさんたちを食べないで!」

『なんの話だヤギは関係ない! とにかく我はオオカミと融合すれば歩けるようになるのだ』


 秋穂はまた必死に考えた。


「そっか! 獅子舞も前足と後ろ足で二人だもんね! 学芸会の馬役も二人だったよ!」

『……ヤギ獅子馬、次はなんの動物にする気だ』


 心の中で豚にもされたことを彼は知らない。


『まあとにかく、ぬしが見た犬、それは犬ではない、人狼だ。我の足になるものどもよ。オオカミどもは我の足と力になり、そして我もまたオオカミどもの力となる』


 じんろう……?


「狼男のこと……? 犬男だったらどうするの?」

『……………三百年この国にいて犬男は見かけんな…人面犬はてんで役に立たぬし人狼だと思いたい…まあよい、この我がその人狼と思しき者、捜し当てようぞ。融合することで我は完全体となり、その人狼の力も漲り、そしてぬしのぱぱを救うことができるやもしれぬ』

「本当!? パパも犬さんも元気になるってこと!?」

『さよう。なれば、さあ』


 顎でしゃくるあやかし。何がさあなのだろうと思っていると『運べ。所在を感知する力は蘇ったのでな』と言う。

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