第1部:第1章 新たな実り
運命には抗えない(1)
広大な黄金色の海が広がった。
真っ赤な夕日がさし、風が吹くと光の海に波が生まれる。昔の偉人が流れ着いたといわれる黄金の国とは、まさにここのことだったのだろう。
「…………」
僕は感動に打ち震え、自然と涙をこぼした。
――――待て。
「ここはどこ……?」
僕はさっきまで彼女を救おうと斬首塔で戦っていたはずだ。これだけ輝かしい光景など見る影もなかった。それに、黒装束の男もいない。
……なるほど。
「天国が自然豊かな場所っていうのは本当だったんだ」
妙に腑に落ちて、平静を取り戻す。
たぶん僕は死んで、ここはあの世なのだろう。
だとすれば――――彼女もいるのかもしれない。
僕に命を与えてくれた彼女。文字通り命の恩人といっても過言じゃない。……まあ、僕たちの関係は命の恩人ってだけじゃない気もするけど……。
だが、僕は彼女を守り切ることができなかった。
約束したはずなのに。
僕は……僕は……。
……あれ?
「彼女って……誰だっけ?」
僕の命の恩人だって記憶はある。
一人ぼっちだった僕に手を差し伸べてくれたのは彼女だけだった。
「……手を差し伸べてくれた?」
自分の言葉に疑問符をうかべる。
そもそも僕は一人だったのだろうか。手を差し伸べてくれたと言うが、思い当たる節はまったくない。
大切な何かがこぼれ落ちていくような感覚があった。絵の具に水を足すと色が薄れるように、意識が覚醒すればするほど記憶を思い出せなくなる。
ついには。
「僕って、誰だ……?」
自身をも忘れてしまう始末だった。
何がなんだか分からない。
僕は何者で、どうしてこんな場所にいるのか。
とにかく僕の置かれた状況を知るから始めた。
「ここは田んぼ……かな?」
景色を見渡すと、僕のいる場所が田んぼでああったことを改めて認識した。黄金色の海の正体は視界いっぱいに広がる稲だったのだ。
大地の神秘に感服する一方で、新たな疑問が生まれた。
どうして僕がここにいるかだ。
元いた場所はもう思い出せない。
けれど、田んぼじゃなかったことはたしかだ。
疑問がさらなる疑問を呼ぶ。
小さな僕の頭がショートしそうになったときのことだった。
ピトっ
僕の少し下のほうからそんな可愛らしい音が聞こえた。
なんだろうと何気なしに目をやると、
カサカサッ
超巨大な虫が僕めがけて登って来ていた。
「きゃんっ!!?」
思わず女の子みたいな裏声が出てしまったがしかたない。僕と等身の害虫がこちらを見つめて這ってきているのだ。
セミのような体型に茶色い筋の入った透明な羽からするにトビイロウンカだろう。稲の茎や葉にストローのようなものを突き刺し栄養分を吸収する害虫だ。
こういった一般知識は残っているらしかった。
「……あれ?」
ここにきて僕は最大の変化を知った。
――――僕、お米になってるくね?
先ほどまでは周りばかりを見渡していたから気づかなかったが、観察者の僕自体が稲に実るお米本体だった。お米のどこに目や口があるのかは鏡がないからわからない。
僕という存在がお米になっていることだけは確かだった。
……あ、ということは、
「僕があの虫に襲われることはないんだ」
トビイロウンカは説明した通り、茎や葉の栄養素を吸う害虫だ。お米自体を狙うわけではない。
とりあえずは一安心…………でもなかった。
トビイロウンカが害虫と呼ばれる理由は栄養素を吸う以外にもあった。
病原菌を運んでくるのだ。
つまり――――このままでは僕も病気に侵されてしまう。
「やばいって! うおおおおっ!」
危険を察知し叫んだところで意味がない。
僕はただのお米なのだから。
ウンカが食事を済ませながら大きな目でこちらをちらりと見てくる。
あ、いたんだお前。みたいな。
「ぶち殺してやるぅぅぅ!」
ぷちんと堪忍袋の緒が切れた。
が、前述したとおり僕は何もできない。
文字通り、手も足も出ないわけだ。
むせび泣いた。
「誰かあ、助けてぇぇぇ!!」
「問題ねえよ」
するはずもない声があった。
驚きと、藁にでもすがりたい気持ちとが交錯し絶妙に複雑な表情でそちらを見やる。
「…………」
「おう」
かきあげた前髪から一束を触角のように垂らし、不敵な笑みを浮かべているシュールなお米の姿がそこにあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます