ライフルとカワウソ
増田朋美
ライフルとカワウソ
ライフルとカワウソ
小森は、射的が何よりもすきで、子どものころから射的大会にもよく出ていた。大人になっても射的をしたかったから、狩猟免許を取得して、猪とかクマとか、そういう有害な動物を駆除する仕事に就いた。彼は毎日ライフル銃をもって、猪が出たとか、クマが出たとか苦情が出た地域にいき、その駆除を行うのが主な仕事としてあてがわれていた。
一応、狩猟免許を持っていると言っても、何時でも仕事がはいるというわけではなく、いつもは公務員として不条理ばかり言っている上司や、おかしなことを要求してくる客を相手にしている。一応狩猟免許という物を持っているにもかかわらず、普通の人は一般的な公務員としかみなさない。そのうえ、小さな子どもには、シカや猪を狩ることが、可哀そうな事だと思われて、おじさんは野生の動物を殺す悪い人、と泣かれることも珍しくない。
だから、小森は何時も馬鹿にされている。客には、能率の悪い市民課の事務係と言われているし、上司には、いつまでも子どもの心をもった馬鹿な人と言われている。そして、小さな子どもには、動物を殺す悪人。どうやったら俺は、一人前として認めてもらえるだろうか。いつも其ればかり考えていた。
小森がライフルにはまったのは、父からの影響だった。趣味的に父が連れていってくれた射撃場で、標的をいじめっ子だと思って、それを撃つのがすごく感動的だったのである。なよっとしていて、勉強も出来ないし、大してスポーツの成績も良くなかった自分が、こうしてライフルをもって、的を撃ち落とすことが出来るのは、ものすごい快感だった。それを覚えてしまうと、小森はライフルにますますはまっていった。子供用の射撃大会にもでて、優勝したことも何度もあった。中学生から高校生位の時だろうか。国民体育大会に出場させてもらった事もある。結果は惨敗であったが、この大会に出させてもらった事は、これから一生ライフルを持とうと決めたきっかけでもあった。
とにかく馬鹿にされていても、自分はライフルにほこりを持っている。其れだけはたしかだ。たとへどんなに馬鹿にされても、自分はライフルを持っていたいと思うのだが、もう一つ欲求不満な事もあった。其れは、この町の市長や役員が、自然保護に力を入れ始めたため、小森がライフルをもって実際に狩猟に出る機会がほとんどなくなってしまったのである。猪を駆除するにしても、殺してしまうのではなく、罠を仕掛けて生きたまま山に返すという方針が強くなった。なので小森がライフルを持ち出すのは、富士市内にある公共の射撃場で、ストレス解消のために撃つ程度である。
今日も、彼は仕事で散々馬鹿にされてから、またライフルをもって、公共の射的場に出かけた。一応、競技用とは言うが、ちゃんと威力のある、つまり殺すことの出来る実銃である。これを持つには狩猟免許だけではなく、日本体育協会からの許可も持っているし、日本ライフル射撃協会の認定もちゃんと持っている。アメリカと違って、日本はライフルの規制が厳しいので、射撃練習をするにも、いろいろ面倒な手続きをしなければならないのだ。
それでも、射撃場に行けば、馬鹿にされている自分はいない。とにかく、標的を撃てるだけ撃ちまくる。それをすることによって、馬鹿な上司や客や子どもたちを忘れることが出来る。毎日毎日ここで射撃練習を行う事が、彼の惨めな自分を忘れる唯一の手段だった。彼は、出来る事なら、もう一回来意フルで猪何かを捕まえてみたいと思っていた。
その日、公務員として、彼は職場のなかまたちと一緒に講座に行った。実質的な研修であった。まあ、一応、表沙汰では、市民の生活を手伝う仕事だから、こういう講座も受けなければならないのだ。時にはこんな物を受けて何になるんだろうという講座を受けなければならない時もある。今日がそんな日だった。
どうせ、悪人呼ばわりされてばかりいる俺には、良い印象にみられる講座何か受けても、何も意味がないのさ、と、半分眠りながら講師の女性の話を聞く。
ところが、なぜかその女性の言っているこの一文が、妙に頭に残ってしまった。
「人間は、他人に必要とされて、他人に必要な物を自身が供給することが出来たときに、初めて生きがいを持つことが出来る動物なのです。例え得意なことがあって、自分の心をいくら満たそうとしても、それが自分のためだけの事であれば、何もたのしくありません。私たちの仕事は、市民のためにあるもの。それを、生きがいにしてどんな些細な事にでも喜びを持てるようにしていくことこそ、人間の究極のしあわせなのだろうと思います。」
ああ、そうか、其れか!と小森は思った。俺は、いくらライフルがすきで、競技で良い点が取れたとしても、其れはただ自分のためにやっているだけの事だ。むかしであったら、食料確保のために、鹿を捕まえるとか、自由に行われていたから、ライフルはもっと役に立ったと思う。今はもうライフルの取り締まりが厳し過ぎる。それでは、誰かのために獲物をとってくるなんていう幸せは絶対ないだろうなと、思った。時折、西部劇などで狩りをする高尚な身分の人を見かけたことがあるが、其れはやっぱり高尚な人でないとできないし、一般市民には遠い遠いしあわせだった。
「あーあ、また猪や、鹿何かを捕まえてみたいなあ、、、。」
思わずぼそっと呟いてしまう、小森なのであった。
その日、研修のせいで、彼は射撃場に行くことが出来なかった。射撃場の営業時間が終了してしまったためである。閉店してしまった射撃場を眺めて、しかたなく近くにあった自動販売機でコーヒーでも買って帰るか、と思いつき、自動販売機に向かって歩き始めた。
自動販売機の前に行くと、すでに先客がいた。和服姿の男性であった。あれれ、どこかで見たことのある顔だ。彼は、自動販売機のボタンをおした。ガラガラっと言って、缶ジュースが出てきた。彼はそれをとった。そして二、三回咳き込んで、踵を返し、道路を歩こうとしたのだが、おつりを取り忘れた事を、小森は気が付く。
「あの、すみません。おつり取り忘れているんじゃありませんか?」
小森がそう聞くと、彼は後を振り向いた。
「あれれ、もしかして、右城さんではありませんかね。右城水穂さん。違いますか?」
思わずその顔を見てそう聞いてしまう。たしかに、彼によく似た人物が、小学校の時にいたが、人違いであったらどうしようとも思う。
「右城?たしかに旧姓はそうですけど、、、。あ、もしかして、小森さん、小森正雄さん?」
彼のほうも、自分が誰なのか分かったらしい。
「そう、その小森正雄です!」
小森は彼に通じたというのが嬉しくて、にこやかに笑ってしまった。
「あ、ああどうも。こんな所でお会いするとは思いませんでした。」
物腰が柔らかく、美しい容姿をしている所は、むかしと少しも変わっていなかった。よく、将来は映画俳優でもなったらと、同級生の女子からからかわれていたりしたものだ。でも、夜の月明りに照らされて、その顔は青白く、窶れていたため、ちょっと不気味な雰囲気も持ち合わせていた。
「一体どうしたんですか。そういえば、小森さんって、ずっと射撃がお好きでしたものね。たしか、よく先生から、将来はマタギにでもなるのか、何てよくからかわれていて。」
おお、覚えていてくれたか!小森は嬉しくなった。たしかに小学校高学年位から、おもちゃの銃で射撃ごっこをしていた位、その時から射撃にはまっていたのである。
「まあ、そうですね。でも、最近は、動物を保護しようという意味から、あまり射撃が行えないんですけどね。ただ、今日は、お茶を買っていくつもりでここへ来ただけですよ。」
と、小森は頭をかじりながら、また言った。
「そうですか、でもいいじゃありませんか。少なくとも、猪の駆除やマングースみたいな特定外来生物の駆除は出来るわけですから。それは、得意を生かしていい仕事だと思いますよ。」
と、水穂は彼の事をそういった。小森は急にそんな事を言われて、何も返答することはできず、ただ下を向いて、それを聞いているしかなかった。
「ああなにか買うんですか。ではどうぞ。」
水穂は、そういって自動販売機の前から少し離れたので、正雄は、すぐに自動販売機でペットボトルのお茶を一本買った。と、同時に後ろから咳き込む音がしたので、正雄は水穂の方を振り向く。
「どこかお悪いんですか?」
思わず聞くと、
「いえ、なんでもありません。」
と水穂は答える。正雄が見ると、水穂は、顔を、タオルハンカチで拭いていたが、口を拭ったその時に、朱いものがタオルハンカチに付着した。
「遅くなってしまうのでもう行きますね。」
「あ、右城君、もし構わないのならでいいのですが、よかったら、送っていきますよ。何処に住んでいるんですか?」
正雄は、そう提案した。体の悪そうな水穂が、どこかで倒れてしまうのではと、気が気じゃなかった。
「いえ、構いません。僕は歩いて帰ります。すぐに帰れる距離ですから、心配はありません。」
と言って水穂は、歩き出そうとしたが、突然また咳き込んで持っていた缶ジュースをおとしそうになった。
「ほらほら。それではだめですよ。歩いて行くのは無理です。クルマに乗ってくださいよ。住所を言ってくれれば、カーナビで割り出せますから。」
正雄はそういって、水穂に肩を差し出した。水穂もこれはと思ったらしく、彼の肩に腕の乗せた。
正雄の車はすぐ近くにあった。軽自動車であったけれど、結構大きなタイプのクルマで、中は広くて余裕があった。正雄はシートを少し倒して、水穂を助手席に乗せる。すぐにシートベルトを付けてもらって、じゃあ行きますよと正雄はクルマにエンジンをかけた。例のライフルは、後部座席に寝かせていた。
「何処まで行けばいいんですかね?」
「ああ、大渕公民館まで行ってくれればそれで結構です。」
正雄が尋ねると、水穂はそう答えた。
「その近くにお宅があるんですか?」
「はい。まあ。」
と言って、水穂は三度咳き込んだ。再び持っていたタオルハンカチで口を拭く。今度はクルマの明かりではっきりみえた。やっぱり血液である。とりあえず、正雄は、大渕公民館のルートを調べて、その指示通りに走り始めた。
暫く走っていると、又咳き込むのだ。正雄は何回か道を聞きたかったけれど、其れは咳のせいで聞き出すことが出来ず、カーナビの音声案内を頼りにして、何とか大渕公民館のあるところへたどり着いた。
「はい、着きましたよ。ここでいいんですね。」
公民館の敷地内で、正雄はクルマを止めた。
「ありがとうございました。これ、ガソリン代にでもしてください。」
水穂は、そういって千円札を何枚か出したが、正雄は受け取らなかった。お金を財布に戻そうとして、水穂は又咳こむ。急いで、口元をタオルで拭いたが、今度こそはっきりと見えた。朱い鮮血であった。
「右城さん、やっぱりご自宅まで送りましょうか。」
「いえ、構いません。歩いて帰ります。」
水穂は、すぐにシートベルトをはずして、クルマのドアを開けた。
「ありがとうございました。本当に助かりましたよ。」
助かったと言っても、あれだけ咳き込んで、寧ろそんな有様では、送り届けたほうがいいのではないかと思われた。クルマから出て歩いていく水穂を、正雄はクルマから降りて、そっと付けてみる。水穂ほ自宅と思われる建物は、なぜか右城という表札ではなく、青柳と書かれていた。そうなると、彼は粗末な生活を強いられているのだろうか。それでは今では十分治療可能な病気に敗けてしまうのもいたしかないと思われる。でも、ここである感情がわいたのである。それでは、あの人をどこかへ追いやってしまいそうな節があるのだ。なぜか、自分が射撃をしていることをしっかり覚えてくれた人物は、今はあの人だけのような気がした。自分のしていることを、いい仕事をしていると言ってくれた人物は、本当に誰もいない。そう、あの人だけ。
だからこそ彼を向こうの世界にやってはいけないのだ。俺はそのためになにか出来る事をしなければ。出来る事と言っても、俺に出来る事は射撃しかない。だから、なにか喜ぶものをとってこよう。
正雄はそう決断した。
小森は、またライフル銃をもって、山へ出かけた。なにか大きな動物を狩るとかそんなつもりはない。ただ、ある動物を狩って、それを解体業者へ引き渡すだけのこと、其れだけが漁師免許所持者に出来る事である。
小森は川へ行った。川に行けばその動物はいるはずだ。たしかに川に行くと、彼の目的になる動物はいた。岩の上に一匹ちょこんと座っている。しかし、その動物は解体するには小さすぎる。まだ子どもだったのだ。
大人のカワウソであれば、ライフルで撃って殺すことができる。でも、子どものカワウソでは、体が小さすぎた。これでは、解体業者に出しても断られてしまうだろう。
小森は、川の中に罠をしかけた。そして見えないところでライフルを撃って、カワウソが水にはいるように仕向ける。そこへ罠に引っかかって身動きが取れない所を捕まえる、という作戦だったのである。
よし、と、子どもカワウソが岩のうえで座っている所から、少し離れた所にある茂みに隠れて、空気に向かってバン!とライフルを打つ。子どもカワウソは、予想した通り川に飛び込んで、罠の中にしっかり引っかかってくれた。暴れる子どもカワウソを、小森はむんずとつかんで、籠の中に無理やり押し込んだ。そして、大喜びしながら、貰い手が待っている、製鉄所に向かってクルマを飛ばす。
「こんにちは!右城君いますか。」
ガラッと戸を開けて、ものすごい晴れやかな大声でそういうと、利用者が出てきて、水穂さんなら調子が悪くて寝ていると答えた。それでもどうしても会いたい用があると小森が言うと、短時間だけですよ、と言って、四畳半にとおしてくれた。
ところが、その時。籠の中で暴れていた子どもカワウソが急に籠から飛び出した。こら、待て!と小森が怒鳴っても振り向くはずがない。子どもカワウソは素早く逃げて、あるふすまの隙間に入ってしまった。小森は、ライフルをクルマの中にしまってしまった事をすごく後悔した。
「こらあ、待て!このカワウソ!」
と、小森は他人の家に来ている事を忘れて、思わずふすまを開けてしまう。すると、そこに敷かれている布団に寝ているのは水穂で、さっきの子どもカワウソに自分のおかゆの食べ残しを食べさせていた。
「おい、それを渡してくれ!大事な獲物何だよ!」
水穂は一瞬ぽかんとする。
「其れはこっちで飼育して、もうちょっと太らせてから、解体屋に持って行って、肝臓を取るんだ。そして、お前に食べてもらうんだよ。わかるか?」
「食べてもらうって、こんなにかわいい動物を何にするんですか!」
水穂は、そう抗議するようにいうが、小森にはそれが可愛い動物とはおもえず、ただのターゲットにしかみえないのだった。もう、ライフルばかり持ち続けていたせいか、動物が、動物で、命があるとはおもえなくなっていたのである。
「当たり前じゃないか!結核の特効薬としてカワウソの肝臓が一番いいんだ。それを取って、食べてもらうという訳。そうじゃないと、」
「やめてください!」
その説明に、水穂は半分泣きながら言った。
「なんで。せっかくいいものを持ってきたのに。どうせこんな所で暮らしているのであれば、碌な生活してこなかったでしょう。だからいっそのこと、むかしからある伝統的な物を持ってきたという訳で。」
少し心を落ち着かせて小森はそういったのだが、水穂には伝わらない。ただ、涙を流して泣き続けるばかりである。
「よく考えてくれよ。むかしからカワウソの肝臓は薬として使われてきたんです。其れは古来日本からずっと続いている民間療法なんですよ。それを手に入れるにはとってくるしかないでしょう。右城君だって良くならなきゃいけない義務があるんですよ。いつまでもここに寝ていたら、ほかの人にも迷惑がかかるのでは?そうではなくて、一生懸命よくなろうと務めてください。これは狩猟人の僕からのおお見舞いだと思って、、、。」
「いいえ、小森さんはまちがっています。こんなに可愛い動物を、」
と、水穂は言ってまた咳き込んだ。ほらほら!と小森はすぐ彼に、ハンカチを渡した。咳き込んでいる傍らで、子どもカワウソは無我夢中になっておかゆの残りを食べている。咳き込んでいる水穂を見て、これは即急に何とかしなければいけないと小森は思った。自分のライフル射撃について認めてくれたのは、水穂さんだけだ。それに対して恩返ししているのに。水穂さんがしているのは小鹿物語に出てくる少年と同じことだ。必要なことが全く分かっていない。よし、それなら、もう体の大きさ関係なく、この子どもカワウソを撃ち殺してしまおう。と、小森は思いつき、クルマに置いてある、ライフルを取りに行くことを決断する。
「ちょっと大事な物を取ってきますから、このカワウソ、絶対外に出さないでね。」
と言って、急いで四畳半を飛び出していった。
一方、部屋の中には水穂とカワウソだけが残る。
「正雄さんはそのつもりなんだろうが、君を殺してしまうのは余りにも忍びない。僕の体の事はどうだっていいから、逃がしてあげる。」
水穂は布団から起き上がって、子どもカワウソを抱きかかえた。すると、どうだろう。簡単に水穂に抱きついてきた。
「ごめんね。」
それでは、水穂は布団の上に立ち上がり、ヨイショと歩き出した。そして草履も履かないで製鉄所の玄関を出て、しずかに製鉄所の隣を流れる水の綺麗な小川へ、子どもカワウソを連れていく。
「元気でやってよ。」
水穂は、子どもカワウソを水の中へ入れた。子どもカワウソは、ありがとう!とでも言いたげに元気よく泳いでいく。見送りながら水穂も三度咳き込み、まだ内容物が口に当てた手を汚した。一向に回転してくれない体をヨイショと、立ち上がらせ、咳き込みながら、製鉄所へもどっていくのだった。多分、ライフルを持ったハンターが、やってくるだろうなと考えながら。
ライフルとカワウソ 増田朋美 @masubuchi4996
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