番外編 羊野ねむりVS邪道十二星座 その④

 ヘリコプターの操縦席にいた邪道十二星座七番目の刺客は手強い相手だったが、ねむりはなんとか倒した。


「恐ろしい敵だった……。まさか私の『ウールウール』にがあったなんて、思いもしなかった。それに、彼女──『テンポ・ルックス』による『対羊野ねむり』を究極まで突き詰めた戦略も凄まじかったよ」


 そう呟きながら野山を駆けるねむり。彼女の後方ではヘリコプターが墜落しており、黒い煙をもうもうと上げていた。

 ねむりの脳内に、先ほどの戦闘の記憶が蘇る。


「『テンポ・ルックス』はまさしく最強の敵だった。宇宙夢、知略、戦闘技術のどれを取っても、今まで見たことが無いくらいだよ。あんなものを組織の中核に置かずに腐らせていた『獏夜』にうっかり感謝の念を抱きそうになるくらいにね──特に恐ろしかったのは、やっぱり宇宙夢『二重辛苦ダブル・シンク』かな。『テンポ・ルックス』は「この宇宙夢があれば地球全ての秩序を破壊できる」と豪語していたけど、それが過剰な自己評価には聞こえないほどのパワーが、アレにはあった。もし彼女と戦ったのが周囲に何もない空中ではなく、人やモノで溢れた市街地だったらと思うと、ぞっとするよ」


 勝利を収めたのは自分だというのに勝った気がまるでしないという奇妙な感覚を味わいながら、ねむりは山道を降り、麓の町に着いた。ヘリコプターが落下した際に市街地からだいぶ離れてしまったが、看板や標識に書かれている住所を見た限り、K市からは出ていないようだ。

 とりあえず市街地の方面に向かおうとする。しかし、その行く手を遮るように立ちはだかる人影があった。

 白衣。首から提げられた聴診器。丸メガネの向こうからこちらを睨みつける目は、敵意を表現している。医者のようなコスモチュームだ。


「わたしの名前は『ガニメ・ドクター』──十二星座がうちのひとりだ」


 白衣の女性は、友好とは対極に位置する声音で己の名を明かした。


「羊野ねむり、よくもわたしの仲間を殺してくれたな」


 同胞の半分を失った彼女は、ねむりに対して強い怒りを抱いているのだ。今にも目から火花が飛び出そうな形相である。


「みんな信用できる素晴らしい友だった。この任務を終えたら、『獏夜』のトップチームも夢じゃないという期待を胸に、共に頑張ってたんだ。それをお前は……! 許さん。許さん。絶対に許さ」「話してる時間がもったいないし、先手を取らせてもらうね」


 呪詛の如き恨み言を吐いている途中だった『ガニメ・ドクター』の顔面に、ねむりの飛び蹴りが突き刺さった。

 綿の反発力を利用して砲弾の如き速度で放たれた攻撃は、まともに喰らえば良くて失神、悪くて絶命に至るシロモノである──しかし。

 

「……ほう」


 失神も絶命もしなかった『ガニメ・ドクター』は、合点がいったという様子で呟いた。

 ねむりは確かに跳び蹴りを放ったはずなのに、気が付けば『ガニメ・ドクター』をすり抜けて、彼女の背後に着地していたのだ。


「問答無用の先制攻撃か。流石英雄、汚いな。今までもそんな手法でわたしの仲間を倒してきたのだろう」


 気が付けば素通りしていたという理解不能な展開に、ねむりは息を呑む。そして次の瞬間、彼女は気づく──跳び蹴りの手ごたえ、否、脚ごたえがなかったことに。

 見ると、『ガニメ・ドクター』の頭部は液体化していた。ねむりの脚部はそこをすり抜けたのだ。液体に蹴りが通るはずがあるまい。


「『体を液体化する宇宙夢』……!? つまりあなたは……」

「その通り。わたしの宇宙夢の系統は、貴様とおなじ『自己強化系』だ。この能力を発動している限り、わたしの肉体は差ながら水瓶の如く液体に満たされるのさ」


 そして、と『ガニメ・ドクター』は言葉を続けた。


「わたしの体が変化できるのは『液体』であり、それは『水』に限定されない──つまり」


 そこまで聞いて、ねむりは気が付いた。己の体から鼻に付く刺激臭がすることに。

 ガソリンの臭いだ。


「液体であれば、水だろうとガソリンだろうと──なんであろうと変化できる、それがわたしの『プールプール』なのさ。そして、跳び蹴りの拍子にわたしガソリンを通り抜けたお前には、これをやろう!!」


 拙い──そう思ったときにはもう遅かった。

 『ガニメ・ドクター』は隠し持っていたライターを取り出し、点火して放り投げる。ねむりの体に触れる必要はない。彼女の体にたっぷりしみ込んだガソリンが揮発している状況は、周辺の空気に導火線が伸びているようなものなのだから。

 点火したガソリンは、暴力的な破壊力を孕んだ熱風と衝撃と化した。その破壊の中心点にいるねむりは肉体の1/5が弾け飛び、肺の内部が一瞬で焼け焦げる。可愛らしかったピンク色の髪も、見る影のないチリチリヘアーに早変わりだ。

 死んだ方がマシな激痛に苛まれながら、ねむりの脳内に残った鋼鉄の意志は己が異能による復活を要請する。


「させるかッ!!」


 『ウールウール』による体の脱ぎ捨てを察知した『ガニメ・ドクター』は、己の体を黒一色の粘性の液体に変化させ、それをねむりの全身に浴びせた。気を失っていない方がおかしいレベルの傷を負っているねむりは、それを避けられなかった。


(続けて二度目の攻撃? 無意味だ。たとえどんな攻撃を浴びてしまったとしても、『ウールウール』で体を脱ぎ捨てれば……)


 『ウールウール』で体を脱ぎ捨てれば……全て解決なのだが。

 だが奇妙なことに、ねむりは己の体を脱ぎ捨てられなくなっていた。

 正確に言うと、古い体の中から新しい体が出てこれなくなっていた──


「コールタールだ」


 液体の正体を、『ガニメ・ドクター』は明かした。


「『ウールウール』による復活能力は、無条件の復活ではない。復活の前に必ず『古い自分の体を脱ぎ捨てて、新しい体が飛び出す』という昆虫の脱皮さながらの『工程プロセス』を挟む必要があるだろう? ならば対策法は単純明快だ。身体の表面を固い何かで覆って、脱ぎ捨てられなくしてしまえばいい」

 

 患者のカルテを読み上げる医者のように滔々と語る『ガニメ・ドクター』。

 

「復活手段を封じられた貴様に待っているのは、地獄のような苦しみの果ての死のみだ」


 口角を上げる。ねむりの前に現れて初めて見せた『怒』以外の表情だった。


「……『ウールウール』」

「無駄無駄」

「『ウールウール』」

「諦めたまえよ」

「『ウールウール』!!」

「往生際が悪いぞ!!」


 次の瞬間、ねむりの体は爆発した。先ほどのガソリンの起爆に劣らない衝撃だった。

 体を脱ぎ捨てることは不可能だと判断した彼女は、『ウールウール』の能力を『復活』ではなく『膨張』の方向に転換し、己の体積を急激に増加させ、表面を覆っているコールタールを吹き飛ばしたのである。

 手榴弾の如く吹き飛んでくるコールタールの破片を流体の体で受け流しながら、『ガニメ・ドクター』は唇を噛んだ。たかが綿の膨張と侮っていたが、ここまでの威力があったとは思っていなかったからだ。


「だがそれがどうした! 私の能力を応用すれば、貴様を追い詰める手段はあと1200通りはあるのだぞ! 溶かして流して沈めて揃えて晒してやる!」

「そうだね。多分それはハッタリじゃないんだろうな」


 コールタールの束縛から解放され、完全復活を遂げたねむりは、息も絶え絶えといった様子で、『ガニメ・ドクター』に向かって手を伸ばしていた。


「だからわたしはあなたがどんな液体になっても封じられる手段を使わせてもらうよ──あ、違う」


 使わせてもらったよ、と。

 完了形に言い直す。

 『ガニメ・ドクター』はねむりが伸ばした手の延長線上、つまり己の胸部に目を落とす。

 そこには何もない──ように見えたが、違った。

 丸眼鏡で上げられた視力をもって凝視すると、ねむりの指先から伸びた極細の糸が通っていることが分かる。


「『ウールウール』──羊毛を捩じって作った糸を、さっき飛んで行ったコールタールの破片に引っ掛けておいた」

「……まるで手品師だな。だがそれでどうした? 糸使いに鞍替えでもするのか? 体が液体のわたしには、拳も糸も全て等しく無効だ。たとえ遥か昔からわたしの首に糸の輪が仕掛けられていたとしても、貴様が勝利することはありえない」

「ただの糸じゃない──管状の細い隙間が沢山ある糸、だよ」


 ねむりの訂正に怪訝な表情をしていた『ガニメ・ドクター』だが、数秒もすると、その言葉が意味するところを理解し、顔を青ざめさせた。まるで海のように真っ青だ。


「『毛細管現象』か……!」


 気づいた時にはもう遅かった。

 液体である『ガニメ・ドクター』の体は胸元を通る無数の糸へと、凄まじいスピードで流出している。

 肉体の体積が、どんどん減少している。

 彼女が液体である限り、この現象には逆らえない。

 このままでは糸に全てを吸い取られてしまう。

 だがここで液体化の宇宙夢を解除すれば、胸部を貫通している数多の糸が瞬時に臓器を破壊する狂気へと変化するのだ。

 つまるところどちらを選んでも敗北は必至。

 『ガニメ・ドクター』は詰まされた。


「……だが、わたしは無駄死にしない」


 不屈の意志が宿った眼光を輝かせながら、『ガニメ・ドクター』は言う。


「再起不能になる最後の一瞬まで、貴様の残機を減らすことに注力してやる! 残された邪道十二星座の誰かが、星座アステリズムの如く、わたしの意志を繋いでくれると信じて!」


 その言葉を最期に、

 人間ひとり分の体積の火薬が爆発する威力は驚異的である。周囲の木々が根から倒れるほどだ。

 こうしてねむりの残機はさらにもう一つ減らされた。

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