番外編 羊野ねむりVS邪道十二星座 その②

 次が来た。

 風を切る音を聞いたねむりは、転がるようにして回避しようとする。ぎりぎりのところで間に合わず、左脚の膝裏に亀裂が走り、血がしぶいた。


「っ! ぐ、う……」


 焼けるような痛みに口元を歪める。

 だがここで悶絶している暇はない──起き上がったねむりは、襲撃者の姿を確認した。

 黒色の総髪、藍色の羽織、桜の花びらの意匠があしらわれた袴、腰には鞘が提げられており、そこから抜かれた刀が右手に握られている。侍風のコスモチュームだ。


「ほう、寸でのところで致命傷を避けたか。良い勘をしているでござるな」


 外見から見受けられるイメージを裏切らない喋り方で、侍風の夢遊者は言った。


「拙者の名前は盾噛たてがみ 竹刀しない。『獏夜』より与えられた名は『雷音らいおん』」

「『雷音』? 珍しいコードネームだね」


 ねむりの知る限り、夢遊者のコードネームは横文字だ。漢字の異名を持つ夢遊者にあったことは一度もない。


「ふん……むしろ拙者に言わせれば、貴様らのような南蛮被れの名前の方が異端だと思うのだがな」

「南蛮かぶれって……」


 いつの時代の人間なんだ、こいつは。

 雷音は刀で風を二回斬り、刃先をねむりに向けて突き付けた。ねむりも拳を構えて臨戦態勢を取る。


「では、正々堂々の死合いといこうではないか」

「背後から仕掛けた卑怯な不意打ちが失敗したのに、『正々堂々』なんて──」


 よく言えるね──と。

 続けようとしたねむりだったが、その途中で雷音が刃を走らせた。

 脛を狙った払いを飛び上がることで回避し、下段から顎先を狙って振り上げられた刃を仰け反るようにして避ける。

 突き、払い、切り返し、フェイント──卓越した動きによって構成された斬撃の嵐がねむりを襲う。切り刻まれたコンクリートや細切れになった石塀が宙を舞った。とんでもない切れ味だ。

 ねむりの桃色の髪が一房切れ落ち、ふわふわのゴシックロリータの裾が弾けた。左膝の傷は苦痛を訴えており、その所為で動きが一瞬遅れた結果、右腕の手首から先が消失した。

 続けざまに頭を狙って放たれた横薙ぎの一閃が命中する寸前に跳び退く。

 慣れ親しんだ肉体の一部と泣き別れになった事実に体が悲鳴をあげそうになったが、膝から下に力を込めることでぐっと耐えた。


「ぐっ……、『ウールウール』!」


 両者の間に距離が生まれた隙を狙い、ねむりは自分の体を脱ぎ捨てた。

 新たなねむりが誕生する。その体には傷ひとつ──否。


「え……?」


 古い体を脱ぎ捨て、新生したねむりの膝裏には依然として傷が刻まれており、右手は消失したままだった。完全回復が機能していない。

 愕然とするねむりを見た雷音は実に嬉しそうな表情に顔を歪めていた。


「くっくっく……ようやく気がついたか、拙者の宇宙夢『唯死刀しだけある』に」

「『唯死刀しだけある』?」


 能力名まで日本語である。どれだけ拘っているんだ。


「私の現状を見たところ、『刀で与えた傷を回復させない』みたいな宇宙夢なのかな。まるで私にメタを張るためにあるような能力だね──『対羊野ねむり』がコンセプトの暗殺部隊は伊達じゃないのか」

「左様。聡い頭をしているでござるな。だが気付くのが遅かったようだ!」


 雷音は叫ぶと、上段に振りかぶりながらねむりに向かって勢いよく跳び上がった。

 斬りつけた対象に絶対の死を約束する刃が閃く。ねむりは横に転がった。一瞬後、ねむりがいた座標目掛けて斬撃が落ちる。硬いコンクリートが豆腐のようにあっさりと裂けた。

 四肢の二分の一に深刻なダメージを負った今、剣の達人と近距離戦をするのは自殺行為である。だからといってここで背中を見せて逃げるわけにはいかない。塞がらない傷口から血が流れ続ける以上、宇宙夢の本体である雷音を倒さなければ、ねむりを待ち受ける結末は失血死以外あり得ないからだ。


「……『綿埃』」


 ねむりは生成した綿の塊を左手で握り潰した。すると綿から小さな綿が噴出し、空間を白く染め上げる。まるで場が一瞬にして、埃の充満した閉所になったかのようだ。


「くくく、正面切っての戦いでは勝てないと分かった途端目眩しか! 英雄も落ちぶれたものでござるな!」


 視界不良に陥っても、雷音から余裕は失われなかった。なぜなら彼女にはこの状況でも手負いのねむりを斬り殺せる自信があるからだ。

 抜いていた刀を鞘に収め、柄を握って腰を低く屈める。瞼は閉じられていた。目ではなく心眼で敵を見ようとしているのだ。


「来るなら来い。拙者の心眼は必ずや貴様を捉え、見事斬ってみせよう」


 挑発するような台詞を吐く雷音。それから暫く静寂が場を支配した。

 一秒。

 二秒。

 三秒。

 四秒。

 五秒──来た。

 右後方の空気の流れが乱れたことを察知した雷音は、素早く抜刀し、振り向きざまに叩きつけるような斬撃を浴びせる。

 瞼を開く。目と鼻の先には顔面を両断された羊野ねむりの姿があった。宇宙夢で回復を封じるまでもなく即死の傷だ──雷音は己の勝ち価値を確信した。


「羊野ねむり、討ち取ったりぃ! ふははははは!!」


 百獣の王の如く勝利の雄叫びを上げた雷音は、次の瞬間後頭部を殴られて死んだ。



 ねむりは左手に握っていた石片を投げ捨てた。雷音の斬撃に巻き込まれた壁か道路から生じたものだ。握りやすいサイズがちょうどあって助かった。

 倒れた雷音のそばにはもうひとりの

ねむりが倒れている──否、ねむりの綿人形が倒れている。

 『ウールウール』の完全回復が不発に終わった時に脱ぎ捨てていた自分の体を囮として再利用したのだ。今までそんな風に能力を応用したことがなく、ぶっつけ本番の作戦だったが、無事成功に終わってよかった。

 改めて、『ウールウール』での体の脱ぎ捨てを行う。次は傷ひとつない体のねむりが誕生した。


「まさか雷音がやられるだなんて──やるっすね〜。警戒レベルを上げるっすよ」


 未だ完全に晴れてない綿埃の向こうから声がした。ねむりはすぐさま跳び退く。

 影が見える。巨大な西洋鎧だった。全身を余すところなく染めている黒色は、一切の光を逃さず吸収している。

 鎧の奥からくぐもった声が響いた。


「ウチの名前は『カニバル・アーマー』──ウチって雷音のこと苦手だったんすよね。いつも偉そうだし、侍みてーな喋り方がウザいし……だからこいつを殺してくれたねむりちゃんには感謝っす」


 『カニバル・アーマー』はそう言うと、雷音の亡骸に手を当て、

 ガオンッ!!

 鎧はまるで底無し沼のように雷音の死体を飲み込んだ。それを目にしたねむりは、目を見開いた。

 『カニバル・アーマー』の鎧の全体を覆う漆黒は見るものにブラックホールを連想させるが、まさにその通りだったのだ!


「ウス、ウチの宇宙夢『ファイア・クリーム』の暗黒空間に飲み込まれれば、なんであろうと粉微塵になるっすよ」


 いくらねむりが無限の復活能力を持つとは言っても、暗黒空間なんてものに放り込まれれば生きていられるはずがない。仮に生きていられたとしても、そこから脱出することは不可能だ。

 鎧への接触は厳禁である──全身が暗黒空間の『カニバル・アーマー』とどうやって戦えと言うのだ?


「…………」


 ねむりは『カニバル・アーマー』との距離に注意しながら、足元に転がっていた小石をいくつか拾い上げた。雷音との戦闘で生まれた瓦礫の一部である。

 両手を合わせるようにして小石を包む。その指先を『カニバル・アーマー』に向かって突き付けた──次の瞬間。

 ぱあん、という音と共に、小石が高速で射出された。『ウールウール』で綿を生産する際の反発力を利用して、物凄い勢いで押し出したのである。

 小石の弾丸は常人なら当たれば重傷間違いなしの威力を持っている──しかし。

 しかし、そのフォルムは銃弾の流線型には程遠く、空気の抵抗を受けてしまうため、弾道は逸れまくっていた。放たれた小石の全てが『カニバル・アーマー』の横を通り過ぎたり、手前に着弾したりしている。

 どこぞの無鉄砲少女なみに酷い百発失中だ。


「近距離戦だと分が悪いと分かった途端遠距離攻撃に切り替えたのは偉いっすけど、狙いがBlazing Bulletブレブレっすよねむりちゃん! ま、当たったとしても、暗黒空間に飲み込まれるだけで意味ないんすけどね!」


 『カニバル・アーマー』はそう言うと、ねむり目掛けて走り出した。

 そのフォームにおかしいところは何もない。ただ相手にぶつかることのみを目的とした動きである。敵に触れるだけで全てが解決する宇宙夢を持つ彼女にとっては、それだけで十分なのだ。

 だから彼女はただ前を見つめて走り。

 注意が疎かになっていた足元の地面が、いつのまにか抉れて凹んでいたことに気付かず。

 窪みに足を取られて体勢を崩し。

 転んだ瞬間に触れた地面を鎧で飲み込んでしまい。

 そのまま地面をガオンッし続け、地上にいながら地下深くまで落ちていった。


「うわああああああぁぁぁぁぁぁ」



 ねむりが突発的におこなった小石の銃撃は、『カニバル・アーマー』ではなく彼女の進路となる地面を狙ったものだった。

 まるで昔のギャグ漫画みたいなシルエット型の穴を見下ろす。とても深い穴だ。思わず「おーい、でてこい」と呼び掛けたくなるくらい深い。いや、そんなことを言って万が一にでも出てこられたら困るので、口が裂けても言わないが。

 そんな事を考えながら穴を覗き込んでいると、中から突然が飛び出してきた。

 『カニバル・アーマー』ではない。

 魚雷だった。

 

「なっ……!」


 これが5人目の刺客による攻撃だと知った時にはもう遅い。

 表面にサメのペイントが施された魚雷は、ねむりの眼前にまで迫っている。

 そして──

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