番外編 羊野ねむりVS邪道十二星座 その①

 蹴る、蹴る、蹴る、蹴る、蹴る。

 1D6=6、1D6=6、1D6=6、1D6=6、1D6=6。

 鍛えていない人間の体で最も強い筋肉は脚の筋肉らしい。

 そりゃあ常日頃から人間一人分の体重を支えているのだから、言われるまでもなく当たり前の常識である。

 だからインドア派故にパンプアップトレーニングと縁のない羊野ねむりは、攻撃手段として脚での踏みつけを選択していた。

 何度も──何度も、何度も。

 運動性を重視したランニングシューズの裏底が、敵の顔面に突き刺さる。鼻の骨が折れていて、血まみれだ。元がどんな顔をしていたか分からないくらい崩れてしまっている。

 

「ぴぎゅっ」


 液体と空気が混ざったブタの鳴き声のような音が、足元から聞こえた。

 それに構わずねむりは脚を動かす。

 相手が完全に戦闘不能になるまで──何度も、何度「めえめえ、もう終わりでいいんじゃない? そこまでやったら死んでるよ」

 背後から聞こえた声に驚いたねむりは咄嗟に振り向く。そして彼女は更に驚くことになる。


「え……い、ばら……?」

「そーだよ、お姉ちゃんっ! 嘘じゃないよ」


 ねむりの背後に立っていたのは、彼女の妹である羊野いばらにそっくりな少女だった──いや、そっくりどころではすまされない。

 瓜二つだ──姉妹であるねむり以上に、その少女の顔は、体は、声は、いばらに酷似している。

 すわ本人かと思いそうになるが、「病院で意識不明のまま眠っているいばらがこんなところにいるはずがない」という理性が、そんな思い込みを制止する。


「……変身能力のような宇宙夢を使っているのか」

「ごめえ答~! 私の『シープ・トリック』に一発で気が付くなんて、流石だね!」


 いばらに変身している少女は、いばらそっくりな顔に下衆な笑顔を浮かべながら、ねむりの推察を肯定した。


「さすが『次期英雄』と呼ばれるだけのことはある。そんな優れた洞察力があるから、『ゴートゥ・ヘル』の不意打ちに対応できたのかな?」


 どうやらねむりの足元に転がっている夢遊者──黒装束に山羊の頭蓋骨、大きな鎌とまるで死神のような恰好をしている──は『ゴートゥ・ヘル』と言う名前らしい。

 そして、そんなことを知っている目の前の少女はおそらく──


「同じ『獏夜』からやってきた刺客、なのかな?」

「ごめえ察~! その通り! 私と『ゴートゥ・ヘル』は『対羊野ねむり』の使命を受けてやってきた『獏夜』の夢遊者なのです! ……うーん、でも正確には『半分正解』になるかな。だって『獏夜』から送られてきた刺客は私たち二人だけじゃないしね」

 

 二人だけじゃない。

 その言葉が意味することはつまり──

 

「羊野ねむりちゃん──君の存在を重く受け止めた『獏夜』は『対羊野ねむり』のためだけに暗殺部隊を作ったんだよ。その名も『邪道十二星座』だ」


 聞きなれないチーム名を少女は口にした。


「王道を歩まず、正道を踏まず、覇道を進まず、大道を征かず、花道なんて夢のまた宇宙夢──『獏夜』において、能力や性格があまりに凶悪で周りに与える影響が大きいことから爪弾きにされていた奴らがいる。それが私たち『邪道十二星座』のメンバーだ」


 『獏夜』は世界の秩序の破壊を目的として活動しているアウトローである。

 言うならば、組織自体が世界からの爪弾きにされているようなものだ。

 そんな集団において更に嫌厭されている者がいるだなんて──ねむりは知らなかった。多分原作者の雲崎オルカも知らないと思う。


「あの『獏夜』ですら組織に置くのを躊躇ってたプレイヤーだよ? その時点でどれほどの脅威度か分かるでしょう?」

「そのひとりをたった今倒したところなんだけど」

「たったひとりだ。もう一度言おうか──私たちは『邪道星座』だぜ? 連続で襲い掛かる刺客に、君は何人まで耐えられるかな?」

「…………」


 獏夜でも手を焼いた夢遊者。

 その評価が正しいのなら、そんな相手を十人以上相手取るのは、流石のねむりでも厳しいのではないだろうか?


(……いいや。弱気になってたまるか)


 夢遊者に入眠したあの日から、羊野ねむりは大切なものを守るために戦うと決めたのだ。自信がない弱気な少女は、もう居ないのである。

 たとえ『獏夜』の構成員が総出で襲い掛かってきたとしても戦ってみせるだけの覚悟が、彼女にはあった。


「じゃあ次はあなたが私の相手? いいよ、かかっておいで──早く眠らせてあげる」

「ひゅ~! かっこいい~! 邪道を歩く私ではとても言えそうにない台詞だ……だけどね、次にねむりちゃんが戦うのは私じゃないよ」


 だって。


「君がさっきまで蹴り潰していた『ゴートゥ・ヘル』はまだ戦えるんだからねっ!」


 その言葉にねむりは振り向いていた体を戻した。しかし、遅かった。

 いつの間にか起き上がっていた『ゴートゥ・ヘル』は手に握っている大きな鎌を振りかぶっていた。

 顔面がケチャップを混ぜたもんじゃみたいになっているのに、まだ起き上がれるのか!? 埒外の生命力である。 

 『ゴートゥ・ヘル』の鎌はねむりの首を撥ねんと迫る。鋭い刃はぎらりと光り輝いていた。

 

「まさかさっきの私の台詞を信じちゃってたのかな? めえめえっ! バッカだね~ねむりちゃん! そんなんだから足元を掬われるんだよ!」

「……うん。そうだね。私はバカだった。次からは気を付けるよ」

「はwwwww 次とかwwwwww 今から死ぬ君には『次』なんてないんだけどwwwwwwwwww」


 腹を抱えて嘲笑する偽いばら。

 しかし次の瞬間『ゴートゥ・ヘル』の頭がポップコーンのようにはじけ飛んだのを見て、彼女は固まった。


「め?」

「『ウールウール』──頭を蹴り潰していた時に念のため口内に仕込んでおいた綿を膨張させた。あまりやりたくなかったんだけどね」


 血や肉片が飛び散って汚いし。

 服が汚れるくらいなら多少疲れても蹴り潰すことを選ぶくらいには、ねむりも思春期の女の子──ということなのだろう。本当にそうか? ようわからんわ。自信ないからやめとくわ。


「これでまだ戦えたらびっくりするけど……流石に無いよね。じゃあ次こそ、貴方と戦うことになるのかな」


ぐるり、と首が真後ろに回る。標的を定めた捕食者のようだ。


「ひいいいいい!!」


 仲間のグルーサムな死を目撃した偽いばらは、翻って逃げ出した。


「想定外想定外想定外! 『ゴートゥ・ヘル』の奇襲Reで倒せていたはずなのに! ……だ、大丈夫。ねむりちゃんと私の間には10メーめえトルくらいの距離が合ったはず! 形勢を立て直す為に一旦逃げるのは不可能じゃない!」


 しかし次の瞬間には真横にねむりが居た。

 綿の膨張によって生じる反発力を利用した高速移動である。

 追いついた殺戮者ねむりは偽いばらの首根っこを掴み、そのまま引っ張って地面に倒した。


「変身能力を持つあなたを通行人が沢山いるところまで逃がしたら面倒なことになりそうだし、ここで片をつけるね」


 言って、偽いばらに馬乗りになったねむりは、顔面目掛けて拳を放った。


「ちょ、待っ……!」


 待たない。少女の白魚のような指で構成された拳が、鼻柱に突き刺さる。


「ぎにゃぁっ! ……わ、私は君の妹に変身しているんだよ!? 大切な肉親の顔によく傷を付けられるね!?」

「……?」


 偽いばらの抗議に対し、ねむりは「言ってる意味が分からない」と言いたげな表情で首を傾げる。


「いくらいばらにそっくりでも、貴方はいばらじゃないでしょ? ……そもそもあの子はこんな卑怯なことをしないし」


 言って、ねむりは二発目、三発目の拳を叩き込んだ。

 ねむりの言う通り、この場に居るいばらは偽物だ。彼女が愛する妹ではない。

 しかし──しかしだ。

 それはあくまで理屈の上での話である。

 理屈だけでなく、感情で動く人間ではそうもいかない。

 妹そっくりの顔で語り、妹そのものな声で喋る相手に、躊躇なく攻撃を与えることなんて、できるはずがないのだ。

 しかし羊野ねむりは、それを実行してみせた。

 あっさりと、難なく、こともなげに。


(み、見誤っていた──こいつの強さを、否、異常性を……!!)


 鼻血で気道が詰まり、意識が薄れていく中、偽いばらは己の間違いを悔いた。 



「よし」


 偽いばらの戦闘不能を確認したねむりは立ち上がった。

 眼下に転がる少女の顔は、剥がした瘡蓋をいくつも集めて血糊で固めた前衛的モザイクアートみたいになっている。

 これでは羊野いばらどころか、どんな人間に成りすますことも不可能だろう。


「これで二人──残された敵は……『邪道十二星座』って名前をしているくらいだし、十人かな」


 今回は簡単に倒せたが、これからもそうとは限らない。

 K市支部のメンバーに助けを求めるべきだろうか、という考えが一瞬頭をよぎったが、すぐさま却下された。

 『邪道十二星座』はねむり個人を狙って送られた危険集団だ。そんな相手との戦いに、仲間を巻き込むわけにはいかない。

 己が進むべき道は、孤軍奮闘ただひとつである。

 気を引き締めたねむりは、次の刺客を探すべく駆け出した。

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