六匹目 蟹玉高校の双葉偏世流理事長 その②

「貴校の周辺で最近発生しているという変死事件についてなら、そりゃあ存じておりますが」


 先ほど一瞬見せた動揺が嘘のように落ち着いて、遠目湖沼は答えた。流石メイクが得意なだけはある。平静の仮面を被るのも得意なようだ。

 一方、ねむりは未だに動揺を隠せないでいる。まあ、転校先の理事長との面談で突然物騒な話題を出されれば、たとえ潜入調査員でなくとも驚くだろう。むしろそうしないのが不自然なくらいである。


「ワイドショーで頻繁に取り上げられ、そしてつい昨日は校内で有朱野ちゃんが死亡したというビッグニュースになったんです、知らない方が無理というものなのでは?」

「ええ、そうですわね。そのが問題ですのよ」


 ん?

 ねむり達は理事長を推定『ジェミニ・スカート』だと思いながら話していたので、彼女が突然連続変死事件(ねむり達からすれば連続襲撃事件)の話題を出した時はすわ自白が始まったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。


「K市に縁もゆかりもないコメンテーターが大した見識も蓄えてない頭で好き勝手に言っているでしょう? やれK市の行方不明者は年々増えているのが関係しているのだとか、今回の件と数年前の同時多発事故といい民度と治安が悪いだとか、視聴率バズを狙うための牽強付会なネタばかり──ああもう、報道機関の腐りぶりは知っていましたけれど、実際に扱われる側になると、ここまで腹が立つとは思いませんでしたわ。しまいには、我が校の教育方針にまで文句を付ける番組まで──」

「…………」

「…………」


 どうやら、理事長は『蟹玉高校の責任者』として、校外ひいては市外からやってきた者を相手に誤解を解こうとしているらしい。

 正しい判断だ。

 妙な偏見を抱かれたままで入校を許すわけにもいくまい。

 というより、これは誤解を解こうとしているより、愚痴になっていないか? 忙しい理事長は愚痴を吐く時間も滅多に取れていないのだろうか。

 その後も双葉理事長はくどくどと愚痴を吐き続けていたが、


「ですからわたくしはこれから我が校でお過ごしになるお二人に、少しでも我が校への理解を変えていただこうと」


 と言った所で、彼女の背後に立っている、大きなのっぽの古時計が鳴り響いた。


「あら、時間ですわ」


 どうやら、四分の制限時間は双葉理事長の愚痴で終わるという結果になってしまったらしい。

 結局ねむりどころか硝子まで、有益な情報を聞き出すことはできなかった。だって仕方ないだろう。鬼気迫る様子で喋り続ける双葉理事長の話に割り込める者が何処にいるというのだ。白雪ちゃんのような空気を読まない頭ポンデでもない限り、それは無理というものだろう。


「それではわたくし、次の用事がありますので。後はそこらへんの適当な先生や生徒から話を聞いておいてくださいまし。おふたりが良き学校生活を送れるよう心から祈っておりますわ。おほほ」


 上品な笑いひとつ残して、双葉理事長は来客用の部屋から出て行った。爆発するかのように話し、嵐のように立ち去る女である。


「……疲れましたね」

「そだね」


 何一つ弁舌を駆使していないというのに、ふたりの感想は一致していた。



「初めまして、わたしは社会科主任の鋸木林のこぎばやし 紙太郎かみたろうと申します」


 理事長と入れ替わりにやって来た初老の男は、顎に蓄えた髭を撫でながら、そのような自己紹介をした。


「新任の遠目先生には、蟹玉高校で働く上でのより細かいハウツーについて、わたしから説明させていただきましょう。ちょうど、今日は五限目の用事もありませんし、ゆっくり説明できると思いますよ」


 どうやら彼は、双葉理事長が言っていた『適当な他の先生』らしい。


「そして、辻野日くんは……、そうですねえ、ここでわたしが下手に色々するよりも、担任の先生から説明を受けた方が良いでしょう。今日はもう帰っていいですよ」


 相手に安心感を与える、にっこりとした笑顔で下校を勧める鋸木林主任。教師の鑑みたいな表情である。

 それっぽい理由をつけて自分の仕事を減らしたように聞こえるが、そこには目を瞑っておいてあげることにした。

 これ以上来客用の部屋にいる理由も無いので、ねむりは鋸木林主任から促された通り退室することにする。ふかふかのソファから立ち上がり、鞄をからう。


「先にホテルに行っておきますね」


 立ち上がり様にねむりは硝子に小声でそのように伝えた。生徒から教師に告げられるにはややアウトな匂いがする言葉だが、単に潜入調査員が集合場所を共有しているだけなのでセーフである。

 ねむりの言葉を受けて、硝子は小さく頷いた。両者の密かなコミュニケーションは、きっと鋸木林主任に気づかれていないだろう。


「それでは失礼します」


 言って、ねむりは室内の二名に一礼し、退室した。

 

「ふう」


 小さく息を吐き、後ろ手にドアを閉める。

 さて、玄関はどこだったか──脳内に蟹玉高校の地図を浮かばせながら、帰り道を模索する。もう少し探索し、『ジェミニ・スカート』に関するヒントを得たいところだったが、ねむりが転入生として正式に迎え入れられるのが明日である以上、あまり動き回れないのは事実であった。

 たしか、右の廊下を行った先にある階段を下りればいいんだっけ──脳内地図から導き出した帰路に従うべく、ねむりは右を向いた。しかし、彼女の進行は目と鼻の先に突っ立っている少年によって阻まれた。


「んあ……!?」


 思わず素っ頓狂な声をあげて立ち止まってしまうねむり。目の前に見知らぬ人がいたからというのもあるが、それ以上に彼女を驚かせたのは、少年の格好だった。

 派手だ。

 派手すぎる。

 整髪料でオールバックに固められた金髪。剃刀で切り裂いたかのように細く鋭い瞳。右耳に着けられた十個近くの小型ピアスはどれ一つとして同じ色がなく、ラメアートのように見えなくもない。一方、左耳の装飾はシンプルであり、二重カンひとつと、それにぶら下がっている鍵だけだった。キーホルダーのコスプレでもしているのだろうか?

 頭部の観察だけでも以上のように属性過多であり、首から下も似たような有様であった。彼のファッションについて詳細に語るだけで、今回の話の文字数が一万字を軽くオーバーしてしまうことは想像に難くない。

 盛大に着崩されて改造された服が蟹玉高校の制服である黒い学ランを元にした物であると気づかなければ、ねむりは少年のことをタチの悪い幻覚として片付けていただろう──この格好で蟹玉高校の生徒だと? 不良にしても良くなさすぎないか? 

 すわ『獏夜』の刺客かと思ったが、夢遊者コスモプレイヤー宇宙夢コスモチュームでももう少し節度を弁えた格好をしているだろう。それに、男子校である蟹玉高校の生徒である以上、彼は男だ。夢遊者コスモプレイヤーの前提条件を満たせていない。

 

「おい」ねむりが少年の格好に驚いていると、彼は口を開いた。変声期をとっくに終えた、低くて圧のある声だった。「ナニモンだお前? 見ねえ顔だな?」


 不良のテンプレみたいな台詞である。


「ふ、ふふ、人に対して名を尋ねるなら、まずは自分からだよ」


 対するねむりも、新参者のテンプレみたいな台詞で返した。というより、見るだけで脳に甚大な負荷が掛かりそうな相手と遭遇した衝撃で、決まりきった常套句以外の言葉が見つからなかったのだ。そして、言った後で後悔した。相手はいかにも不良な見た目をしているのだ。こんな挑発するようなことを言えば、逆上して殴りかかってくるかもしれない。


「あン? ……それもそうだな」


 納得するのかよ。


「俺の名前は二子玉にこたま 一寸ちよと。一寸なのに千代ちよを含んだ読み方をするなんてイカしてるだろ?」


 素直に名乗ってくれた。

 一寸はねむりが今しがた出てきたばかりの部屋を指さすと、


「この部屋──ええと、応接室だっけ? ──に鋸木林先生が這入っていくのが見えたからよ、地理の授業で分からないところがあったから質問しようと思って、ここまで来たわけなんだが……」


 しかも見た目によらず真面目である。

 ダウナー系のねむりにとって、授業後に教師に分からない部分の教えを乞うのはナイトメア級の難易度に等しいので、感心した。


「そしたら見知らぬ野郎であるお前が出てきて、今に至る……ってわけなのさ」

「『野郎』ね……」

「あン? どうかしたかよ?」

「いや、何もないよ」


 どうやら硝子が施した男装は十全に効果を発揮しているらしい。

 相手がちゃんと名乗った以上、先の台詞を反故にするわけにもいかないので、ねむりも名乗った。


「おれの名前は辻野日つじのひ 宗理むねり──明日からこの学校の仲間になるから、今日は理事長さんに挨拶をしに来たんだ。いわゆる、転入生ってことになるかな」

「ツジノヒムネリぃ? 長い上に言いにくい名前だな……、よし! それを縮めて、お前のことは『ジョジョ』って呼んでやるぜ!」


 どこをどう縮めたらそんな渾名になるんだよ。


「それにしてもこの時期に転校生なんて珍しいじゃねえか。しかも、あんな事件があった直後だっていうのに」

「あんな事件っていうのは……」

「あン? 決まってンだろ。天美院有朱野とかいうアイドルの転落死事件だよ」


 やはりそれか。

 ちょうどいいので、ねむりは事件現場で学生生活を過ごす人である一寸と少しばかり会話をすることにした。貴重な情報源である。


「そりゃああんな事件が起きたのは妙だけどさ、その頃には既に転入手続き自体は済んでいたからね。それに、そんなことが起きたとしても、この学校の教育が転入したくなるくらい魅力的だっていうのは不変の事実だし」

「へー、そうなのかよ。俺はそンなこと意識したことなかったからなあ」

「……教育方針に興味がないって、きみはどうしてこの学校にいるの? 家から近いから?」

「いや。本当なら汚夜おや高校っていう県内ボトムの不良高校に入るつもりだったンだけどよ、入試手続きを間違えてこの学校に入っちまったンだよ」

「…………」


 ねむりは絶句した。

 たしか蟹玉高校の入試は下手な私立大学のそれよりも高難易度なものだと聞いている──『転入生』であるねむりも当然編入試験をパスした設定なのだが、『春眠』の裏工作により、そのヘヴィ極まるテストを文字通りパスしていた──それを目の前の不良は受けて、合格したというのだ。

 人は見かけによらないものである。


「驚いたぜぇ~? 受験した高校をミスってたって気づいた時はよぉ。だけど、それを知ったお袋が泣いて喜んでてよぉ、『一寸があの天才学校に受かるなんて!』ってなぁ~。そんな姿見せられたら、今からやっぱナシってするわけにもいかねえだろ? まっ、マジメくんの学校でも不良はやれるだろうしな。ってなわけで、おれはこの学校で退屈な生活を送っているわけなのさ」

「お母さんのことを思ってそんなことが出来る時点で、きみは十分真面目だと思うけど……」


 やはり、一寸は見かけによらず真面目ないい奴なのかもしれない。

 ねむりは一寸に対して抱いていた警戒心を緩めていると、彼は嫌なものを見たような顔をした。何か気分を害するようなことでもしたかと思ったねむりだが、よく見てみると、一寸の視線はねむりではなく彼女を越えた向こう側に向けられていた。

 その方向に顔を向けてみると、こちら側に歩いてきている生徒の姿が見えた。一寸と対照的に整った髪型と服装をしている分、真面目な印象が見受けられる。


「げっ、アラトじゃねえか」

「やあ二子玉くん、何をしているんだい?」


 アラトと呼ばれた生徒は、人受けの良い笑みを口元に携えながら、一寸に語り掛けた。

 嫌悪感を隠そうともしない様子の一寸は、ぶっきらぼうに応える。


「別に。この部屋にいる鋸木林先生に聞きたいことがあるから来ただけだっつーの」

「鋸木林先生はたしか、明日からここで働く新任の先生の指導をするらしいから、もうしばらくは出てこないと思うよ」

「ケッ、流石生徒会長サマは何でも知ってんなぁ」


 嫌味っぽく言う一寸。ねむりが察するところによると、どうやらアラトは生徒会長であり、故に新任教師のような校内の事情に詳しいのだろう。


「二子玉くん、きみがこの部屋の前にいる理由は分かった。で、彼に絡んでいる理由はどう説明するんだい?」


 どうやらアラト生徒会長はねむりが不良から絡まれていると思いこんで話しかけたらしい。いや、実際に絡まれたようなものなのだが、別にカツアゲされたわけでもないし、何か害を被ったわけでもない。


「わ、わた、おれは別に変なことはされてませんから……」

「ムネリの言うとおりだぜ。おれはちょっと話しかけただけだっつーの」


 どうやらジョジョ呼びは冗談だったらしい。ねむりは心の隅で安心した。 


「ムネリ……? 聞いたことが無い名前だね。それに見たことのない顔だ──ああそうか。君が噂の転入生なのか。ということは、理事長と話して応接室から出てきたところを二子玉くんとバッタリ……って感じなのかな」


 理解が早い。口数が多いとは言えないねむりにとって、こういう風に相手が言った1から10を(変な思い込みや牽強付会を混ぜることなく)把握できる相手はありがたい存在であった。


「そうかい、それは失礼したね。てっきりきみがまた他生徒を巻き込んで暴走騒ぎを起こそうと計画していたのかと勘違いしていたよ。許してくれ、二子玉くん」

「分かればいいンだよ、分かればよ」


 えっ、一寸って暴走騒ぎの前科があるの?

 聞き逃せない情報に驚いていたねむりであったが、その話題を既に流していたアラト生徒会長は一寸ではなく、ねむりの方に顔を向けていた。

 彼は、握手を求めるように手のひらを差し出すと、


「初めまして、僕の名前は奏正寺そうせいじ 荒人あらと。正しさを奏でる寺で荒ぶる人と書く。光栄にも蟹玉高校の生徒会長を務めさせてもらっている者だ」

「おれは辻野日宗理です」


 差し出された手の平を握り返しながら、ねむりは自己紹介をした。書き方も言った方が良いかと思ったが、上手い説明が思いつかないのでやめておく。


「きみが噂の転校生なんだね。ようこそ、蟹玉高校へ」

「えっと、はい、よろしくお願いします」


 その時である。

 キーン。

 コーン。

 カーン?

 コーン。

 チャイムの音が鳴り響いた。休み時間の終わりと五限目の予鈴を告げる音だった。

 それを聞いた一寸は慌てた。


「おっと、もうこんな時間かよ! 次の授業は体育のサッカーだし、早く着替えねーとな。鋸木林先生に質問するのは放課後にするかぁ~」

「またゴールポストを折るなんてマネはしないでくれよ?」

「アレは事故だっつーの! あばよ! ムネリもまた明日な!」


 最後まで気になる情報を撒き散らしながら、一寸は教室に戻って行った。


「それじゃあ、僕も失礼しようかな……、宗理くんは?」

「あ、おれは今日は理事長に挨拶をしに来ただけなんで……転入生として正式に入るのは明日からになりますね」

「そうなんだね、それじゃあ今日は、あと帰るだけかな?」

「そうですね」


 それを聞いて納得した荒人会長は、「気をつけて帰ってね」と言って、自分も五限目の授業を受けるために教室に帰って行った。

 応接室に耳を澄ませてみると、まだ説明は続いているらしい。大人の仕事は覚えることが多いようだ。


「さてと……帰るか」


 当初の目的通り、ねむりは正面玄関に行き、そのまま付近のビジネスホテルに帰って行った。



 蟹玉高校最高責任者、理事長。

 双葉偏世流。

 所持資産は無限。学校運営以外にも様々な事業に着手しており、それ故に多忙を極めた毎日を過ごしている。

 仮に蟹玉高校が廃校になったとしても、懐に与えられるダメージは微々たるものなのだが、彼女はである教育に関われる理事職に並々ならぬ執着を抱いており、学校を守るためなら文字通り何でもする。施設を充実させるために私財を投げ打って建設費にあて、人員が足りなければ、膨大な報酬を用意して募集をかけることも。

 たまに自ら教壇に立つこともあるが、その腕前は生徒からあまり評判が良くない。しかしめげずに、月一は講座を開いている。

 

 二十四歳。夢遊者コスモプレイヤーの疑惑を掛けられるにはギリギリな年齢。

 星に纏わるの末端の一企業の娘だったのだが、遺産相続や吸収合併やでなんやかんやあり、ひとりで莫大な富を手にすることに。その事を知った十九歳の彼女は、当時所属していたアメリカの教育研究機関を飛び出し、日本に帰国。すぐさま蟹玉県に私立高校を設立し、瞬く間に世間に名だたる有名校を作り上げた。それが、今の蟹玉高校である。

 悩みは忙しすぎるあまり、息抜きをする暇がないこと。一時期、短時間で脳汁をドバドバ出す手段としてソシャゲのガチャに金をつぎ込むことに没頭していたが、家のメイド(黒髪の長い三つ編みで、牛乳瓶の底みたいな眼鏡が特徴的)にその現場を発見され、「教育に携わる者が現代社会の闇に浸かるとは何事ですか!」と叱られたことで反省し、やめている。

 今では毎週日曜日の二十二時半から二十三時までの僅かな時間にそのメイドと二人きりで菓子を食べながら愚痴を聞いてもらうことが唯一のストレス発散方法となっている。「深夜にこんな甘いものを食べたら太っちゃいそうですけど……、まあ週一ですし良しとしましょう!」とはメイドの談。

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