五匹目 蟹玉高校の双葉偏世流理事長 その①
蟹玉高校前駅のホームの端に着くと、乙女硝子はスマートフォンの画面に表示されている通話ボタンをタップした。
「もしもしィ? こんな時に電話をかけてくるなんて、何考えてるの?」
「ふん、『何考えてるの』──それはこっちの台詞だよ硝子くん。定時連絡がちっとも来ないから、こうして僕からわざわざ電話をかけてあげたんじゃあないか」
「んあ……!」
「やれやれ、ようやく思い出したようだね。まあいい。『監視役』によれば、どうやらそっちは早速襲撃を受けて大変だったそうだからね。僕と違って脳の容量が少ない君では、そんなトラブルで定時連絡をうっかり忘れてしまうのも、無理のない話だろう」
「相変わらず相手にマウントを取る喋り方だね、さかたんは……、ん? 『監視役』?」
「『スコープ・オン』のことだよ」
「『スコープ・オン』って……、さそたんのことか。たしかにあの子の
「そういうわけにもいかないさ。事件は会議室ではなく現場で起きてるんだ。だったら、
「うへぁ、面倒なスタンスだなあ」
「残念ながら、わざわざ面倒で非効率的な道を選ぶのが、この国のスタンダードな働き方なんだ。諦めてくれたまえ」
硝子は電話相手の言い分に呆れたような顔をした後、これまで起きたことをありのままに話した。
報告を受けた坂菜は「ふむ」と短く言った。
「『サジタリアス・トール』の襲撃……、そして件の連続襲撃犯である『ジェミニ・スカート』か……」
「どう、何か知ってることはある?」
「あいにく、僕の頭脳の裡にある記憶の大図書館を漁ってみても、『ジェミニ・スカート』なんていうフェミニンな名前の
「そっか、ざーんねん」
「というわけで、引き続き任務にあたってくれたまえ」
「りょりょ〜」
「……、すまないね」
「? 急にどうしたの? さかたんともあろう者が他人に謝るなんて珍しいねえ。明日は星が降るのかな」
「これでも君にこんな任務を押し付けてしまったのを、心苦しく思っている僕がいるのさ」
「たしかに『ライブラ・ビット』を殺したような相手と戦うなんて、死ねと言われているような任務だけどさ、私が『春眠』の戦士である以上、仕方のないことだよ。別にさかたんに非があるってわけじゃ──」
「違う、そんなことじゃない」
「…………」
「僕が申し訳なく思っているのはだね、硝子くん、いざとなれば君が
「…………」
「卑劣な奴だと罵ってくれて構わないよ。いや、罵られるのは流石に自尊心が我慢ならないから、やっぱりやめてくれ──人員不足だの何だの、それっぽい理由をつけて君を羊野ねむりの同行者に選んだが、結局のところ、理由はこれだけなんだよ。『ライブラ・ビット』亡き今、K市支部で『貘夜』の刺客──君が聞いたところによる『ジェミニ・スカート』──を倒せる可能性があるのは、君の
「ふふっ、私の
「猫を被るのも程々にしたまえよ。僕は過大評価をしない主義なんだ」
「はいはい、支部長サマから絶大な信頼を受けられて私は幸せ者ですよ──そんなに信頼してくれてるんなら、さっさと私をK支部の正式メンバーに加えてくれればいいのに」
「耳に痛い皮肉を言ってくれるじゃあないか……、僕としてもそうしてやりたいところなんだがね。上がうるさいんだよ、『あんな事件を起こした乙女硝子を正式に迎え入れるには、もう少し様子見が必要だ』ってね」
「様子見ね……さそたんが私たちを監視しているのも、単に任務の経過を観察しているだけでなく、その一環を兼ねてるってわけね」
「というより、そちらがメインだろう」
「はー、やれやれ。未だに認められないのは嫌になっちゃうわ。そのせいでK市支部の
「仕方ないだろう。それもまた、『この国のスタンダードな働き方』だ──上の連中が石橋を叩いて渡っているのも、元を辿れば君が起こした事件が原因じゃあないか。なら自業自得だよ。本来ならば、君みたいな要注意人物なんて、即刻処刑か無力化が常套手段なんだが……、現在の硝子君が『春眠』に忠誠を見せているのは確かだし、それに君を『春眠』にスカウトしたのは、よりもよってあの英雄サマだ。故に、上層部は乙女硝子の命を奪うことに決定的な決断を下すことができないのさ」
「……本当、いばらさんには感謝しっぱなしだわ」
「その通り。かの英雄の紹介があって、君はギリギリの所で『春眠』への在籍が許されているというのをゆめゆめ忘れないでくれたまえ。夢だけに──まあ、それを言うなら、K市支部自体が君みたいに厄介者扱いされた奴らの集まりなんだけどね。組織自体がギリギリの崖っぷちみたいなものさ」
「ああ、たしかに。
「それは誤解だ。自称探偵とかいうロクデナシの集まりが僕を排斥したんじゃない、僕が自称探偵を排斥したんだ」
「RADWIMPSの『君と羊と青』の歌詞みたいな強がりだわ……」
「ところでどうだい? かの英雄サマの姉君との関係は。ちゃんと仲良くやれてるのかい。喧嘩してないかな?」
「してるわけないじゃない──ただ、仲良くやれているかって言うと、自信はないかな」
「ほう?」
「ねむたんが人見知りで他人との間に壁を作りがちな性格ってのもあるんだろうけどさ、私も上手くコミュニケーションを取れているわけじゃないからね。あまりに上手くいかなすぎて、電車に乗っていた時に、会話が持たなかったから、場を繋ぐために早めのメイクをしちゃったくらいだよ」
「やはり緊張するのかい、君の恩人である羊野いばらの姉と二人きりというのは」
「そうかもしれないね」
「君たちが仲良くやれるやれないは、聡明なる僕にとってオーエル予想の証明よりも興味の湧かない事柄なんだが、そんなどうでもいいことが原因で任務を失敗されてはたまらないぞ。同じ任務を請け負っているペアなんだし、そこそこの関係を作ってくれたまえよ」
「……、りょ」
硝子の自信なさげな返事をもって、通話は終了された。
◆
「おまた〜!」
「おかえりなさい、硝子さん」
「いやあ、定時連絡するの忘れてて怒られちゃったよ。メンゴス☆ ……ってうわぁ!?」
ホームに撒き散らされた人肉を目撃した乙女硝子は、元から大きい目を更に開かせて驚いた。
「なにこれ!?」
「『ジェミニ・スカート』とは別の、『貘夜』からの刺客です。たしか、『ポカリ・スウェット』と名乗ってました」
「それとどう戦ったらこんな血みどろの血まみれになるの!? ねむたんの能力って、綿をモコモコ出したり残機は無限だったりするだけのファンシーな能力なんだよね!?」
慌てた様子で辺りを見回す硝子。
平日の昼間であるため、ホームには彼女達以外に人の姿は見られなかった。あるいは、ねむりを襲った『ポカリ・スウェット』が予め人払いをかけていたのかもしれない。
だが、しばらくすれば誰かがやってくるのは確実だろう。
いくら『調整の揺らぎ』でこの死体が上手いこと改変されるとはいえ、この場に留まっておくのは拙い。
「あ、じゃあ丁度あそこに樽がありますし、この死体を入れておきますか? 頭がグチャグチャだから、人間に見えないかもしれません」
「そんなことする暇があったら、さっさとここから離れようよ!」
「そうですね……だけど」
ねむりは血を浴びて真っ赤になった己の体に目を落とした。
「この姿で改札を通れますかね?」
「うーん、急にリアリティラインを詰めてきたな。大丈夫大丈夫、とりあえず章の転換に挟まれがちな『◆』を出しておけば、勝手に場面が変わってなんやかんやで駅から出たことになってるはずだから」
◆
ねむり達の現在地は依然として駅のホームである。
「なんでだよ!? そこは上手いことやってくれよ!?」
硝子はどこか遠くに向かって突っ込んだ。
「すみません、こんな血塗れになってしまって……、せっかくお化粧をしてくれたのに汚してしまいました。あんなに手間をかけて手入れしてくれたのに……」
「いや、それはどうでもいいんだけどさあ!?」
「あと、支給された携帯電話も壊されてしまいました。なんだか今日は色々と壊されっぱなしですね、私」
「それはもっとどうでもいいんだよ!」
どうしようかと悩んでいた硝子だが、しばらくすると頭上に豆電球を灯らせた。頭の回転が早い。流石『春眠』の戦士である。
「そのまま立っててね……」
そう言うと、硝子はねむりの体に手の平を当て、
「『クリスタル・スカイ』ッ!!」
と叫んだ。
するとねむりの体にべったりと付着していた赤黒い血は一瞬で硬質化し、体からパラパラと剥がれ落ちた。
これが彼女の
「あとはメイクをささっとかければ……」
懐から化粧道具とソーイングセットを取り出し、その場でねむりのお色直しを始める。
一分もしないうちに、ねむりは生まれたばかりの赤ん坊のような真っ赤な見た目から、かなりマシな状態に戻っていた。かなり注目して観察しなければ、彼女の体に僅かに付着している血や、鉄の匂いに気づくことはないだろう。
「うわ、すごいですね。ありがとうございます」
「ふふ、これぞ
鼻高々と言った様子で豊かな胸を反らす硝子。
「それじゃあ、蟹玉高校に向かおうか。と言っても、もう時間は昼だし、今日は理事長に挨拶するだけなんだけどね。本格的な潜入は明日からになるかな」
だけど──と、硝子は続けた。
「本格的な任務はすぐに始まることになるかな。なにせ、私たちが今から会う理事長は、蟹玉高校の最高責任者は、蟹玉高校の女性関係者三人のうちのひとりなんだから」
三人の容疑者のうちのひとりなんだから。
◆
「ようこそいらっしゃいました、
金髪縦ロールという金持ちでディープでウェブなアンダーグラウンドという感じの髪型をしている女性がそう言って軽く会釈すると、机を挟んで彼女の向かいのソファに座っている『蟹玉高校に転入した男子生徒、辻野日宗理』に変装中の羊野ねむりは、おどおどとした様子で礼を返した。
どうやら男装しても人見知りは直っていないらしい。
対して、ねむりの横に座っている『蟹玉高校の新任教師、遠目湖沼』に変装している乙女硝子は、ワックスで固めた髪型(それでも片目は隠されたままなのだが、不思議なことに不自然な印象は与えられない)に黒縁メガネといういかにも大人という趣の頭に緩やかな笑みを浮かべながら、自然な返礼をした。
「こちらこそありがとうございます、偏世流理事長。教員免許を取ったものの受け入れてくれる学校が中々見つからなかった私を拾ってくださるなんて、感謝してもしきれません」
なんてことまで言い出すくらいには余裕である。
ねむりは、てっきり硝子も男子生徒に変装して潜入調査をおこなうのかと思っていたが、それは勘違いだったらしい(現実を見ずに自分ばかり見て生きてきたねむりには、勘違いなんて日常茶飯事だ)。
蟹玉高校に向かう途中、着替えの為に立ち寄ったビジネスホテル(事前に部屋を取っていたらしい)で硝子が学ランではなく男物のスーツを取り出した時には驚いたものだ。
硝子曰く、「転校生が同時にやってくるなんて不自然じゃない? だったら私は男性教師の変装をするわ。大人への変装も得意だし」らしい。
どうせ教師に変装するのなら、性別を変えずに女教師として潜入すれば良いのでは、と思われるが、男子校に女として入ること以上に注目を集めることはないので、潜入調査をする以上、そんな事態は望ましくないらしい。
故に、男性教師のコスプレをするんだとか。
実年齢はともかく、外見年齢がどう高く見積もっても二十歳を超えているようには見えない硝子が、男性教師の変装なんてできるのか不安だったが、その危惧は杞憂に終わった。
現に、ねむりの横で、理事長と朗らかなトークを楽しんでいる『遠目湖沼』はどう見ても教育実習を経験し、大学を卒業して、教員免許を取得した、立派な二十代中頃の男にしか見えないからだ。
先ほどまで硝子の胸元で確かな主張をしていた丘陵も、男装した今となっては男性特有の筋肉質な平野へと変化している──サラシを巻いたくらいで、ここまでの地形変動が生じるものなのか?
更に驚くべきことに、硝子は声までも男のそれに変えていた。変声術の心得でもあるのだろうか。
硝子の元の姿を知っているねむりが、『遠目湖沼』を見れば、ところどころに男装前の面影が窺えるが、全くの初対面である双葉理事長が、この男装を看破することはありえないだろう。それほどまでに、完成度の高いメイクだ。
化粧でここまで姿形を変えられるとは驚きだ──コスモ・トランスをするまでもなく、魔法のような変身である。
もしかして、硝子の
……おっと、今注目すべきなのは、男装の麗人ではない。
目の前に座る双葉偏世流にこそ、目を向けるべきなのだ。
蟹玉高校は男子校であるが、敷地内に居るのが男子ばかりというわけではない。相撲の土俵でもあるまいし。
生徒が全員男子であっても、教師や職員の中には、当然ながら女性がいるのだ──雇用機会の均等である。
『春眠』の調査によれば、蟹玉高校の関係者で女性の人物は三人だった。そして、『
三人の容疑者──そのうちのひとりが、蟹玉高校の理事長、双葉偏世流だった。
「挨拶を終えたばかりで何ですが、まずは我が校への入校という記念すべき日でありながら、二人まとめて対面するという無礼をお許しください。なにぶん、理事長という立場上、やる仕事が多いものでして──ひとりひとり別々に顔を合わせる余裕がありませんの」
「僕は構いませんよ。むしろ、僕と同じく蟹玉高校生活ゼロ日目である辻野日くんと同じソファに座っているというのは、実に心強いですからね。安心感があります」
「わた……あ、いや、おれも同じ気持ちです」
初対面の人物の前で男装をしているという状況に未だに慣れないねむりは、たどたどしく言葉を絞り出した。ちなみに最初に言いかけたのは『
こうなると、ふたり一緒の面談を開いてくれた理事長に感謝したいくらいだ──ねむりひとりでは、まともに受け答えすることも出来なかっただろう。
まともに容疑者の観察をすることも出来なかっただろう。
「おや、そう言いながらも辻野日くんはまだ緊張しているようだね……、安心してくれよ。初めての環境で色々と不安があるだろうけどさ、何かあったら気兼ねなく僕に相談するといい。同じ蟹玉高校初心者どうし仲良くしようぜ」
なんて言いながら、こちらに太陽のように温かな笑顔を向ける『湖沼先生』。女子生徒からの人気が出そうだな、とねむりは思った。ここは女子生徒のいない男子校だけれども。「顔のいい男子校新人男性教諭!? ホモが捗りそうなキャラ設定に、白雪ちゃんワクワクすっぞ!」なんだ今の。別次元からの何者かの介入か?
「ふふ、遠目先生はとても頼りになりそうですわね。これからに期待ですわ」
微笑む理事長。なんとも上品な佇まいである。絵になる美人というのは、彼女のような人を指して言うのだろう。
「……さて、挨拶も謝罪も終わりましたし、早速本題に入らせていただきましょうか。わたくしがおふたりにかけられる時間は、あと四分しかありませんもの」
四分って。
短すぎるだろ。
高校の理事長とは、そんなに時間の余裕が無い仕事なのだろうか。
話す時間が短いというのは、他人との会話が苦手なねむりにとって、ありがたい話だが、理事長からより多くの情報を引き出し、彼女が『ジェミニ・スカート』であるのか、シロクロの判断をしなくてはならない都合上、それは喜ばしくない時間制限でもあった。
二百四十秒の間でどれだけの言葉を得られるだろうか。せめて、先日学校の敷地内で起きた天美院有朱野の転落死の話題を出した時の反応を確かめてみたいところなのだが……、ねむりに話題を強引にそこまで持っていけるトーク力はない。コミュ力の塊のような硝子なら出来るだろうか?
「時間が限られている以上、貴方がたに伝える優先順位の高い、我が校の情報を、最小限の言葉で最速に伝えるべきですわね。その他のことは、わたくしではない他の先生や生徒に聞けば良いでしょうし……、ううん、何から話すべきか、悩ましいですわねえ」
悩む素振りを見せた双葉理事長だが、その一瞬後には何を話すのか決まったらしく、「ああ、そうですわ」と口を開いた。
「先日我が校の敷地内で起きた天美院有朱野ちゃん転落事件、並びに我が校周辺で起きている変死事件を、おふたりは御存知で?」
「そっ──」
「そっ──」
それは。
御存知もなにも。
ねむりと硝子が現在調査している真っ最中の事件だ。
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