三匹目 弦弓泥詩のチックタック・スナイプ その②
「……! ズバリ出てきたね〜!」
白綿の塊を掻き分けるようにして乙女硝子が車外に出てきたのを目撃した弦弓泥詩は、口角を上げ、白い歯を覗かせた。
「自分からわざわざ
銃弾を防ぐ摩訶不思議な綿から出てきた敵を撃てるという事実に余裕を取り戻したのか、泥詩はそんなことを言う。
「次はズバリ頭を狙う──足でもなければ胴でもない。頭だよ」
まず敵の足を奪おうという悠長な考えからタイヤを狙った結果、先程のような醜態を晒してしまったという反省から、次は当たれば即死の部位を狙う泥詩。彼我の距離がかなりある状況で、そんなピンポイントを狙って撃つのは、歴戦のスナイパーでも難しいはずなのだが、彼女は自分の狙撃の腕に、絶対の自信を持っているようだ──しかし。
「んあっ!? 消えた!?」
スコープ越しに見える視界内から硝子の姿が消えた──いや。
「物凄い速度で移動しているのか!? 消えたと錯覚するくらいに!!」
速い。
常人を遥かに上回る速度で、硝子は道を駆け抜けている。靴底にローラーでも仕込んであるのかと疑いたくなるようなスピードだ。
「くそっ、アレだけ速く動かれたらスコープ越しにはっきり『見る』ことができない!!」
狙撃手として一番撃ちにくいのは、すばしっこく動き回る相手である。
それに、見ることが出来なければ、泥詩が誇る異能はその効果を十全に発揮できないのだ。
故に、泥詩は引き金を絞れずにいた。
硝子の迷いのない走りから考えるに、彼女が向かう先が泥詩が陣を構える廃ビルであるのは間違いない。
スナイパーの鉄則として『自分が居る位置がバレてはならない。バレないように、常に移動することを心掛けよ。バレた場合は即座にその場から動け』というものがある。
ここはそれに従うべきか……?
「そうだ、そうしよう! ここはズバリ戦略的撤退をすべきだよ!」
己の卑劣さを誤魔化しながら、泥詩は逃げる準備を始める。
逃げる──準備を──……
「んあ? 逃げるってどうやって?」
これまであらゆる敵を物陰から銃弾一発で殺してきた泥詩にとって、生き延びた敵が視認不能な速度で反撃を仕掛けてくるというのは初めての体験だった。
故に、そんな状況から逃げる算段など考えたこともない。
「ふつうに階段を降りて逃げる──いや、鉢合わせになっちゃうよね。変身を解いて一般人に紛れて逃げる──いやいや、ここ廃ビルだからボク以外に人いないし」
泥詩があーでもないこーでもないと頭を悩ませていると、部屋の壁が爆発した。
かと思うくらいの勢いで吹き飛んだ。
散らばる建材、舞う粉塵、その向こうには、拳一つを突き出している硝子の姿があった。
もう辿り着いたのか!? いくらなんでも速すぎる!!
窓際で固まっている泥詩の姿を認めた硝子は、口をゆっくり開いた。
「あなたがスナイパーね……って、手元にある物騒な塊を見れば分かっちゃうか。ははは」
「チッ! ……引っ込め、『チックタック』!」
泥詩が叫ぶと、彼女が握っていたライフル銃は消えた。
「そして──来いっ! 『ライオン』ッ!」
先ほどとは違う名を口にする──すると、ライフルと入れ替わりになるように、別の銃が現れた。
泥詩はそれを愛おしそうに撫でる。
「『チックタック』は遠距離用のライフルだったけど、『ライオン』は近距離用の散弾銃なんだよね──スナイパーだからって近づかれると弱いと思ったら、ズバリ大間違いだよ〜! こういう時のために、策を考えてるんだからっ!」
散弾銃──極小の弾丸を無数に散開発射する銃だ。点ではなく面での制圧に特化しており、泥詩が今いる室内のような空間で撃てば、逃げ場のない標的をそれこそライオンのように屠るのは、実に容易いことである。
「まっ、『面での制圧』なんてボクにとってはあまり意味のないことなんだけどね、なにせボクの
「銃の召喚、そして弾道の補正──そうなんでしょ?」
「んあ……!?」
硝子が言う通り、泥詩の
まるで魔弾である。
「二度も
「んあああああああ!! ……だっ、だけどっ! ボクの能力が分かってるからって、それに対応できるとは限らないんじゃないカーン!?」
撃った弾が必ず当たる。
そんな能力を持つ泥詩が散弾銃を撃てば、生まれる成果は面での制圧どころではない──放たれた極小の弾丸全てが、対象目掛けて殺到するのだ。
いくら能力のカラクリが分かっているとはいえ、そんな絶望的なシチュエーションを攻略するなんてこと、普通は無理である。
「追い詰められたのはボクじゃないっ! オマエの方だっ! 『トムとジェリー』に出てくるチーズの気持ちを味わいながら、ここまで来たことを後悔するがいいんだよ〜っ! くらえっ!」
ぱあん。
能力を見破られた興奮からか、泥詩は勢いよく引き金を引いた。銃口がブレて、照準が定まっていない、出鱈目な姿勢だった。
しかし、どれだけ出鱈目でも、どれだけ適当であろうとも、彼女が撃った弾丸は必ず標的に当たる──それが、弦弓泥詩が持つ
『チックタック・スナイプ』の力を証明するように、銃口から飛び出たいくつもの弾丸は、ひとつの例外も無く硝子の体目掛けて飛んで行った。物理法則を完全に無視した軌道である。必然の結果として、弾丸は全て硝子に当たった──しかし、それだけだった。
たったひとつでも人命を刈り取るのに十分な威力を備えている弾丸は、硝子の体に当たっただけであり、それ以上進むことがなかった。
皮膚を突き破ることも、肉を食い進むことも、内臓で暴れ回ることもない。
乙女の体表に触れた瞬間、木っ端微塵に砕け散ったのである。
硝子に触れた数十発の鉛玉は、金属ではなく灰で出来ていたかのように細かい粒子まで砕け、風に流れて何処かに飛んで行った。
「んあ……?」
泥詩は目を丸めた。
当然の反応だ。
本来なら、目の前にあるのは発砲の結果として転がっている硝子の死体であるはずなのに、しかし実際に黒衣の乙女は五体満足で傷ひとつなく立っている。
おかしい。
不思議だ。
不条理だ。
己が異能を打ち破られたショックで泥詩が呆然としている隙に、硝子は両者の距離を縮めるべく駆け出した。先程この廃ビルに向かう時に見せたのと同じ、常人を超えたスピードの走法だった。
狙撃手との距離を一瞬でゼロにした硝子は、ハイキックで銃を蹴り飛ばし、返す刀で泥詩のコメカミに踵を打ち付けた。フリフリとしたゴスロリを身に纏っているとは思えないくらいフィジカルが軽い。
「めぎゃっ!」
眼球の中で火花が踊るような激痛を感じながら、泥詩はうつ伏せに倒れる。すぐさま立ち上がろうとしたが、床に手を付けた時には、硝子が背中に馬乗りになっていた。完全に組み伏せられた形である。
「おっと、下手に動かない方がいいよ。頭がパーンってなっちゃうからね」
泥詩の後頭部にデコピンを構えながら、硝子は言った。
「な──なんだよ、お前のそのデタラメな能力はよぉ!?」
「私の宇宙夢の正体はまだ秘密。読者のみんなと一緒に、頭を使って考察してみれば? まあその頭が次の瞬間には壊れ砕けちゃうかもしれない状況に、今の君は居るんだけどね──まずは君の名前を教えてもらおうか」
「さ、『サジタリアス・トール』」
「じゃなくて本名だよ、本名」
「…………弦弓泥詩」
泥詩は身バレした。
「ぐぬぬ! K市支部の強い奴は『ジェミニ・スカート』がやっつけたんじゃなかったのかよ〜!? 残った雑魚相手なら、ズバリボクでも倒せると思ってやってきたのに〜!」
「予想通りハイエナ精神全開の卑しい動機だったんだね……ん? 『ジェミニ・スカート』?」
コードネームらしき単語を、耳聡くキャッチする。
聞いたことがない名だ。
「それって、わたしたちが追ってる『貘夜』の刺客のことかな?」
「んあ……!」
泥詩は間抜けな声を漏らした。
「な、なんのことかな〜? たとえ知っていても、敵に教えることなんてズバリ無いに決まっ」硝子の足が触れている床が、嫌な音を立てて罅を走らせた。大した力を入れたように見えないのに、どうやってそのような現象を起こしたのだろうか。不思議である。「『ジェミニ・スカート』。本名年齢ともに不詳。指令をそつなくこなし、これまで多くの『春眠』所属
脅しに屈した泥詩は、中身が無いに等しい情報をゲロった。どうやら『ジェミニ・スカート』について本当に何も知らないらしい。これでは脅さない方がマシだったくらいである。硝子は踏み壊された床に対して謝意を抱いた。
「どうせ踏むんなら、君の腕にしておくべきだったかな」
「そ、そんな怖いことを言わないでよ〜! ボクはもう心をズバリ入れ替えたんだよ? だからここは見逃して? ね? お願いだよ〜!」
「君、一分もしない前に私に対してなんて言ったか覚えてないの?」
弦弓泥詩の絵に描いたような小物ぶりに呆れながら、硝子は考える。
これまでの情報を踏まえるに、件の『貘夜』の刺客は他人との関係を作らないタイプだ。仲間がいるようには思えない。つまり──
(やっぱり『ライブラ・ビット』は一対一の戦いで負けたのかな……?)
信じがたい情報だ。
最強の夢遊者である『ライブラ・ビット』だが、結局は視界の範囲内にしか能力の効果が無いという夢遊者全員が抱える弱点がある以上、複数人を相手にしていれば、もしかすれば……という考えもあった。
しかし銃声の代わりにみっともない命乞いを鳴らしている狙撃手から今しがた聞いた情報により、その線は消えた。
『ライブラ・ビット』はたったひとりの敵と戦い、負けたのだ。
その事実を知り、改めてこの任務の過酷さを知る。
これから相手にする夢遊者──『ジェミニ・スカート』のことを思い、硝子は僅かに身震いした。
そんな心を露知らず、泥詩は調子の良い言葉を吐き続けている。
「いやあ、それにしても、お姉さんって綺麗だよね〜! 髪で片目が隠れててもじゅーぶんに分かるよ! 元の素材が良いのは勿論だけど、化粧もズバリキマってるって感じだし」
「……そりゃコスメには結構力を入れてるし、体作りのトレーニングは欠かしてないからね」お世辞だと分かっていても嬉しいのか、上機嫌が混ざった声で答える硝子。「いくら変身で多少は見た目が変わるとはいえ、そういう所に力を入れないと乙女ってどんどんダメになっていくと思ってるし」
「んあんあ、その通りその通り! お姉さん芸能人の誰かに似てるとか言われたことない? ボク絶対テレビか何かでお姉さんに似た人見たことある気がするんだよね〜! ……ん? いや待てよ? テレビというより、もっと別の所でお姉さんみたいな人を実際に見たことがある気が……」
その言葉に、硝子は分かりやすく動揺した。それを見逃す泥詩ではなかった。
身を捻ることで馬乗りになっていた硝子を倒し、泥詩は立ち上がる。
「なんだかよく分からないけど隙見せてくれてさんきゅ! お礼に殺さないでおいてあげるよ!」
本当は銃が効かない相手に向かって発砲するよりも逃走を優先したいだけだったのだが、ここぞとばかりに恩着せがましく言う泥詩であった。
「それじゃあバイバイ! 結局誰に似てるか思い出せなかったけど、ズバリ不細工なオバさん! んっあっあっあっ!」
そんな言葉が。
ライフリングを通ったかの如き手のひら返しの罵倒と、奇妙な笑い声が。
弦弓泥詩──
生存に向かって我武者羅に一歩を踏み出そうとした彼女は。
つるっ──と。
滑って転んで頭を打って死んだ。
◆
「はぁ〜〜〜〜」
クソデカ溜息を吐きながら、硝子は立ち上がる。
彼女の目の前には出来立てホヤホヤの死体が転がっていた。
「私の能力から逃れることなんて出来るわけがないのに、無駄な逃走しちゃってさあ」
呆れたような目で泥詩の死体を見下ろす。割れた頭からは内容物があまり溢れていなかった。オアだから少ないのだろうか?
「まあ、私の正体に気付きかけていた時点で、どの道死ぬのは決定していたんだけど──それにしてももっと良い死に方があったと思うんだけどね。仕方ない。うん。仕方ないよ。万が一にも逃げられたら困るしね。あそこで君は滑って転んで頭を打って死ぬしかなかった。それしかなかったんだよ」
既に口も聞く耳もない死人を相手に説得するような口ぶりで独り言を呟く硝子。
「終わってしまったことはさておき」
さて置いた。
「スナイパーをやっつけたことだし、ねむたんと合流しないとだね。あの子には私が離れている間に新しい足を探してもらってるんだけど、ちゃんと見つけられたかなあ?」
そう言いながら、来た時以上の速さで階段を降りていく。
乙女硝子。
謎の多い女である。
◆
ヴィラン側、ギルド『獏夜』所属構成員。
本名、弦弓泥詩。
所持宇宙夢、チックタック・スナイプ。『視界に捉えた対象に絶対に当たる銃』を召喚する能力。呼び出せる銃は何種類かあり、ライフルの『チックタック』、散弾銃の『ライオン』、マシンガンの『スケアクロウ』などがある。その中でもヴィラン活動で主に使うのは狙撃用の『チックタック』なので、能力名にもそれを採用している。
十七歳。某県某高校のクレー射撃部の部長にして唯一の部員。
「せっかく銃を使えるんだし人を撃ちてええええええ撃ちてえよおおおおおおおおお」という欲望を抱え続けた結果、上記のような宇宙夢に目覚めた。あるいは眠った。
社会的に受け入れられがたい欲望を持つ彼女がヒーローではなくヴィランサイドに落ちるのは当然の帰結であり、組織からの指事に従い、これまで何人もの標的を亡き者にしてきた。たまには地味な狙撃ではなくマシンガンの乱射でトリガーハッピーになりたい時があるので、その時は窮州の福岡に赴き、街中で無力な通行人相手に発砲して楽しんだりしている。ちなみに彼女がこれまで起こした民間人への趣味的な発砲は五十件以上に及び、それら全ては調整の揺らぎによって暴力団の抗争で片付けられている。
年齢の割に身長が小学校高学年程度しかないのが悩みであり、そのコンプレックスはコードネームによく表れている。
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