二匹目 弦弓泥詩のチックタック・スナイプ その①
「私立蟹玉高校はね、戦前に設立された歴史ある学校なんだって。だからこんな煉瓦造りの建物なんだね」
黒いゴスロリ衣装という運転しづらそうなファッションに身を包んでいる硝子は、右手で自動車のハンドルを握りながら、左手で蟹玉高校のパンフレットを翳した。先ほど坂菜が見せたものと同じである。
硝子の隣の助手席に座っているねむりは、掲げられたパンフレットに目を向けた。
その表紙には、硝子が説明した通り、蟹玉高校の煉瓦造りの校舎の写真が写っている。
「だけど建物同様に校風まで古臭いってことはなくてね、逆に最先端の設備を積極的に導入したり、未来を見据えた人材育成をしているらしいよ。学校の鑑みたいな施設だね」
左手だけで器用にパンフレットを捲る硝子。開かれたページには、近年蟹玉高校で実践されているカリキュラムについての説明が書かれていた。……なるほど、少なくともねむりが通っている公立高校では受けられないような授業が開講されているらしい。ビジネスキャリアアセンションだのグローバルリーダーシップだの、横文字が並んでいる科目一覧は、まるで外国の授業みたいだ。
「それと、この学校について語る上で外せないのはなんと言っても学食だね。特に一日三十食限定のささみチーズカツカレーはヘルシーかつ食べ応えたっぷりで学生から大人気らしいよ」
「……あの」
「ん? どうしたの、ねむたん」
ねむたんってなんだよ。この前の獅子崎かぐやといい、夢遊者には他人を渾名で呼ぶ癖があるのかもしれない──それはさておき。
「ひとつ、質問があるんです」
硝子が運転する車の目的地は言うまでもなく蟹玉高校だ。硝子とねむりのふたりは、そこに潜入捜査するというミッションを背負っているのである。
そんな重要任務の舞台について、ねむりが校風や学食以上に気になっていることは──
「この学校って男子校ですよね」
「え? うん、そうだよ」
硝子は再びパンフレットをひらひらと翳した。その表紙にはかなり目立つフォントで『男子校』と書かれている。
男子校──文字通り、男子生徒しか入学を許されない学校だ。
「しっかし、男女の共同な参画が推進される社会において男子だけの学校って、随分ジェンダー観が古臭いよね。最先端の教育を売りにしている学校にこんな根本的な不備があると、灯台下暗しって思っちゃうよ」
「今はそんな社会語りに話を持っていきたいわけじゃありません──私が言いたいのは『女である私たちが男子校に潜入するなんて無理なんじゃないか?』ということなんですよ」
まだ
女しかなれない
とはいえ、まあ何事にも例外というものはある──男の
しかし、それを見つけるために女子高生であるねむりと女子力カンストな見た目をしている硝子が男子校に潜入するのは、流石に無理なのでは?
そんな考えから、ねむりは先ほどの質問を口にしたのだが、それに硝子が返した答えは、
「あっはっは、ねむたんはバカだねっ!」
という、シンプルな罵倒だった。
「『花ざかりの君たちへ』を観たことないの?」
「花ざか……り……?」
「リメイクまで作られたあの名作ドラマを知らないってンメァ〜? ねむたんとの間にあるジェネレーションギャップに、しょこたんのガラスハートはブロークンしちゃいそう」
どうやらねむりが知らないドラマの話をしたかったらしい。話の流れ的に、女主人公が男子校に潜入する話なのだろうか?
それにしても『ジェネレーションギャップ』とは……見たところ、ねむりと硝子はそんな歳が離れているように思えないのだが。まあ、十代の女子にとっては、ほんの僅かな年齢の差でも大きな隔たりのように思えてしまうのだろう。
「まあ『イケメンパラダイス』の話はさておき」『イケメンパラダイス』が『花ざかりの君たちへ』の副題であることもねむりは知らない。「ねむたんの『女子の自分が男子校に潜入するのは無理ではないか?』という危惧は至極真っ当なものだけど、安心していいよ。なにせ今回のミッションでの君の相棒は、この私──『
長い睫毛が生え揃った目でウインクして、硝子は自信たっぷりに言った。
「私の魔法のようなメイク術を施せば、女のねむたんが男に変装するなんて、女らしく振舞うより簡」
硝子の台詞を遮るように破裂音が轟き、ねむりの視界は激しく回転した。
◆
「あははっ、ズバリ命中〜!」
廃ビルの十五階の窓からライフルを構えている『貘夜』所属の
彼女が見下ろす先には、ライフル弾でタイヤを撃ち抜かれた四輪車が横転している。アレでは乗員である『春眠』の戦士は死亡、ないし重傷を負っているだろう。
「K市は『ジェミニ・スカート』のナワバリだけど、『春眠』K市支部がズバリ壊滅寸前ってんなら、横取りせずにいられないよね〜! 手柄はいただきだよ〜!」
ハイエナのような発言を吐きながら、泥詩は自分の功績を改めて眺めるべく、ライフルのスコープに目を当てる。
そこには当然、はたらけないくるまとなった乗用車が転がって──いなかった。
「……は?」
白だ。
真っ白でモコモコの物体が車内から溢れ出て、車の外まで覆っている。まるで車が一瞬のうちに羊へデイル・トランスしたみたいだ。アレではどれだけ激しく横転しても、大した衝撃は生まれなかっただろう。
「なんだよアレ、オイオイなんだよアレはよぉ!!」
激昂しながら銃口から新たな弾丸を撃ち放つ。標的までの距離はかなりあるが、不思議なことに弾丸は白い塊に吸い込まれるように飛んで行き、命中した。しかし、表面で柔らかく受け止められてしまう。
「ヌアアアアアアアアアアア……くっ!!」
発狂と区別がつかない絶叫を上げながら、泥詩は血走った目を向けるのであった。
◆
「これは……綿?」
突然起きた襲撃に対処しようとしていた硝子は、自分が『能力』を発動するよりも前に視界を覆った純白に驚いた。
「はい、そうです。『体から綿を無尽蔵に生産する』──それが私の
綿の向こうからねむりの声がした。
「突然車が転がったので、とりあえず衝撃の吸収と『敵』からの二度目以降の攻撃を防ぐために沢山綿を出したんですけど……もしかして余計でしたか?」
「いや、迷惑無しのありがた百パーセントだよ、ねむたん。さんきゅ」
硝子がねむりの能力に感心していると、とん、と何かがぶつかる衝撃が柔らかく感じられた。『敵』が二度目の攻撃をしたのだろうか。
「一度目の攻撃も合わせて考えると、敵が使ったのはおそらく銃弾のような遠距離の武器……それに角度、方向、地理の要素を加えると、敵がいるのは、少し離れたところにあるビルかな」
僅かな情報から、硝子は敵の居場所に目星を付けた。流石は『春眠』の戦士である。
「私たちが派遣されたことを知った例の『貘夜』の刺客が先手を打ってきたんですかね」
「うーん、それはどうだろう。たしかに敵は『貘夜』の関係者だろうけど、これまでウチのメンバーを殺してきた奴とは別人だと思うな。大方、これを機に手柄を横取りしようと思ってやってきたハイエナ根性全開のやつだと思うよ」
「そうなんですか?」
「多分ね。何せ、弱すぎる」
硝子は前触れなく襲ってきた凶弾の主を、弱いと切り捨てた。
「私たちが狙っているのは、誇張抜きで最強の
「なるほど」
「とはいえ、ターゲットとは別人だからと言う理由で、スナイパーを見逃すなんてことは、全然ないんだけどね──ねむたん、この綿から私だけ出せる?」
「出来ますけど、そんなことしたら……」
セーフティエリアから出た獲物など、撃たれるに決まってる。
綿の外に出るのなら、硝子よりもねむりの方が適役だ。なにせ、彼女は体に銃創ができた程度では死なないのだから。実際、硝子から目星を付けた敵の位置を聞いた瞬間、ねむりは外に出る準備を整えていた。
しかし、硝子はここは自分に任せろと、車が横転する前と同じ、自信たっぷりな声で言う。
「ねむたんがかっこいいところを見せてくれたんだし、次は私が活躍しないとね──安心して。遠くからコソコソ攻撃してくる卑怯者なんて、 私の『クリスタル・スカイ』で秒でポコパンしちゃうから」
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