第4話 とろけおちる 5

「あなたたちは、知らないんだ。目の前に人が落ちてきて、ぐしゃっと潰れるのを見てしまった気分。しかもよく知っている男だと気付いたときの気分」

 だが、みつこと老人は富岡を無視した。

「決着をつけたいの?」

「決着? いやいや。ここが終点というわけじゃない。私は長生きしてきたが、あんたの方がもっと長生きしている。あんたから見れば私はまだガキだろう。でも、あんたは溺れるタイプだからね。弱点だらけだからね。その愛も昔ほど強くはないようだし」

 みつこは無表情になった。急激に顔に皺が増えたようだ。

 富岡ははじめて出会った人のように、みつこを見入った。

「誰なんです、あなたたちは、誰?」

「うるさい」と老人の手がのび、富岡の首を掴んだ。

「みつこ。どうだ。やってみろ。いまここで、一人、死ぬぞ。ネクタイを千切ったり、別の結果にさせるのは得意だろう? おまえのようなひねくれた女には、それが喜びなんだろう? 愛? ふざけるな」

 老人の皺だらけの手に力が入り、富岡はそれを掴んだものの、首に食い込んだ指をはね除けることもできない。すでに意識は失われつつあった。自分になにが起きているのかわからない。

「なにかをしたいわけじゃないの。そんな気分じゃないの」

 みつこは、くるりと背を向けたが、直後に富岡に体当たりした。

 富岡は老人の手を離れ、床にへたり込んだ。

 激しく咳き込んでいる。富岡は自分の喉に手をあてている。

「わかった」とみつこ。「あの女と一緒にいるんだわ」

「ああ」と老人は微笑む。「野上公恵。あれにはなんにもないぞ。どうしてあいつが彼女を選ぶ?」

「そんなこと、わかるわけないでしょ。私とあいつは正反対なんだから」

「正反対? 北極と南極は正反対だがね。どっちも寒い。似た者同士」

「あんたこそ、なんで?」

 老人はニヤリを笑って歯を見せつける。

「まさか」とみつこ。「私?」

「だめ?」

「冗談でしょ。もう永遠の命を手に入れて、その上なにが欲しいの?」

「毎日、A5ランクの和牛を食べているからといって、ほかの食べ物を欲しがらないってことはないだろう?」

「食べたことのないものを食べたい? ただそれだけ?」

「偶然とはいえ、こうして見つけたんだ。こんな出会いはこれまでなかった。百年に一度あるかないかのチャンス。以前に会ったとき、かなわなかった。いや、あの頃は、それほど食べたいとは思わなかったのだ。だが、いまのおまえはいかにも美味そうだ」

「やめてよ。バカバカしい」

 そのとき、老人はみつこに襲いかかった。彼女が発する香り。それを確かめるように、首筋に噛みついた。太く汗ばんだ首は柔らかく、ヒンヤリとしていた。しかしその中には……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る