第3話 くちあたり 8
「あんたが何者か、当てようか」
新宿の伊勢丹の前あたりで、岸田は老人と鉢合わせした。
以前、会ったことがある。富岡という、よく日焼けした若い編集者の背後にいた。
「ちょっとお時間、ありますか」と袖を引っ張られ、そのまま三丁目の寄席のある界隈へ連れて行かれた。薄暗い居酒屋。
「私は、勝又幸之助ではありません」
「知ってますよ、そんなこと」
老人はへらへらしていた。
ぬる燗の酒の入ったお銚子が二本、外国人の若い娘によって運ばれてきて「お通しです」と滑らかな日本語で、牛肉のたたきが一切れともやしの盛られた皿を置いていく。
老人はすぐさま自分の前の肉片を箸で口元に持っていき、大きく鋭い歯を見せびらかすかのように口を開いた。
「ああ、うまい」
そう言って口を閉じた。味はいま来ているはずだ。それとも……。
「不思議でしょう? 口に入れてすぐ、うまいとわかる。舌先には予知能力があります」
岸田は警戒して、飲み物にも手をつけない。
「あなたの悩みは、ズバリ、女難ですね」
老人は自分のグラスに自分で日本酒を注いだ。
「実に上手なぬる燗ですが、放っておくと冷めますよ」
岸田は、グラスの中のやや黄色みがかった酒を口元に近づけた。香りが立つ。
「いいくちあたりでしょう」
老人のそう言う間に岸田は一口飲んで、カッと熱くなった。
「私に解決策があります」
老人の言葉には、なぜかみつこほどの抵抗感がなく、岸田はじわりとそれが染み込んでいくのに任せた。
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