第3話 くちあたり 5
岸田はこのところ、赤い光から映像が見えるまでの時間が短くなり、あたりを照らし出すほど赤い光は輝くようになり、幻想はより鮮明になっているような気がしていた。
またしても赤い光に包まれる。
それは、オフィス街を落下していく巨大な丸い男の姿となる。幻想というよりも、残像のようだ。
何階かわからないが、途中で彼は自分の席を窓越しに見たに違いなく、そこに突っ立っている部下と目が合ったに違いない。
編集長。花村。
男に宙を舞う微かな喜びが湧いたとき、固いコンクリートの歩道は、思いがけなく速く近づいてきて、花村は重力加速度によって破壊されていった。
「げえええええ」
酔いが醒めて道にへたり込んだのは、偶然通りかった富岡正幸だった。目の前になにかが落ちてきたので避けるようにして立ち止まると、ドーンと激しい音がした。
ぼんやりと地面になにかが伏せている。
いやそれは……。
潰れた男の肉体。
熟れたトマトを床に落としたように。
富岡の胃が裏返り、その場で吐瀉した。
なんということ。花岡の選択は、岸田の望んだ結末ではなかった。公恵もきっと望んではいなかった。それをしかも、他社の編集者である富岡に見せる必要などあったのだろうか。
うっかり……。
赤い光がうっかり発生するのだろうか。岸田はこのとき初めて、なにか恐ろしい変化が起きているような気がした。
うっかりとした、そして気まずい朝。いや、昼。岸田は寝過ごしていた。
いつの間にか原稿用紙はかなり枚数に達していた。岸田が書いたのか。誰か別の人が書いたのか。それさえもわからない。
みつこはとんでもなく執拗で、その毛穴すべてに岸田という枯れた男を染み込ませないと気が済まないかのように、いつまでもいつまでも、いろんなことをしていた。
服を着たみつこは、何食わぬ顔をして最近購入した大型液晶テレビに見入っている。彼女はカネ回りがいい。働いているのかどうかもわからない。少なくとも会社勤めはしていない。岸田を手に入れてからは。
「まあ、大変」
見慣れた建物。図書館。その前に消防車、パトカー、救急車が止まり、野次馬が集まり、レポーターがたどたどしく原稿を読む。
「今朝、男が刃物を振り回し乱入した図書館からお伝えしています。少なくとも四名の方が被害に遭われて病院に搬送されています。救急隊員によりますと心肺停止の方も含まれているようです」
「ムナカタさん、被害に遭われたのはどういう人かわかりますか?」
スタジオから男が声をかけている。それを聞き取ろうとイヤホンを耳の穴にねじ込む。妙に、いやらしい指使い。
「まだ詳しくはわかりませんが、こちらの取材では警備員の方が心肺停止状態と思われ、このほか女性の職員の方、来館者の男性二人も重態のようです」
「犯人は逮捕されたのでしょうか?」
「はい。すでに警察によって連行されていきました。そのときの模様をご覧下さい」
長髪の男を岸田はぼんやりと見る。夢に出てきた男だ。
夜中の射精と重なる記憶。
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