第2話 あじわい 3

 警官はただ報告書に書く。そして退職後にももしかしたら「こんなことがあった」と思い出す。仲間と酒を飲んだときや、孫に話す。精神的にきつい過激なエピソードをしゃべりたくないときには、ちょうどいい話だから。

「図書館で女性がホームレスに襲われたんだけど、返り討ちにした事件があったでしょ。あの日ね、奇跡の再会があったんだよ。奇跡だよ奇跡。八年ぶりの父と娘の対面。もっとも父親は記憶を失っていたんだ。妙なことばかり言ってたな。じゅもくとか。じゅもく。ああ、樹木なのかな。まあ、どっちみち、あれきりだけど、まだご存命だろうか」

 警官のセリフを描いたときに、岸田は思わず口から言葉がこぼれ出た。

「光を感じ、実際にはないことを思い描くとき、私の中の石ころは踊り、幻想は現実になる」

 パトカーは静かに住宅街に入っていき、みつこの指示に従って角を何度も曲がる。

「とりとめのない空想や、実際にはないことを思い描くことを幻想と呼ぶ。幻想と幻覚は別物だ。幻覚は、実際には受けていない刺激を受けたように感じることだから。聞こえないものが聞こえ、痛くもないのに痛む。もっとも、人間は現実に直面し、幻想を描き、幻覚を実感するのだが」

 風でも吹いているかのように、警官もみつこも聞き流す。

「そこを左に曲がったところです」

 いよいよ到着する。

「ああ。私が私になる。いや、それはできれば避けたい。光を失うから……」

 図書館から驚くほど近い場所に、女の住んでいるマンションがあった。

 ピンクがかった明るい外壁が雨に濡れて光っていた。暗いせいか、夜と同じようにあちこちに灯り点いて、ぬめぬめと反射している。

「現実の光が見えているからといって、私たちを照らす光が存在している証明にはならない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る