17:羊飼いの仕事2(ニースとマーサ)
パチパチと暖炉の炎が爆ぜる音に、ニースの歌声が混ざり合う。マシューは、ゆっくり口を開いた。
「マーサがさっきから気になっている、この綺麗な音なんだがな。……これは、ニースの
「歌? 歌って、歌い手様が
「そうだ。その歌だ」
「じゃあ、ニースは歌い手様だって言うのかい?」
「いや、違う。ニースは歌を歌うが歌い手様じゃないんだ」
「歌うけど、歌い手様じゃない? どういう意味なの」
ぽかんとしたマーサに、マシューは話を続けた。
「お前さんが理解できないのは、わしにもよく分かる。これには、ニースがなぜ伯爵様の所を追い出されたのかが関わってるんだ。今まで話していなかったことだが、お前さんなら信用できる。ちょいと長くなるが、聞いてくれるか?」
「ずいぶんと、ややこしい話みたいね……」
マーサは考え込むように、暖炉の炎を見つめた。マシューは、じっとマーサの答えを待った。マーサは小さく頷くと、ポンと膝を叩き、立ち上がった。
「それなら、温かいミルクを飲みながら聞きましょうか。雪の中を歩いて来たから、体が冷えちゃって大変なのよ。これだから冷え性ってほんと嫌よね」
にっこり微笑んだマーサは台所から戻ると、暖炉でヤギの乳を温めながら、マシューに話を促した。マシューは表情を引き締め、静かに語り出した。
暖炉の赤い炎が、寂しげに揺れる。ニースの過去を聞いたマーサは悲しげに、はぁとため息を吐いた。マーサが手に持つカップには、少しぬるくなったヤギの乳が半分ほど残っていた。
「じゃあ、その“調子外れ”とかいうのだと、伯爵様にはとんでもない恥になるっていうのかい?」
「そうみたいだな」
「私にはさっぱり分からないわ。そんなに可愛がってたのに、歌の力とかいうのがないぐらいで、殺そうとするなんて。あんまりじゃないの」
悔しそうに憤るマーサを見て、マシューは安心して微笑んだ。マシューのカップは、すでに空だった。
「まあ、だからな。ニースの歌のことを、あまり言いふらさないでもらえるか」
「もちろんよ。可愛いニースを傷付けるようなことは、私だって許さないわ。わけのわからない歌の力とやらがなくたって、あんなに綺麗なんだから。ニースの好きなことなら、なおさら大事にしてやらないと」
マーサは、ふんと荒い鼻息を吐き、胸を張った。
「何か言うやつが町にいたら、私がきっちり
「そいつは心強い」
力強く決意を述べたマーサに、マシューは苦笑しつつも、ほっと胸を撫で下ろした。
マシューとマーサの話が終わる頃。ニースはシェリーの力を借りて、ようやく羊舎での仕事を終えた。
「シェリー、ありがとう。助かったよ」
シェリーは、どういたしましてと言うように、わんと吠えた。羊たちの動きを操るシェリーは、ニースにとって頼りになる先輩だった。
仕事の後片付けを終えたニースは、シェリーと家へ戻る。羊舎と家を繋ぐ小道は、朝のうちにしっかり雪かきをしたはずだが、再び雪が積もっていた。
――お昼ご飯を食べたら、また雪かきをしなきゃ……。
ニースがシェリーと家の裏口から入ると、中から話し声が聞こえた。
――誰か来たのかな?
ニースは、靴の雪を払おうとしてしゃがみ込み、はっと息を呑んだ。
――さっき、歌を歌っちゃった……。
誰がいるのかは分からないが、自分の歌を聞かれたかもしれないと思うと、ニースの心にはぐるぐると不安が渦巻いた。
――どうしよう。誰がいるんだろう。また怒られたら……。
シェリーが、大丈夫だよと言うように、ニースの頬をぺろりと舐めた。ニースは、ぬるりとした頬の感触に、不安の渦から意識を現実へと引き戻した。
――きっと大丈夫。聞かれてない。もし聞かれても、おじいちゃんがいる。シェリーだって、ぼくを守ってくれる……。
ニースは自分に言い聞かせながら、シェリーと自分の雪を払い、手を洗う。しかしニースの心の騒めきは、なかなか落ち着かなかった。
ニースは、台所の入り口からそっと顔を出した。
――誰なのかな。誰が来てるのかな……。
ニースが中を
――マーサおばさんだ……。歌、聞こえてたのかな。マーサおばさんに嫌われちゃったら……。
小さく震えるニースに、マーサは、にっこり微笑んだ。
「素敵な歌声だったわ。また聞かせてくれる?」
マーサの優しい声を聞き、ニースは恐る恐る顔を上げた。
――やっぱり聞こえてたんだ。でもマーサおばさんは、怒ってない……。
マーサの微笑みは、ニースの心に優しく光を差した。ニースは絞り出すように、小さな声で答えた。
「うん。ぼくの歌でよければ……」
「あなたの歌じゃなきゃ嫌よ、ニース。私はあなたのファンになったんだから」
マーサはパチリと片目を瞑り、茶目っ気たっぷりに言った。マーサの後ろで、マシューが、ぷっと噴き出す。マーサは、じろりとマシューを一瞥し、また微笑んでニースに目を向けた。
ニースは、いつもと変わらぬ二人を見て、ようやく落ち着いた。
――良かった……。ぼくの歌、好きになってもらえたんだ。
ニースは肩の力が抜けるのを感じ、ふわりと微笑んだ。大丈夫だったでしょと言わんばかりに、シェリーが、わんと吠えた。
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