6:伯爵家の天の導き3(父ゲオルグの豹変)
ランプの炎が揺れる廊下を、ゲオルグは足早に歩く。警備をしていた護衛や使用人たちは、突然の出来事に驚き、唖然とした。
いつもニースに優しいゲオルグが、顔を歪め、苦々しい顔つきでニースを無理やり引きずっているのだ。誰も何が起こったのか理解できなかった。
「……っ、父さま、痛いです!」
ニースはゲオルグに追いつこうと、駆け足になりながら叫んだ。ゲオルグにがっちりと掴まれたニースの腕は、今にも折れそうで、ニースの黒い瞳にはうっすらと涙がたまっていた。
ゲオルグはニースを引っ張って歩きながら、思案にふけっていた。
――なぜペンダントが光らなかった⁉︎ ペンダントが不具合を起こしたのか? だが、あのペンダントは公爵夫人の物だ。公爵家が不良品を持ってくるなど、あり得ない。
ニースが腕の痛みに呻くが、ゲオルグの耳には入らなかった。
――ニースが天の導きではなかったのか? いや、それはない。髪も目も肌もここまで黒いのに、天の導きでないはずはない。第一、歌を歌えたではないか。歌を歌えたのだから歌い手のはずだ。なぜ反応しないのだ……。
考えた末にゲオルグは思い出した。歌い手であるにも関わらず、力を持たない“調子外れ”と呼ばれる存在のことを。
――歌い手なのに、歌が歌えるのに。肝心の歌の力を持たないなど、役立たず以外の何物でもない……! “調子外れ”が伯爵家にいるなど、笑い者だ!
ゲオルグは、ギリリと歯が折れそうなほどに顔を歪めた。
――こんな奴が、クララの命を奪ったのか! 何の意味もない歌で楽しげに笑い、クララが過ごしたはずの時間を、のうのうと生きていたのか……!
ゲオルグは怒りに満ちた顔で、ニースを引きずっていった。
「お館様! どうなさったので?」
驚きながらも近寄ってきた護衛を押しのけ、ゲオルグは自室へとニースを連れて行った。部屋の扉を開けると、ゲオルグはニースを放り投げる。ニースはふわりと宙を舞い、床に体を打ち付けた。
「……っ!」
声にならない痛みがニースを襲った。強かに胸を打ち、ニースは息がつまった。
ゲオルグは目の前に這いつくばるニースを見下ろした。その目つきはひどく冷たく、汚いものでも見るような侮蔑の眼差しだった。
――鼻筋も目の形も唇も……どれもクララそっくりだ。クララを死なせて生まれて来たというのに、“調子外れ”だなど、あっていいはずはない……!
胸に渦巻くどす黒い感情に飲み込まれたゲオルグは、部屋の片隅にある剣に手をかけた。
「お、お館様?」
遅れて部屋へたどり着いた護衛の兵士は、剣を手にしたゲオルグの姿に、目を見張った。
ゲオルグは、ゆっくりと剣を鞘から引き抜き、ニースに目を向けた。
「貴様が……貴様さえ生まれてこなければ……!」
どうにか痛みを堪え、ニースは膝を立てた。鬼のような形相で剣を握り、自分を睨みながら近づいてくるゲオルグに気付き、ニースは混乱した。
――なんで……なんで……?
考えても答えは出ない。脳の処理限界を超えた光景に、ニースは口をパクパクと動かし、呆然としたままだった。
「父……さま……?」
ニースが吐息を吐くように呟いた瞬間、ゲオルグは剣を振り下ろした。間一髪のところで護衛が剣を抜き、ニースを守った。部屋には剣のぶつかり合う音が響いた。
「そこをどけ!」
「なりません! お館様、お気を確かに!」
護衛は必死にゲオルグの剣を防ぎ、ニースを逃がそうとするが、ニースは動かない。ニースは口をぽかんと開け、焦点の定まらないままに、二人が剣を打ち合う姿をぼんやりと見ていた。
程なくして、騒ぎを聞きつけた護衛たちがゲオルグを押さえた。護衛たちは、暴れるゲオルグを落ち着かせるために、手刀で意識を奪った。
騒ぎが招待客に知られてはならない。執事の指揮のもと、使用人たちは慌ただしく屋敷を駆け巡った。
ニースは護衛に抱えられ、廊下へ出た。呆然としたニースの頭には、ぐるぐると思考が巡っていた。
――どうして父さまが……。
答えの出ない思考の中で、駆けつけたリンドがニースを抱きかかえた。
「坊っちゃま!」
優しいリンドの声が、ニースの耳に届いた。終わらない思考の渦から、ニースは現実へと意識を向けた。
いつも笑いかけてくれるリンドの腕の中は温かかった。心配そうに見つめるリンドの顔を見て、ニースは、胸を塞いでいた大きな塊がポロリと落ちるのを感じた。
「うわぁぁぁぁ!」
ニースは泣いた。生まれて初めて命の危機を感じたのだ。いつも優しくしてくれた大好きな父に、剣を向けられたのだ。その衝撃は、幼い五歳の心には大きすぎるものだった。
リンドは、ニースをあやすように抱きしめながら、ニースの部屋へと連れて行った。ニース五歳の誕生日と、伯爵家での幸せな生活は、涙に濡れて消えていった。
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