5:伯爵家の天の導き3(五歳の誕生日パーティ)

 ニース五歳の誕生日。これまで一度も公にされなかったニースを、ついにお披露目する時が来た。

 アマービレ王国では、誕生日を祝う習慣は貴族にしかない。しかし五歳と十五歳の誕生日だけは、庶民でも祝う節目の年だ。五歳は、生まれた赤ん坊が無事に一人前の子どもとして育ったことを祝い、十五歳は、子どもが成人になることを祝うのだ。


 屋敷では、盛大なパーティが開かれた。貴族たちが、きらびやかに着飾った貴婦人を伴いやって来る。領内の名士は元より、近隣の領主、王都に住む高位貴族たち。王族はいないが、公爵家の姿もある。ゲオルグは笑みを浮かべ、その様を見ていた。


 ――皆、驚くぞ。我がアレクサンドロフ家は、今日を境に大きく変わるのだ!


 これだけ多くの貴族が集まっているのだ。ニースの姿を一目見れば、国中へ噂がすぐに伝わるだろう。ゲオルグの心の中では、笑いが止まらなかった。


 パーティが始まり、会場となった屋敷の広間ホールに、和やかな談笑や心地良い音楽が響く。黒髪をきちんと整え、小さな礼装に身を包んだニースは、しっかりと胸を張って、練習通りに足を踏み出した。


 ――こんなにたくさんの人……。失敗しないように、頑張らなくちゃ。父さまに、恥をかかせちゃいけないんだから。


 いつも見慣れたはずの広間。演奏会なども時折催されるため、丁寧に防音が施されており、ニースは度々ここで歌を歌っていた。

 庭に面して大きく取られた窓は、ガラス越しであってもまるで庭の一部のように感じられる。美しい木々や草花を楽しめる広間は、ニースのお気に入りだった。

 しかし今は、たくさんの着飾った人々がおり、夕焼けの茜色がうっすらと残る庭の様子は見えない。まだ小さなニースには、人々の頭越しに庭を見渡すことなど、とても出来なかった。


 たくさんの招待客が、主役の登場を見守る。視線を感じながら、一段高く設けられた舞台へニースは足を進めた。

 ニースの漆黒の髪と艶やかな黒い肌、キラキラとシャンデリアの光を反射する黒い瞳を見た人々は、おおっと声をあげ、目を見開いた。

 手にした料理や飲み物は、テーブルや給仕の手に手早く戻された。まだ幼く可愛らしい天の導きの声はどんなものかと、皆、固唾を飲んで見守った。


 一段高く作られたはずの舞台に幼いニースが登っても、広間の後方にいる人々には見えない。

 ざわめく招待客を前に、従僕がそっと踏み台を置き、その上にニースが立った。ようやく招待客全員が、ニースを視界に捉えることができた。


 楽団の演奏が止まり、静寂が広間を包む。幼いながらもニースは緊張をこらえ、堂々と胸を張りお辞儀をした。

 人々は、ほぅと感嘆の息を漏らす。傍らでニースを見守っていたゲオルグは、満足気に頷き、挨拶を始めた。


「みなさま。今日は私の三男、ニースのためにお集まり頂きありがとうございます。王都からお越しいただいた高貴な方々もいらっしゃいます。遠くからありがとうございます」


 ゲオルグは、集まった招待客の顔を見ながら、にこやかに語った。


「ニースは今日で五歳を迎えました。母を亡くしたニースですが、健やかに育ち、みなさまの前にご披露出来ますことを嬉しく思っております」


 ゲオルグは満面の笑みで挨拶をすると、ニースに目を向けた。

 ニースは軽く頷きを返すと、緊張を落ち着けるように唾を飲み込む。小さな手をきゅっと握ったニースは、黒い瞳を真っ直ぐに会場へ向けた。


「みなさま、初めまして。ただいまご紹介に預かりました、アレクサンドロフ伯爵家の三男、ニース・ドニディオ・アレクサンドロフです。本日は私のためにお集まり頂きありがとうございます。どうぞ、ごゆっくりお楽しみください」


 鈴のように澄んだ声で、ニースは元気に挨拶をした。何度も何度も、家庭教師と練習し覚えた台詞せりふを、ニースは、はっきりと言い終えた。

 招待客はニースの堂々とした挨拶に驚いていたが、ニースがぺこりとお辞儀をすると、大きな拍手が送られた。



 ニースは舞台から降り、ゲオルグと共に挨拶を受ける。次々と訪れる招待客へ、ニースは、にこにこと笑顔で挨拶した。

 しかしあまりの人の多さに、ニースは疲れてふらつき始めた。ゲオルグは断りを入れて、ニースを椅子に座らせると、給仕に飲み物を持ってこさせた。

 フェーベと一緒に挨拶をしていたアンヘルが、椅子に座って休むニースに目を向け、顔をしかめた。視線に気づき、ニースが目を向けると、アンヘルはさっと目をそらした。


 ――兄さまは、やっぱりぼくのことが嫌いなんだ……。


 節目となる誕生日でも、アンヘルの対応が変わる事はなかった。ニースは少し悲しくなったが、グラスに口をつけ、黄金色の液体を一口飲み込んだ。疲れた体に爽やかな果汁が染み渡った。


 ――しょげてる場合じゃない。今日は、ぼくの誕生日なんだから。


 ニースは休みながらも笑顔だけは絶やさずに、ゲオルグと話す人々を眺めた。こんなにたくさんの人が、自分の誕生日を祝うために集まってくれたのだと思い、ニースは気持ちを切り替えた。


 挨拶が一通り終わった頃。一番最初に挨拶をした公爵が、夫人と共にやってきた。


「これはこれは公爵様。先ほどはどうも。お料理はお口に合いましたでしょうか」


 ゲオルグは丁寧に、公爵へ話しかけた。ニースも落ち着いてきたため、立ち上がった。ニースの姿に、公爵は笑みを浮かべた。


「本当に素晴らしいお子さんですな。礼儀をきちんとわきまえておる」

「ありがとうございます、公爵さま」


 笑顔で答えたニースに、公爵夫人は満足げに微笑み、ゲオルグに語りかけた。


「ところで伯爵殿。ニース殿には、もう歌い手はつけておいでで?」

「ええ。優秀な歌い手をつけております。親の欲目でしょうが、ニースの歌はとても見事でして。今から将来が楽しみなのですよ」


 ゲオルグの返事に、公爵は愉快げに笑った。


「伯爵は、よほどニース殿がお気に入りと見える。天の導きであるから当然といえば当然だがな」

「ええ、本当に。嫡男のアンヘル殿は心配なのではなくて? 弟に父親を取られてしまったようで」


 探るような夫人の問いかけに、ゲオルグは微笑んで答えた。


「いえいえ、アンヘルはしっかりした子です。ニースとも仲良くやっておりますよ。嫡男としてしっかりと、妻が躾ておりますから」

「それは良かったわ。こんなにしっかりした、賢そうな天の導きが弟なのだもの。アンヘル殿もニース殿と仲良くしておいた方が、伯爵家のためですわね」


 ゲオルグと公爵夫妻は終始笑顔だったが、目は笑っていなかった。ニースは戸惑い、視線を彷徨わせた。


 ――大人のお話って、なんだか怖いな……。


 ニースが感じた事は、当然の事だった。アンヘルがニースを良く思っていないのは、ゲオルグも知っているからだ。大人たちの会話は、ニースの心に関係なく続いていった。


「ところで伯爵。先ほどニース殿の歌が見事だと話していたが、我々にも見せてもらえんかね?」

「それは良い考えですわ、あなた。私も気になっておりますのよ。ちょうど今日のペンダントは、歌石で作ってありますの」


 公爵夫人の首飾りには美しい装飾が施されており、中央に青い水晶のような石がはめ込まれていた。夫人は首飾りに手を添えて、言葉を継いだ。


「このペンダントは歌い手の力に合わせて、輝きが変化しますのよ。天の導きの歌であれば、きっとステキな輝きになりますわ」


 突然の公爵夫妻の申し出に、ゲオルグは顔をわずかにひきつらせた。


 ――今日のニースは疲れているし、こんなにたくさんの人の前で歌ったことなどない。ニースなら間違いなく素晴らしい輝きが宿るだろうが、大事なニースに無理をさせるのは……。


 ゲオルグは一瞬の間に考えをまとめあげ、断ろうとした。


「いえ、ですが急には……」


 公爵は口角を上げて、ゲオルグを制した。


「まあまあ、そんな事を言わずに。せっかくの宝だ。これから王国に多大な富を与える歌の、記念すべき初披露になるかもしれませんぞ」

「ええ、ええ。そうですとも。それに私は来週、王室のお茶会に呼ばれていますの。ニース殿の歌の輝きをペンダントに込めていただければ、お茶会で王妃さまにお見せすることも出来ますわ。無理にとはいいませんけども」


 公爵家は王族と血の繋がりのある家だ。今の王妃は公爵夫人の姉であるため、時折王宮で茶を飲みながら、姉妹は情報交換をしていた。夫人の言葉に、ゲオルグの心が動いた。


 ――ニースはまだ五歳だが、確か王室には今年三歳になる姫君がいたはずだ。うまくいけばニースとの縁談が持ち上がるかもしれない……。


 ゲオルグは髭をひと撫でして考えると、ニースに目を向けた。


「ニース、どうだろうか。疲れているとは思うが歌えるか?」


 ニースは、公爵夫妻にちらりと目を向けた。二人とも、笑顔でニースを見つめていた。


 ――公爵さまは、とっても偉い方だって、先生が言ってたよね。


 ニースは疲れていたが、歌えないほどではない。大好きな父のためにもがんばろうと、ニースは思った。


「ぼく、歌います」

「いい返事だ」


 ゲオルグはニースの頭を撫でると、公爵に笑顔で返事をし、二回、手を叩いた。

 会場に響く合図の音に、楽団オーケストラが演奏をやめた。招待客もおしゃべりをやめて、ゲオルグへ視線を向けた。


「みなさま。公爵様よりニースの歌を披露してはと、ご提案をいただきました。ニースはまだ幼いため、まだまだつたない歌ですが、みなさまにご覧いただければと思います。幸い、公爵夫人が歌石のペンダントをお持ちだそうです。余興となれば幸いです」


 ゲオルグの言葉を聞き、歓声が沸いた。天の導きの歌に触れる機会は、貴族であっても、そう多くはない。まして、歌の力を計れる歌石の細工品は貴重なもので、滅多に見れるものではなかった。

 天の導きの歌の力は、どのようなものなのか。自分の目で確かめられるとあって、招待客の期待が一気にニースに集まった。


 ニースは、緊張した足取りで舞台に立った。握っていた手を開き、小さな足も肩幅に開く。深呼吸をし、肩の力を抜くと、ニースは、すっと顔を上げた。広間に、ニースの高く澄んだ歌声が響いた。

 ニースの歌声はまるで天使の歌声だった。柔らかく伸びやかな歌声を聴いていると心がポカポカするようだった。

 しかし人々は、ニースの歌を耳に入れながらも、興奮した面持ちで、公爵夫人の持つ首飾りに目を向けていた。


 広間に響く、ニースの歌が終わる。首飾りの変化を今か今かと待つ人々。ニースがお辞儀をしても、誰もが首飾りを見ていて、舞台の上のニースを一瞥もしない。



 ……首飾りペンダントは、何の変化も起こさなかった。



「あら? おかしいわね……」


 凍ったように静まり返る広間に、公爵夫人の声が響いた。その声に、返事をする者はいなかった。

 首飾りが不具合を起こしたのか、天の導きの歌の力がなかったのか。人々は、声を潜めて囁き合った。小さな囁き声は、数が集まり大きな騒めきとなった。

 ゲオルグは顔を青ざめ汗を吹き出し、必死に笑顔を取り繕いながら、出来る限り冷静に声をあげた。


「みなさま、今日はお越しいただきありがとうございました。ニースが疲れた様子ですので、今宵はこの辺りでお開きにさせていただきます。大変申し訳ありません」


 囁きあう招待客がゲオルグの声を聞いたかはわからない。しかしゲオルグにとって、そのようなことはどうでもよかった。とにかくこの場からニースを連れ出そうと、ゲオルグはニースに目を向けた。


 何が起こったのか、理解出来ていないニースの手を、ゲオルグは強引に掴んだ。


「父さま?」


 ぽかんとしたままのニースを引きずるようにして、ゲオルグは足早に広間を後にした。人々は、今日の主役が会場を去ることに気づきもせず、首飾りについて言葉を交わしていた。

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