3:伯爵家の天の導き2(初めての歌)
幼いニースは、兄たちの心の内を知る事なく、元気に成長していった。言葉を喋れるようになったニースに、ゲオルグは教育係として、家庭教師と歌い手をつけた。歌い手は、目と髪の色が黒く、肌は白い老年の女性だった。
歌の授業は、ピアノが置かれた防音室で行われた。歌い手は時折、石を使った小さな発掘品を持ち込んだ。ニースは大好きな父の期待に応えようと、熱心に練習に取り組んだ。
穏やかな風が、窓越しに見える庭の緑を揺らす。二歳のニースは、赤と青の石が入れられた小さなガラスの小箱を前に、歌っていた。
ニースはこの日初めて、教えられた歌を正しく歌う事が出来たが、思っていた結果が出ずに、顔を歪めた。
「せんせい。どうして、ぼくのうたで火がつかないんですか? うたを、まちがえてますか?」
困ったような顔をして問いかけたニースに、歌い手は優しく微笑んだ。
「いいえ。素晴らしい歌でしたよ。ニース様はまだ幼いですから、反応しなくてもいいんです。これは、石に歌を届けるイメージを掴んで頂くために、お持ちしてるだけですから。
石の力を発現させる歌は、「
丁寧に教える歌い手に、ニースは興味深げに尋ねた。
「それは、ランプもですか?」
伯爵家の明かりの多くは火を使ったランプだが、それとは別に、
ニースの質問に、歌い手は微笑んで答えた。
「ええ。ランプもです。歌の力が安定するまでは、仕方ないんですよ」
「そうですか……」
残念そうに、しゅんと肩を落とすニースに、歌い手は励ますように笑いかけた。
「今のニース様でも、
ニースはライターの中に透けて見える、青い小さな石を見つめた。
「うたのいしは、いしのうたを、おぼえさせるだけじゃ、ないんですか?」
歌石は、石歌を記憶する事が出来る特殊な石だ。歌石に歌を記憶させておけば、その力で火石や雷石など様々な石の力を引き出す事が出来る。そのためライターにも、火石と共に歌石が組み込まれていた。
歌石に入れられる歌はひとつであり、出力を変えるためにはその都度歌石に新たな歌を覚えさせなければならない。また、定期的に歌石に歌を記憶させないと、長く使うことは出来ない。
歌い手による手入れが必要ではあるが、火石のライターや雷石のランプなどを、一般の人々が使うために、歌石は必ず必要な石だった。
歌い手は穏やかに、ニースに答えた。
「歌石にも、
歌石の反応は、火石や雷石と違い、目視で確認し難いものだ。歌石の反応は、特殊な方法で細工を施すことで、初めて見えるものだった。
ニースは、真剣な眼差しで話を聞いた。歌い手は、にっこり笑った。
「歌石の反応を見れる品は、大変貴重なものです。ですが、いつかニース様は、その貴重な品を目にすることがあるでしょう。今日は、歌石歌を覚えましょうか」
「はい!」
歌い手は、知り得る歌を全てニースに教えていった。ニースは歌が大好きになり、さまざまな場所で歌いたがった。
しかし屋敷には古代文明の機械や、発明品を動かすための石がそこかしこにある。うっかり間違えて強力な天の導きの歌に反応しては、どんなことが起こるかわからないと、ニースの歌は必ず防音室で行うよう、キツく躾けられた。
ニースは言いつけを守り、防音室以外では決して歌わなかった。幸運にもニースの歌を聴いた者たちは口を揃えて、さすが天の導きだと褒め称えた。
ニースの澄んだ歌声は、幼いながらも聴いた者の記憶に残る美声だった。まだニースは幼いため、歌の力を確かめる事は出来なかったが、間違いなく力が強いはずだと、人々は口々に囁いた。
ニースが歌を覚え始めた事で、ゲオルグはますますニースを可愛がるようになった。その様子に、アンヘルたちはより一層複雑な気持ちを抱いた。
しかしまだ幼いニースには、そんな事は分からない。三歳になったニースは、大好きな兄達の後を、追いかけて歩いた。
「兄さま、兄さま!」
アントンとイリナはニースを疎ましく思い、無視するようになっていたが、アンヘルだけは違った。十三歳になったアンヘルは、胸の騒めきを感じながらも、自分を慕うニースを無視出来なかった。
「なに?」
「これ、あげます!」
「この花を?」
「そうです! おはなです!」
まだ幼いニースには、何の罪もない。アンヘルは胸が締め付けられるような思いで、小さな手から花を受け取った。
「……ありがとう」
「きょうも、けんのおけいこですか?」
「そうだよ」
「兄さま、がんばってください!」
キラキラと笑うニースの笑顔は、可愛らしいものだった。
――こうやってニースが笑うから、父様は……。
アンヘルは込み上がる辛さをかき消そうと、必死に笑みを浮かべた。
「うん。頑張るよ。ありがとう」
「はい!」
ニースは、嬉しそうに駆けていく。アンヘルは小さな背中を見送ると、ニースからもらった花を従僕に渡した。
「これを部屋に飾っておいて」
「かしこまりました」
アンヘルは努めて、平常心を保とうとした。しかしそんなアンヘルの努力は、その日のうちに吹き飛ぶ事となった。
剣の練習に向かったアンヘルは、腕の骨を折る怪我をした。護衛たちとの打ち合い稽古の最中に転び、腕を捻ったのだ。アンヘルにとって初めての大怪我であり、フェーベは顔を青ざめて医者を呼んだ。
「アンヘル。痛みますか?」
「少し、落ち着いて来ました」
涙を滲ませながらも、精一杯虚勢を張ったアンヘルは、恐る恐る問いかけた。
「あの……母様」
「何ですか?」
「父様は、僕の怪我をご存知ないのですか?」
アンヘルの言葉に、フェーベは顔を歪めた。
「いいえ。知ってますよ」
フェーベの表情を見て、アンヘルはゲオルグが来ない理由を悟った。
「父様は、またニースの所へ行ってるのですね」
「忙しいのですよ。気にしないで」
労わるようなフェーベに、アンヘルは複雑な表情を浮かべた。
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