慟哭のタナトス

幻田与夢

Phase 1 Awakening

いつからだろう。自分の人生が光を失ったのは。自分の見る世界が歪んで見えたのは。


「なあ、ミマサカくん。ちょっと一緒に来てくれない?」

「う、うん」


嫌気がさす。どいつもこいつも。僕をいじめて何が楽しいのか。そう反骨精神を内に秘めたところで、傷が癒える訳じゃない。ただ、今はこの理不尽に耐えるしかない。


「うぐっ、ゴホッゴホッ!」

「また明日な、ミマサカくん」


痛い・・・。鈍痛が体に走り、上手く動けない。

重い体を引きずりながら帰路に付く。


「ただいま・・・」


自分の声が空しく木霊する。テーブルの上には母さんの字で書かれた張り紙とお金が無造作に置かれていた。


「・・・今日もだろ」


僕の家は母子家庭だ。母さんは仕事が忙しく中々家に帰ってくることはない。それが原因で小さい頃父さんとは離婚したらしい。だから僕は父さんのことをよく知らない。


自分の部屋に入ると、倒れるようにベッドに仰向けになり、虚空を見つめた。

・・・一人になると、つい余計なことまで考えてしまう。


「俺、何の為に生きてんだろ・・・」


そう呟くと、僕は深い眠りに落ちた。


                  ◯


朝日が眩しく僕の目に入った。重い体を無理矢理起こしリビングへと向かうと、母さんが忙しなく出勤の支度をしていた。


「おはよう、母さん・・・」

「ごめん。いまあんたに構ってる暇ないの」


睨まれてしまった。流石の僕も不服な表情が零れてしまったようで、それがまた母さんにも伝わってしまった。


「何?その顔は!あんた誰がここまで育ててやったと思ってんのよ!」


母さんは僕の目の前に聳え立ち、威圧感を放っていた。


「あんたもう中学生でしょ!!自分のことは自分でやりなさいよ!」


そう怒鳴りつけると、母さんは僕に平手打ちをし、僕は思わず尻もちをついた


「ごめん、母さん。いつもありがとう」


僕のその言葉を聞くや否や、母さんは勢いよくドアを閉め家を出ていった。

気持ちの整理ができないまま、僕も学校へと向かった。


                  ◯


学校までの足取りが重く感じる。不安と憂鬱を背負って、それが物理的な重さになっているようだ。絆創膏やガーゼだらけの顔を周りが訝し気に見て、ヒソヒソと何か話している。

もう慣れた・・・。これが日常だと思い込めば、いくらかそれは昇華できるものだ。


「あ、ハリマ!おはよう!」


溌溂とした女の子に挨拶をされたが、僕はそれを無視して歩くスピードを上げた。


「ちょっと、いくらなんでも無視はないでしょ!」


その子は先回りして、僕の正面に立ち塞がった。

彼女はイワミ・アキ。学校は違うが小さい頃からの縁でこうして登校時はよく話しかけてくれる。だからこそ、僕を見るだけで何か察したようだ。


「・・・イジメられてるの?」

「・・・イワミには関係ないだろ」

「関係なくない!ねえ、ハリマ!私にできることなら何でも言って!私、ハリマの力になりたいの・・・」

「うるさいな!もう関わらないでくれよ!」


僕はそう怒鳴りつけると、彼女に一瞥もくれず駆けて行った。


「ハリマ・・・・・・」


                 ◯


教室に着いた僕は自分の席に就いた。

興味のない世間話が嫌でも僕の耳に入ってくる。


「おい、これ見ろよ。古代文明の遺産だってさ!」

「どれどれ、うわっ、何か気持ち悪いなこれ」

「うちにも見せてー、ってキモっ!」


喧騒に嫌気が差し、僕は窓の方に目を向けていた。

すると・・・


「どこもかしこもあの話題で持ち切りだな、ハリマ」

「・・・おはよう、シモウサ」


シモウサ・カズサ。こんな僕に話しかけてくれる唯一のクラスメイト。

ハンサムで、運動もできて、おまけに人望もある。僕には勿体ないくらいの話し相手だ。


「あの話題?」

「お前、テレビ見てないのか?」


テレビなど見る余裕などない。ましてや今朝なら尚更だ。


「ごめん、僕あまりニュースとか興味なくて・・・」

「なるほどな。なんでもこの町の近くで巨大な石像が発掘されたんだと」

「・・・石像?」


そう不思議そうに尋ねると、シモウサは携帯端末の画面を僕に見せた。そこに映っていたのは禍々しくもどこか神々しさを感じる、文字通りの”石像”だった。僕はその石像に一瞬だけ魅入られてしまった。


「で、これどうなったの?」

「あー、確かネメシスが調査するって言って、保管してるみたいだぞ」

「ネメシスって、あの有名な?」


ネメシス。正式名称ネメシス・コーポ―レーション。日本が誇る超大型複合企業である。様々な分野に目をつけては売り出し、そのほとんどが成功を収めているという優良企業でもある。世間の人気商品のほとんどはネメシスのものであるため、その界隈に疎い僕でも存在は知っていた。


「運び出すのが大変とかで、この辺で調査してるみたいだけどな」

「ふうん、そんなことがあったんだ・・・」


僕は他人事のように言って、シモウサとの会話を終わらせた。


               ◯


下校を促すチャイムが鳴り、放課後となった。僕もそそくさと準備を済ませ、玄関で靴を履き替えていたところ、


「ミーマーサーカーくーん」


その声に振り返ると、突然蹴りを下腹部に入れられた。当の僕は一瞬呼吸が苦しくなり、その場に倒れこんだ。


「今日も一緒に遊ぼうぜぇ、俺ら仲良しだろ」

「ぐっ・・・・・・・」


僕は必死に痛みを堪えながら、その場から逃げ去った。当然イジメる彼らも怒号を上げ、僕を追いかけてくる。


なんで僕ばかりこんな目に遭うんだよ・・・・

世の中理不尽だ・・・・・・


僕が逃げ込んだのは廃墟となっている町はずれの工場だった。ここまで逃げれば流石に彼らも追ってこないだろう、と思い、「ふう」と安堵の声を漏らした。


その時、グラグラとしていた足場が崩れて、僕は声を上げて落下した。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」



あれ、体が上手く動かない・・・。


僕はやっとの思いで手を動かすと、その手が赤く染まっているのが見えた。


何これ、血・・・・・・?

僕、死ぬの・・・?

こんなとこで・・・?


・・・嫌だ。

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!

僕はまだ死にたくない!まだ死ぬわけにはいかない!


そう心の叫びを叫んでいると、ふと死神のような幻覚が見え、意識はそこで途絶えた。


                  ◯


翌朝、死んだと思った僕は何故か家のベッドにいた。

確かに僕はあの廃墟で血を流して、瀕死だったはず・・・


「!」


僕の体には傷跡という傷跡がまるで見当たらない。

そう思っていると、


「ハリマ!いい加減に学校行きなさい!また、私に迷惑かける気!?大体アンタは・・・」

「ご、ごめん!母さん!今行く!」


僕は条件反射で急いで学校の準備をした。

件の石像を取り上げているをニュースをよそ眼に家を出た。


僕は自分の身に起こったことを不思議に思いながら登校していた。すると、後ろから猛スピードで僕の名前を呼び、イワミが向かってきた。


「ハリマ!昨日大丈夫だった?」

「な、何が?」


僕は彼女の勢いに押されて、思わず後ろずさった。


「ハリマ、昨日町の道端で倒れてたんだよ!それを警察が保護したの!」

「え・・・・・・?」


・・・そんなの記憶にない。僕の意識はあの廃墟で終わっている。そこから何があったって言うんだ。


「で、体は大丈夫?」

「う、うん、大丈夫・・・かな?」


そう言うと、イワミは僕を抱きしめた。

それも潰れると思うほど強く。


「・・・本当によかった」

「イ、イワミ・・・!?」


僕はやっと力強い抱擁から解放されたと思ったら、イワミは僕の肩を掴み、僕の瞳を見つめてこう言った。


「私は何があってもハリマの味方だよ」


その言葉に僕は幾分か救われた気がした。

僕は零れそうな涙を今はぐっと堪えた。


「私は・・・ハリマが死んだら悲しいよ。だから、どんなことがあっても死ぬのは絶対ダメ。これは私との約束!」

「・・・うん。約束するよ」


                 ◯


「がはっ!」

「ミマサカくぅん、昨日はどこ行ってたんだよー。心配したんだぜぇ?」


学校に着くや否や、僕はイジメっ子たちにトイレに連れていかれ、そこでリンチともいえる暴力を受けていた。


「おい!石像どっかいったてよ!」

「マジかよ、昨日の今日でか、ウケるわー!」

「ミマサカくんもそう思うだろっ!」


携帯を見てはしゃぎつつ、彼らは僕に蹴りを入れた。


「げほっ、げほっ・・・はあ、はあ」

「お前みたいなクソ野郎は、便器で流してやるよぉ!」


僕の髪を鷲掴みにすると、勢いよく僕の顔を便器の水に突っ込んだ。

僕はゴボゴボと息を確保するのに精一杯だった。どうやらその姿が彼らにはとても滑稽だったらしく、大きく笑っていた。


「いや、それマジウケるわ、ミマサカくん!」

「俺、動画撮っとこー!」


い、息が・・・!!

このままじゃ・・・本当に死・・・・


その時、眩い閃光が周囲に広がり始めた。



・・・何だこれ、視線が高い?

なんで、彼らは怯えてるんだ・・・?


「ば、化け物だ・・・!」

「お、おい、これってあの石像じゃねえか!?」


・・・石像?


そう思った僕は自分の手を見た。


・・・・・・・は?


僕の手は禍々しい爪を持つ怪物の手になっていた。



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