大河原橋で故意の上級者乱す その2
橋を越えた先は左に曲がって上り坂を進むことになる。
左右の道は竹林に囲まれ、左を見ても川の様子は見えず、また右を見上げても上の様子は見えない。ただ民家のような建物が存在しているのだろうということがわかるくらいだ。
上り坂は対岸と違って緩やかで距離もそれほど長くない。
一本道で今度は右に曲がる。すると視界は開けて左右に民家や畑が広がる。
田舎の細道という印象はそのままで、進んでいくとすぐに石の鳥居が見える。
観光名所というよりも、地元の神社という印象を受けた。
ボクはとうとう、ずっと言いたかったことを口に出す。
もう目的地に着くんだし、坂道も終わって呼吸は整ったし、これは自然な流れである。
「ところで、キミちゃんはなんでパワースポットに行きたいなんて言い出したの?」
ぴたりと足が止まる。
思わずボクも立ち止まる。
沈黙。
沈黙。
沈黙。
何事もなかったように再び歩き出す。
っておい!
「答えてないよ、おーい」
ボクはわざとらしく大声を上げ、妹の手を掴む。
再び立ち止まる彼女の前に立ち、向かい合う。
見上げたとき、その顔は真っ赤に染まっていた。
「ななな、なななんでもなななないよよよよヨヨヨ!!!???」
両手を前に突き出して否定のポーズを取る。
誰だよ、恋愛感情など滅多に表に出さないと評したやつは。
的外れってレベルじゃねーぞ。
この子がこんなにもわかりやすい態度を取るのを見たのは初めてかもしれない。
「そ、そう……」
こんなに慌てふためく人間を前にして、人が取る行動というのは決まっている。
答えは「それ以上何も言えなくなる」だ。
丁字路の分かれ道は消防団のペイントがされたシャッターと、年代物の瓦屋根がそれぞれ見えて、正面には平々凡々としか形容できない神社がある。
石柱に「恋志谷神社」と刻まれていては間違えようがない。
山の麓の神社といった印象で、キャッチボールをするにはちょっと窮屈な境内の先には少し傾斜のきつい石段があり、それを登った先にはやや中央より右手側に神楽殿のような吹きさらしの建物があり、さらにその先へ行くと二手の鳥居と石段がもうひと頑張りとばかりに上へ誘う。
地面にはいくつか水たまりがあり、雨上がりの青空を映していた。
鳥居は鮮やかな朱色で、ようやく恋志谷神社という名称を思い出させてくれる。
頂上には複数の拝殿があり、といってもそれはこじんまりとした大きさで、いわばおひとりさま用の拝殿に思えた。しかしそれらも鮮やかな朱色が施されており、一つ一つに違ったご利益があるようだ。
とりあえず一番大きなものを本殿として、これがきっと恋愛成就の神様だろうと賽銭を入れて鐘を鳴らす。
ボクは妹がどれくらい真剣に祈るのかを見てみたくて、拝む素振りだけ見せてすぐに顔を上げた。
案の定、真剣な顔でずっと祈っているその顔をまじまじと見ていたら、少し自分に罪悪感が生まれてきた。
あまり茶化してやるのもかわいそうか――ほんの少しだけ、そう思った。
「ん……どうしたの?」
目を開けた妹はすぐさまボクの視線に気づき、不思議そうな顔をする。
「キミキミは一心不乱に祈っているなぁって」
「んなっ!? ちょっと、その言い方はやめてってば!」
頬を膨らませながら両手でボクの右肩付近をバシバシと叩いてくる。
前言撤回。
こんなにからかい甲斐のある妹にちょっかいを出さないなど、耐えられない。
絵馬やお守りはもちろんのこと、おみくじすら売っていない。
本当にただの片田舎の小さな神社である。
稲荷神社とか日吉神社、八坂神社などは全国にあるが本社でもない限り観光名所とはなっていないだろう。この場所も元々は地域信仰の拠り所として、そういう村の一部として祀られたものなのだろう。それがいつしかパワースポットとして注目されるようになったのかもしれない。
神楽殿のような建物の床にはプラスチックの書類棚のようなものがあり、棚を開けると恋志谷神社の紹介をした印刷物と、一冊のノートが入っていた。
参拝記念にどうぞと手書きで書かれており、中を開けると参拝者が思い思いに書き連ねていた。
「ワタシのことはいいからさ、ほら、つっきーもそういう話って無かったの?」
話題そらしに必死な妹はわざとらしくボクに話を振る。
「知ってるだろ。あったと思うのか」
ボクは自虐気味に笑いながら答えた。
「え~、でもつっきーって結構有名だったよ。うちのクラスでも人気あったし、バレンタインとか大量のチョコ貰ってたじゃん」
「そりゃあ破天荒な姉を持つと嫌でも有名になるもんさ」
姉もボクも、妹と同じ私立の一貫校に通っていた。
当時から姉の破天荒っぷりは有名で、教師たちからはボクも要警戒人物としてマークされていた。だからボクは徹底的に日陰者を演じ、人畜無害であると証明し続ける必要があった。
その甲斐あってか妹はむしろ優等生として違った意味で注目の的となった。悪目立ちするよりはよほど良いし、本人も嫌がってはいないのでこれ以上は何も言うまい。
「それにウチの生徒にモテても嬉しくない」
「あー……まぁ、そっか。そうだね」
ボクの態度にこれ以上話を広げるのは得策ではないと思ったのか、話を切り上げる。
よろしい。ならば次はこちらのターンだ。
「ほら、見てみなよ。こんな風にノートを絵馬みたいにして願い事を書くようになってるみたいだ」
ボクが開いたページには、絵馬の後ろに書かれているような「良縁に結ばれますように」といった祈願から「誰々と両思いになれますように」といった具体的な願い事まで、そのページはそういった訪問者の思い思いの言葉が綴られていた。
「へー、なるほど。これを絵馬代わりにするんだぁ~」
「そうそう」
嘘である。
他のページを開くと、ただ訪問日と訪問者の住所氏名が書かれいるだけで、そんな願掛けをしているようなページはこの見開き以外に存在しない。
これは妹の警戒心を無くして具体的な願い事を書かせ、意中の相手の情報を得るための罠である。
「ほら、キミちゃんも書きなって」
ボクはノートをめくり、新しいページを開く。
ご丁寧にノートには紐付きのボールペンが用意されており、いつでも臨戦態勢である。思いの丈をぶつけられるのである。
「えっとぉ、うーん……そうだなぁ……」
書きたくないわけではないが人目が恥ずかしいといった様子だ。
単に「優等生でも恋がしたい」って程度の想いならボクの前でも憚らず記入するだろう。そうではないということは、おおよそ特定の誰かを思い浮かべているのだと確信した。
付き合いが長いのだ。妹のことくらい簡単にわかる。
「じゃあボクはちょっとトイレに行くから、その間にでも書きなよ」
ボクは神楽殿のすぐ近くにある簡易トイレを指差す。
わざと書く時間を十分に与えてから戻ってみると、すでに書き終えたのかノートは仕舞われていた。
「あれ、もう書けたの」
ボクはわざとらしく言ってみた。
「え、う、うん」
ぎこちない返事が返ってくる。
「ふーん」
ボクはさも当然の流れであるかのようにノートの入っている書類棚を開けようと手をかける。
「いやいやいや」
開けようとしたら妹に手首をガッシリ掴まれ阻止される。
顔は笑っているが目は本気だ。
普段温厚な人間ほど怒らせると怖いのだ。
「冗談だよ冗談。まあ、ちゃんと書いたのならここまで来た甲斐があるってもんさ。電車を乗り過ごしたら一時間待たなきゃいけないし、戻ろうか」
「もう!」
ボクは妹の様子から本気でノートに恋愛成就の願い事を書いたのだろうと確信した。
こんなにも素直で良い子なのだ。
下に降りるために引き返して石段へと向かう。
その後ろをボクより少し広い歩幅でついてくる。
階段に足をかけようとして、そのまま踵を返して神楽殿へ猛ダッシュする。
「へ? ――えええっっ!?」
予期せぬ事態に妹は反応が遅れる。一瞬固まってからボクの行動に気づき同じように振り返る。
だが遅い。
こんなにも素直で良い子なのだ。
こんなにからかい甲斐のある妹に、このまますごすごと引き下がるわけにはいかない。
猫のように素早く、小さな身なりを活かして神楽殿に戻り、棚からノートを取り出す。
しかし素早さ自慢はボクの自称なので、実際はすぐ眼前に妹が迫っていた。
ボクは取られまいと必死にノートを開きながら身を躱そうと再び駆け出す。――が、もつれた足はすぐにバランスを崩し、ボクは仰向けになりながら、宙に舞い上がるノートを見ていた。
青空が、やけにキラキラしていた。
「つっきー危ないっ!!」
妹の声は遠く、ボクの意識は遠のく。
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