大河原橋で故意の上級者乱す その1

「今日もまた異世界へ行けなかった」


 一両編成の電車にはボク達二人だけ。

 木津川を見下ろすように山際を走るワンマンカーから見える景色は、もうずっと代わり映えしない。

 京都府最南端であり唯一の村、南山城村にある大河原駅を目指して二人の乗客が並んで座る。


「いつの間にか雨、上がったね」

 途中まで窓を濡らしていた雨の水滴が消えていた。

「……ねぇキミちゃん。どうして制服なの?」

 京都から電車を乗り継ぎ、すでに二時間近くが経過しようという頃に、ボクの口からそんな疑問が飛び出した。

「ええー、つっきー今更すぎるよぅ」

 飽きもせずに窓から見える景色をずっと眺めていたボクの妹、つまり阿納桧季水果あのひの きみかは驚いたような、呆れたような顔でこちらを見る。

 彼女は在学中の高校の制服でここまで来たのだ。

 そして『つっきー』と呼ばれた阿納桧都月あのひの つづき、要はボクは今の今まで気付かなかったと言わんばかりの態度で「そう?」と返した。


「あのね、ちょっと遠出するときは制服を着た方がもしも何かあったときに周辺の人の記憶に残るし、身元を特定するのに手がかりにもなるんだって。それに制服の方が案外狙われにくいんだよって、こと姉が言ってた」

 さすがはボクの姉である。

 人をハイエースに押し込んで連れ去る(主に身内、というかボクだ)人さらいのプロは犯罪者の心理をよくわかってらっしゃる。

 知っている人は知っている、多少名の知れた私立の一貫校だから制服は目印にもなるが、しかし危険も伴うような気がする。

 妹はしっかりしていると言っても、ボクや姉と違って基本は箱入り娘である。

 こうやって電車に乗って遠出する機会など多くない。


「まだ着かないのかな。キミキミ、こんな絵に描いたような田舎に来たのなんて初めてかも。まさかこんなところに連れてこさせるなんて――あ、別に嫌じゃないんだけどね。空気がきれいだし、一人じゃ絶対来れなかったし」

 両手の指先を軽く合わせてお嬢様がよくやる拝むようなポーズを取る。

 この妹、人前ではしっかり者で通っているが身内の前だと全然違う。

 普段はちゃんと言葉を選んで発言するが、素の状態だと思ったことをそのまま口に出してしまう。この辺は大変姉と似ている。

 さらに一人称は『ワタシ』だが、家族が昔から呼んでいた愛称の影響で自分のことを『キミキミ』と言うきらいがある。もちろん身内との会話中くらいで、人前では基本的に言わないのだが、一度人前でそれを披露してしまった時は顔を真っ赤にして逃げ出していた。それ以来身内の前でも治そうとしているのだが、完璧には治っていない。もはや指摘するのも野暮なので全スルーだ。


「いや、キミちゃんでしょ。パワースポットに行きたいって言い出したのは」

「そうだっけ?」

「そうだよ」

 ボクの言葉に笑ってごまかし、それ以上何も言わない。

 くっ、これが妹パワーか。


 事の発端は妹の「パワースポットに興味が湧いた」という一言だ。

 それは暗に連れて行け、という意味である。

 ……おっと、姉じゃないんだから表現は正確にしなければ。暗に「連れてって」を意味している。

 近場なら鞍馬寺でも何でもあると言ったのだが、近場は恥ずかしいということでそれなりの場所でおあつらえ向きのパワースポットを案内してやろうと調べた結果、こうなった。


 パワースポットというのは基本的に恋愛成就祈願のための場所であり、興味が湧いたというのはつまりそういうことなのだ。

 祈りたいような相手でも見つかったということなのだろう。

 ボクが人のことを言えた義理ではないが、妹のそのような浮いた話など一つも聞いたことがない。そのような出会いがないということを差し置いても、客観的に見て彼女は高嶺の花といったところで誰も簡単に手を出そうとは思わないだろう。

 だからこそ自分から気になるような相手が出来たのであれば喜ばしいことであり、それが誰なのか非常に興味深いところである。気分は某古典部の部長である。


 とてもよくできた妹なので恋愛感情など滅多に表に出さない。どのアイドルが好きだとか俳優が良いだとか、特定の誰かを贔屓するコメントは出さない博愛主義者なのだ。姉と大違いである。……ボクとも大違いである。

 そんな妹がここまでストレートにパワースポットに興味が湧いたなどと言うのである。そりゃあもう只事じゃないよね。

 もし姉に頼もうものなら、根掘り葉掘り聞かれて下手したらそのまま直接会いに行きかねない。それくらい姉もこの妹を可愛がっているのだ。

 況やボクも。

 いつ、どう問いただしてやろうかと機会を伺っていたら気が付けばもうすぐ目的地である。


「大河原駅。次で降りるよ」

 大きな影と小さな影がホームに立ち、電車の中は空っぽになった。

 紫のワンマンカーはゆっくりと次の駅へ向かって走る。

 乗客が居ても居なくても、あれの速度は変わらないらしい。


 大河原駅は無人駅で、跨線橋を使って向かいのホームに渡り改札へ向かう。だだっ広いホームには自販機も電光掲示板もなく、自然と一体になった看板や用途不明の百葉箱のような置物があるだけだ。

 こんなに人の気配を感じられない駅は珍しい。

 ネット発祥の都市伝説で不気味な駅に迷い込んでしまったという話があるが、本当にそんなことが起きたのかもしれないと思えるほど、静かで不思議な空間だ。

 こんなところで異世界感を味わえるとは。

 ただ、線路と並行している道路にはちょくちょく車が通り過ぎる様子が見えるので、残念ながら異世界へ迷い込むという不思議体験はお預けのようだ。


「……ねぇ、つっきー。ここ、どうやって外に出たら良いの?」

 無人の改札口を前に、妹は直立不動で立ち尽くしていた。

 都会ならICカードを掲げて通過できるだろう。切符を改札に通して出ていけばいいだろう。最悪駅員さんに渡せばもぎりの要領でそのまま通されるだろう。

 そういった過去の何れの経験とも違う場面に出くわしたとき、人は固まるのだ。

 ボクは無人駅など何度も経験している。というか都会でもちょっと外れの方に行けば割とある。妹はそもそも電車で出かけることがあまり無いのだが。

「真ん中に切符入れがあるだろ。それに入れて出ていけばいいよ」

「え、これ? ホントに? 大音量でブザーが鳴ってシャッターが降りてきたりしない?」

「しないよ」

 シャッター降りてきたって屋外だからどこからでも逃げられるだろ。

 不安がる妹のために、ボクが先に出てお手本となった。

 改札を出てからもまだ少し不安がっている。

「こんなの、やろうと思えば無賃乗車だって出来ちゃうんじゃないの……?」

「だろうね。そこは人の良心にかかってるだろうさ」

 まぁ、無賃乗車できるような駅は降りたところで何もないようなところだろう。


「うわ、一時間に一本しか電車来ないよ。一つ乗り遅れたら一時間遅れ確定かぁ」

 よくある絵に描いたような田舎の光景そのままである。

「終電も早いなぁ。いざとなったらに迎えに来てもらうしかないね」

「それは避けたいところだ」

 もちろん阿納桧言葉あのひの ことはであれば、つまり姉ならば迎えに来るだろう。しかし怒られるのは確実にボクなのだ。


 ところで後で調べたところ大河原駅の乗客数は府内で最も少ないらしい。

 一日平均で50人程度。

 にもかかわらずボク達が乗客数向上の一翼を担ってしまった。

 いや、儲かったほうが嬉しいに決まっているだろうけど。


 駅の外観も田舎じみており、小さな交番か派出所のような見た目だ。

 一歩一歩が大きな自然石の階段を降りた先には道路があり、その向こうには窓から眺めていた木津川が流れている。道路は川からはかなり高い位置にあり、堤防のようになっているためどこかに降りる場所があるのだろう。


 湿り気を含んだ石段を降りていると、一つ下に降りていた妹が振り返り、ボクと同じような目線のまま、右手を水平に上げて背比べをするようなポーズを取る。

「ワタシが一段降りても、つっきーと同じような背の高さなんだよねー」

「――なっ」

 ボクは言葉を失う。

 そうなのだ。

 ボクの方が年上にもかかわらず、妹からあまり尊敬の念を感じられない原因は身長にある。

 ボクは人より少し、個人的にはほんの少しだけだ、誰がなんと言おうがちょびっとだけ身長が低く、それに反して妹は身長が高い。目を合わせて話そうとしたら思いっきり顔を見上げないといけないほど差がある。

 それはいわゆるモデル体型とも言えるのであって、ボクにとっては当然自分にないものなので羨ましいとしか思えないのだが、彼女にとってはそれが悩みでもあり事あるごとにもっと背が低ければ、と嘆いている。

 ちなみにこの身長差のせいで、さらに言えば落ち着いた振る舞いなんかも含まれているのだろうけど、二人で居るとまず妹の方が姉扱いされる。そして「あの、ワタシ妹なんです」と訂正すると大抵信じられないといった表情を浮かべられる。

 最近は訂正するのも疲れので、もうボクの方が「お姉ちゃんとお出かけです」などと全力で演技するようになった。

 最初のうちは結構お互いに「どうなんだそれは」感はあったが、慣れてしまえばなんとも思わなくなった。

「やれやれ、何を言い出すかと思ったら」

 ボクはふっと息を漏らし、薄ら笑みで一段上に登り直す。

「どうだ、これならボクの方が高いだろう!」

 腕組みまでして勝ち誇ったようなポーズを取る。

 一瞬あっけにとられていた妹だが、すぐに笑いをこられきれないといった表情で顔を背ける。

 ボクは案外負けず嫌いなのだった。


 堤防道路を渡ったすぐ先に木の案内板が置かれており、すぐそばに車で通れるような広さの下り坂が道路沿いにあった。

 道路は濡れており、草木は露を含んでいる。

 看板の文字を読んで、本日の目的地を再確認する。

「『恋路橋』に『恋志谷神社』だって。あっ、あの川に架かってる石橋が恋路橋ってこと!?」

「そう。んで、あの橋の向こうを進んだ先にあるのがこの神社。どう、いかにもパワースポットって感じするでしょ」

「すごーい。つっきーこんなところよく知ってたね」

「ま、まあね」

 実際に訪れるのはボクも初めてだ。

 いかにもな名前だが、場所が場所なので気軽に訪れようという気にもなれず、こんな機会がなければボクだって来ることはなかったかもしれない。


 河川敷まで降りると、川の上を100メートル近くもの距離の石橋が架かっている。 洪水になればすぐに沈んでしまいそうな高さの橋で、ボク達のような観光客にとっては珍しいのかもしれないが、地元の人にとってはただの生活道路の一部なのかもしれない。ボク達が渡るまでに乗用車や軽トラが何台も橋を越えて向こう岸へと走り去った。


 真ん中を少し過ぎたあたりで、隆起したような石に気づき視線を落とす。

 それは「恋路橋」と刻まれた岩のプレートで、妙にテンションの上がった二人はなぜかそれを何枚もスマホで撮影していた。

 それから撮影合戦が始まり、お互いを撮ったり恋路橋の風景だけを綺麗に切り取ってみたり、自撮りで二人して決めポーズを撮ったり変顔したりと、よくもここまで時間を潰せたものだと感心するくらいの間、恋路橋を堪能した。


「いや、メインディッシュはこの先だし!」

 というボクの言葉に我に返り、名残惜しそうに恋路橋を後にする。

 うん、どうせ帰りにまた通る。

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