第6話

「そんなことはないわ。


それでも世界は美しいもの」 







 「へぇ、たいしたもんじゃないか」


 男は感心した。


 リングの上で、ミットに蹴りやパンチを撃ち出すはるかを見て。


 しなやかな身体の使い方、スピード。


 素人の域は、完全に超えていた。


 「……何しにきたの」


 リングサイドでその様子をみていたトシは、隣に当たり前のように現れた男に、冷たく言った。


 「そう言うなよ。おまえに会いに来たんだよ」


 にやりと男は笑ってトシの肩に手を置いた。


 男も驚いたことに、トシはその手を振り払わなかった。


 「……ホントに?」


 男の方を見ずトシは聞いた。


 「……あぁ」


 男は何だかやりにくそうに頷いた。


 「しかし、はるか君、見違えたな」


 「確かに予想以上の出来よ。会長、ミット持ってくれているのが会長なんだけどね、大絶賛よ。全部終わったら、どうせ学校も辞めてるんだから、プロになれ! ってはるかを口説いているわ」


 ミットが破裂音をたてる。


 パンチや蹴りがキレている証拠だ。


 軽いステップで移動し、素早く打ち込み、同時に移動する。


 まるでダンスでもするかのように動き、弾けるようにパンチや蹴りが炸裂する。


 この子供は殴り方を知っている。


 男は感心した。


 なにより身体が強い。


    血をはくような修練があったはずだ。


 だが、短期間にこれだけのものを身につけるには、才能以上に生まれつきの強靭な身体が必要だ。


 皮肉にも、はるかが顔も知らない乱暴者の父親のおかげだろう。


 「全部終わって、生きていれば、か」


 男のつぶやきにトシは唇をかんだ。


 


 「はい、はるかちゃん終了! サンドバックで蹴り込み、撃ち込みね!」


 会長の言葉に、はるかは「はい」と笑顔で答えてリングを降りた。


 男に気付き、走りよる。


 「おじさん、こんにちは」


 はるかの笑顔に男も笑顔を返す。


  男はこの子供が嫌いではなかった。


  いや、寧ろ敬意を抱いていた。


  たとえもうすぐ撲殺されるのだとしても、それを選んだこの子供の意志の強さに、男は敬意を払うだろう。


 「トシさんに、会いに来たの?」


 トシの肩に置かれた男の手を見て、はるかが言う。


 


 トシは赤くなった。


  おやおや。


  男はちょっと驚く。


 「まあね。しかし、たいしたもんだ」


 「もう、あと、2週間しかないですから」


 はるかはふわりと笑った。


 「はるか、サンドバック終わったら、走って帰って、石投げよ。穴掘りは、今日からはもういいわ」


 トシが言った。


 「はい」


 はるかは頷いて、サンドバックに向かって走っていった。


   「……たいしたもんだ。でも」


 「あれじゃ、殺される、でしょ。あなたに言われなくてもわかっているの。はるかに、格闘技を教えたのは、訓練した人間の攻撃が、どういうものなのかを教えるためで、あれあれで殺せるとは、思ってはいないわ」


  トシは、半分目を伏せたまま言った。


  はるかは確かに強くなった。


  しかし、春岡は何年も格闘技の鍛錬をつんだ男だ。


 そんなものでは適わない、殺せない。


 「勝算は、あるんだな」


 トシの計算の仕方だけはいつもわからない。


  男は、完璧な計算をし、公式を用いて仕事をするが、トシはとても計算しているとは思えない仕事をする。


 が、トシは時々、男が思いつかなかった方法をつかい、あり得ない答えを導き出す。


 「あの子を殺したくない」


 ふっと、トシが呟く。


  男はちょっとたじろぐ。


  こんな素直なトシは珍しいからだ。


 「そう、忠告があるんだ、トシ」


  慣れない感じに慌てたように、男は言った。


  「忠告?」


 外へ走りに行こうと、ジムのドアを開けるはるかを、ぼんやり見つめていたトシが、その言葉に、男へ強い視線をむけた。


    



  

 「春岡が動いている。はるか君が、自ら仇討ちを放棄すれば、無罪放免になる……だとすればどうする?はるか君に放棄させる為に。お金で彼女が引かないのならばどうする?」


 男の言葉が終わる前に、車の急ブレーキの音と、はるかの悲鳴が聞こえた。


 「はるか!」


 トシは叫んで窓へかけよった。


 三階にあるジムの窓から道路に面した入り口を確かめる。


 二人組の男達に車に押し込まれるはるかが見えた。


 はるかがひかないなら?


  脅せばいい。


  もしくは、仇討ちなど出来ない体にすればいい。


 それが答えだ!


 「はるか!」


 トシは、もう一度叫んだ。


 次の瞬間、トシは三階の窓から飛んでいた。


 柔らかいロングスカートを翻し、上品なヒールのまま。


 はるかを車の後部座席に押し込め、車を出そうとしていた男達は、車の天井が音をたててへこんだことに恐怖した。


 「マジかよ! あの女! 窓から飛びやがった!」


 「上に乗っているのか!」


 「早く出せ! ふり落とせ!」


 慌てて、アクセルを踏む運転席の男。


 後部座席の男は、手早くはるかをしばりあげた。


 動き出した車の後部座席の窓ガラスが、音を立てて、くもの巣のようなひび割れを作った。


 そして、砕けた。


 トシの、黒いストッキングに包まれた脚の先にあるヒールの踵が、窓を突きやぶったのだ。


 窓ガラスの破片を巻き散らかし、加速する車。


    その側面に蜘蛛のようにへばりついたトシ。


 


 その白い右腕が、破れた窓から、後部座にいた男の胸元へと伸びた。


 白い指が男のシャツを掴む。


  トシは走る車の窓にしがみついたまま、なんと片腕で、男を窓の外に放り出した。


 走る車から投げ捨てられながら、男は言った。


「化け物!」。


 ムリもない。


 後部座席で縛られ、それを見ていたはるかでさえ、そう思っただろう。


 目を見開いて、トシを見ていた。


 運転席の男はそれでも冷静だった。


 恐怖で顔をひきつらせながら、それでも正しい行動に出た。


 そのまま、窓から侵入しようとしたトシをふり落とそうと急ハンドルを切ったのだ。


 トシの身体が再び外にふり出された。


  はるかを乗せた車は、急に反対車線に突っ込んだため、クラクション、急ブレーキの音にかこまれた。


 車同士がぶつかる音もしたが、はるかを乗せた車は奇跡的に無事だった。


 そして運転席の男はもう一度、元来た車線へハンドルをきった。


 振り回される力に、トシの指がとうとう車から離れた。


道路に叩きつけられるショックを、トシは自ら転がることで殺した。


  車線に転がったトシへ、急には止まることの出来なかったトラックが、突っ込んできた。


 トラックの運転手は人を轢いたと思ったはずだ。


    


 トシは立ち上がろうとはせず、地面に転がったまま、ほんの少し位置を冷静に修正した。


 トシの身体のすぐ横を通過して、トラックは止まった。


 地面と車体の隙間をすりぬけ、ブレーキ音と衝突音の中、平然とトシは立ちあがった。


 止まった車、ぶつかった車が固まり群れを作って行く間を、片方ぬけたヒールを脱ぎ捨て、すたすたと裸足で歩き出す。


 「おい、大丈夫か」


  追いかけて来た男を無視し、トシは倒れている一人の男のもとへ向かう。


  トシが、車から投げ出した男だ。


  死んではいなかったが、どこか怪我をしたのか、うめいていた。


  ひょいとトシは片手で、男の襟元を掴み、軽々と持ち上げる。


  「あの子をどこへ?」


  とても優しい声で、トシは言った。


  つかまれたまま見上げる男の顔が、白くなる。


  「もう一度しか言わないわ。あの子をどこへ?」


 優しい優しい声で、トシは言った。


  もう片方の手を、男の喉に当てる。


  みしり。


  男の首の骨が軋んだ。


  男は震えながら、答えた。


  市の外れの、港の倉庫だった。


  トシは駆け出そうとした。


  背後から、低くうなるエンジン音がした。


 「乗れよ」


  男が言った。


  大きなバイクにまたがっていた。


  トシが尋問している間に、乗ってきたバイクを持って来たのだろう。

 「急がないと、すぐ違う場所に行くぞ。こんな状態じゃ車も拾えない」


 止まった車の群れの中で、男は手をひろげてみせた。


 「……礼は言わないわよ」


 トシは言うと、すぐ男の後ろに、スカートのまま、またがった。


 「それは想定の範囲内だ」


 男はにやりと笑った。


 バイクは走りだした。






 「何だよ! あの女! 何だよ!」


 運転席の男が興奮状態で叫ぶのを、はるかは後部座席に縛られ、転がされたまま聞いていた。


 自分を、どこかへ連れ去ろうとしているのは分かった。


 おそらく、仇討ち絡みのことだろうことも。


 そして、トシがいない今、自分でなんとかしなければならないことも。


 


 ――考えるんだ。考えるんだ。


  


 はるかは自分に、言い聞かす。


 恐怖に、胃が締め付けられ、身体が震える。


 車に連れ込まれる寸前に、殴られた頬が熱を持っている。


 男が、自分を攫ってどうしようとしているのかは分からなかったが、分からないからこそ怖かったが、無事に帰す気はないだろうことは、わかっていた。


 はるかに、仇討ちを遂行できないようにしたいのだ。


 


 ――春岡――


 


 はるかは、その名を呟く。


 それはこの数ヶ月の間の、はるかの呪文。


 あきらめそうになる、耐えられなくなる心を、奮い立たせる呪文。


  胸の奥を焼く、火のような想いを呼び起こす呪文。


 


 殺してやる。


 殺してやる。


 殺してやる。


 


 はるかの心が叫ぶ。


 すると、震えが止まり、呼吸が深まり、冷たく頭が動き出した。


 はるかは五体満足で、ここから逃げ出さなければならない。


 絶対に。


 春岡をころさなければならないから。


 ブツブツと罵声を呟き続ける(おそらくトシにむかってだろうとはるかは考えた)、運転席の男の様子を、そっと窺う。


 はるかの様子を、見ようともしない。


 はるかは、後ろ手に縛られた手首を、動かしてみる。


 動く。


 ゆるい。


 トシの乱入に、慌てながら縛ったせいか。


 指でロープを探る。


 結び目に手が届く。


 いける。


 はるかは、運転席の男が、万が一後部座席を見ても大丈夫なように、あお向けになり、気絶しているかのようにみせながら、少しずつ、ロープの結び目をゆるめていく。


 一度、男が沈黙した。


 後部座席を見る気配がした。


 だが、またブツブツ呟き始めたから、どうやらはるかが気を失っていることに、安心したようだ。


 車が止まった時、はるかは結び目を解くことに、成功していた。


 男が病気のように、何かを繰り返し口にしながら――トシの与えたショックは男の精神の均衡を奪っていた――運転席のドアを開け、外へ出た。


    



   

 おそらく後部座席のはるかを引きずり下ろすためだ。


 男がドアを開ける音。


 出る音。


 バタンとドアを閉める音。


 少し離れる足音。


 はるかはその音を待っていた。


 今だ!


 はるかは跳ね起きた。


 運転席へ縛られた足のまま、跳ねるように移動する。


 「・・・お前!」


 男が慌てて運転席のドアへと戻る前に、集中ロックで、車のドアを全てロックする。


 はるかは、ドアを、窓を、必死で叩く男の目の前で、足のロープをほどいていく。


 いくら男が叩いても、ドアに凹みをつけることができても、窓は割れもせず、ドアが開く気配はない。


 しかし、男は気が付く。


 そう、後部座席の助手席側の窓は、トシによって破られているのだ。


あそこからなら車内に入れるだろうと、あわててそちらに向おうと、男が運転席のドアを離れた瞬間、車が動いた。


 エンジンをかけたままにしていた車のアクセルを、はるかが踏んだからだった。


 平田が一度運転の仕方を、教えてくれたのだ。


 「買い物に行こうか。はるちゃん」


 平田が、ボロボロの軽トラックで連れ出してくれたのだ。


 はるかは、トシのマンションで寝起きしていたが、昼は事務所でいつもトシと平田と三人でご飯を食べた。


 「何もしてないんだったら、買い物くらいおねがいします」


 と、トシに買出しを命じられた時、平田ははるかを連れ出したのだ。


 トシは何も言わなかった。


 トシは平田がすることに、意外と反対はしない



 ボロボロの事務所の軽トラックで、平田は運転を教えてくれた。


 その際、知らない人の車に、はるかは軽トラックをぶつけてしまったのだが、平田は平然と言った。


 「さあ、逃げるぞ」


 「いいの?」とはるかが聞いたら、


 「犯人が特定できなければ事故ではない」


 にやりと平田は笑った。


 「隕石が当たったのかもしれないし、自らの意志で車が己をへこましたのかもしれない」


 「それはないと思う」


 「はるちゃん、せっかく責任を回避させてあげようとしているんだから、そう言うもの言いはよくないよ? とにかく、犯人がいなければ事故ではない。ただの車がへっこんだと言う事実だけなんだ。その理由は他の人が考えればいい。さあ、ギアをバックに入れてアクセルを踏もう」


 


 平田がその時教えてくれたように、はるかはギアをバックにいれてアクセルを踏んだ。


 がくん、車は大きくゆれていきなり猛スピードで動き始めた。


 窓に手をかけようとした男をふりきり、車は発車した。


    




 倉庫が立ち並ぶ中、車が倉庫に激突しそうになるのを、やっとのことで回避した。


 そして、追いかけてくる男を尻目に、再びアクセルを踏み、はるかは車を何とか走らせた。


 ここがどこかは分からなかったが、海の匂いがした。


 多分、市の外れの埋立地だ。


倉庫がたくさんあるとこだ。


 はるかは推測する。


 この数ヶ月、はるかが受けたものには、思考訓練もあったのだ。


 「物事は常に、シンプルに! いいかいはるちゃん。この世に難しいことなんかないんだ。考えることは二つ。一つ、どうしたいか。二つ、何が邪魔か、三つ、邪魔なものをどうすれば良いかだ」


 平田は言った。


 「二つじゃなくて、三つなの?」


 はるかは指摘する。


 「四つ。小さなことは気にしない~~」


 平田はなかったことにする。


 身体の訓練ではない、その一風変わった訓練は主に会話によるシュミュレーションが多かった。


 平田が受け持った。


   「はるかちゃん、いいかい?


 トシ、トシの恋人のデカイヤツ。この三人が決闘をすることになりました。


(この例えを聞いていたトシは嫌な顔をした)


 はるちゃんは銃を撃って三回に一回当たればいいほうです。デカイヤツは二回に一回は当てます。


 トシは絶対にはずしません。


 こんな風に、腕に差があるので、ハンデとして、はるちゃんがまず最初に銃を撃つことができます。


 誰を撃ってもいいです。


 次にデカイヤツが死んでいなければ撃ち、次にトシが死んでいなければ撃つ。


 これを最後の一人になるまで続けます。


 さあ、はるちゃん、生き残る可能性を上げるためにどうする?」


 はるかは考えた。


 「トシさんを撃つ?」


 少なくとも最初に撃つチャンスをもらえるのならば、一番腕のいいトシを狙うべきだと思ったのだ。


 「ダメだね、はるちゃん、そのものの考え方なら、君の生存率は低いねぇ」


 平田は指を振った。


 「でも、オジサンを撃って当たったとしても、次はトシさんの番だし、だったら確実に殺されてしまうわ!」


 はるかは反論した。


 「はるちゃん、まだ視界が狭いよ、なかなか筋は良いんだけどね・・・」


 平田の目がキラキラ光る。


 面白そうなことを、考える時、思いついた時、平田の目は光る。


 「正解はね……」


 平田はもったいをつけた。


    



  

 「はるちゃんは最初の一回を空に向かって撃つ。


 勝負をすてるのさ。


 そしたら、デカイヤツはトシを撃たなきゃ次の番で、はるちゃんより危険な自分がトシに撃たれるだろうと考えるだろう。


 だからトシを撃つ。それが、トシにあたらなければ、次は、トシはデカイヤツ相手を撃つだろう。


 つまり、はるちゃんが勝負を捨てることで、トシとデカイヤツの潰しあいがまず起こり、その後、はるちゃんにもう一度先に撃てるチャンスがやってくるわけだ。


少なくとも、一番はるちゃんが生き残る確立は高い。一人は確実につぶれるわけだからだ。


 これは少し意地悪な問題だが、時に勝負をしないことが生き残るコツだ」


 こういった会話形式のシュミュレーションの他、迷路を時間以内に解くこと、真夜中に山奥に運ばれて無事下山してくる(一応目印などのヒントはある)などの訓練もあった。


 はるかは必要最小限のことで、何かを理解する能力を身につけはじめていた。


 ここの場所は分かった。


 多分、もう少し行けば大きい道路にでる。


 そこまで行けば事務所付近へ帰る道をしめす、標識が出ているはずだ。


 はるかは、よろよろ運転しながら考える。


 それでいいの?


 それと同時に考える。


 これは、テストなのだと。


 二週間後に行われる仇討ちの。


 「そっか……」


 はるかは頷き、車をUターンさせた。


 ママのための物語。


 これはそのために必要なエピソードなのだ。


 「ありえね!」


 男は叫んだ。


 仲間が消えて、車とられて。


 なんだよ、これ? 


 男はがんがん痛む頭を抱える。


 聞いていた話と違った。


 ガキ一人を痛めつければいいという話だった。


 簡単な話だ。


 なのに。


 何だ?あの女、三階から飛び降り、車の窓を割り、人間一人放り出しやがった。


 人間か?


 それにガキあいつもなんだ、車を奪いやがった。


    



 この倉庫でちょっと酷い目にあっていただき、素っ裸にして街中に放り出すつもりだった。


 なのに、なんだよ?


 ギリギリ頭が痛む。


 ガキが警察を呼んでいるかもしれない。逃げなければ。


 逃げなければ。


 やっと、男の頭が冷静になった。


 とにかく、ここを離れなければ。


 男は、顔を上げた。


 その男の目に信じられないものが映った。


 ゆっくりと、男の奪われたはずの車が帰ってきたのだ。


 男の少し前で車はぎごちなく止まった。


 そしてゆっくりドアが開き、ガキが、はるかが、降りてきた。


 それは、男にはまるでスローモーションのように見えた。


 


 はるかは、男にむかってまるで融けるように笑った。


 


 男の中でたくさんの感情が一瞬で沸騰し、それは爆発した。


 あのガキを殺す!!


 はるかへ向かって男は走った。


 男がはるかに向かって伸ばす手を、ふわりとはるかは潜りぬけた。パンチをかわすように。


 そして、身体を崩した男の側を走りぬけた。


 慌てて、男ははるかを追ったが、はるかは速く、はるかの姿は倉庫が立ち並ぶ中に消えた。


 男は思っていた。


 このガキさえなんとかできれば、まだ何とかなる。と。


 最初の予定通り、ガキを痛めつけ(男は色々な方法を考えた)、脅しつけ、放り出すのだ。


 脅せば(色々な脅し方を考えた)、警察に行くこともないだろう。

 そんな考えは、男に暗い喜びを与えた。


 引き千切り、傷つけ、踏みにじる。


 その瞬間の万能感を思い、舌なめずりする。


 はるかを追い、倉庫が立ち並ぶ中へ入り込む。


 男は肉食獣が草食動物を追いつめた時の高揚感を味わっていた。


 小さく華奢なはるかを、引き裂くイメージに男はとらわれていた。


 そのイメージは凶暴に甘く男の判断を狂わせた。


 


 何故、わざわざ少女が引き返してきたのか、なんのために戻ってきたのか、それを考えることを男は放棄したのだ。


 ただ、獲物を狙う獣のように、男ははるかが消えたあたりをさまよう。


 たくさんおかれた荷物、休日の今日は人影さえない。


 だからこそここにはるかを連れ込んだわけなのだが。


 


 見つけてやる。


 男は笑う。


 ガキが。


 ガタン


 男の後方で音がした。


 そこか。


 男は音の方へ走る。


 ガタン


 また同じ場所から、音がした。 


 だから男は、確信した。


 あの角に、あのガキはいる。


 男は急いで、その音がした角へ向かった。


 しかし、誰もいなかった。


 行き止まりだった。


 


 あれ?


 男は不思議に思う。


 ガタン


 何かが男の後方から飛んできて、男の前にある荷物に当たって音を立てた。


 

   

 跳ね返り、ころころと転がってきたソレが男の靴に当たった。


 


 石?


 誰かが投げた?


 あのガキか?


 石を投げて音を作っていたのか!


 ここにオレを来させるため?


 ここに誘いこまれた?


 罠!


 男が慌てた時、男の意識がスパークした。


 下腹部を、いや、いわゆる急所を、背後から誰かに蹴りあげられたのだ。


 よろよろと、振り返った男の目に見えたのは、ひどく生真面目な顔をして、次の攻撃にそなえていた、はるかだった。


 綺麗なフォームで、はるかは前蹴りを放った。


はるかのつま先は、急所をやられ中腰になった男のあご先を、確実にとらえた。


 男の脳がゆれる。


 意識とは無関係に、身体は前のめりに倒れた。


 膝をついた男の側頭部に、はるかはミドルキックを、さらに入れた。 


 男の身体は、今度は後頭部を地面に打ち付けるように、倒れた。


 倒れた男の上に乗り、はるかは、マウントポジションをとる。


 ちゃんと膝で肩を、押さえ込む。


 そして、はるかは、迷わず両方の手の親指を、男の両目に突き入れた。


 男は悲鳴を上げた。


 その瞬間はるかは、男の身体から離れる。


 男は、獣のように吼えながら立ち上がった。


 両目から血を流しながら。


 再び、急所を蹴られる。


 だが、男にははるかが見えない。


 目が見えないのだ。


    




 跳ね返り、ころころと転がってきたソレが男の靴に当たった。


 


 石?


 誰かが投げた?


 あのガキか?


 石を投げて音を作っていたのか!


 ここにオレを来させるため?


 ここに誘いこまれた?


 罠!


 男が慌てた時、男の意識がスパークした。


 下腹部を、いや、いわゆる急所を、背後から誰かに蹴りあげられたのだ。


 よろよろと、振り返った男の目に見えたのは、ひどく生真面目な顔をして、次の攻撃にそなえていた、はるかだった。


 綺麗なフォームで、はるかは前蹴りを放った。


はるかのつま先は、急所をやられ中腰になった男のあご先を、確実にとらえた。


 男の脳がゆれる。


 意識とは無関係に、身体は前のめりに倒れた。


 膝をついた男の側頭部に、はるかはミドルキックを、さらに入れた。 


 男の身体は、今度は後頭部を地面に打ち付けるように、倒れた。


 倒れた男の上に乗り、はるかは、マウントポジションをとる。


 ちゃんと膝で肩を、押さえ込む。


 そして、はるかは、迷わず両方の手の親指を、男の両目に突き入れた。


 男は悲鳴を上げた。


 その瞬間はるかは、男の身体から離れる。


 男は、獣のように吼えながら立ち上がった。


 両目から血を流しながら。


 再び、急所を蹴られる。


 だが、男にははるかが見えない。


 目が見えないのだ。


   みぞおち、喉、鼻、耳の下、肝臓、腎臓、かろやかにステップをふみながら、はるかは 目の見えなくなった男に、教えられたように、パンチや蹴りをはなっていく。


 鼻から血がふきだす。


 揺れる脳に立っていられない。


 パンチは鼻とボディだけ、後は蹴りで。


 はるかは、ちゃんと自分の拳を守ることもした。


 見えないということは、男の戦闘意欲を奪った。


 男は今、自分の目がどうなってしまったのか、だけで、頭の中が一杯だった。


 ジムの会長は、トシの要望通り、はるかに実戦むけの技を教え込んでいた。






 「もうやめてくれ」

 男は跪いて哀願した。


 膝をつき、少女に、プライドもなく許しを請う。


 それを見たはるかは判断する。


 ちょうどいい姿勢だ。と。


 だからはるかは、男の顔に渾身の蹴りを放った。


 このまま止まっていてくれるなら、はるかでも十分男の意識をとばせると、判断したからだ。


 男は、理解するべきだった。


 この生真面目な少女に、両目をつかれた時に。


 はるかは、男を倒すことしか考えていないのだということ。


 それ以外の考えは、入る余地がないのだ、という事を。


 哀願など何の意味もないことを。


 完全に意識を手放し、倒れていく男が、目の前の光景を見ることが出来なかったのは、幸せだった。


 なぜなら、はるかは冷静に、そのあたりに落ちている鉄の棒を、拾い上げたからだった。


    



 この重さならば、十分、頭を潰せる。


 そうはるかは判断した。


 判断だった。


 感情ではない。


 棒を引きずりながら、意識を失った男の側に来た。


 よろよろと思い棒を振りかぶり、男の頭にそれを打ち下ろそうとした時だった。


 「はい、ストップ!」


 誰かがそっとはるかの肩に手を置いた。


 トシだった。


 「あ・・・・・・」


 はるかは、ほっとため息をつき、意識を失った。


 安心しすぎたのだ。


 ひょいと、トシは、そんなはるかを赤ん坊でも抱くかのように抱きあげた。


 細い腕なのだが、凄い力だ。


 筋肉の質が違うのかもしれない。


 はるかの手から離れた鉄棒を、拾いあげたのは、ここまでトシをバイクで運んできた男だった。


 軽々と、振りまわしながら、ため息をつく。


 「こんなもん、人間の頭に振り落としたら、死ぬぞ」


 地面に転がる誘拐犯を、つま先でつつきながら男は言った。


 少女をどうこうしようというヤツが、どうなろうと知ったことではないが、その少女が男を殺そうとしていた事実は、何か背筋がつめたくなるものがあった。


 「そういう事を教えているの。当たり前でしょう」


 トシは、はるかを抱えすたすた歩き始める。


 「コイツはどうするんだ」 立ち去ろうとするトシに、男はソイツを踏みながら慌てて言った。


 「放っておけばいい」


 トシは冷たく言った。


 「いいのか?」

 トシの隣を、歩きながら男は意外そうに言った。


 「警察にでも突き出す? 春岡の悪事を暴く? 意味ないでしょ」


 コイツ、もう二度と使いものにならないわよ、と蔑むように笑いながらトシは言った。


 「それに春岡は……」


 トシは夢見るような顔で言った。


 「どうせ、殺すのだから関係ないわ」


 








 「あんたが教えたのか」


 男は押し殺すような声で、言った。


 おやおや。


 そう言った感じで、平田は男に目をやった。


 トシは奥のベッドに、はるかを寝かしに行った。


 「オレ達が、あの子に何を教えていると思っていたんだ?」


 平田は不思議そうに男に尋ねた。


 「いい趣味とは言えないな」


 男は面白くなさそうに言った。


 「オレの予想より、あの子は飲み込みがいい」


 平田は上機嫌だ。


 「……トシに教えたように、する気か」


 男は、不愉快さを隠そうともしない。


 平田の目が細くなる。笑ったのだ。


 「違うね。トシはもう、オレのもとに来た時には、知っていたよ」


 はるかよりは年上だったが、まだ少女と言ってもいいトシが、現れた日を平田は覚えている。


  インターフォンさえ鳴らさずに、トシは事務所のドアを開け現れたのだった。


 平凡な、でも優しげな容姿に、狂気をはらんだ目をした少女のトシは言った。


 『あと7人殺したい』


 実の父を、目の前で強盗目的の少年達に殺された少女は、十人の内三人を、自宅の床の間に飾られた刀で斬り殺していた。


 復讐心は、天才剣士と言われた少女を修羅に堕とした。


 警察を呼んだのが、加害者であるはずの少年達であったことが、どんな状況であったのかを示している。


 正当防衛として認められたが、トシは残りの七人を許したわけではなかった。


 仇討ちを申請した。


 そして、はるかと同じ様に平田に助力を願ったのだ。


 『教えて欲しい。どうすれば確実に殺せる? 後七人いる。全て殺すまで、死ぬわけにはいかない』


 トシが、平田に教えてもらいたかったのは最も要領良く、人を殺す方法だった。


 そして、平田は教えた。


 何故なら、もうこの少女は、平田と同じ側に立っていたから。


 そして、「十人斬り」と呼ばれるトシが、生まれたのだ。


    



   

 「……不愉快か? でも、トシが堕ちてきてくれなきゃ、オマエとトシが知り合うことも、ましてや、そうなることもなかっただろ? 感謝しろよ。オレやオマエは生まれながらにこっち側だ。トシやはるちゃんは、こういうことでもなきゃ、オレ達のとこにはいない。そりゃわかってんだろ?」


 平田の言葉に男はしばらく黙る。


 「……あんたは知らんが、オレは、トシやあの子が、本当にそれを望んでいるとは、思わないんだよ」


 そうとだけ言うと男は、乱暴に部屋を出て行った。


 「珍しく意見が合ったな……オレもだよ」


 平田は一人つぶやいた。


 はるかは目を開けた。


 「気が付いた?」


 トシは優しくはるかの前髪を、掻きあげてやる。


 「髪切らないとね……、長いと掴まれて不利になるから。綺麗な髪だから、嫌なんだけど」


 ベッドの側に座るトシを、はるかはじっと見つめる。


 そっと、手を伸ばしトシの手を握る。


 トシは少し驚いた顔をしたが、優しくその手を握り返す。


 「よくやったわ。ただ、本番では隠れる所もないし、不意打ちも出来ないから、同じ手は使えないけれど。でも、良くやったわ」


 トシは、優しく優しく、はるかの額にキスをした。


 小さな子供にするように。


 


 「あの人、死んだ?」


 はるかは静かに聞いた。


 トシは一瞬良く分からなかったが、はるかが自分を襲った男を案じているのだと分かり、目を伏せた。


 「……死んでないわ」


 そっと、安心させてやる。


 「目が潰れたかもしれない」


 はるかは呟く。


     「かもね。でもいいの。死んだのは、あなたの方だったのかもしれないのだから」


 胸の奥に痛みがあるのをトシは感じていた。


 この少女を愛しいと思い始めているのだ。


 「殺すのは、一人でいい」


 はるかが小さな声で言った。


 「そうね」


 トシはそうささやく。


 何人、殺しただろう。


 「十人斬り」と言われるが、トシが殺した人数は、それ以上だ。


 正当防衛の名のもとに。


 殺しを仕事にしたことはないが(助太刀だってとどめをさすのは遂行者だ)、命に関わる仕事をしている。


 そういうこともある。


 正当化したこともないし、楽しんだこともないが、殺したくないとももう思わなくなっていた。


 「トシさん。全部終わったら、私をここに置いてくれない?」


 なんでもするから。


 はるかは言った。


 トシは頷いた。


 本心からではなかった。


 何を言われたって頷いただろう。


 この少女が笑ってくれるならどんなウソでもついただろう。


 もうすぐ死ぬかもしれない人間には、相手の望むようなことを言うべきであることを、トシは知っていた。


 「買い物に行きましょう。可愛い服、選んであげる」


 トシの言葉にはるかは薄く笑った。


 その透明さがトシの心をしめつけた。


 「おやすみなさい」


 トシはもう一度はるかの額にキスをした。


 



   

 部屋から立ち去ろうとするトシに、はるかは聞いた。


 「トシさん。トシさんの目にはもう、世界は美しくないの?」


 トシはゆっくり振り返った


 この手が血に塗れて。


 反吐がでるような人間達を何人も見て。


 下水を掃除するような仕事をしてきて。


 今度はウソではない言葉をトシは言う






  「そんなことはないわ。


  それでも世界は美しいもの」





 世界を見た。


少女の瞳にうつる世界をトシは見たから。






  




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る